26 止まぬ来客
屋敷の外に出ると、使用人たちがてきぱきと後始末をしていた。
それに指示を出していたジークベルトさんは、俺の顔を見ると安心したような笑みを浮かべた。
「さすがにこれでしばらくは大丈夫だと思うよ」
「……ジークベルトさん、ありがとうございます」
暴徒たちはいなくなった。彼は、俺の事を守ってくれたんだ。
……ひどく恐ろしい方法で。
「あの……それと、その……」
俺にはどうしても気になっていることがあった。
少し戸惑ったが、ジークベルトさんは相変わらずにこにこと笑っている。たぶん、大丈夫だろう。
「あの、死んだ人たちは……どうなったんですか」
あの歪みの中に消えていった死者たちは、いったいどこにいってしまったんだろう。
そう聞くと、ジークベルトさんは何でもないような顔をして教えてくれた。
「ああ、あの人たちは女王陛下の軍隊に加わったんだ」
あの死者たちは、ジークベルトさんが呼び出した女性に操られ、どこかに連れていかれたように見えた。
あれを、軍隊に加わったと言っているんだろうか。
「不死者になったってことですか……」
「そんな感じだね」
不死者は死してなお彷徨い続ける哀れな存在。俺はそう思っていた。
そんな不死者の魂を浄化し、天に送るのが俺たち神聖魔法の使い手の役割だ。
ジークベルトさんのしたことは、その真逆だ。彼は大量の不死者を作り出したんだ。
黙り込んだ俺に、ジークベルトさんは少しだけ申し訳なさそうに声を掛けた。
「……君の信条には反していたかな。でも済まないね。私たちには、私たちなりのやり方があるんだよ」
彼は俺の肩に手を置くと、言い聞かせるようにそう告げた。
「あの人たち、転生は……」
「女王陛下の気が済めば解放してもらえると思うよ。どれだけ時間がかかるかはわからないけど」
ジークベルトさんの口ぶりからは、少しも後悔していないのが感じ取れた。
敵を屠り、輪廻の輪からも引き離す。これが彼の……ヴァイセンベルク家の与える罰なんだろう。
綺麗ごとだけじゃ世の中はまわっていかない。きっとジークベルトさんだけじゃない。みんな、そんな影を抱えて生きているはずだ。
……助けてもらった俺に、彼の行為をとやかく言う資格はないだろう。
それにもう一つ、俺には気になることがあった。
「あの、さっきの女性は……」
先ほどからジークベルトさんが口にしている「女王」というのが、空から現れた女性のことなのはわかる。
でも、彼女はいったい何なんだろう。普通の人間……ではないだろう。
「ああ、彼女は私が契約する精霊なんだ」
「精霊……?」
ヴァイセンベルク家を含む六貴族の人は、高位の精霊と契約を結ぶことで一人前と認められると、以前聞いたことがある。
実際に俺もヴォルフがフェンリルと契約するのに同行したし、オリヴィアさんやヴィルヘルム皇子もそれぞれ精霊と契約していた。
だったら、ジークベルトさんが精霊と契約していても何もおかしくはない。
でも、少し信じられなかった。
「あれが、精霊……?」
俺もいままで何体もの精霊を見てきたし、少し前まで一緒にいたリルカだって精霊だ。
なんとなく精霊がどんなものかもわかってきたつもりだが、先ほどジークベルトさんが呼び寄せた女性は、なんとなくどこか精霊とは違うような気がした。
あれは、本当に精霊なんだろうか……。
「精霊、だよ」
まるで俺の心を読んだかのように、ジークベルトさんは優雅に笑った。
「……少なくとも、私たちはそう呼んでいる」
彼の言葉には有無を言わせぬ強さがあった。
これは……あまり詮索しない方がいいのかもしれない……。
「そ、それよりも……もうほとんど元通りになってますね!」
慌てて話題を変えようと、俺は屋敷の庭を見渡した。
いつの間にか、使用人たちの働きにより庭園は元の姿を取り戻していた。
ちょっと手際が良すぎて怖いくらいだ。
「すごいだろ? よく隠蔽工作は上手いってよく褒められるんだ!」
ジークベルトさんは笑いながらそう言った。
それ、たぶん褒めてないですよ……という言葉を寸前で飲み込む。
今のジークベルトさんは俺の味方で、俺のことを守ってくれた。でも、どんなきっかけで敵にまわるかわからないんだ。
ヴォルフもいないし、変に刺激しない方がいいだろう。
「あの逃げた人たちは、もう来な……っ!!」
そう言いかけた途端遠くから重い足音が聞こえて、俺は思わず言葉を飲み込んだ。
ジークベルトさんもさっと表情を変えると俺を庇うように一歩前に出た。
「……皆、下がって」
彼がそう指示すると、使用人は一斉に屋敷の門から距離を取った。
暴徒に壊されてしまったので、もう門はぼろぼろで機能していない。さきほどの分厚い氷の壁ももう消えていた。
……入ろうと思えば、誰でも入れるようになっているんだ。
誰かが、ここに向かってきている。
足音がどんどん近づいてきている。
俺はジークベルトさんの後ろで身を固くしていたが、遠くに見えてきた人影に思わず息を飲んだ。
「……血のにおいがする」
屋敷から漏れるぼんやりとした明かりに照らされたのは、何故かレーテを背負ったヴォルフと、ひどく疲れた様子のリルカだったのだ。
「ヴォルフ、リルカ!!」
俺は慌ててジークベルトさんの後ろから飛び出して、三人へと駆け寄った。
「お前らどこ行って……レーテ!?」
ヴォルフに背負われたレーテはぐったりと意識を手放しているようだった。
よく見るとヴォルフもリルカも傷だらけで、何かトラブルが起こったのはすぐに見て取れた。
「おかえり、遅かったね」
「血の匂いがひどいんですけど、何やらかしたんだ」
にこにこと笑いながらやってきたジークベルトさんに、ヴォルフは面倒くさそうにそう問いかけていた。
俺はもうずっとここにいるから分からなかったけれど、どうやら血の匂いまでは取りきれなかったらしい。
特にヴォルフは半分吸血鬼だし、血の匂いには敏感なんだろう。
「無礼なお客様の対応をしてただけだよ。もちろん、クリスさんには指一本触れさせていない」
ジークベルトさんの言葉を聞いて、ヴォルフとリルカは明らかにほっとしたような顔をした。
でも、それが少し腹立たしかった。
何で三人はいきなり出て行って、こんな傷だらけになって戻ってきたんだろう。
俺がどれだけ心配したと思ってるんだ!!
「お、お前らこそ……どこに行ってたんだよ!!」
三人が帰ってきた安堵感でちょっと涙声になりながら、俺はそう叫んでいた。
ヴォルフとリルカはそっと顔を見合わせると、気まずそうに呟いた。
「「さ、散歩……」」
「嘘つけぇ!!」
なんでたかが散歩で二人は傷だらけになって、レーテに至ってはぶっ倒れてるんだよ!
どんだけハードな散歩なんだよ!!
「まあまあ、無事に帰ってきたんだからそれで良しとしよう。それよりも……」
ジークベルトさんはヴォルフとリルカを門の中へ呼び寄せた。そして、急に声の調子を落として壊れた門のあたりを睨み付けた。
「隠れてないで、出てきたらどうですか」
暗闇に向かって、ジークベルトさんが低くそう告げる。
すると、まるで暗闇から生まれ出てきたかのように、するりと黒い人影が俺たちの前に姿を現した。
黒い髪、黒い服。
そこに現れたのは、俺にこの王都イービスガルトへ来いと告げた張本人――アコルドだったのだ。
彼の姿が見えた瞬間、リルカが強い力で俺の腕を掴んだ。
ヴォルフも背負っていたレーテを地面に落とすと即座に戦闘態勢をとる。いきなり落下したレーテだけが、痛そうにうめき声を上げたのが聞こえてきた。
「……誰だか知りませんけど、人の家を訪ねる前には約束を取り付けるのが礼儀ではないですか?」
ジークベルトさんが静かな口調で、だがどこか威圧するようにそう告げる。
アコルドは門の前、ヴァイセンベルク家の敷地の前でぴたりと止まると、ゆっくりと口を開いた。
「……それは済まなかった。以後気をつけよう」
アコルドは案外素直にそう言うと、ジークベルトさんへ視線を向けた。
「……今日は君の家を探りに来たわけではない。そんなに警戒しないでくれ」
「もう夜も遅いので、お引き取り願えますか」
「用がすんだらすぐに帰ろう」
そう言うと、アコルドは今度は俺の方へと視線を向けた。
「……覚悟は決まったのか」
覚悟が決まったらイービスガルトに来い。これはアコルドに言われた事だった。
彼からして見れば、俺がここに来たという事は覚悟を決めたと思ったんだろう。
……自分の命を犠牲にしてでも、世界を救う覚悟を。
「クリスさんはお前の思い通りには動かない。そんなに生贄が欲しいなら他を当たれ」
俺が何か言う前に、ヴォルフがぴしゃりとそう告げる。
「そ、そうだよっ! くーちゃん一人が全部背負うなんて……絶対、おかしいもん……!!」
リルカもぎゅっと俺の腕を掴んだままそう叫んだ。
アコルドはじっと俺たちを見つめたまま、口を開いた。
「それが、君達の選択か」
「……悪いけど、俺は死ねない。ラファリスにもそう約束したんだ」
ラファリスの名前を出すと、初めてアコルドは驚いたように目を見開いた。
ラファリスは最後に俺に生きろと言った。でも、あいつが俺を大地の中心に連れて行ったのは、きっと俺に自分を犠牲にして世界を救わせたかったんだろう。
その行動と、最後の言葉は矛盾している。
……もしかしたら、あいつも迷っていたのかもしれない。
地下都市を彷徨う不死者を放っておけないような優しい女神様だから、本当は誰かを犠牲にしたくなんかないんだろう。
他に世界を救う方法があるのかどうかはわからない。
元々俺たちはそれを聞くためにアコルドを探していたんだ。ちょっと想定とは違うけど、奴の方から来てくれたのは運がいいのかもしれない。
本題に入ろうと口を開けかけた時、遠くから馬のいななきが聞こえてきて俺は思わず口を閉じた。
「……今日はお客さんが多いな」
ジークベルトさんが呆れたようにそう呟く。
ほどなくして通常ではありえないようなスピードでやってきた立派な馬車が、ヴァイセンベルク邸の前で止まった。
その馬車から降りてきた人物を見て、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「オ、オリヴィアさん!? ヴィルヘルム皇子も!!」
馬車から降りてきたのは、にこにこと機嫌のよさそうな笑みを浮かべたオリヴィアさんと、どこか困惑した様子のヴィルヘルム皇子だったのだ。




