14 天上の花
「何とかして見せるって……」
先ほどよりスピードは遅くなっているが、確実にルディスの出現させた穴からおぞましい闇があふれ出ているのがわかる。
普段俺が使ってる浄化魔法なんかじゃ太刀打ちできないのははっきりとわかった。
それなのに、ラファリスは微笑んだままとんでもない事を言いだした。
「ティエラの種蒔き歌……知ってるよね」
「え? 知ってるけど……」
種蒔き歌というのは、ミルターナに昔から伝わる歌だ。
単調なメロディーに花の名前を歌詞としての乗せただけの単純な曲だが、教会ではよく自然への感謝の歌として歌われている。
もちろん、俺も幼いころから知ってる歌だ。
「歌って」
「……え?」
「この場所なら大丈夫だから」
ラファリスは真剣な顔をして、ぎゅっと俺の手を握りしめた。
その後ろから闇の塊が迫ってきているのが見えた。
きっとあれが溢れだしたら、俺たちが死ぬだけじゃない。もっと、この大地全体がひどいことになってしまう。直感的にそうわかった。
俺が手に入れた力でなんとかなるかもしれないが、あのルディスの挑発的な態度が気にかかる。罠の可能性だってあるだろう。
ラファリスは女神様だし、こんなよくわからない事を言うのもきっと何か考えがあるんだろう。
今はこいつを信じるしかない……!
「……鈴蘭、霞草、紫陽花…………」
震える小さな声で、俺は記憶にある種蒔き歌を歌った。
「続けて」
「向日葵、沈丁花、桜草……」
歌っていくうちに、すっと心が落ち着いてくるのが分かった。
何だか体の奥底から力が湧きだしてくるような気がする。
「牡丹、鳳仙花……!」
俺の声に合わせて、ラファリスが歌を紡いでいく。
すると、地面からするすると植物の茎が生えてきたのが見えた。
「つまらん小細工だな、アリア」
ルディスは笑っている。
穴から溢れ出した闇が、波のようにこちらへ迫ってくるのが見える。
そして、俺たちの目の前まで闇の塊が迫ってきた瞬間、轟音を立てて地面が割れた。
「鈴蘭、霞草、紫陽花……!」
ラファリスの力強い声に合わせて、割れた大地からするすると何かが伸びてくる。
それは、緑色の植物の茎だった。
茎はものすごい速さで地上へと伸び、更に成長していった。
そして俺たちの背丈を追い抜き、天まで届くかと思えるほどにまで成長すると、鮮やかな花を咲かせた。
鈴蘭、露草、紫陽花、向日葵……。
次々と地中から茎が生え、空を覆いつくほどの巨大な花を咲かせていた。
それは、見た事も無いほど美しい光景だった。
そして驚くことに、俺たちの目の前まで迫っていた闇の塊が、次々に花へと吸い込まれ始めたのだ。
花は休むことなく次々と開花し続けている。
すぐに辺り一帯は巨大な花に覆い尽くされた。
渦巻く闇が、巨大な花に吸い込まれ、消えていく。
「……なるほど。見事だな、アリア」
ルディスにも予想外だったのか、苦々しい顔をして素直にラファリスを称賛した。
その隣にいる枢機卿も、呆気にとられたような顔をして空に咲く花を眺めている。
蠢く闇の塊が、次々と開花する花に吸い込まれていく。
……そして、闇が剥がれたその中から真っ黒な人間が出てきた。
まるで影が実体化したような真っ黒な人間は、緩慢な動きで立ち上がった。何人、何十人もの真っ黒な人間は、何かを探すようにゆっくりと彷徨い始めたのだ。
「ひっ……!」
俺は思わず小さく悲鳴を上げてしまったが、ラファリスが安心させるようにぎゅっと俺の手を握りしめた。
「大丈夫だよ、あの人たちは」
ラファリスは優しくそう言って、地面に手を突いた。その途端、地面からまた新たな茎が生え、葉が生まれ、花が咲いた。
それは、美しい蓮の花だった。
「あなたたちには、この花を」
次々と生まれる蓮の花が真っ黒な人の元へ届く。
その途端彼らを覆っていた闇がはがれ、その本当の姿があらわになった。
年老いた人、若い人、子供。男も女も、まるでどこにでもいそうな人たちが、呆然とそこに立ち尽くしていた。
彼らはラファリスの生み出した蓮に気づくと、安心したようにそこに近づいて行く。そして蓮の花に触れた瞬間、彼らの姿は光の粒となって空に消えて行った。
「あれって……」
「うん、あの穴に、吸い込まれた人……。これで、輪廻の輪に戻れるよ」
……やっぱり、あの人たちは穴に吸い込まれた人。俺が救えなかった人たちだ。
彼らを人に戻すことはできない。でも、あの人たちはあのおぞましい闇から解放され、再び生まれ変わることができるのだろう。
何十、もしかしたら何百もの人が、次々と蓮の花に触れ浄化されていく。
それは、美しくも物悲しい光景だった。
彼らがいなくなると、自然と蓮の花は消えて行った。それと同時に、覆い茂っていた花々も姿を消し、あたりはあちこち地割れの跡がみられるが、元の荒野へと戻った。
……溢れ出していた闇も、ルディスの出現させた穴もきれいさっぱり消えている!
「や、やった……ラファ!」
体の重くなる感覚も消えている。
嬉しくてそう声を上げた途端、すぐ横からどさり、と何かが倒れるような音が聞こえた。
「ラファ!?」
慌てて横を見れば、ラファリスが地面に倒れはぁはぁと荒く息を吐いていた。
「ラファ、ラファ! どうしたんだよ!!」
慌てて屈みこんでラファリスの体に触れて、ぞっとした。
ラファリスの体は、まるで火に直接触れたかのように熱を持っていたのだ。
顔は真っ青で、指先が苦しげに空を掻いている。
「……やはりな。あれだけの濃度の闇をその身に受ければ、さすがの女神でも耐えられぬか」
「……え?」
ルディスの淡々とした声が聞こえ、俺はのろのろと顔を上げた。
ティレーネちゃんの姿をしたルディスは、興味深そうに苦しそうなラファリスを眺めていいる。
「どういう、ことだよ……」
思わずそう口にすると、ルディスは俺の方へと視線を向けた。
「アリアは我が放った闇をまるごとその身に受け入れた。じきに壊れるだろうな」
「壊れるって……」
「……命拾いしたな、人の子よ。てっきりそなたの方を差し出すかと思ったが……慈悲深き女神に感謝するがよい」
俺は再びラファリスに視線を戻した。相変わらず荒い息を吐いており、ぎゅっと目を瞑っている。
もうすぐ壊れてしまう、と、ルディスはそう言った。
「う、嘘だ……そうだよな、ラファ!」
慌ててラファリスの体をゆすったが、ラファリスは俺の声には答えてくれなかった。
……嘘だ、壊れるなんて、そんなはずはない。
だってラファリスは女神様なんだ。壊れたり、死んだりなんてするはずがないじゃないか……!
「ふむ、予定とは異なるが、アリアを落とせたのは僥倖だったな」
「ルディス様、アンジェリカは……」
「そなたの好きにするがよい。ただ、世界の核との繋がりは断っておけ」
ルディスと枢機卿が何か話していたが、俺は必死にラファリスに呼びかけ続けた。
でも、ラファリスはやっぱり俺の声に応えてくれることはなかった。
そうこうしているうちに、すぐ近くでじゃり、と土を踏む音が聞こえた。
顔を上げると、ルディスが満足そうな顔をして俺たちを見下ろしていた。
「せめて、我の手でとどめを刺してやろう」
「やめろっ!!」
ラファリスを庇おうとしたが、その前に背後から延びてきた手が俺の体を押さえつけた。
「さぁアンジェリカ、貴女をたぶらかした悪しき女神の破滅を共に見守りましょう!」
「やめろ、離せよっ!!」
俺を押さえつけていたのは、あの枢機卿だった、必死に暴れたが、俺の力じゃ枢機卿の拘束を解くことはできなかった。
ルディスは手元に漆黒の剣を出現させると、頭上へと構えた。
「やめろっ、ラファ!!」
必死に叫んだが、ラファリスは相変わらず目を閉じたままだ。
そして、ルディスが剣をラファリスの体に振り下ろそうとした瞬間、あたりに何かが破裂したかのような大きな音が響いた。
「な……」
剣を構えた体勢のまま、ルディスが信じられないといった表情で自らの腹を凝視している。
ルディスが乗っ取ったティレーネちゃんの体の、腹のあたりが赤黒い血で染まっていたのだ。
「ルディス様っ!?」
枢機卿の力が抜けた瞬間、俺は拘束から抜け出しラファリスの体に縋りついた。
だが、ルディスは腹を抑えてごぽり、と血を吐くと、その場にうずくまった。
「……散々好き勝手しやがって」
舌打ちと共に、苛立ったような低い声が聞こえた。
声の方向へ振り向くと、そこには明らかに機嫌の悪そうな顔をしたアコルドが立っていた。




