18 竜騎士
「助かった、のか……?」
島の上空を覆っていた水球は、湖の方へと流れて行った。
俺も周囲の魔法使いたちも、ただ呆然とその光景を眺める事しかできなかった。
だが次第に、未曽有の危機が去ったことを理解し始めたのか、魔道士たちが歓喜の声を上げ始める。
俺も力を抜いて大きく息をついた。
フィオナさんが魔法道具を使って皆に呼びかけ、皆の祈りを集め、その力をリルカに届ける。
正直半信半疑だったが、なんとか成功したと思っていいのかな……!
「……やったな、リルカ!」
あんなよくわからない化け物みたいなのを追い払うなんて、本当にすごい子だ。
リルカの活躍を、まるで自分の事のように誇らしく思えた。
空は青く澄み渡っている。もう脅威は去ったみたいだし、一旦フィオナさんの所に戻った方がいいかな……と考えた時だった。
蒼天に、突如ひびが入った。
「ぇ…………」
周囲の人も呆気にとられたように空を見上げている。
……これは、俺の見間違いじゃない。
まるで空が砕けてしまうのではないかと心配になるほど、はっきりと亀裂が入っていた。
……似たような光景を、前にも目にしたことがある。
あれはもうずっと前、いきなり飛ばされた大陸最北端付近の城で、同じように空がひび割れたのを見たじゃないか。
あの時は、そのひび割れた先から巨人がこの世界へと侵入してきて、俺は危うく死にかけたんだった。
ということは、まさかこのひびも……。
頼む、杞憂であってくれ……!
そう願ったが、無情にも一気にひび割れるようにして、上空に時空の歪みが現れた。
「クリスさん、大丈夫ですか!?」
「あ、あれ……」
どこからか慌てた様子のヴォルフが走ってきたが、俺はただ震えながら上空を指差すことしかできなかった。
ヴォルフも頭上を仰ぎ見て、すっと目を細めた。
「あれって、ブライス城で見たのと同じ……」
「……そうですね」
もしそうだとしたら、きっともうすぐあそこからとんでもない怪物が出てくるかもしれない!
「みんなもう魔力も残ってないのに、こんな時に……っ!!」
ヴォルフは悔しそうに唇を噛んだ。
教団や魔術結社の蜂起に、魔導砲に、あのさっきのリルカが倒した化け物だ。
この島の人たちも、きっと疲れ切っていてもうまともに戦う力は残っていないはずだ。
だったら、俺が取るべき道は……
「……僕が必ず何とかして見せます。だから、クリスさんは変なことは考えないでください」
強く腕を掴まれて、言い聞かせるようにそう告げられる。
まるで内心を見透かされていたようで、俺は力なく頷く事しかできなかった。
……ラファリスが俺に残してくれた力。
使ったらきっと俺は死んでしまう力。
……本当にどうしようもなかったら、その力を使うべきじゃないか。
一瞬そう考えたが、どうやらヴォルフにはお見通しだったようだ。
「……お前も、変なことは考えるなよ」
ヴォルフの手を握って、お返しのようにそう伝える。
俺の事ばっかり言うが、こいつだって前に自分が死んででも巨人を倒すとか言って俺と殴り合いになったことがあったはずだ。
もう誰にも死んでほしくないし、俺だって死ぬつもりはない。
だから、なんとか知恵を振り絞ってこの場を何とかして見せるしかない……!
ぐっと頭上の時空の歪みを睨み付ける。
時空の歪みがどんどん大きくなる。
そしてそこから、雷を纏いながらその生き物は現れた。
そこから姿を見せたのは、黒い鱗に覆われた、一頭の竜だった。
「うそ、だろ……」
俺もヴォルフも周囲の魔道士たちも、呆然と黒い竜がこの世界へとやって来るのを見ていた。
どうか見間違いであってくれ、と何度か瞬きをしたが、竜は羽ばたきながら地上を、俺たちを見下ろしている。
「以前見た個体よりも、少し小さいですね……」
「そんなん誤差だろ!!」
ヴォルフは上空を睨み付けたままそう呟いたが、まったく慰めにもならなかった。
確かに、以前ラヴィーナの街やブライス城で遭遇した竜よりは小さいかもしれない。
でも、ドラゴンだ。
あの竜がウサギや子犬くらいの大きさになったら可愛いかもしれない。でも、多少小さくなった所で俺たち人間の何倍もの大きさがあるんだ。
多少小さくたって危険なドラゴンであることに変わりはない!
俺たちなんか軽くブレスを吐いただけでも殺せるんだから!!
俺は内心パニックになりながら、頭上の竜を見つめていた。
そして、次の瞬間信じられないことが起こった。
「ぇ…………」
黒い竜の背後の時空の穴。その穴が、また激しく歪みだしたのだ。
そして、そこからもう一頭ドラゴンが姿を現した。
先ほどのドラゴンと同じく黒い鱗を持つ、紛れもないドラゴンだ。
二頭の竜はまるで品定めでもするかのように地上に視線を落とし、優雅に飛んでいる。
その光景が、声も出せないほどに不気味だった。
だって、もうみんな疲弊した状態で、どこも滅茶苦茶で、ドラゴン一頭でも絶対絶命なのに、それが二頭だって!?
抗う気力すら奪われるほどに、絶望的な状況だった。
震える俺の手を、ヴォルフが強く握りしめる。
「大丈夫、なんとかなります。いや……なんとかしてみせる……!」
「うん……!」
リルカはあのヘビみたいな化け物からこの島を守ってくれた。
だったら、俺達だってドラゴンなんかに負けるわけにはいかない……!
「ドラゴンなら、前に一度倒したことあるし……」
あの時はテオがいた。そうじゃなかったら、ドラゴンなんて倒せなかっただろう。
今はテオもいないし、レーテも力尽きて眠っている。
それでも……俺たちだけで、何とかしなきゃいけないんだ!
そう決意して頭上のドラゴンを睨み付ける。
次の瞬間、島一帯にドラゴンの咆哮が響き渡った。
だが、その声は今上空を飛んでいるドラゴンが発したものじゃない。もっと、別の所から聞こえてきたものだ。
おそるおそる俺はその声が聞こえた方向へと振り返った。
島の遥か西方、湖の向こうからその「集団」はやってきた。
先頭に真っ赤なドラゴンが見える。
そして、その後ろから十頭ほどの様々な色のドラゴンが群れを成してこちらへと飛んでくるのが俺の目に映った。
その光景があまりにもショックだったのか、周囲にいた魔術師の一人が声も出さずに気絶して倒れ込んだ。でも、誰もその人を助け起こすことはしなかった。
……きっと皆、今この瞬間が現実なのかどうかわからなくなっていたんだ。
「ドラゴンの、集団……?」
一頭のドラゴンが現れたっていうのも信じられない。二頭のドラゴンなんて死を覚悟するくらいの絶望だ。
それなのに……十頭以上のドラゴンの群れだって!?
本当に、世界の終わりじゃないかと疑うような光景だ。
さっきまでの虚勢が一瞬で消え失せてしまう。
俺たちはただその場に突っ立ってドラゴンの集団がこちらへと飛んでくるのを見ている事しかできなかった。
周囲の魔術師も、ヴォルフも何も行動は起こさなかった。
だって、あんなのを相手に何をやっても無駄だろう。
きっと皆、そう思っていたはずだ。
先に現れた黒いドラゴン二頭は、仲間の訪れを喜ぶようにぐるぐるとその場を旋回している。
そして、集団の先頭を飛んでいた真っ赤な体のドラゴンがすぐ近くまでやって来た。
ドラゴンはちらりと地上に視線をやった後大きく口を開き、
二頭の黒い竜へ向かって、炎のブレスを浴びせかけた。
「えぇ!?」
「はぁ……!?」
まさか仲間に攻撃されるとは思っていなかったのか、黒いドラゴンはやかましい鳴き声を上げた。だが、赤いドラゴンの攻撃はそれだけでは収まらなかった。
ぐるりと旋回すると真っ直ぐに突進して、その巨体で一頭の黒い竜へと体当たりをかましたのだ。
ぶつかられた竜が苦悶の声を上げ、もう一頭の竜も驚いたように翼をはためかせた。
そして、呆気にとられる俺たちの耳に、凛とした声が届く。
「退け、ドラゴン! この世界に手を出すな!!」
よくとおる、女性の声だった。
声はいまだに攻撃を加え続けている赤い竜のいる辺りから聞こえてくる。
まさかメスドラゴンなのか……? と目を見開いた俺は、更にあり得なさすぎる光景に気が付いてしまった。
「あれ……人、乗ってる!!」
なんと、黒い竜を攻撃し続ける赤い竜の背中には、全身に銀色に光る甲冑を纏った人が乗っていたのだ。




