17 世界をすくうもの
「君は、普段神がどこにいるか知っているかい?」
ミトロスは相変わらずにやついた顔でリルカを見下ろしながら、そんな事を問いかけてきた。
「どこって……神界、ですか……?」
大いなる神々は天高くにある神界よりこの世界を見守っている。
クリスたちと旅をするようになって、幾度も訪れた教会でリルカが教えてもらった事だ。
そう答えると、ミトロスは嬉しそうに目を細めた。
「正解。……神界っていうのはね、とても強固な結界に守られていて、ちょっとやそっとじゃ手が出せない場所なんだ」
どこか苦々しくミトロスはそう告げる。
「ふざけてると思わないかい? 自分たちは安全な所から高みの見物なんて」
リルカは何も答えられなかったが、ミトロスもリルカの答えを期待していたわけではないのだろう。
ぐしゃりと髪をかき上げると大きくため息をついた。
「ルディスも、今は神界にいる。憑代となる人物を通して指示は出しているだろうけどね」
「じゃあ、ルディスを倒すことなんて……」
「そう、できないよ。愚かな女神アリアみたいに自分からほいほい出てこない限りはね」
神界にいる限り、リルカたちにルディスは倒せない。
クリスの手に入れた力なら何とかなるかも知れないが、力を使えばクリスは死んでしまう。
そう気づいた途端、リルカは絶望した。
ルディスだってそれを知って、自分が傷つかない方法でこの世界を浸食しようとしているのだろう。
だったら、こちらに勝ち目はない。ルディスが出てこない限り、ルディスが負けることはないのだから。
「そう、ルディスを倒すことはできない。ルディス自身が、この世界へとやってこない限りはね」
ミトロスは意味ありげな笑みを浮かべてそう告げる。
まるで、リルカに早く気づけとでも言うように。
「まさか、あなたは……ルディスをこの世界へと来させる方法を……」
ミトロスは初めに、ルディスの倒し方を教えると言っていた。
ルディスが神界にいる間は倒すことは不可能だ。……となると、まずはこの世界へとおびき寄せる必要がある。
彼は、その方法を知っているとでもいうのだろうか。
「方法……というか、ルディスがこの世界に来る日なら知ってるよ」
「ぇ……?」
リルカには彼の言っていることが理解できなかった。だって、ルディスは自らを傷つけないように神界から指令を送っているのに、何でわざわざ危険を冒してこの世界に来る必要があるのだろう。
リルカの疑問に応えるように、ミトロスは足元の地面を指差した。
「さっきも言ったように、女神アリアがいなくなったことでこの世界の台座が一つ空白になった。ルディスは、そこに自分が座ろうとしているんだ。そして、その為には生身でこの世界に来なくてはならない。……強固な結界を出て、生身でね」
リルカはそっと息を飲んだ。
彼の言う事が、やっとリルカの中で繋がった。
「その時に、ルディスを攻撃すれば……」
「まあ腐っても神様だから一筋縄じゃいかないだろうけど、うまくやれば少なくともこの世界から撤退させるくらいのダメージは与えられるんじゃないかな」
息を飲むリルカの傍にそっと膝をついて、彼は内緒話でもするかのようにリルカの耳元に口を寄せた。
そして、小さく囁く。
「次の新月の夜。ミルターナ王都の大聖堂」
何があるかとは言わなかった。
でも、リルカにはわかってしまった。
その日、その場所に、ルディス自身が現れる。
そこを狙えば、クリスを死なせずにルディスを倒せるかもしれない……!
「具体的な事はあのアリアの仲間の男に聞くと良いよ。どうやらおもしろいものを見つけたみたいだから」
きっとアコルドのことだろう。彼ならば良い方法を知っているという事だろうか。
「それじゃあ頑張りなよ。僕はここで失礼させてもらおう」
そう言ってにっこりと笑うと、ミトロスは立ち上がってその場から立ち去ろうとした。
「まって……ください……!」
リルカも必死に力を振り絞って身を起こす。ミトロスは立ち止まってリルカを振り返った。
「あ、あなたは……どうしてそんな事を教えてくれるんですか!?」
リルカは彼の事を敵だと思っていた。いや……実際に敵対したこともある。
さっきだって、一歩間違えれば多くの人が彼に殺されていたかもしれないのだ。
ミトロスはリルカと視線を合わせ、にっこりと笑った。
「……僕は、いつも全力で自分の楽しみを追いかけているだけだよ。ルディスがこの世界を手中に収めるのも、あまり楽しくなさそうだからね。それよりも、君の成長を待つ方がよほど楽しそうだ」
ミトロスは再びリルカの傍へとやって来ると、リルカの真正面にしゃがみこんだ。
「そうだね。君がもう少し大きくなったらその時は……」
ミトロスはまっすぐリルカに視線を合わせると、残酷なまでに優しく口を開いた。
「その時は、もう一度本気で殺し合おう」
思わず息を飲んだリルカに笑いかけると、ミトロスはそっとリルカの頭を撫でた。
「約束だよ。君なら、いずれ……僕と並び立つ存在になれるかもしれない」
それだけ言うと、ミトロスはそっと立ち上がり振り返らずに歩いて行った。
遠ざかる足音を聞きながら、リルカは強く唇を噛んだ。
手加減をされた、見逃された。
彼はいつでもリルカを殺せた。だが、あえてそうしなかった。
……手を抜かれていたのだ。
『リルカ、大丈夫……?』
周囲の精霊たちが心配そうに話しかけてくる。
だが、彼らに応える余裕もなくリルカはぐっと上空を睨み付けていた。湖の上では、相変わらず大量の水球から雨が降り注いでいる。
――悔しい。
その時初めて、リルカは今まで経験したことのないほどの悔しさを感じていた。
今のリルカでは、ミトロスに歯が立たなかった。彼の気分一つで、この島の人たちは一瞬で押し潰されていただろう。
そうならなかったのは、単に運が良かっただけだ。リルカが彼らを守れたわけじゃない。
「う……うぅ……!」
涙が溢れてくる。悲しみからじゃない。これは悔しさからくる涙だ。
悔しい、悔しくてたまらない。
あのふざけた男の鼻を明かしてやりたかった。だが実際は、こちら側が一方的に遊ばれていただけだ。
その事実が悔しくてたまらない。
「次は……ぜったい、負けない……っ!!」
ミトロスの残した約束は、リルカにある変化をもたらした。
リルカ自身も心の奥底に仕舞い込んでいた「闘争心」に火をつけてしまったのだ。そして、その火はあっという間に燃え広がった。
もっと、もっと強くなりたい。
大切な人を守れるように。
そして……あの男に喰らいつくために。
ただただ悔しくて、リルカは精霊たちの心配を受けながらしばらく泣き続けた。




