20 幻影のミラージュ
俺は瞬きをするのも忘れてその姿を凝視していた。
懐かしいゴリラ体型。確かに、その姿は一年前に死んだはずのテオに見えた。
……違う。テオは、俺の目の前で死んだんだ。
「ん? どうした? 俺の顔に何かついてるか?」
テオの姿をした何かは、困ったような笑みを浮かべてこっちへと近づいてくる。
……違う。こいつはテオじゃない。テオのはずがないんだ……!
リルカを地面に降ろすと、俺は思いっきりテオの姿をした何かに掴みかかる。
「この偽物がっ!! ぶっ殺してやる!!!」
よりにもよってテオの姿をして俺たちの前に現れるなんて、どうしても許せなかった。
俺たちを馬鹿にするにもほどがあるだろ……!!
激情のまま思いっきり殴りつけたが、硬い筋肉に当たって俺の拳の方が砕けそうになる。
……こんな所まで本物のテオに似せてくるなんて、本当に手の込んだ嫌がらせだ!
「クリスさんっ!」
「離せよ! 殺してやる!!」
ヴォルフが慌てたように俺の体を羽交い絞めにしてきたが、それでも俺は目の前のテオの偽物を殴りつけようと無茶苦茶に暴れた。
「おいおい、熱烈な歓迎だな」
「黙れ偽物! 騙そうたってそうはいかないんだからな!!」
暴れる俺を見てテオの偽物は苦笑したが、俺は負けじと偽物野郎を睨み付けた。
テオは死んだ。
俺の目の前で。
だから、目の前のこいつはテオの姿を騙った偽物だ。
誰の差し金か知らないが、俺たちを愚弄しているとしか思えない。
テオの姿を使って俺たちを油断させようとでも思ったのかもしれないが、俺は絶対にそんな策には騙されない……!
殺られる前に殺ってやる!!
「テオは死んだんだよ! 教団の奴らに殺されたんだ!! 俺ははっきり見たんだ!!」
テオの体に無数の槍が刺さる光景。今でもはっきりと思い出せる。
だから、目の前のこいつはテオのはずがないんだ……!
「あぁ、あれは私の作った幻影よ」
ぽかんと俺たちのやり取りを見ていたミランダさんが、にっこりと笑ってそう告げた。
「は? 幻影……?」
「そうそう。あんな感じにね」
そう言うと、ミランダさんは背後のドラゴンの群れを指差した。
十頭ほどのドラゴンは、相変わらず思い思いにくつろいでいるように見える。
ミランダさんがぱちん、と指を鳴らす。
次の瞬間、ドラゴンの群れは煙のように消え失せた。
「…………え」
「すごいでしょ。これが私の力なの」
そう言って振り向いたミランダさんの目は、はっきりと金色にきらめいていた。
「まさか、魔族……?」
「そうよ。私、幻影を作り出すのが得意なの。さっきみたいに、大群に見せかけて相手を戦意喪失させる時とかに役に立つのよ」
何でもない事のように、ミランダさんはそう告げた。
俺は必死に頭の中を整理しようとした。
ミランダさんは魔族で、ドラゴンの群れの幻を作り出すほどすごい力を持っている。
彼女は先ほど、テオの処刑も幻影だと言ってのけた。
そして、今目の前にはテオらしき奴がいる。
「じゃあ、このテオは……」
信じられない思いで、震えながら目の前のテオを指差す。
テオらしき奴は、相変わらず困ったように笑いながら俺たちを見ている。
「まったく、おまえは宿屋に襲撃を仕掛けた時から変わらないな……クリス」
その言葉に、心臓が止まるかと思った。
だって、その事を知ってるのは、俺と、本物のテオだけだ。
人違いで襲撃を仕掛けたなんて知られたら恥ずかしいから黙っていてくれという俺の頼みを、テオはずっと聞いていてくれていたんだから。
まさか、こいつは…………
「本物、と言うかどうかはわからんが……、お前たちと旅をしてきたことは間違いないぞ」
「ごめんなさいね。処刑されたドラゴンは私の作った幻影だったのよ。本物はこっち!」
そう言うと、ミランダさんは嬉しそうにテオのムキムキの腕にしがみついた。
俺はただ、呆然とその光景を見ている事しかできなかった。
殺されたテオは幻で、本物のテオは生きていた……?
何も言葉が出ない俺たちに向かって、テオは手を差し出した。
「遅くなって済まなかったな。事情があって一年以上もかかってしまったが……また共に戦わせてくれ」
そのうざいほどの自信に満ちた笑みは、確かに俺の知っているテオのものだった。
「…………うぅ……テオさあぁぁぁん!!」
背後から感極まったような泣き声が聞こえる。
座り込んでいたリルカが、這うようにやって来て泣きながらテオの足にしがみついた。
テオは軽々とリルカを抱き上げると、また嬉しそうに笑った。
「相変わらずリルカは軽いな。もっと筋肉をつけた方がいいぞ!」
何だよそれ……。
俺達はこの一年散々苦労したのに、何が筋肉だよ……!
……俺のせいで死んだんだと思った。もう会えないと思った。
なのに、世界が大変な時に奇跡みたいに戻ってくるなんて…………
「……うるさい! この人騒がせゴリラがあぁぁ!!」
なんかもういろいろな感情がごちゃ混ぜになって、俺は泣きながら思いっきりテオの腹を殴りつけた。
当然テオの腹筋はバキバキで、俺が痛い思いをしただけだった。
◇◇◇
それからしばらくの間、リルカは泣いて俺は泣きながらテオの腹筋を殴り続けた。
ひとしきりテオの腹を殴って疲れたところで、ヴォルフが遠慮がちにテオに声を掛けた。
「その、テオさん……今まで、どこにいたんですか?」
その言葉に、思わず俺もリルカも動きを止める。
テオの処刑が行われたのは一年以上も前だ。それから世界は大変なことになって、テオが生きていたのなら今まで何をしてたんだろう。
「それは、その……」
何故かテオは言いにくそうにどもりはじめる。
すると、申し訳なさそうにミランダさんが口を開いた。
「……全部、私のせいなのよ」
「ミランダさん……?」
ミランダさんに視線を移すと、彼女はどこか緊張したように息を吸い、真剣なまなざしで俺たちを見つめた。
「……私の本当の名前はミラージュ。魔族よ」
彼女が魔族だと言うのは先ほども聞いた。
確かに、魔族の証である金色の瞳も確認したし、人間ではありえない幻影を作り出すのも見た。
でも魔族が、なんでティエラ教会に……?
「私ね、かなり前からこの世界を探りに来ていたの。ティエラ教会に潜入して」
「潜入……?」
「そう。ルディスの悪行は私の世界にも届いていたから、様子見って訳ね。時間をかけてルディスと繋がりのあるあの男……ジェルミ枢機卿の側近にまで上り詰めたわ」
ミランダさんはどこか遠くを見るような表情で、ぽつぽつと話し始めた。
彼女は魔族だし、わざわざルディスの事を探る為にこの世界に来たのか。大変なことだな。
「ある程度情報が集まったら姿をくらますつもりだったわ。でも……そんな時に運命の相手に出会ってしまったのよ……」
冷静な口調で話していたミランダさん……いや、ミラージュだっけ。彼女は急に夢見るような表情を浮かべたので俺は戸惑った。
運命の相手とかいきなり言われても……正直なんて反応していいのかわからない。
というか、誰のことなんだ?
「あの、運命の相手って……」
「それはもちろん、愛しのダーリンよ!!」
そう言うと、ミラージュは嬉しそうに傍らのテオのムキムキの腕に抱き着いた。
ははーん、ということは彼女の運命の相手とやらがテオのことだったのか。
それはお熱い事で……
「ええぇぇぇ!!?」
俺は慌ててミラージュとテオの顔を交互に見まわした。
ミラージュはひたすら嬉しそうだが、テオはどこかげんなりしているようにも見える。
……なんなんだよ。お前の大好きな巨乳美人だぞ。もっと喜べよ。
「あの、それで……なんでテオさんの幻影を作ってまで処刑を回避したんですか?」
逸れかけた話の軌道を修正するかのように、ヴォルフが遠慮がちに口を出した。
すると、またミラージュは申し訳なさそうな表情になる。
「それはね……私が、どうしてもダーリンを手に入れたかったからなの……」
どこかしゅんとした様子で、ミラージュはそう告げた。
……ダーリンを手に入れる?
やばい、全然意味が分からない……。
「初めて会った時を覚えてる? ドラゴンが襲来した時よ」
「覚えてるけど……」
今でもはっきりと思い出せる。
ラヴィーナの街の大聖堂にドラゴンが襲来して、あの場は大変なことになった。
あの時のミランダさんは枢機卿の側近で、まさかこの世界を探りに来た魔族なんて俺は思いもしなかった。
「私にとってはドラゴンの襲来は予想外の出来事だったけど、誰かが……おそらくは枢機卿の指示でミトロスの奴が呼び寄せたんでしょうね」
「ミトロスさんが!?」
その名前に、リルカは顕著な反応を見せた。
やっぱり自分が戦った相手だし、気になるのかな。
「えぇ。私てっきりあいつも私と同じ魔族かと思っていたけど、もっとヤバい奴だったみたいね。うっかり喧嘩を吹っかけなくてよかったわ」
何度か俺たちの前に現れた男、ミトロス。
魔族のミラージュがそんな事を言うくらいだし、本当にヤバい奴だったんだろう。
「まぁとにかく、その時に私とダーリンは出会った。ダーリンが勇ましく戦う様を見て、私…………どうしても屈服させたくなったのよ……!」
「…………はぁ?」
いきなり恍惚とした笑みを浮かべてそう言ったミラージュさんに、俺はなんて言ったらいいのかわからなくなってしまった。
……本当になんなんだろう、この人。




