20 闇に潜む者
「誰……?」
警戒したようなレーテの声が聞こえたので、俺は慌てて説明した。
「この人はジークベルトさんっていって……ヴォルフのお兄さんなんだよ!!」
「兄……」
レーテが訝しげに眉をひそめる。そんなレーテに対しても、ジークベルトさんは人好きのする笑みを絶やさなかった。
「こんにちは、初めまして。ヴォルフの兄のジークベルトと言います。君も弟の友達かな?」
「友達…………」
珍しくレーテが言葉に詰まっている。
友達、と言われたのがそんなに意外だったんだろうか。
……こいつも、俺と同じくあんまり友達とかいなさそうだもんな。
「兄さんはどうしてここに?」
「ちょっと王宮に用があってね。もう用事は済んだから今から別邸に帰るつもりだったんだけど」
そこまで言うと、ジークベルトさんはぐるりと周囲を見回した。
そして、声を潜めてそっと俺たちに問いかけた。
「……何かあったみたいだけど大丈夫?」
大丈夫、といえば大丈夫だが、俺の精神的には大丈夫じゃない。
向かってくるのが魔物ならいい。倒せばなんとかなるんだから。でも、相手が人間だとそうはいかない。
誰が味方で、誰が敵なのか。以前のティレーネちゃんみたいに味方の振りをして近づいてくる可能性だってあるんだ。
辺りを行きかう人が敵じゃないという保証なんてない。俺はすっかりそんな疑心暗鬼に陥っていた。
「何かあったというか…………っ!」
何故かヴォルフの言葉は途中で止まってしまった。振り返ると、何故か顔をひきつらせて人ごみの方を凝視している。
「なに、どうし……ひゃあ!」
「わぁーぉ」
どうしたんだよ、と聞こうとした途端、いきなり強く肩を抱き寄せられた。
目の前のジークベルトさんも驚いたように目を丸くしている。
い、いきなりなんなんだ……!?
お前のお兄さん思いっきり見てるけどいいのか!?
「こんな街中で大胆だね」
「兄さん、頼みがあります……」
からかうような口調のジークベルトさんにも、ヴォルフは動じずにまっすぐに見つめ返している。
さすがにジークベルトさんもふざけてる場合ではないと悟ったのか、笑みを消して聞く体制に入ったようだ。
そして、ヴォルフはゆっくりと口を開いた。
「僕たちを、かくまってください」
◇◇◇
やってきたヴァイセンベルク家の別邸は、以前訪れた本邸に比べれば小さいものの、小さな農村出身の俺からすればとんでもない豪邸に見えた。
何故かイービスガルトの街の中ではなく、少し離れた郊外にぽつんと建っている。
「私たちが王都に来た時に滞在する場所なんだ。今は私と少数の使用人しかいないし、存分にくつろいでもらえると嬉しいよ」
馬車の中で、ジークベルトさんはにこにこと笑いながらそう話していた。
いきなり「かくまってほしい」と言い出したヴォルフに対し、ジークベルトさんの答えはたった一言だった。
「いいよ」
その一言で、俺たちはこうして彼の馬車に同乗させてもらい、ヴァイセンベルク家の別邸へとやってきた。
正直何を聞かれるかとドキドキしたが、今の所ジークベルトさんはぺちゃくちゃと他愛のない世間話をしているだけだ。
俺たちが王都にいた理由も、彼に会う直前に何があったのかも、まったく聞き出そうとする様子はない。
屋敷につくと、ジークベルトさんとヴォルフは二人で話があるとかでどこかへ行ってしまった。
残された俺たちは、やたら豪華な部屋で二人の帰りを待っている。
「……ここは、大丈夫かな」
「結構守りは固そうだから大丈夫だろ」
俺のつぶやきに、窓の外を眺めていたレーテがけだるげに返してきた。
なるほど、たしかに屋敷は丈夫な柵に囲まれているし、ちゃんと門番が守っている。イービスガルトの街中をうろうろするよりはよほど安全だろう。
「……まあ、この屋敷の中にさっきの奴みたいなのがいないとも限らないかもしれないけどね」
「嫌なこと言うなよ……」
ここにいるのはヴァイセンベルク家の使用人だし、教団の教えに染まっているような人はいない……と信じたい。
何となく俺も窓から外をのぞくと、屋敷の外は平和そのものだった。今の所、魔物も変な人も現れてはいない。
そうこうしているうちに、がちゃりと音がして部屋の扉が開いた。慌てて振り向くと、ちょうどジークベルトさんが部屋の中へと入ってくるところだった。
だが、一緒にいたはずのヴォルフの姿が無い。
「あの、ヴォルフは……?」
「うーん、何か用事があるって出てったよ」
ジークベルトさんは少しだけ困ったように笑った。
用事、用事ってなんだろう。少し不安になる。
あいつは強いし大丈夫だとは思うけど、もし、何かがあったら……という嫌な考えが振り払えない。
そんな俺の心情は顔に出ていたのだろうか、ジークベルトさんが心配そうに近づいてきた。
「大丈夫? 顔色が悪いよ」
「い、いえ……大丈夫、です……」
「無理はしない方がいいよ。そうだ! 元気がでる飲み物でも作ってもらおうか!!」
名案を思い付いた! とでも言いたげにジークベルトさんは近くにいた使用人を呼び寄せた。
俺もぐっと拳を握りしめる。
駄目だ、こんなことで彼に迷惑をかけてちゃいけない。
ヴォルフがわざわざ俺に何も言わずに行ったって事は、きっとそうする意味があるんだろう。
だったら、今はその行動を信じよう。
◇◇◇
再びイービスガルトの街中に戻り、人ごみの中を歩く。
幼いころに何度か父に連れられて訪れた事はあったが、その時はこんな風に自分の足で通りを歩くことなんてなかったな、とヴォルフは少しだけ過去に思いを馳せた。
だが、今は感傷にふけってる時間はない。
気配を探り、街を歩く。
やはり、いる。
ヴォルフは人気のない路地裏へと足を向けた。
どんどんと薄暗い道へと歩を進め、誰もいなくなった所でぴたりと立ち止まる。
……誰もいない。だが、相変わらず気配だけはわざとらしいほどちらちらとこちらを窺っているのがわかった。
「……いい加減出てきたらどうなんだ、吸血鬼」
隠れてこちらの様子を窺っている存在に向けて言い放つ。
すぐに、するりと路地裏に一人の男が姿を現した。
「……お久しぶりです、同胞よ。残念、聖女は一緒ではないのですね」
そう言って笑った男の姿を見て、ヴォルフは唇を噛んだ。
ヴォルフはこの男を知っている。忘れない、忘れるわけがない。
この男こそが、ヴォルフと同じく吸血鬼であり、ヴォルフの吸血鬼としての本能を呼び覚ました忌まわしい相手なのだから。
奴はクリスを狙う枢機卿の仲間だ。つまり、敵だ。
以前対峙した時はやたらと派手な格好をしていたが、今日は上品ではあるが街を歩いていても違和感のないような恰好をしていた。
人間社会に溶け込むつもりでもあるのだろうか、吐き気がする。
ヴォルフは侮蔑を込めて目の前の吸血鬼を睨み付け、口を開いた。
「…………答えろ、何故クリスさんを襲わせた」
クリスが通りで教団の男に襲われ、ジークベルトが現れた直後、ヴォルフは人ごみの中にこの男を見つけた。おそらくは、あの教団の男がいきなり豹変したのも彼の横やりがあったのだろう。
クリスはまだ気づいてはいなかったようなので、かなり強引にその場から連れ出し兄の元に預けたのだ。おそらくは兄の元にいる限りは安全だが、それでもこの男を放置しておくわけにはいかない。
彼がまた、きまぐれにクリスを殺しに来る可能性だってあるのだから。
この男の仲間である枢機卿は、しつこくクリスをつけ狙っている。奴が欲しているのがクリスの……アンジェリカの魂だと言うのなら、ここでクリスを殺してしまってはすべてが水の泡になってしまうはずだ。
だからこそ、ヴォルフには目の前の吸血鬼の意図が理解できなかった。
「もちろん、貴方がたならあんな襲撃くらい止めると見込んでのことですよ。ここで殺してしまっては私がニコラウスに怒られてしまいますからね」
吸血鬼はやれやれと肩をすくめた。
口では何だかんだと理由をつけているが、その態度が何よりも物語っている。
目の前の吸血鬼にとっては、クリスの生死などどうでもいいのだろう。
きっと先ほど人を操ってクリスを襲わせたのも、おそらくはただのきまぐれだ。それで万が一クリスが死んでしまったとしても、吸血鬼にはあの枢機卿の信頼を失うくらいで他の痛手はないのだから。
体の奥底からどす黒い怒りが湧いてくる。いや、ここで怒りをあらわにしては目の前の吸血鬼の思うつぼだ。
冷静に、と自分に言い聞かせヴォルフは口を開いた。
「まあいい、選べ。今すぐ元の世界に帰るか……ここで僕に殺されるか」
以前対峙した時は手も足も出なかった。
あれから多少なりとも成長したと自負しているが、それでもこの吸血鬼を倒せるかどうかはわからない。でも、ここで引くわけにはいかない。
この男が再びクリスを傷つける可能性がある以上、なんとしてもこの世界から排除しなければならないのだから。




