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砂漠に吹く風(後)

 

 頭から水を被り身を清める。汚れを落とすと、随分とさっぱりしたような気がした。


「ふぁー、気持ちいいね~」

「だなー」


 リルカと二人、顔を見合わせて笑う。

 汗も汚れも落として、やっと落ち着いた気分だ。

 部屋に戻ると、レーテが一人で窓の外を見ていた。一緒にいたはずのヴォルフの姿はない。


「あれ、ヴォルフは?」


 そう尋ねると、レーテが振り返る。


「なんかぶらぶらしてくるって出てったよ」

「ふーん……」


 別にあいつがふらっといなくなるのは珍しいことじゃない。でも、少し気になった。

 思えばあいつは、テオが話題に出した混浴に意外と乗り気だったような気がする。

 ……まさか、やっぱり混浴に入りたくなったんじゃ!?

 そう思うと、急に落ち着かなくなってきた。

 そりゃあ、俺だって元は男だし、混浴に惹かれる気持ちはわかる。

 ちらりと視線を落とすと、起伏の少ない自身の体が目に入る。

 ……駄目だ、なんかイライラしてきた。


「……ちょっと出てくる」


 そう言って部屋を後にする。


「じ、じゃあリルカも……」

「やめときなよ。夫婦喧嘩は犬も食わないっていうだろ」


 背後からはそんなやりとりが聞こえてくる。

 ちらりと振り返ったが、リルカが部屋から出てくることはなかった。

 今だけは好都合かもしれない。もしかしたら、リルカには聞かれたくない醜く酷いことを言ってしまうかもしれないから。



 ◇◇◇



「……はぁ」


 勢いで出てきてしまったが、どうにも公衆浴場の方へは足が向かなかった。

 なんとなく入り辛いというのもあるし、なんていうか……決定的現場を見るのが怖い、というのもある。

 というわけで、現在の俺はあてもなく通りを彷徨っていた。

 通りにはいくつかの露天が出ている。

 食品に雑貨に衣料品にアクセサリー。通りがかった人々が足を止めている。

 その光景を見ながら歩いていたからだろうか、俺は建物の陰から飛び出してきた小さな影に気がつくことが出来なかった。


「わっ!」

「ひゃあ!」


 小さな影が俺にぶつかった反動で倒れる。

 慌てて助け起こそうとかがみ込んだ。


「ごめん! 大丈夫!?」


 そこでは、まだ幼い女の子が尻餅をついて俺を見上げていた。

 つややかな黒髪が綺麗な、四、五歳ほどの女の子だ。

 女の子はぽかんとした様子で俺の方を見上げている。見たところ、怪我はなさそうだ。

 あたりを見回してみたが保護者らしき姿はない。……もしかして、迷子か?


「……一人か? 親は?」


 そっとそう問いかけると、ぽかんとしていた女の子ははっとしたように口をぱくぱくさせていた。


「えっと、その……はぐれ、ちゃって……」


 やっぱり迷子だったようだ。

 とりあえず少女の手を取り立たせ、俺はどうしようかと思案した。

 そろそろ日が暮れ始める時間帯だ。小さな女の子一人を放り出すには心もとない気がする。


「そうだな、一緒に保護者を探そっか」


 そう言って微笑みかけると、女の子は慌てたように首を左右に振った。


「そ、そんなの悪いよ……!」

「大丈夫だって!!」


 むしろここにこの子を一人置いておくほうが心配だ。

 女の子が迷っていたようだが、やがてしっかりと頷いてくれた。

 そして、彼女がそっと俺の手を取った。


「……ありがとう。君は優しいね」


 幼い見た目には似つかわしくない、どこか大人びた話し方だった。

 その様子に、なぜだか既視感を覚える。

 ……記憶を巡らせてみたが、この少女に会うのは初めてのはずだ。

 気のせいかな……。


 少女と手をつなぎ、夕日の差し込む通りを歩く。

 少女はこのあたりの子なのか、あの店は煮込み料理がおいしいだとかこの辺りはスリに注意したほうがいいだとかいろいろと教えてくれた。

 随分とませた子供だ。……やっぱり、不思議と初対面だという気はしない。

 少女は俺を先導するように歩いていく。だんだんと、人気の少ない裏路地のほうへと入り込んでいくようだった。

 どこかふわふわとした気分で、俺は少女に手を引かれるまま歩き続けた。


 そして、建物と建物の間の狭い道に入り込んだところで、彼女は俺の方を振り返った。


「ねぇ、一つ聞いていいかな」


 何かを決意したような、どこか遠慮しているような、そんな表情を浮かべていた。

 どくん、と心臓が鳴る。



 やはり、俺はこの子を知っている。



「君は……今、しあわせ?」


 少女はまっすぐ俺を見つめて、そう口にした。



 あぁ、やっぱりそうだったんだ……



「うん、俺は幸せだよ」


 世界は何とか落ち着きを取り戻して、こうやってまたみんなで戦ったり、騒いだりできるんだ。

 これ以上の幸福はないだろう。


「だから、ありがとう…………ラファ」


 確信を込めて、そう呼びかける。

 その途端、少女は大きく目を見開いた。


「ぇっ……いやあの、その……ラファって、だれかなー」

「白々しいんだよ、バカ!!」


 軽く頭を小突くと、少女が軽くよろける。

 そして、観念したように大きく息を吐いた。


「……なんでわかったの」

「なんとなく、雰囲気とか……そんなん」


 俺にもはっきりと「これだ!」っていう何かがあったわけじゃない。

 でも、なぜかわかったんだ。この子は、ラファリス──女神アリアだって。


「……いろいろ言いたいことはあるけどな」


 理解した途端、心の中がぐちゃぐちゃになってしまったかのようにいろいろな感情があふれ出す。

 そっと手を伸ばすと、少女はびくりと身をすくませた。

 そのまま、小さな体を強く抱きしめる。


「クリスちゃん……」

「……た。……もう、会えないかと思った……!」


 今でもはっきりと思い出せる。

 ルディスの闇をたった一人で受け入れた時の苦しそうな顔も、ラファリスの体が大地の底へと落ちていったあの瞬間の息が止まるような感覚も。

 こらえ切れずに涙が溢れ出す。アリアはそんな俺の背中をそっと撫でてくれた。


「ごめんね。あの時はああするのが一番だと思ってたから……」

「……別に、責めてる訳じゃないって」


 ルディスを追い出せたのも、きっとこいつの行動のおかげなのだから。

 それに、こいつはきっと……こっそりと俺たちのことを見守ってくれていたんだろう。

 まったく、不器用な女神さまだ。


 アリアがそっと俺の頭を撫でてきた。幼い少女の姿をしたやつに頭を撫でられるなんてちょっと恥ずかしいかもしれないけど、今はだれも見てないし、このままにしておこう。

 俺たちそのまましばらく何も言わなかった。

 やがて……路地裏にこつこつとした足跡が響き始める。


「……アリア」


 聞き覚えのある声だ。

 顔を上げると、思った通り全身真っ黒コーディネートのちょっと怪しい男──アコルドが少し離れたところに立っていた。


「『保護者』登場かな」

「……誰が保護者だ」


 アコルドが大きくため息をつく。

 なんだかその様子がおかしくて、俺もアリアもくすくすと笑ってしまった。


「……ありがとう、君に会えてよかった。僕はもう行くよ」


 そっと体を離して、アリアはそう言って微笑んだ。


「……どこに?」

「どこへでも。大きな都市にも、小さな村にも、深い森にも砂漠の真ん中にもね。行きたいところはいろいろあるから」


 そのいたずらっぽい笑みを見ると、初めてラファリスに出会った時を思い出す。

 風のように現れて、また去っていくところはこんな姿になっても変わらないようだ。


「大丈夫、また会えるよ。いつも見守ってる……とは言えないけど、君の行く道が明るいものでありますように」


 小さく祈りの言葉をつぶやくと、アリアは小走りでアコルドのもとへと駆け寄った。

 そのまま大きく俺に手を振って、二人は路地裏の角を曲がっていった。すぐに足音が聞こえなくなり、気配すらもなくなった。


 そのまま、座り込んで大きく息を吐く。

 まったく……いつも唐突な、騒がしい女神様だった。

 でも、胸のつかえがとれた気がする。宿を飛び出した時とは違い、晴れやかな気分だった。



 ◇◇◇



 路地裏を出て、露天の立ち並ぶ通りを歩く。

 リルカとレーテに何か買ってこうかな、と立ち止まったその時だった。


「クリスさん!」


 聞きなれた声に振り返る。予想通り、ヴォルフが小走りでこちらに近づいてくるところだった。

 一瞬ほっとして、すぐにさっきの宿を飛び出す前の会話を思い出した。

 こいつ、混浴に行ったんだったよな……。


「あなたも外に出てたんですね。レーテさんとリルカちゃんは?」

「……たぶん、宿にいると思う」


 不自然なほどに普段通りの会話だった。

 ……だめだ、胸がもやもやする。


「……どうだった」

「え?」

「だから……混浴!」


 視線を地面に落としながらそう問いかける。ヴォルフはどこか困惑しているようだった。


「え、混浴って……行ったのはテオさんじゃないですか」

「どうせお前も行ったんだろ!」

「行ってませんけど……」


 思わず顔を上げると、どこかあきれた様子のヴォルフと目が合う。

 そのまま、ぎゅうと頬を引っ張られた。


「いひゃいいひゃい!」

「……はぁ。行かないって言ったじゃないですか」

「だって、一人で出かけてるから、てっきりこっそり混浴に行くのかと……」


 ……もしかして、俺の勘違いか!?

 引っ張られた頬を抑える。申し訳なさと嬉しさでちょっと火照ってきた気がする。


 ヴォルフはもう一度大きなため息をつくと、懐から何かを取り出した。

 そのまま俺の手を取り、取り出したものを握らせる。

 そっと握った手を開くと、そこには美しく煌めく石が彩られた、洒落た髪飾りがお目見えしたのだ。

 まるで夜空のような濃紺に、ところどころ白や金の星のような模様が彩られた美しい宝石だった。


「砂漠の星……という石だそうです。この辺りではよく採れるみたいですよ」

「ほんとだ、夜空みたいだな……」


 見ていると吸い込まれそうになるようだ。

 ぼぉっと見惚れていると、ヴォルフが一歩近づいてきた。


「……あなたに、似合うと思って」


 どこか照れたように、ヴォルフは小さくそう口にする。

 俺も恥ずかしくなっていつもみたいに何か言い返そうとして……やめておいた。

 夜空のように美しい石を見ていると、なんかそんな自分がすごくちっぽけに思えたからだ。


「……ありがとう」


 素直に礼を言って、髪飾りを身に着ける。

 そのまま、どちらかともなく手をつないで宿屋への帰路に就いた。


挿絵(By みてみん)


 ◇◇◇



 宿屋に帰り着くと、すでにそこにはテオの姿があった。

 しかし、何故かテオは気落ちしたように机に突っ伏していたのだ。


「なんだこれ、どうしたんだよ」


 テオはよほど落ち込んでいるのか俺の言葉にも反応しない。

 代わりに、恐る恐るといった様子でリルカが教えてくれた。


「それがね、公衆浴場に行ったんだけど、今日がちょうど『ドキッ☆漢だらけの筋肉自慢大会』の日で女の人はいなかったんだって」

「……そっか」


 俺は乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。

 なんだか恐ろしい大会が開かれていたようだ。俺だったら美女との混浴を期待して行ってそんなのに遭遇したら、深いトラウマになるかもしれない。


「それで落ち込んでる訳か」

「いや……ノリノリで出場したけど準決勝で敗れたらしい。それが情けなくて落ち込んでるんだと」


 レーテが呆れたようにそう口に出す。

 うわぁ……更にくだらない内容だった。


「そんなくだらないことで落ち込んでんのかよ」

「くだらないとはなんだ! オレは自分が情けない!!」


 復活したらしいテオがどん、と拳で机をたたく。

 ちょっとミシッと音がした気がする。頼むから壊すなよ!


「オレは思い上がっていた……力で、筋肉でオレに叶うやつなどいないと……。それがこのザマだ!  くそっ、明日から……いや、今日から鍛錬のやり直しだ!」


 テオは一人で盛り上がり始めてしまった。

 そのまま勢いよく立ち上がり、オレたちのほうへと向き直る。


「まったく、世界は広いな! まだまだとんでもない奴が潜んでいるかもしれん。お前たちも鍛錬を怠るなよ!!」


 そのまま何か叫びながらテオは外へと出て行った。

 まぁ、あいつが近所迷惑で捕まらないことだけを祈ろう。


「世界は広い、か……」


 俺の今までの旅で、小さな村を飛び出していろいろな所へ行った。でも、きっとそれもこの広い世界のほんの一部でしかない。

 なんかそう思うと、わくわくしてくるから不思議だ。


 外からはテオの雄たけびが聞こえてくる。

 とりあえず夜に騒ぐなと説教をしなければならない。

 どこか軽い足取りで、俺も部屋を飛び出した。



テオとクリスの馬鹿馬鹿しい掛け合いは久しぶりに書いた気がします。

ちょっと初心に戻った気分になります!

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