14 イルルヤンカシュ
母の力を受け取ったリルカは、一気に空高く舞い上がる。
体が軽い。まるで、自分自身が風になったようだ。
「みんな、リルカに力を……!」
周囲の精霊に呼びかけると、すぐにリルカの元へと風が集まってくる。
ミトロスはそんなリルカの方をじっと見ていた。今の姿では表情はうかがえないが、きっと人間の姿だったら愉快そうな笑みを浮かべていた事だろう。
リルカの周囲に集まった風が渦を巻く。
リルカはその勢いのまま、ミトロスに向かって一直線に突進した。
「はあぁぁぁぁ!!!」
ミトロスは動かない。
だがリルカの纏った風がミトロスの体を真っ二つに引き裂こうとした時、頭上の巨大な水球から大きな水の塊がまるで水鉄砲のようにリルカめがけて飛んできた。
はずみでリルカの体は勢いよく弾き飛ばされる。
『リルカ!!』
「だ、大丈夫……!」
水の勢いはさほど強いものではなかった。リルカはすぐさま空中で体勢を立て直し、ミトロスを睨み付ける。
「あなたはっ、どうしてこんなことをするんですか!!」
怒りを込めてそう叫ぶ。意外にも、すぐにミトロスからの返答は返ってきた。
『さっきも言っただろう? 僕は、いつも自分の楽しみを追い求めている』
「こんなことをして、なにが楽しいんですか!!」
『君の、その怒った顔とかかな』
リルカはぐっと唇を噛みしめる。
駄目だ、あの男のペースに飲まれてはいけない……!
あの水球が落ちるまでに、ミトロスを止めることができればリルカの勝ちだと彼は言った。
だったら、今はそれだけを考えろ……!
「……“塵旋風!!” 」
離れた場所から竜巻を作りだし、ミトロスにぶつける。そして、ミトロスが竜巻に気を取られている間に一気に距離を詰め、その体を引き裂く!
狙い通り、竜巻はミトロスに向かってまっすぐに進んでいく。竜巻に隠れるようにしてミトロスの背後にまわろうとしたが、リルカを追尾するようにして水球が弾丸のように襲い掛かって来た。
なんとか縫うようにして水球を避けミトロスへと突進したが、リルカの小さな体は鞭のようにしなった大海蛇の尾にあっけなく弾き飛ばされてしまった。
「ぐっ……!」
弾き飛ばされたリルカの体は、大学の建物の屋根に激突し転がった。
何とか痛みに耐えて身を起こすと、頭上の水球がますます膨張しているのが見えた。
下の方から声が聞こえる。
視線を下げると、多くの魔術師たちが恐れをなしたかのように空を見上げているのが見えた。
もし、水球が落ちてきたらあの人たちは……
ぐっと拳を握りしめ、くじけかけた心を奮い立たせる。
リルカには守るものがある。だから、負けるわけにはいかない……!
◇◇◇
「世界の終わりって、こんな感じなのかしら……」
「しっかりしてください、フィオナさん!!」
なんとかレーテが一命を取り留めた後、後は兵士たちが何とかするだろうと俺たちは大学へと戻ろうとしていた。
だが、その道中信じられない光景を目にして、俺は仰天した。
湖の水が、空へと上っている。
島の上空へ引き寄せられた水は、巨大な水球となって不安定に揺らめいている。
とにかく事情を把握しようと大学に駆け込んだ俺たちを待っていたのは、俺たちと同じように呆然と空を見上げるフィオナさんだった。
「何なんですかこれ……」
「わからないわ……」
フィオナさんは静かに首を横に振った。
博識なフィオナさんでも理解できない事態が起こっている。それだけで俺は混乱した。
「そうだ、リルカは!?」
「リルカ、リルカなら……」
フィオナさんが答えようとした時、大きな音を立てて部屋の扉が開いた。
「リルカなら空だ」
入ってきた錬金術師ルカは、窓の外を指差してそう告げる。
「…………はぁ?」
「いいから見てみろ」
そんな馬鹿な、と思いつつ窓から身を乗り出して、俺は思わず目を見開いた。
頭上に広がる水球のすぐ下、真っ黒な巨大なヘビのような生き物と、小さな少女が空を飛びながら激しく交戦しているのがはっきりと見えた。
「嘘だろ!?」
その光景が信じられなかった。
でも、あの風になびく桃色の髪は間違いなくリルカだ!
「助けないと……!」
「どうするつもりだ。お前は空飛べんのか」
「あ……」
呆れたような顔のルカにそう言われて初めて気付く。
リルカたちが戦っているのは遥か上空。俺の手の届かない領域だ。
「なんとか地上に引きずり落とさないと……」
「そんな時間はない」
苦々しげに呟いたヴォルフに、ルカははっきりと告げた。
「もうすぐ、あの水の塊が落ちてくるらしい。今から準備をしていたら間に合わねぇだろ」
「はあ!?」
再び空を見上げる。上空の巨大な水球は、どんどん湖の水を吸収して巨大化し続けている。
今ではもう、地上が海底になってしまったかのようだ。
もしあれが落ちてきたら、最悪この島ごと潰れてしまう……!
そんな馬鹿なことってあるかよ!!
「でも、なんとかしないと……」
空を飛ぶ敵を倒す方法……。駄目だ、うまい方法が思いつかない!
以前ドラゴンと戦った時は、地上からテオが槍を放って命中させた。
でも、今はあの時よりも遥かに高い場所でリルカたちは戦っている。とても地上からの攻撃じゃ届かないだろう。
レーテの雷魔法……は強力だが、今のレーテは一命を取り留めたとはいえ魔力切れで眠っている。こんな状態じゃ有効な攻撃手段とは言えない。
「だったら、リルカに頼るしかないって言うの!?」
フィオナさんが苛立ったようにそう吐き出した。きっと、その歯がゆさは俺達皆が感じているものだろう。
リルカはあんな小さな体で必死に戦っているのに、俺たちはただ見ている事しかできない。
そんなのってないだろ……!
「……なるほど、あの少女に望みを託すしかないという訳か」
静かな声が聞こえた。その声の方向に視線をやれば、俺たちと一緒に大学へと戻ってきたアコルドがあごに手を当てて何か考え込んでいるのが見えた。
「託すしかないって……そんな、他に何かできることが……!」
「望みを託すのも大事な仕事だ。……思いは、力になる」
アコルドはそう言うと、ちらりとイリスの方へと視線をやった。
イリスはソファに寝かせたレーテの傍にぴったりとくっついて、再会したディオール教授と一緒にレーテの様子を見ているようだ。
思いの力と、イリス。
……俺にはよくわからないけど、さっきみたいにイリスの不思議な力を使おうとでも言うんだろうか。
「……私にできる事なら、何でも言って」
話を聞いていたのか、イリスはすっと立ち上がるとはっきりとそう告げた。
アコルドはその様子を見て目を細める。
「力を集め、あの少女に届けてほしい」
アコルドは迷うことなくまっすぐにイリスを見つめている。
「君の力は思念エネルギーをはじめとした性質の異なるエネルギーを集積し、融合し、変換を経て他者へと与えることができる。その力を使えば、あの少女を救う事も可能だろう」
「……どうすればいいの」
イリスは困ったように眉を寄せた。きっとイリス自身にも、自分の持つ不思議な力の使い方がよくわかっていないんだろう。
……正直、俺にも今の説明はさっぱりわからないし。
「君はただ、あの少女を助ける事だけを考えてくれ、ただ……大海蛇に立ち向かうとなると、ここにいる者達の力だけでは足りないだろうな」
アコルドはぐるりと室内を見まわすと、静かに首を横に振った。
「じゃあどうすればいいんだよ!」
「もっと多くの者の協力が必要だ。これだけでは全く足りんだろう」
「だったら、この島の人たちに協力してもらえば……!」
俺はそう口に出したが、すぐにルカに遮られた。
「時間が無いって言ってんだろが。おそらく、もうすぐあれは落ちるぞ」
窓の外に目をやる。いつの間にか上空の水球は、島を覆い尽くさんとするほどに成長していた。
今から外に出て島の人たちに協力を仰いでいたら、きっと間に合わないだろう。
「……思いの力って、どうすればいいの。リルカに協力するって意志があればいいわけ?」
フィオナさんが冷静にアコルドに問いかける。すると、アコルドはふっと笑った。
「この世界では、『祈り』が一番近いだろう。あまり力が拡散しないよう方向性を定め、祈りを捧げればいい」
「……多くの人に、祈らせればいいのよね?」
念押しするようにフィオナさんが言うと、アコルドはしっかりと頷いた。
フィオナさんは大きく息を吐くと、俺たちに向かってゆっくりと告げた。
「これから先は、私の指示に従って頂戴。絶対に、何とかして見せるわ……!」
フィオナさんはしっかりとそう告げた。
その気迫に、俺は思わず頷いていた。
彼女が何を考えているのかはわからない。でも、他に方法があるわけじゃない。
今は、フィオナさんを信じよう……!




