星をさがして(8)
暗闇へと消えて行った二つの影を見送って、アニエスはそっとため息をついた。
人を殺める吸血鬼だとして処断されそうになっていたヴォルフを、クリスは連れだした。二人を捕らえることもできただろう。だが、アニエスはそうしなかった。
ヴォルフが本物の吸血鬼なのかどうかは、アニエスにはわからない。
──勇者の名を騙る邪竜だとして処刑されたテオ
──忌むべき吸血鬼だという事を隠し、人に紛れていたとされるヴォルフ
二人とクリスは、確かにアニエスを救ってくれたのだ。
こんなご時世だ。何が正しくて何が間違っているのか何て、もうわからない。
「……そろそろ戻った方がいい。手引きしたなどと疑われると厄介だ」
「そうだな……」
アニエスと同じくクリスがヴォルフを連れ出すと予測していたアルベルトにそう促され、アニエスはそっと砦へと引き返す。
どうか、追手が来る前に逃げてくれと願いながら。
◇◇◇
当然、すぐに解放軍は大騒ぎになった。
大規模な追っ手を差し向け大々的に討伐すべきだという意見もあったが、なんせ解放軍も人手不足なのだ。
逃げ出した吸血鬼一匹よりも、目の前の邪教徒の方が厄介だと判断されたのだろう。
「吸血鬼を見つけ次第殺せ」との命は出たが、積極的に探せとまでは命じられなかった。
ヴォルフとクリスだけではない。勇者クリスとティレーネも行方不明となり、解放軍の人々も不安に駆られているようだった。
その中で特に意気消沈している人物を見つけて、アニエスはそっと彼に近づいた。
「…………はぁ」
その人物──ダリオは、普段やたらとやかましい彼には珍しく、部屋の隅に座り込んでいた。
彼はヴォルフと仲が良かったようだし、クリスのことも気にかけていた。気分が落ち込むのも無理はないだろう。
やかましくて馬鹿な奴だが、ダリオは友情に厚い男だとアニエスは思っている。
……彼になら、少し事情を説明してもいいかもしれない。
「おい」
「アニエスかぁ……」
呼びかけると、ダリオは覇気のない声で答えた。
まったく、そんな様子じゃいつもみたいにどつく気すらなくなってしまう。
「話がある、来い」
小声でそう告げると、ダリオも何かを察したのだろう。慌てたように立ち上がった。
しばらく歩き、空き部屋へと足を踏み入れる。辺りに他人の気配がないのを確認すると、アニエスはそっと口を開いた。
「クリスとヴォルフだがな……逃げ出したぞ」
「二人は、無事で……?」
「まあ完全に無事だとは言い難いが、少なくとも二人一緒に自分たちの足で逃げ出したんだ。後はなんとかなるのを祈るしかないだろ」
「そっか、よかったぁ……」
ダリオは安心したようにしゃがみこんだ。
彼はアニエスを見上げると、へにゃりと情けない笑顔を見せたのだ。
「逃げたって言うけど本当は処刑されたんじゃないかって……心配だったんだ……」
ダリオは涙目になっていた。だが、アニエスにはその様子をからかうことはできなかった。
「安心しろ。あいつらならきっと大丈夫だ」
何の根拠もない言葉だ。だが、不思議とそう思えてならなかった。
もしかしたらアニエス自身の願望だったのかもしれない。だが、今は心配してもどうしようもないだろう。
「また、会えるかな……」
「会えるさ。その時は迷惑かけられた詫びにたっぷり奢ってもらうぞ!」
鼓舞するようにそう言うと、ダリオはまたへにゃりと笑った。
よかった。彼も少し元気が出たようだ。
二人がいなくなったからと言って、解放軍のやることはかわらない。大地を蝕むルディスの影と戦い続けるだけだ。
死んだかと思われていたクリスとも再会できたのだ。
きっといつかまた、彼らに会える日が来るだろう。
そう信じて、アニエスは今日も戦い続ける。
※※※
「…………はぁっ!!」
全神経を集中させ、勢いよく魔法を放つ。
風の刃が掠めた木の枝から、驚いたように鳥が飛び立っていった。
「ふぅ」
額の汗を拭い、リルカは空を見上げる。
空は真っ青に澄み渡っていた。その光景を見ていると……どうしても、想像してしまう。
いつかのように、真っ赤なドラゴン──テオが、現れないかと。
「っ……!」
駄目だ、泣いてはいけない。泣いたって何も解決はしないのだから……!
テオはもういない。そうわかっていても、どうしても浅はかな希望を捨てることはできなかった。
ぎゅっと拳を握りしめ、涙がこぼれないように頭上を睨み付ける。
こんな情けない状態ではだめだ。きっとテオに笑われてしまうだろう。
テオの処刑の報が入ってすぐに、ヴォルフは島を飛び出して行った。
リルカも一緒に行こうとしたが、ヴォルフにもフィオナにも危険だと止められた。
そう、リルカではまだ力不足なのだ。だから、もっともっと精進しなくては。
ヴォルフはクリスを見つけたらすぐに戻ってくると言っていた。それがもう、一年近くたつが未だにヴォルフは戻らない。その意味を……リルカは考えたくはなかった。
以前自分の体がばらばらに砕け、もう彼らと話したりできなくなるかと思った時も悲しかった。だが、今の悲しみはその非ではない。
心がばらばらになりそうな悲しみは、一年近くたった今でもリルカを蝕み続けている。
大丈夫、必ずヴォルフとクリスは戻ってくる……!
そう信じて、リルカは毎日修行を続けていた。
「ふぁ~。おはよう、リルカ。いつも早いね」
その時、背後から緊張感のない声が聞こえてくる。
振り返ると、リルカの素体を作り出した錬金術師ルカの弟子──クロムがあくびを噛み殺しながらこちらへと歩いてくるところだった。
「クロムさん、おはようございます」
リルカが修行の場としているこの森は彼らの住居のすぐ近くだ。リルカとて修行に夢中で夜遅くなった時はクロムの勧めで彼らの家に泊まることもある。
クロムはよくこの辺りを散歩しているのか、頻繁にリルカの修行に顔を出していた。
「今日も頑張ってるね、でも……」
クロムがリルカのすぐ傍へと近づいてくる。そして、彼はそっとリルカの目元をぬぐった。
「あまり無理しすぎない方がいいよ。たまには休息も必要だよ。体にも……心にも」
「…………はい」
リルカ自身、自分がずっと焦燥感に捕らわれ無理をしている事には気が付いていた。
どうやらリルカの状態はクロムにはお見通しだったようだ。
見た目はリルカと同じくらいの少年なのに、さすがは年の功とでも言うべきだろうか。
「……クリスさん、どこ行っちゃったのかなぁ」
蒼穹を見上げ、クロムが小さく呟く。
リルカは、何も言えなかった。
「あの人けっこうドジなところあるから心配だね」
「クロムさんも、人のことは言えないのでは……」
クリスもそうだが、クロムだってよくドジを踏んでルカに怒られているのをリルカは知っている。
そう言うと、クロムはおかしそうに笑った。
ここに来てから、フィオナをはじめ事情を知る皆はリルカを傷つけまいと必要以上に気を遣ってくれている。できるだけ、テオやクリスの話を避けているようだとリルカは感じていた。
だが、ルカと目の前の少年だけはまったく遠慮なくテオやクリスの話題を出すのだ。フィオナが知ればデリカシーがないと怒るかもしれないが、リルカにはその遠慮のなさが有難かった。
クロムの無責任な言葉を聞いていると、すぐにでもクリスが戻ってくるような気がするからだ。
「……今は辛いかもしれないけど」
ふと、クロムがそう口に出した。
「辛いことがあった分だけ、いつか……楽しい事があるよ。僕はそう思ってる」
クロムはリルカの方を見つめて、言い聞かせるようにそう告げた。
それはリルカに言った言葉なのか、それとも自分自身に言い聞かせるための言葉だったのだろうか。
……クロムも、身を、心を引き裂かれるような辛い出来事を経験したことがあるのだろうか。
彼の言葉には、どこかそう思わせる何かがあった。
「あの……」
「そうだ! 朝食はもう食べた? 昨日パイ焼いたんだけどリルカも一緒に食べようよ!!」
クロムは名案を思い付いたというように、目を輝かせてリルカの手を引いた。
「そろそろルカ先生も起こさないと。あの人ほっとくと一日中寝てるからなぁ……」
「ふふっ、大変なんですね」
彼と話していると、少しだけ心が軽くなった気がした。
大丈夫、まだまだ諦めない。
クロムの焼いたパイを頂いて、たっぷりと休憩を取ったら、また修行を再開しよう。
まだまだ世界の異変は何の解決もしていないのだから。そしてヴォルフとクリスに再会したら、また一緒に戦う事が出来るだろう。
そう信じて、リルカは今日も歩み続ける。
これにて「星をさがして」完結です!
ここからずぶずぶ逃避行パートに繋がる感じです。
次回は現在軸に戻ってアイドル回をやる予定です!




