10 大樹の導き
「…………えぇ?」
俺の目の前に現れた大樹は、大きすぎててっぺんが見えないくらいだった。太い幹から無数の枝が伸び、そこに青々とした葉が覆い茂っている。
……おかしい。ここって洞窟の中だったよな。
そう思って頭を上げて俺はまた驚いた。いつのまにか頭上の暗闇に無数の星が光っており、美しい夜空のようになっていたのだ。
「……なんだよ、ここ」
呆然と呟くと、ラファリスがまたにっこりと笑って教えてくれた。
「安心して、別に異世界に来ちゃったとかじゃないから。君たちの暮らしている世界の中なんだけど、ちょっと隔てられた空間なんだよね」
……せっかく説明してくれたところ悪いが、まったく意味が分からない。
でも安心しろって言ってたし、俺はちゃんと帰れるんだろうか。
「……この樹は?」
「世界樹、知恵の樹、生命の樹……呼び方はいろいろあるけど、この世界を守ってくれてる偉大な樹なんだよ」
ラファリスはそっと大樹の幹に触れると、そう言って穏やかに笑った。
「君はここに招かれ、世界樹が姿を現した。……おめでとう、君は認められたんだよ」
ラファリスは真剣な顔で俺に向き合うと、ゆっくりとそう告げた。
「…………認められたって、何に?」
「あれ、言ってなかったっけ。大地が君を試して認められれば力を授けるって」
なんかそんな事は聞いた気がする。
聞いた気がするんだけど……
「抽象的すぎてわかんねーよっ! 何だよ、大地に認められるって!! それに、さっきのシーリン達は何なんだよ!!」
思わずそう怒鳴ると、ラファリスは納得したように手を叩いた。
「ごめん、言ってなかったね。えぇと、君が会った四人は僕たちなんだ」
「だから僕たちって誰だよ! 具体的に名前を言え!!」
さっきからラファリスの言っていることはまったく意味不明だ。
びしっと指を突き付けてそう迫ると、ラファリスは慌てたように手を振った。
「えっと、僕たちっていうのは……僕と、イシュカと、エルダと、ティエラだよ!」
ラファリスは一気にそうまくし立てた。
俺はその答えを聞いてぽかん、とするしかなかった。
イシュカ、エルダ、ティエラ……その名前は俺もよく知ってる。この大地を守る、守護女神の名前だ。
……そっか、そういえばラファリスも女神様なんだっけ。
そうなると俺が出会った四人は、アリア様も含めた四柱の女神様で……。
…………?
「…………えぇ?」
「僕がシーリンちゃんで、イシュカがフィオナ姫。エルダがオリヴィア嬢で、ティエラが君の先生だね。僕たちの姿で問いかけるよりも、君も知り合い相手の方が話しやすいと思って!」
ラファリスは名案だっただろう、とでも言いたげな顔をして胸を張った。
一方俺は、頭の中を整理するのに必死になっていた。
ちょっと待て、落ち着け。落ち着け俺……!
俺が出会った様子のおかしい四人は、女神様が化けてた姿だったって事か……!?
「ちょっと待て! なんでそんなことしたんだよ!!」
俺をからかってたのか? そんなことして楽しいか!?
「大地が君を試すって言ったよね。僕たちはその試験官的なものなんだよ。僕たちが君を認めたから、世界樹も君をここに呼んだんだ」
俺は呆然と傍らの大樹を見上げた。
結局ラファリスの説明だと何が起こったのかはよくわからなかったけど、俺は認められたらしい。
この樹に、この大地に。
「ってことは、俺もその……アンジェリカみたいなすごい力が貰えるのか……?」
「…………うん。君が望むなら」
ラファリスはそう言うと、再び傍らの大樹に触れた。
「……君にその覚悟があるのなら、この樹に触れてみて」
どこか恐れるように、ラファリスは小さな声で告げた。
次の瞬間、俺はべたりと大樹に手を触れさせた。
「えっ、もっと躊躇とかないの!?」
「うっせーな! さっきから何回も言ってるだろ! もう覚悟は決まってるって!!」
俺の知り合いの姿を使うとか変な小細工までして俺の事を試した癖に、今更驚くとかなんなんだ!
俺は何回も言った。
アンジェリカのように力を使えば、きっと俺は死ぬ。
でも、この世界を守れるのならそれでも構わないと。
触れた大樹は、ごつごつとしていて、何故か暖かかった。
なんか不思議な感触だな……と思った瞬間、俺の心臓がどくりと跳ねた。
まるで大樹に触れたところから全身に電流が流れるように、強烈な感覚が俺を襲う。
指一本動かすことができない。まるで触れた箇所から俺自身が大樹に溶けていくような気がした。
自分という存在がわからなくなる。
自分とそれ以外を隔てる境界線というものが曖昧になっていく。
俺と大樹が繋がり、大樹は大地と繋がっている。
自分と大地の間に強固な繋がりが生まれる。いや、俺自身と大地が一体化する、そんな感覚だった。
陸が、海が、空が……ひどく近い存在に感じられる。
その中心に、すごく大きな力を感じた。その力が俺の中に流れ込んでくる。
力の洪水に溺れそうになる。自分という存在が溶けだして、形を保てなくなって……
「クリスちゃんっ!」
焦ったような声が聞こえて、俺ははっと我に返った。
見れば、ラファリスが俺の腕を掴んで大樹の幹から引きはがした所だった。
まるで全力疾走した後のように心臓がどくどくと鳴っている。いや、俺の心臓だけじゃない。大地が脈打っているのを、確かに感じた。
「……危なかった。もう少しで、飲みこまれちゃうところだったよ」
俺はこわごわと自分の手に視線をやった。
今までと何も変わらない、何の変哲もない自分の手だ。
でも、手から、足から、全身から、この大地の力を感じる。今までになかった感覚だ。
今なら、何でもできそうな気がする。
「……やめた方がいいよ。君の体が耐えられないから」
まるで俺の心を見透かしたかのように、ラファリスがそう告げた。
思わずどきりとしてしまう。
「自分でもわかってると思うけど、今の君は、大地の力を引き出せるようになったんだ。ただ、通常働くはずのリミッターが効かないから、思うままに力を振るえば、君の体は簡単に弾け飛ぶ。……気を付けてね」
ラファリスはどこか悲しそうにそう言った。
「そっか、これが……アンジェリカが使った力なんだ……」
この大地の力。きっととてつもないものなんだろう。
今の俺は何でもできそうな気がするけど、思うがままに力を使えば俺の体は耐えられないという事か。
だったら、よく考えなければならない。
俺の手に入れた力を、最大限に生かす方法を。
「……意外と冷静だね」
「焦ったって、どうにもならないからな」
もうやるべきことはわかっている。力も手に入れた。
でも、いつ、誰に向かってこの力をぶつけるのか。それこそが最も重要だ。
不思議と、頭が冴えて心が落ち着いていた。
「……なぁ、ルディスはこの大地を手に入れて何がしたいんだ」
ずっと気になっていた。ルディスは教団を使って徐々にこの大地を浸食している。でも、その先には何がある?
ラファリスはこの大地を守る女神である。……いまだに信じられないけど。
だったら、ルディスの目的も知っているんじゃないだろうか。
じっとラファリスを見つめると、ラファリスはしばらく考え込んだ後、そっと口を開いた。
「……正確にはわからない。でも、推測ならできる」
「教えてくれ」
どんな目的があったとしてもあいつを理解できる気はしないが、それでも知っておいた方がいい事はあるだろう。
「……おそらくは、高エネルギー体の確保」
「えね……?」
ラファリスはまたよくわからない事を言いだした。
彼は俺が困惑しているのに気が付くと、慌てたように補足した。
「うーん、この世界では……燃料、原動力、が近いかな。例えば、君は何日も食事をとらなかったら動けなくなるよね? そういうものだよ」
何日どころか、俺だったら一日で音を上げるだろう。でも重要なのはそこじゃない。
俺にとっての食事、それがルディスにとってのこの大地だとしたら……
「あいつは、この大地を食べるのか……?」
「たぶん君が想像する『食べる』とは違うけど、食い物にするって意味なら同じかな。……この大地と、そこに生きる者を、奴は消費しようとしている。……自分の信者は助けるかもしれないけどね」
ラファリスはそこまで言うと、少しだけ躊躇した様子を見せ、それからゆっくりと俺の方を見た。
「タンドラっていう小さな村、知ってるよね」
一瞬息が止まるかと思った。
知っている。忘れるわけがない。その村は、俺の目の前で何人もの人が黒い穴に吸い込まれ、一晩でほとんどの住人が消失したあの村だ。
「あの黒い穴は、生き物を吸い込んでエネルギー体に変えるんだ」
「なんなんだよ、それ……」
「自分の意志とは関係なく、ルディスの道具にされちゃうってことだよ」
ラファリスは少しだけ悲しそうな顔をしてそう告げた。その姿を見て、俺の中にふつふつと怒りがわいてきた。
ルディスは許せない。それは当然だ。
でも、ラファリス――アリアはどうなんだ?
この大地を守る女神の癖に、何でそんな非道な行いを許しているんだ!?
「お前、女神様なんだろ!? なんでその人たちを守ってやらなかったんだよ!!」
思わずそう声を上げると、ラファリスは一瞬泣きそうな顔をしてぎゅっと唇を噛んだ。
だが、すぐに冷静な声で言った。
「……君たちが思うほど、神様って何かできるわけじゃないんだよ。この大地のすべての人を守りきるなんて到底不可能だ。せいぜい、犠牲を最小限にする方法を探すだけ」
女神様は冷たくそう告げた。
……俺は、しばらくショックで声が出なかった。ラファリスのその言葉は、まるで俺たちを突き放すようにも聞こえた。
「僕たちはいろいろな掟に縛られている。自分の思う通りに動く事すらままならないんだ。……だから、君に託した」
ラファリスはゆっくりと俺の手を取った。
……そうだ。今の俺には、その力があるはずだ。
誰かに頼るだけじゃ駄目なんだ。
ラファリスがやらないなら、俺がやるしかない。
きっと、時間が経てばたつほど状況は悪くなっていくだろう。あの一晩で消えた村のような事が、繰り返されないとも限らない。
ヴォルフに、リルカに、レーテに、一刻も早くこのことを伝えたい。
俺が世界を救うって言ったら、三人はどんな顔するかな……。
「帰ろう、ラファ。元の場所へ案内してくれ」
「……うん、わかった」
ラファリスがそう言った途端、大樹も地面も満天の星空も消え失せて、あたりは元の暗闇に戻ってしまった。
だが、ほどなくして俺たちの目の前に白い石でできた十段ほどの階段が現れた。
「さあ、行こう」
ラファリスは俺に向かって笑いかけると、その石段を登り始めた。俺もその後に続く。
不思議な事に石段を一段登ると、一番下の段が消え、一番上の段が増える、という奇妙な仕組みになってるようだった。
俺とラファリスは無言のままその不思議な石段を登り続けた。
ふと下を向いたが、真っ暗で自分がどのくらい登ってきたのかわからなかった。
そうこうしているうちに、上の方に小さな扉が見えてきた。
「あそこが出口だよ」
ラファリスが扉を指差してそう告げる。
俺も無言で頷いて、再び足を動かし始めた。
すぐに、俺たちは扉の前まで辿り着いた。それは、どこにでもありそうな木でできた古びた扉だった。
その扉は、暗闇の中にぼうっと浮かび上がっている。
「開いて」
ラファリスに言われたとおりに、俺は扉に手を掛け、一気に開いた。
その途端、そこからあふれた光に思わず目がくらんだ。




