1 王都の空
さすがにこれだけ大人数を乗せているとあまりスピードは出せないのか、前に乗った時よりかは幾分かは穏やかな速さで、テオは飛び続けた。
前と違って昼間でも気にせずに飛んでいたので、もしかしたら地上の人に見られたかもしれない。でも、今はそんな事を気にしている時間はない。
絶対に、ルディスの降臨を止めなければいけないんだ……!
そしてちょうど新月の日の夕方前、やっとミルターナ聖王国の王都ラミルタが見えてきた。
だが、ラミルタの上空を見て俺は絶句した。
「ぇ、なんだよあれ……」
ちょうど王都の上空に、真っ黒に近い暗雲が立ち込めているのだ。
どうみても、自然に発生したものだとは思えない。
「いかにも悪いことやってるって感じね」
「……気を抜くなよ。ここまできたらいつ奴らが仕掛けてくるかわからんからな」
ミラージュがぼそりと呟き、テオが注意を促した瞬間だった。
突如、王都の上空の暗雲から俺達の方へめがけて一直線に黒い雷が飛来したのだ。
「うわっ!!」
テオはとっさに避けようとしたので直撃はまぬがれたが、黒い雷がテオの翼に当たったのがはっきりと見えた。
「テオ!?」
「くっ、落ちるなよ!!」
テオは必死に体勢を立て直そうとしたが、傷ついた翼ではうまく飛べるはずがない。
一気に体勢を崩し、テオの体が大きく傾いた。
「“疾風よ!”」
そのまま地面に落ちる直前に、リルカが何か魔法を使ったのがわかった。
おかげで、俺たちの体はまるで風に守られるようにしてふわりと地面に着地することができた。
「あぁ、ダーリン! 大丈夫!!?」
ミラージュの悲痛の声が聞こえて慌てて振り向くと、いつの間にか人間の姿に戻ったテオが脇腹のあたりを押さえ、座り込んでいるのが見えた。
「……すまん。できれば大聖堂まで行きたかったのだが」
「それより回復だよ回復!!」
慌てて治癒魔法を唱えると、テオの表情が若干和らいだのがわかった。
よかった。ちゃんと効いてるみたいだ。
魔法をかけ終わると、テオはすくっと立ち上がる。
「大丈夫だ。このまま戦う分には問題ない。ただ……飛ぶのはきついだろうな」
「またあの雷にやられる可能性もあります。まだ時間もありますし、地上から大聖堂を目指した方が確実かと」
ヴォルフの提案に、テオは深く頷いた。
俺は少し不安になりながら上空の暗雲を見上げた。まるで王都を覆うように、不気味なほど黒くて厚い雲が集まっている。
耳を澄ませば雷鳴が聞こえてくるが、地上に降りた俺たちに落ちてくる様子はない。
上空を飛んでいる者しか補足できないのか、それともテオに当たったのはたまたまだったのか……今は深く考えている時間はない。
とにかく、雷でもなんでも攻撃されたら魔法障壁で防いで、みんなを守る。それが、今の俺にとって一番大事なことだ。
「なんか、静かだね」
リルカがぽつりとそう零す。その言葉で、俺も初めて違和感を覚えた。
聞こえてくるのは雷鳴の音ばかりで、王都は不気味なほど静まり返っているようにみえた。
いつもだったら忙しなく人が出入りしている城門もぴっちりと閉められている。王都の外にも人ひとりいないようだ。
……明らかに、異常だ。
「……たぶん、誰かが止めに来るのも想定してたんだろ。いかにも待ち構えてますって感じでさ」
レーテが苛立ったように吐き捨てる。
確かに、今の王都の状況は明らかにおかしい。ルディス降臨の儀式を行うからっていうのもあるだろうけど、明らかに外敵を警戒しているのが見て取れた。
「まぁいい。受けて立とうじゃないか。おまえ達、くれぐれも気を抜くなよ」
テオは不敵な笑みを浮かべると、ボキボキと拳を鳴らし始めた。
俺もぐっと杖を握りしめる。
「……イリス、ボクの傍を離れるなよ」
「わかってるよ。ちゃんと守ってね」
イリスにはレーテがついているから大丈夫だとは思いたいが、今回の作戦で一番重要なのはイリスだ。
俺も、しっかりとイリスを守らないとな!
「よし、行こう!」
自分を鼓舞するようにそう口にすると、俺たちは王都ラミルタの城門を目指し始める。
◇◇◇
予想はしていたが、城門はぴっちりと閉められており開けることはできなかった。
城門の真ん前に立って、その全貌を見上げる。
初めて王都に来た時はこの立派な城門が随分たくましく思えたものだが、破ろうとする側になってみると、厄介極まりない物だと思い知らされる。
「……どうする?」
「蹴破るか」
そう言ってまたボキボキと拳を鳴らし始めたテオに、レーテは大きくため息をついた。
「まったく、これだから野蛮な奴は困るね。……ボクが行くからおとなしく待ってろよ」
それだけ言うと、レーテは大きく息を吸って城門に手を当てる。次の瞬間、レーテの姿はその場から掻き消えていた。
「なっ、どこにいったんだ!?」
「……たぶん、門の向こう」
ぽつりとそう呟くと、テオが驚いたような顔で俺を振り返る。
以前少しだけレーテの過去を垣間見た際に、同じようにしてレーテが大きな屋敷の扉の鍵を空けているのを見た。あいつは少しだけ離れた場所なら、分厚い壁に挟まれていようと瞬時に移動することができる。
……そのせいで、イリスを人質に取られて魔術結社に従わされていたようだけど。
そんな物思いにふけっている間に、重い音を立てて城門が開き始める。
開いた門の向こうには、何人かの武装した人が倒れていた。
慌てて近づくと、冷静な声が降ってくる。
「死んでないよ、たぶん」
顔を上げると、すたすたとレーテがこちらへ歩いてくるのが見えた。
……ということは、たぶんこの人たちは門を守る兵士で、侵入したレーテにやられたという訳か。
「ほら、立ち止まってる時間はないんだ。早く行こう」
レーテはそのまま振り返らずに歩き出した。
俺は立ち竦むイリスの手を取って、慌ててその後を追った。
◇◇◇
「……あれ?」
少し歩くと、大通りが見えてきた。
以前と同じように、多くの人で溢れているようだ。
外から見た王都は異様な雰囲気だったけど、中にいる人にとってはそうでもないのかな。
「……クリスさん、音……聞いてください」
ヴォルフが警戒するようにそう告げる。
その言葉で、俺も初めて気が付いた。
まったく、話し声がしない。
多くの人がいるのはわかるのに、不気味なほどあたりは静まり返っていた。
「……ここは避けた方がいいかもしれないな」
テオが硬い声でそう告げた瞬間だった。
大通りにいる人たちが、一斉にこちらを振り返ったのだ。
「ひぃぃ!!」
何十、何百もの目が俺たちを凝視している。
一人だったら迷わず逃げ出したくなるような、不気味な光景だった。
そして、俺の見ている前で更に信じられないようなことが起こったのだ。
その場に居るたくさんの人たちの姿が、一斉に変貌し始めたのだ。
角が生え、口が裂け、肌は染まり……以前何度か目にした、人が魔物に変わる現象が始まっているようだった。
「これは、魔物化現象か?」
「ど、どうしよう……?」
警戒したようなヴォルフのつぶやきに、リルカは明らかにおろおろとしている。
俺はぐっと杖を握りしめる。
「たぶん、あの人たちは人間だ。だったら、浄化しないと……」
「バカ、そんな時間ないだろ!」
レーテが軽く俺の頭をはたいた。思わず睨み付けると、逆に睨み返されてしまう。
「時間もないし、ルディスの元に行く前に力尽きたらどうするんだよ。あいつらは放置で行くぞ」
「でも……」
「き、来たよぉ!!」
イリスの悲痛な声と共に、魔物と化した人たちが一斉にこちらへと走ってくるのが見えた。
その時、まるで俺たちを守るように一歩前に進み出た奴がいた。
「ふふーん、ここは私の出番って訳ね!!」
俺たちを守るように魔物の前に立ちはだかったのは、やたらと嬉しそうなミラージュだったのだ。
「この人たちに邪魔はされたくないし、元は人だから殺すのも駄目。なんとか戦わずにこの場を切り抜ける必要がある……ってことでしょ! ねっ、ダーリン?」
そう言って振り返ったミラージュは、テオに向かって器用に片目をつぶって見せた。
「それはそうだが……一体何を……」
「こういうのは得意分野なのよ、任せて!」
もう魔物の群れはすぐそこまで来ている。
彼らが俺たちの目の前まで到達したとき、ミラージュはぱちん! と指を鳴らした。
その途端、あたりが白い煙に包まれる。
「うわっ!?」
白い煙はすぐに霧散したが、そこに現れた光景を見て俺は思わず目を見張った。
その場一帯に、「俺たち」がたくさんいたのだ。
何人ものテオ、リルカ、ヴォルフ……レーテや俺もたくさんいた。
「なるほど、あいつの幻術か」
隣にいた、たぶん本物のテオが感心したように呟く。
たくさんの「俺たち」は、混乱したようにあたりを見回している。
……きっとミラージュはここにやって来た人たちに、その姿を俺たちと同じように見える幻術をかけたのだろう。
「おい、出てこい旧教徒め!!」
「貴様が本物か!」
「ルディス様の敵めぇ!!」
集まった人たちはどれが本物の俺たちかわかっていないようで、互いを罵倒しながら攻撃を始めてしまっている。
イリスとリルカの可愛らしい喧嘩や、テオとテオが取っ組み合いのけんかを始めるという地獄絵図まで展開されている。
「……今の内よ」
喧騒の中で、ミラージュが俺たちにしか聞こえないようでそう呟く。
それを聞いたテオが俺たちを先導するように、裏道に向かって走り出す。俺たちも慌ててその後を追う。
ミラージュがまた指を鳴らすと、更に何体かの幻が現れた。
「ほらっ、ミラージュも!」
裏道に入りミラージュを呼ぶと、彼女は小さく首を横に振った。
「私がいなくなったら幻術を維持できないの。ここは私に任せて、先に行きなさい!!」
その整然とした姿は、かつてドラゴンが襲撃してきた時のミランダさんと同じだった。
とても、下着と見間違えるような際どい恰好をしている人には思えないほどに、彼女の振る舞いは凛としていた。
「……行くぞ」
「でも、ミラージュが!!」
テオは少しだけ幻を作り続けるミラージュに視線をやると、俺たちを安心させるように笑った。
「大丈夫だ。あいつは殺しても死なないような女だからな。ここはあいつに任せておけ」
その言葉からは、ミラージュに対する信頼がひしひしと伝わってきた。
俺は、正直ミラージュの事はよくわからない。でも、テオはそうじゃない。
俺たちと再会するまではずっと彼女と一緒にいたみたいだし、彼女の事はテオが一番よくわかっているんだろう。
そのテオが大丈夫だと言ってるんだ。今は、その判断を信じよう!
できるだけ人に見つからないように気をつけながら、ミラージュに背を向けて俺たちは再び大聖堂を目指し始めた。




