28 黒い意志
特徴的な鮮やかな桃色の髪は黒いフードによって隠されているが、間違いなく目の前の少女は俺が街で出会ったリルカだった。
でも闇夜に舞うその姿は、さっき見たばかりの大鴉そのものだ。
「リルカ? リルカだよな? こんなところで何やってるんだよ!?」
「目標確認、攻撃を開始します」
リルカはそう呟くと、勢いよく俺の方へと突っ込んできた。
「うわっ!?」
「クリスさんっ!!」
間一髪、リルカが俺に激突する直前に目の前に氷の盾が現れた。ヴォルフが俺を助けてくれたみたいだ。あの魔法道具の指輪の効果は今でも健在のようで、氷の盾に深々と突き刺さった鉤爪が俺に届くことはなかった。
そう、鋭くて長い銀の鉤爪をリルカが装備している。あれが刺さったら肉がざっくりと裂けて痛そうだ、というか、場所が悪ければ即死するかもしれない。
「リ、リルカ……そんなの付けてたら危ないぞ……?」
「攻撃、再開します」
リルカはまったく俺の言葉が聞こえていないようで、氷の盾から瞬時に鉤爪を抜くと、再び空中へ飛び上がった。
そのまま今度は鉤爪を構えてテオの方へ突っ込んでいった。
「テオ!」
「ぐっ」
振り下ろされる鉤爪を、テオは大剣を構えて防いだ。そのまま押し返そうとするが、どうしたことかリルカに押されたままだ。
「こいつ……なんて力だっ……っ!!」
テオが苦々しくそう呟いた途端、テオは体勢を崩して地面に倒れた。そのままリルカの鉤爪が振り下ろされたが、テオは間一髪地面を転がって攻撃を避けた。
まさか、テオが押し負けた……?
リルカの鉤爪は土をえぐりとる勢いで地面に刺さっている。どうみても十歳そこそこの女の子の力だとは思えない。
俺の知っているテオは大剣の扱いはいまいちなものの、力だけは本物のゴリラ並みに強い奴だ。それと拮抗、むしろ圧倒するなんてどう考えてもありえない。
もう、俺は認めざるを得なかった。俺たちに襲い掛かる少女――リルカは普通の人間ではないと。
「戦闘経過時間確認……問題ありません」
リルカは体勢を立て直すと、再び空へと舞いあがった。
「クリス、ヴォルフ! お前たちは小屋を調べろ!! こいつの相手はオレがする!!」
テオはリルカに向かって剣を構えなおすと俺たちに向かってそう叫んだ。
あの小屋に何かがあるとにらんでいるんだろう。それはいい、だが、俺はここにテオとリルカの二人を残していくのには抵抗があった。
今のリルカは危険だ。きっと俺が一対一で戦えば一瞬で殺されてしまうだろう。テオも本気で相手をしなければ危ない。だが、二人が本気でぶつかった場合、どちらも無事で済むとは思えない。最悪どちらかが死ぬ可能性だってある。
甘い事を言うが、俺はテオとリルカのどちらにも死んでほしくない。もっと言えば傷ついてほしくなかった。
テオはたまに借金を作ったりと俺を困らせることはあるが大事な仲間だし、リルカだって……俺はリルカの事を何も知らないけど、まだ小さい女の子だ。リルカにだって傷ついて欲しくなんかない。
「テオ、その子はっ……!」
「心配するな。俺が何とかしてやる」
テオははっきりとそう答えた。不思議と、その声を聞くとなんか大丈夫なんじゃないかな、という気すらしてくる。
そうだ、きっとテオならリルカを救ってくれるだろう。
だったら、俺は俺にできることをするだけだ。
「行きましょう、クリスさん!」
「わかってる!」
俺とヴォルフは小屋へ向かって走り出した。それに気づいたリルカが俺たちに狙いを定めたが、俺たちの元へ辿り着く前にテオによって進路を妨害されたようだ。
「ほら、来いよチビ助」
「……排除失敗、攻撃を再開します」
背後で激しく金属のぶつかり合う音が聞こえたが、俺は振り返らずに走った。
そして、体当たりするようにして小屋の中へとなだれ込んだ。
小屋の中には一人の男が立っていた。黒いローブを纏った、目元の隈が特徴的な色白の不健康そうな男だった。
男は小屋に入り込んだ俺とヴォルフを見ると、顔をゆがめて笑った。
「侵入を許すとは、あの化け物も使えないな」
男がそう呟いた声に、俺は頭の中が真っ白になった。こいつは今、なんて言った?
「化け物って……リルカのことか……?」
「そんな名前だったが? まあ、どうでもいいがな」
そう言うと、男はまたおかしそうに笑い出した。気味の悪い男だ。それに、この小屋の中も何だか変な匂いがするし、あちこちに動物の死体らしきものや、怪しく光る石など不気味なものが転がっている。
「どうでもいいって……おまえはリルカの家族じゃないのか……?」
おそらく俺とリルカがアイスを食べたあの日、リルカが買っていたものがこの部屋の怪しい道具の一部なんだろう。あの時、俺が家族のお使いかと聞いてもリルカは否定しなかった。
なのに、この男はリルカの名前すら認識していないようだ。
「家族? 馬鹿な事を言うな! あれはただの化け物だ!!」
「ばけもの……?」
男はさらに何かぶつぶつと言っていたが、俺の耳には何も入らなかった。リルカは今、おそらくこの男の為に戦っているのに、こいつはリルカの事を化け物だという。
何で、何でそんなひどいことが言えるんだ。
「だがあの力があれば奴らは私を見直し許しを請いみっともなく地面にはいつくばり……」
「……だそうです。って聞いてますか、クリスさん?」
「え、ごめん。全然聞いてなかった」
リルカの事で頭がいっぱいで、男が何かぶつぶつと呟いているのは聞こえていたが、その内容までは頭が回らなかった。
素直にそう伝えると、ヴォルフは呆れたようにため息をついた。
「はあ……まあいいです。つまりは、最近この辺りで起きている事件の犯人はこいつって事ですよ。こいつを倒せば取りあえず事は片付きます」
そうなのか、よくわからないがこいつが全部悪いって事なのか。
「リルカは……?」
「事情はわかりませんが、おそらくはこいつに操られているんでしょう」
そっか、そうなのか。なら、こいつを倒せばきっと一緒にアイスを食べたリルカに戻ってくれるだろう。
そう思うと、俄然やる気がわいてきた。
「黙れ、黙れ!! くそっ、貴様らもここで排除してやる!! 邪悪なる黒の審理者よ、我に力を……」
「遅ぉいっ!!」
先手必勝!!
俺のかかと落としが炸裂して、男は呆気なく気絶した。宿屋で怒られながらも練習した甲斐があったな。
男は何やら術を使おうとしていたようだが、一般的に術士というのは詠唱中は無防備だ。その隙を突かれればひとたまりもないので、詠唱中は誰かに守ってもらう必要がある。つまり、術士はたった一人で戦うのには向いていないのだ。
どうやらこの男はそれを失念していたようである。もしかしたら、あまり戦闘経験がなかったのかもしれない。
「ふう、これで大丈夫そうですね」
「そうだな……ってリルカ!!」
俺が慌てて小屋の外へ飛び出すと、テオとリルカの方ももう決着がついていた。
地面に膝をついたテオは、ぐったりとしたリルカを抱きかかえていた。……いったいどんな手を使ったんだ。
「おいっ、リルカは!?」
「心配するな、ちゃんと生きてる」
近づいてリルカの顔を覗き込むと、少し苦しそうな顔をしていたが、確かに息をしていた。
「よかった……」
「まったく、こんな小さい体でよくあんなに動けたな……っ!!?」
「う……うああぁぁ!!」
俺たちが話していると、突如リルカの様子がおかしくなった。テオの膝の上から飛び出すと、うめき声をあげて地面に這いつくばった。背中の黒い羽をバタバタと動かしているが、空中へは飛び立てないようだ。その様子は、翼を傷つけられ地面に落ちた鳥のようにも見える。
「リルカ!? どうしたんだよ!!」
「くそっ!」
すぐにテオはリルカを抑えようとしたが、リルカの方も全身を使って暴れていてうまくいかない。
「クリス、神聖魔法を使え!」
「えっ、何の!?」
「何でもいい、何かあるだろ!!」
そんなアバウトな指示で動けるか!! と言いたかったが今はそんな場合じゃない。
ここは俺がやらなきゃいけないんだ!
「えっと、えっと……浄化、治癒……そうだ、鎮静!!」
焦りすぎて思いついた呪文を片っ端から唱えたが、鎮静化の呪文を唱えた途端にリルカはすっとおとなしくなった。
対象を落ち着かせるという効果のある呪文だが、役に立ったのは初めてだ。一応覚えておいてよかった。
リルカの様子を詳しく確認しようとしたその時、俺の目には信じられない光景がうつり込んだ。
「え……?」
リルカの背中から生えていた巨大な黒い翼から、羽が一本一本抜けていく。抜けて行った羽は地面に落ちずに宙へ昇り、まるで煙のように消えて行った。
「なんだよ、これ……」
俺とテオが呆然としている間に、リルカの背中の羽はすべて消え失せてしまった。彼女の背中はただ翼が生えていた部分の服が大きく破れているだけで、他には翼が生えていたという痕跡は全く残っていなかった。
「すごい声が聞こえましたけど、大丈夫ですか!?」
リルカの叫び声が聞こえたのか、小屋の中に残っていたヴォルフも中から飛び出してきた。
「ああ、リルカも落ち着いた。あの羽は消えてしまったがな」
テオがそう答えると、ヴォルフもリルカの背中を確認して困惑したような顔をした。
「どういう事なんですか? この子が大鴉だったんでしょう?」
「でも、俺たちが街であった時は羽なんて生えてなかったぞ」
「そうですけど……」
俺とヴォルフが黙り込むと、テオは空気を変えるように勢いよく立ち上がった。
「とにかく! 今は一旦街に帰るぞ。ヴォルフ、小屋の中はどうだった?」
「はい。邪術を使っている男がいたので、クリスが倒しました。今は中でのびてますから、街へ連れ帰って衛兵か教会に突き出した方がいいでしょう」
「邪術?」
俺はその男を倒した後ほとんど小屋の中を確認せずに出てきてしまったのでわからなかったが、奴は邪術使いだったのか。
邪術というのは、ある意味俺の使う神聖魔法と同じ系統の魔法である。
ただ異なるのは、神聖魔法が人に恵みを与える善き神々(若干例外もいるが)の力を借りるのに対し、邪術はいわゆる邪神、と呼ばれる類の神々に力を借りるものらしい。肝心の邪術の効果についてだが、正直俺は良く知らない。
アトラ大陸のほとんどの地域では邪術の使用は禁止されており、その内容を話したりすること自体が禁忌とされているからだ。だが実際は邪神を崇拝し、邪術に手を染める者も少なからず存在するらしい。この男もそうだったんだろう。
「邪術に使用した道具と思わしきものは、とりあえず破壊しておいたので大丈夫そうですよ」
「そっか、ならいいかな」
考えていてもらちが明かない。とりあえず今は町へ帰った方がいいだろう。
小屋の中から気絶した男を引っ張りだし、テオがその男を、ヴォルフがリルカを背負って俺たちは町へ帰還した。




