迷子の心(4)
「クーちゃん、お腹でも痛いの?」
ミゲルに残酷な真実を突き付けられてから数日、できるだけ父さんや母さんの前では普段通りに振る舞っていたつもりだが、それでもやっぱり態度に出ていたのかもしれない。
「……ううん、大丈夫だよ。母さん」
何とか笑ってそう返す。
母さんは少しだけ心配そうな顔をしていたが、それ以上何かを追及してくるようなことはなかった。
ずっと家の中に閉じこもっていたので、あれ以来ミゲルの姿は見ていない。
あいつの顔を見ると、どうしてもあの時言われた言葉が蘇ってしまいそうだ。
――置いて行かれた。
――捨てられた。
「っ……!」
……それでも、いつまでもうじうじはしていられない。
みんな、それぞれの道を歩み始めているんだから、俺も強くならないとな!
まずは身だしなみを整えようと鏡を覗き込む。
少し憂い顔の、端正な顔立ちの少女がこちらを見つめていた。
男だった俺と、女だったレーテは入れ替わり……そして、元に戻れなくなってしまった。
それは仕方のないことだ。だから、それぞれ今の体を自分の物として、これから生きていくとレーテには約束した。
最初に旅に出た時は、世界を救うとか、元の姿に戻るとか、そういう目標があった。
でも、今の俺は……どう進んでいけばいいのか、わからなくなってしまったんだ。
……よし、こういう時は散歩だ!
ついでに草原で昼寝でもすれば、心も落ち着くだろう。
旅に出る前の俺はよく草原で昼寝をして、いろいろな空想に耽っていた。なんだか、その頃が懐かしく思えたんだ。
「母さん、ちょっと出かけてくる!」
思いついたらすぐ実行!
俺は勢いのまま家の外へと飛び出した。
◇◇◇
家の前にミゲルはいなかった。
あいつもあれだけ無視すればさすがに俺にその気がないことがわかったんだろう。そう思っていたが、村の中心部へ向かう途中、またしても見たくない顔を見つけ自分でも顔が引きつるのが分かった。
「……クー、久しぶりだな」
ミゲルがゆっくりとこちらへ近づいてくる。
逃げようかと思ったが、そうするとなんか負けたような気分だ。
別に俺は悪いことはしてない。堂々としてればいいんだ。
「今日はお仕事はされないんですか?」
「あんたがいなかったここ数日は真面目に働いてたんだぜ」
意外とミゲルは普通だった。
てっきり数日前のことを追及されたりまた嫌な事を言われるかと思っていたが、案外もう俺に興味がなくなったのかもしれない。
「……そうだ。宿屋の親父があんたに用があるって言ってたぜ」
「宿屋さんが?」
なんだろう。レーテ達がいた時の未払いでもあったんだろうか。
特に思い当たることはないので頭をひねっていると、ミゲルは爽やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「今日は向こうで作業してるって言ってたぞ。案内してやるよ」
もしも未払い金があるのなら早めの方がいいだろう。延滞料金とか取られたら困るしな!
ミゲルに向かって頷くと、彼は俺を先導するように歩き始めた。
辿り着いたのは、村の中心部から離れた人気のない場所に建つ、木でできた簡素な小屋だった。
畑仕事をする人や森に行く人が使う、休憩所のような場所だ。
「ここに宿屋さんが……?」
あの人がここで何をしているんだろう。
訝しむ俺に、ミゲルは笑って中に入るように促した。
取りあえず小屋の戸を開ける。
中にいたのは見慣れた宿屋の親父……ではなく、意地の悪い笑みを浮かべたガラの悪い男二人だった。
こいつらは、前にミゲルに連れられて町に行った時に声を掛けてきた奴らだ……!
狭い小屋の中に、宿屋の親父の姿はない。
――まさか、騙された……?
「っ!」
そう気づいた途端背後から強く背を押され、踏みとどまれずに小屋の中へと倒れ込んでしまう。
その直後、強く戸の閉まる音がした。
「警戒心なさすぎじゃねぇの。それとも、こうなることを期待してたのか?」
ミゲルが冷たい笑みを浮かべて俺を見下ろしている。
……このままここにいればよくないことが起こる。すぐにそうわかった。
とっさに逃げようとしたが、すぐに小屋の中にいた二人に引き戻され、立ち上がることすら出来なかった。
「やめろっ、離せよ!!」
「そんなに暴れんなよ。俺だってあんたの為を思ってやってんだぜ?」
ミゲルはそんな意味不明な事を言いながらしゃがみこむと、まっすぐに俺と視線を合わせてきた。
「いつまでも帰ってこない男のことを待ち続けてなんになる?」
「っ……!」
――もう帰ってこない。
あいつは、元の場所に戻って行ったんだから。
黙り込んだ俺を見て小さく笑うと、ミゲルはゆっくりと言い聞かせるように口を開く。
「だから……あんなヘタレ野郎のことなんて忘れさせてやるよ!」
次の瞬間、固く冷たい床に押し倒された。
「やっ……!」
「暴れんなよ、押さえつけろ」
必死に逃げようと暴れたが、すぐに他の二人に押さえつけられてしまう。
「なぁミゲル。後で俺にもまわしてくれよ……!」
「気が済んだらな」
頭上では理解したくもない、下劣な会話が繰り広げられている。
その言葉を聞いた途端全身が総毛立ち、助けを呼ぼうと必死に叫んだ。
「ゃだっ……誰かぁっ!!」
「無駄無駄。こんなとこ誰もこねぇよ」
必死に抵抗しようと身をよじるが、手足を押さえつけられ身動きすらろくに取れない。
そんな俺を見て、ミゲルたちはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。
……確かに、昔から嫌な奴だった。
でも、以前は机にカエルを仕込んだりとか、会うたびに田舎者と馬鹿にするとか、そんな子供のいたずらレベルのことしかしてこなかったはずだ。
なのに、こんな……人の尊厳を根底から踏みにじる様な、そんな非道な行いをするような奴だとは思わなかった。
「ミゲル、やめろ……」
「安心しろよ、クー。俺の女になればクリスのことなんかすぐに忘れさせてやるからよ」
ミゲルが俺の服に手をかけた。
圧倒的な力で、なすすべもなくねじ伏せられ……
――蹂躙される
「ゃ……やだ…………!」
必死に首を振って拒絶の意を示したが、ミゲルたちはますますいやらしい笑みを深くするだけだった。
ブラウスのボタンを、一つ外される。
これから起こることに対する本能的な恐怖に、体ががくがくと震える。
頭が真っ白になって、この状況を打開する方法なんて思い浮かばない。
どうしようもなく怖くて、でもどうすることもできなくて、ぎゅっと目を瞑ったその瞬間だった。
ドンドン、と、強く小屋の戸を叩く音がした。
「あぁん?」
ミゲルが不快そうな声を出して振り向く。
相変わらず、小屋の戸は強く叩かれていた。
「ったく……取り込み中だ!!」
ミゲルはそう外に向かって叫んだが、それでも小屋の戸を叩く音は止まない。
「ちっ、どこのどいつだよ」
「痛い目見せてやるか……」
俺の足を抑えていた男が拳をボキボキと鳴らしながら立ち上がる。
これから起きる出来事を想像して、思わず息を飲んだ。
きっと村の誰かが声を聞きつけて見に来たんだろう。でも、こいつらにとってはただの邪魔者だ。
その人まで、ひどい目に遭わされるかもしれない……!
「やめて……!」
「お前はこっちに集中しろよ」
ミゲルは目をぎらつかせながら更にブラウスのボタンをはずそうとしてきた。
「おい、取り込み中だっつってんだろが!!」
怒鳴りながら、立ち上がった男が乱暴に戸を開いた。
男の姿が邪魔で、床に押さえつけられた俺の位置からはその向こうにいるのが誰なのかが確認できない。
「あぁん? なんだてめぇ。見せもんじゃねぇよ! ガキはすっこんでろ!!」
威圧するように男が怒鳴り散らす。
だが、その相手の声は聞こえてこなかった。
男が小屋の外の相手に殴り掛かろうとする、次の瞬間だった。
「このクソガキがっ…………ぐふぅっ……!」
弾かれたように男の体が吹っ飛び、小屋の壁に激突した。
邪魔になっていた男がどいて、やっと小屋の外にいる人物の姿が目に入る。
最初に見えたのは、特徴的な真っ白に近い髪だった。
「…………はぁ?」
仲間の男が吹っ飛ばされたのが信じられないのか、俺の服を脱がそうとしていたミゲルの手が止まる。
俺も、その姿に息を飲んだ。
小屋の入口では、ヴォルフがひどく冷たい目をして、床に押し倒された俺と押さえつけるミゲルともう一人の男を見下ろしていたのだ。
次回「ミゲル死す」
年明けに投稿予定です!




