16 秘めた思い
部屋の片隅で膝を抱えて、俺はずっと考えていた。
世界のこと、自分のこと、これからのことを。
ラファリスが死んで大地のバランスが崩れたからだろうか、小刻みな地震は断続的に起こり続けている。
アコルドが言っていた残された時間は少ないという言葉も、あながち嘘ではないのかもしれない。
きっと放っておけば、どんどん世界は悪い方向へ向かっていく。
俺が手に入れた力でならば、止められるかもしれない。
「……やっぱ、そうするしかないよな」
ラファリスは最後に俺に生きろと言った。
でも、ごめん。その約束、守れそうにないよ……。
俺だって死にたくはない。でも何もしなかったら、きっと俺の大事な人が傷ついて、もしかしたら死んでしまうかもしれない。
……テオや、ラファリスのように。
そんなのは、もう耐えられない。耐えられるはずがなかった。
「……ごめんな」
聞こえているかわからないけど、そっとアンジェリカに謝った。
アンジェリカと一つになった時、約束したことがある。
アンジェリカの果たせなかった夢を、俺が叶えるって。
いろんな所へ行って、いろんなものを食べて、遊んだり、恋したりする……そんな他愛のない夢だけど、もう叶えられそうにない。
俺は決めた。
やっぱり、自分の命を犠牲にしてでも、この世界を救うと。
今は夜中だ。そっと部屋のドアを開くと、廊下は真っ暗だった。もうみんな寝ているようだ。
……三人には、何も言わずに行くことにした。きっと会ってしまえば決意が鈍ってしまう。
もう、そんな時間は残されていないんだ。
アコルドは心の整理ができたら、イービスガルトへ来いと言っていた。
イービスガルトはこのユグランス帝国の王都だ。辿り着くのはそんなに難しくないだろう。
そこでアコルドと合流する。そして、俺の決意を伝えよう。
……あいつが何者なのかはよくわからないが、女神様のラファリスはあいつを信頼してるみたいだったし、きっと俺を導いてくれるだろう。
そっと階段を降り、一階に降りる。
俺の足音以外に音はしない。よかった、見つからずに出ていけそうだ。
忍び足で宿屋の入口まで歩き、扉に手を掛けそっと押し開く。
その途端、暗闇から声が聞こえた。
「……こんな夜中に、どこへ行くんですか」
一瞬、息が止まるかと思った。
……なんで、誰もいなかったはずなのに。
のろのろと振り返ると、部屋の片隅にひどく冷たい目をしたヴォルフが立っているのが、扉の隙間から入る月明かりの中でぼんやりと見えた。
ヴォルフは俺が今まで見た事も無いほど冷めた顔をしていた。その視線の冷たさに、心臓が縮み上がる様な気すらした。
いつの間に来たんだろう。いや、俺は耳を澄ませていたけど足音は聞こえなかった。
ということは、最初からここにいたんだろう。たぶん俺が来る前から。
……もしかして、俺の行動は読まれていたんだろうか。
ヴォルフは無言で部屋の隅の小さな燭台に火を灯した。部屋の中がぼんやりと明るくなる。
そのまま俺の方まで歩いてくると、少し開いたままだった宿の入口の扉を乱暴に閉めた。
俺はその場から一歩も動けず、ただその行動を見ている事しかできなかった。
「……どこに、行くつもりだったんですか」
再び、ヴォルフは俺に問いかけてきた。
なんとか誤魔化さないと。ここで止められるわけにはいかないんだ……!
「さ、散歩……」
「そんな大荷物で?」
そうだ、王都イービスガルトまで旅するつもりだったので、俺の荷物はそっくりそのまま持ってきている。
駄目だ、どうみてもバレバレだろう。
ヴォルフの声は冷たい。たぶんこいつには、俺の考えなど御見通しなんだろう。
こうなったら、正攻法で行くしかない……!
「……頼む、このまま行かせてくれ!」
俺は必死にヴォルフに頼み込んだ。ヴォルフは何も言わない。ただ冷たい目で俺を見ているだけだ。
急にその視線の冷たさが怖くなった。視線を合わせる勇気が出なくて、下を向いたまま俺は必死に言葉を絞り出した。
「もう、時間が無いんだ……。このままだと、この世界が壊れる。俺なら、それを止められるかもしれなっ……!」
「それで、死ぬつもりなんですか」
俺の言葉を遮るように、ヴォルフは冷静にそう言った。
思わず顔を上げると、ヴォルフは相変わらず冷たい瞳で俺を見下ろしていた。
「なんで、知って……」
「アコルドさんに聞いたんです。あなたとラファリスさんがしようとしていることを」
咄嗟に言葉が出てこなかった。
隠しても無駄だった。三人にはもう俺のしようとしていることが知られていたんだ。
……でも、だったら話は早い。
「俺は決めたんだ。……自分の命を犠牲にしてもこの世界を救うって! だから、止めな――」
「いい加減にしろ」
全てを否定するかのように冷たい言葉を浴びせられて、びくりと体がすくむ。
「……あんたはいつもそうだ。わがままで、自分勝手で、僕やリルカちゃんの気持ちなんて全然考えてない」
「そ、そんな事……」
「自分はもう誰にも死んでほしくないなんていう癖に、置いて行かれる僕たちのことなんて欠片も考えてない」
心に刃物を突き刺されたような気がした。
ヴォルフの言う事は、何も間違っていないからだ。
俺はテオがいなくなった時、立ち直れないほどの大きな喪失感を味わった。
もう、二度とこんな思いはしたくないと思った。
そう、俺は……自分のことしか考えていなかった。
俺が死んだ後、ヴォルフやリルカがどう思うかなんて、まったく考えていなかったんだ。
言葉が出ない俺を見下ろして、ヴォルフは大きくため息をついた。
「……とにかく、そんな馬鹿なことはやめて早く部屋に戻りますよ」
「………………馬鹿な、こと……?」
ヴォルフはやリルカの気持ちを考えていなかったのは確かだ。俺が悪かった。
でも、馬鹿な事ってなんだよ……!
ラファリスが俺に託してくれた力。テオが残してくれた意志。
それを、馬鹿な事だなんて言っていいはずがない……!!
どうしようもなく悲しかった。
ヴォルフなら、わかってくれると思ったのに……!
まるで自分の全てを否定されたような気分になって、気が付いたら感情のままに叫んでいた。
「なんで、なんでそんな事言うんだよ……! お前たちに話さなかったのは悪いと思ってる。でも、俺だっていろいろ考えて今こうしてるんだよ!」
「それが馬鹿だって言ってんだろ!」
「何でだよ……! 世界が救われれば俺は死ぬけど、他のみんなは助かる。お前もリルカも、お前の家族だって友達だってみんな助かるんだ……!」
俺だって自分が死ぬのは嫌だ。でも、他のみんなが死んでしまうのはもっと嫌だ。
俺一人の犠牲でみんなが助かるなら、そっちの方がいいに決まってる……!
自分勝手な、独りよがりな考えなのかもしれない。
でも俺一人の命とこの世界だったら、どっちが大事かなんてわかりきってるだろ……!
「なのに……なんで止めるんだよ!」
そうぶつけると、ヴォルフは信じられないといった顔で俺を凝視していた。
「なんでって、わからないんですか……」
ヴォルフの声は震えていた。
怒りか、絶望か。でも、今の俺にはそんなのどっちだっていい。
このままじゃ世界が滅茶苦茶になってしまう。
俺一人の犠牲で止められるなら、それが一番だろう。
なのに、どうして止めようとするんだよ……!
「わかんないよ! お前が何考えてるかなんて、わかるわけないだろ!!」
そう叫ぶと、ヴォルフは激高したように俺の肩を掴んで勢いよく壁に叩きつけた。
はずみで背中を強く打ち付け、息が詰まる。
「何で止めるかなんて、そんなの……」
痕が付きそうなほど強い力で肩を掴まれ、思わず小さく悲鳴が漏れる。
だが、ヴォルフはそんな俺の状態などおかまいなしに一気に叫んだ。
「……そんなの、あんたの事が好きだからに決まってるだろ! いい加減気づけ馬鹿野郎!!」
しばらくの間、言われた意味を理解できなかった。
好き、好き……?
誰が、誰を? こいつが、俺を…………?
「…………ぇ?」
その瞬間、俺の中から残された時間が少ないとか、世界が危ないとかそういう状況は完全に吹っ飛んでしまった。




