7 女神の掟
人とは違う特異能力を持って生まれた少女、アリア。
大地を守る為に力を使い果たし死んだ彼女は、死後この大地を守る女神となった。
そしてラファリスは、その少女の名が刻まれた石碑のことを、自分の墓だと言った。
俺は立ち上がって、真正面からラファリスを見据えた。
彼は相変わらず、何を考えているのかよくわからない表情で俺を見ている。
「お前は……女神アリア様なのか……?」
まさか、そんなはずはない。だって目の前のラファリスは男で、女の子を誑し込んで町の男達に殺されかけるような奴だ。
そんな奴が、女神様のはずがないじゃないか……!
祈るような気持ちでそう聞いた俺の前で、ラファリスはゆっくりと口を開いた。
「そうだよ。気づかなかった?」
まるで世間話でもするかのような気軽さで、ラファリスはそう口にした。
「…………は?」
呆気にとられる俺を見て、ラファリスはいきなり愉快そうに笑い出した。
「そっかそっか、気づかれてなかったんだ! やっぱり男の体になったのは正解だったかな!!」
「ちょ、ちょっと待てよ……!」
ラファリスが女神様?
……まったく意味が分からない!!
「だってお前……男じゃん!」
女神……というからには普通は女性の姿をしているものだろう。
でも、ラファリスは確かに細身で綺麗な顔をしているが、間違いなく男だ。
なんだか、俺の中の常識というものががらがらと音を立てて崩壊していくような気すらした。
放心する俺に、ラファリスは慌てたように手を振った。
「ごめんごめん、説明の仕方が悪かったね。戻っておいで」
顔の前でぱんぱんと手を叩かれて、俺はやっと正気に返った。
ラファリスはゆるく微笑むと、俺の方へと顔を近づけてきた。
「……君は、女神に会った事がある?」
「あ、あるわけないだろ……」
「本当に? よく思い出して。直接じゃなくても、例えば君の知り合いを通じて接触を図ってきたことは?」
そう言われて、俺の中に一つの記憶が蘇ってきた。
あれは一年以上前、シュヴァルツシルト家の屋敷でのことだ。
いきなり優しかったオリヴィアさんが豹変しておかしくなって、あんたは誰だと聞いた俺に対して、彼女は「エルダ」と名乗ったのだ。
エルダと言えば、アリア様と同じくこの大地の守護女神の一柱、戦女神エルダ様と同じ名だ。
あの後いろいろあってその事を深く考える時間が無かったが、まさか……あれは本当に女神様だったとでも言うんだろうか……。
俺の表情を見てラファリスも心当たりがある事が分かったのだろう。彼は嬉しそうに笑った。
「あ、やっぱり? エルダが君に会ったって言ってたから、誰かに憑依したんじゃないかと思ったんだよ」
「エルダって、じゃあ……」
「そう。君が会ったのは正真正銘この大地の守護女神、エルダなんだよ」
ラファリスは得意げにそう言うと、未だ混乱したままの俺の手を優しく取った。
「……神と人間が対話するには、いくつかの方法があるんだ」
そう言うと、ラファリスは人差し指で俺の額を軽くつついた。
「一つは、天啓。波長の合う人間に直接語りかけることで、神が自分の意志を伝える方法だよ。……でも、中々波長のあう人間っていないし、相手も夢か幻聴だと思う事が多いから、あんまりうまくいかないんだよね」
神の啓示、天啓。
俺はいきなり自分の頭の中に知らない呪文が浮かんできた時、きっとそれは神様が教えてくれたものだと思っていた。
でも、今考えればきっとアンジェリカが助けてくれてたんだろう。
「二つ目は、憑依。これもまた波長の合う人を探して、一時的に体を借りるんだ。天啓よりも確実に自分の意志を伝えられるって事で、エルダはよく使ってるみたいだね。君が遭遇したのもこの憑依なんだよ。……でも、憑依した相手にも負担がかかるし、思わぬ誤解を招くこともある。僕はあんまり好きじゃないんだ」
オリヴィアさんが豹変した時の事を思い出す。
エルダ様は、オリヴィアさんの体を使ってヴィルヘルム皇子とヴォルフに何かの魔法をかけていた。
そして、俺にも伝えたいことがあったんだろう。
『自分と向き合う事から逃げるのはやめろ』と彼女は言っていた。
……きっと、エルダ様には俺がアンジェリカの生まれ変わりだっていう事も御見通しだったのだろう。
「そして三つ目が、分霊だ」
そう言うとラファリスは、どんと自分の胸を叩いて見せた。
「クリスちゃんは、神がどこにいるのか知ってる?」
えらく抽象的な質問だ。
謎かけかと思ったが、俺は素直に自分の知識の中で答えを導き出した。
「……神界?」
神様の住むとされる世界――神界。
さすがにそんな単純な答えでいいんだろうかと迷ったが、俺が答えるとラファリスは嬉しそうな顔をした。
「正解! 僕たち女神はこの世界を守っているけど、ふだん本体は神界にいるんだよ。そこからこの世界の人に啓示を与えたり憑依したりしてるんだ」
ラファリスはまたとんでもない事を言いだした。
……俺に神様の事情はよくわからないが、そんな操り人形みたいな真似ができるものなんだろうか。
「分霊っていうのはね、簡単に言うと神を二つに分割するんだ」
「…………は?」
「だから、僕の本体は今も神界にいる。でも、それとは別にこの世界で活動できる体を作ってそこに自分の分霊を入れる。それが今の僕だ」
……やばい、よくわからない。
ラファリスがアリア様で、アリア様は神界にいて、ラファリスはアリア様を分割した存在……?
そもそも、こいつは人間じゃないのか。
「人間、とは違うのか……?」
「体を構成する物自体は同じだよ。でも、僕のこの体は作り物。父も母もいない。生命の神秘とは遠い存在なんだ」
そう言うと、ラファリスは少しだけ悲しそうに笑った。
「だから、自分の好き勝手に姿を創造することができるんだ。僕は幼い少女の振りをすることもあるし、達観したお婆さんの振りをしたこともある」
以前聞いた、女神アリア様の逸話を思い出した。
アリア様は気さくな女神様で、時折人間の振りをして地上へと降り立つことがある。時には少女、時には老婆というように。
そしてアリア様に指導された音楽家は大成するとかいう怪しい話だ。
……あの時はただの迷信だと思っていたけれど、ラファリスの話を聞く限りどうやら何回もその分霊とやらを使って地上に降りていたようだ。
……こんなちゃらちゃらしてそうな若い男に化けるなんて、聞いたことなかったけど。
「……なんで男なんだよ」
特に信心深くない俺でさえ結構ショックを受けたんだ。
アリア様の信徒が女神様がちゃらい男の振りをしていたなんて知ったら、その場で卒倒しかねないんじゃないだろうか……。
ラファリスは俺の言葉にぽかん、としていたが、やがて納得が言ったようにぽん、と手を叩いた。
「いやぁ……それが僕が人間の女性の振りをしていても、何故だかすぐ女神だってばれちゃうんだよね。なんだろう、体から女神オーラみたいなのが溢れだしてるのかな!」
ラファリスは胸を張って自信満々にそう告げた。
その姿からは、奴が言う『女神オーラ』らしきものは微塵も感じられなかった。
……俺に過去の事情はよくわからないが、なんとなくラファリスがうっかりやらかして女神だってばれたんじゃないか、という気がしてくる。
「だから、男の姿になっちゃえば僕がアリアだってばれないと思ったんだよね。実際、君だって気づかなかったしね!」
気づかなかった……というか、そもそも女神が人間の振りをしているという発想すら俺にはなかった。
ましてや何であんな情けない男の振りをしてるのか、やっぱり俺に神様の考えることは謎だ。
「……僕がアリアだってばれたら、ルディス教団はあらゆる手を使って僕を殺そうとしたと思う。分霊と言えど、深刻なダメージを負えば本体にも害が及ぶし……最悪本体ごと消えることもある。……何度もやめろって言われたけど、どうしても僕はこの世界で自由になる体が欲しかった」
ルディスの目的――それは、四女神を蹴落として、自らがこの大地を手中に収めることだと聞いたことがある。
ルディスからしたら、守護女神の一柱であるアリア様は邪魔な存在なんだろう。
ラファリスを殺せばアリア様も無事ではいられない。そうなれば、きっとラファリスの正体が露見したら教団に狙われたはずだ。
「でも、なんでそんな危険を冒してまでこの世界に来たんだよ」
教団は各所に手を伸ばし、自分たちに都合の良い世界を作り出そうとしている。
たまたま今まで無事だっただけで、ラファリスが殺されない保証なんてどこにもない。
そう思って問いかけると、ラファリスはじっと真正面から俺を見据えた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「この世界を、守りたいから」
それは、呆れるほど単純な理由だった。
「ティエラもエルダもイシュカも、みんなそれぞれ手を尽くしてる。でも……あまりうまくはいっていないんだ。現にルディスは大地を浸食し始めてる」
ミルターナでは多くの町や村がルディス教団の支配下に置かれてしまっている。
それに……前に俺が救えなかったあの小さな村。あの人を吸い込む黒い穴のようなものが何なのかはわからないが、とてつもなくやばいものだということはわかる。きっと、あの穴に吸い込まれた人は、無事ではいられないだろう。
あんな悲劇が、この先も繰り返されるかもしれない……!
「だから、僕は自由な体でこの大地に降りて、独自に世界を救う方法を探していた。……そして、君たちに出会った」
ラファリスはぎゅっと俺の手を握った。
そして、至近距離で俺に告げた。
「……他にも世界を救いたいという志を持った人はたくさんいた。でも、この場所にたどり着いたのは君だったんだ……!」
ラファリスは泣いていた。まるで、感情が抑えられないとでも言うように。
「二度も君にこんなことを頼むのは間違ってるってわかってる! でも、お願いだよ! この世界を救うために、君の力を貸してほしい……!」
ラファリスは泣きながらそう吐き出した。
二度も、というのは……アンジェリカの事を言っているのだろうか。
大地を守る偉大な女神は、泣きながら俺に縋りついていた。
いつも失敗ばかりで何もできない、俺に。
「俺に、できるのか」
信じられなくてそう聞き返すと、ラファリスはぱっと顔を上げた。
「……この先に、この大地の『核』のようなものがある。そこで、君が認められれば、この大地そのものから力を授けられるんだ。世界を救う、力を」
アンジェリカは世界を救う方法を探して、この場所へ辿り着いたはずだ。
そして、アンジェリカはその力を手に入れた。きっとアンジェリカだけじゃない、人間だった頃のアリアも、他にもきっと同じようにした人がたくさんいたんだろう。
皆ここで世界を動かすほどの強力な力を授かり、その力を使って世界を守った。
アンジェリカや、アリアがそうしたように。
俺もここでその力を授かって、その力を使ったら、世界を救えるかもしれない……!
でも、そうしたら、
「反動で、死ぬ……?」
アリアは力を使い果たして死んだ。
アンジェリカは力を使った段階ではかろうじて息はあったが、その後に殺された。
そもそも、もともと卓越した力を持っていたアンジェリカと俺を同じように考えてはいけないだろう。
だから、ここで手に入れた力を使って世界を救ったら……きっと、俺は死んでしまう。




