6 異能者アリア
「…………ぇ?」
俺は慌てて石碑に刻まれた文字を確認しなおした。
だが、何回見てもそこには『アリア』と記されている。
ここがラファリスの墓?
…………なんで?
「……今よりもずっと昔、ユグランス帝国が成立するもっと前、この辺りには大きな国があったんだ」
ラファリスは抑揚のない声で唐突に語りだした。
俺は口を挟むこともできず、困惑したままその場に固まることしかできなかった。
「アリアはその国に生まれた人間の女の子だったんだ。ごく普通の家庭に生まれた、ごく普通の女の子だった。でも、その子にはただ一つ普通じゃない所があった」
ラファリスはじっと目の前の石碑を見つめている。
いつものちゃらちゃらした雰囲気は鳴りを潜め、どこか近づきがたい空気をまとっていた。
「……ところで、君は『異能者』って知ってる?」
ラファリスは急に穏やかな笑みを浮かべると、軽い調子で俺に問いかけてきた。
俺は尻込みしつつも何とか答えを返す。
「……知らない」
「そうだろうね。僕たちが勝手にそう呼んでるだけだから、たぶん本人にもその自覚はないだろうしね」
ラファリスは大きく息を吸うと、くるりと俺の方へ向き直った。
「ごくたまに、人の中に通常ではありえない特異能力を持って生まれてくる子がいるんだ。そういう子を、僕たちは『異能者』と呼んでいる」
ラファリスの言う「僕たち」というのが誰のことを指しているのかはわからなかったが、俺は含まれていないだろう、ということだけはわかった。
「……例えば、アンジェリカやレーテちゃんみたいにね」
ラファリスはそう言うとくすりと笑った。
俺はなんとか今の話を頭の中で整理しようとしていた。
レーテは昔から、人や物の感情や記憶を視たり、離れた場所へ一瞬で移動できるなんていうとんでもない力を持っていると言っていた。
でも、あいつ自身はその力のことをわずらわしく思ってる。あいつの力に目を付けた奴らに、妹を人質に取られ利用され続けていたからだ。
俺も、そのレーテのありえない力であいつと魂を入れ変えられるなんてとんでもない目に遭った。きっとラファリスの言っている『特異能力』とはその事なんだろうか。
でもレーテはわかるけど、アンジェリカは……?
「アンジェリカも、そんな変な力を持ってたのか……?」
「……そうだよ。レーテちゃんみたいに突拍子もない能力じゃないけれど、アンジェリカはとんでもない力を持っていた。それこそ、世界を動かすくらいのね」
ラファリスは俺を見透かすような目をして笑っていた。
きっとこいつには、もう隠しても無駄だろう。
アンジェリカが持っていた力――俺にはよくわからないが、一度ルディスを追い払う程の力だ。とんでもないものなんだろう。
「……気づいてなさそうだけど、君だってそうなんだよ」
「は?」
ラファリスは真っ直ぐに俺を見つめていた。
何だろう、さっぱり意味が分からない。
「不思議な事にアンジェリカとは全く違うけど、君だって僕らから見れば『異能者』の一人だ」
「……悪い、全然何言ってるのかわからない」
「人とは違う、特殊な力を持っているって事さ」
ラファリスは一歩俺の方へと近づくと、そっと肩に手を置いてきた。
「たぐいまれな癒しと浄化の力。今はまだ発達段階のようだけど、君には恐ろしいほどの素質があるよ。誰かにそう指摘されたことは?」
そんな事はない……と答えようとして、俺の頭の中にある記憶が蘇ってきた。
あれは、解放軍に協力していた頃だ。
日夜神聖魔法を使って怪我人の手当てをする俺に、同じ救護班の修道士は言った。
……普通の人は、そんなに連続して神聖魔法を使い続けることはできないと。
俺は自分以外に神聖魔法の使い手をほとんど知らない。だから、自分のやっていることが普通なのかそうじゃないかもよく知らなかった。
「君はぽんぽんやっちゃうけど、瘴気に侵された人を浄化するってすごく難しいんだよ。きっとアンジェリカだって、君のようにはできなかっただろうね」
「アンジェリカが……?」
俺の記憶の中のアンジェリカは、ばんばん強力な魔法を使うすごい女性だ。
たった一人でドラゴンのテオに打ち勝つくらいだし、やっぱりとんでもない人なんだろう。
そのアンジェリカにできなくて、俺にできることなんてあるんだろうか。
そんなのは信じられなかった。
「……だって、俺はあの村を救えなかった」
ルディス教団の毒牙にかかり、住民のほとんどが瘴気に侵された村。
あの村の住人の多くは、一夜にして消えてしまった。
……俺が、救えなかったから。
うつむく俺に、ラファリスは諭すように語りかけてきた。
「『異能者』は万能じゃない。誰だって、できることとできないことがあるんだ」
ラファリスはゆっくり俺から視線を外すと、石碑の方に目をやった。
「……話を戻そうか。ここに名前の記された少女、アリアは君と同じく『異能者』だった。彼女は、音楽を奏でることであらゆるものと心をかわすことができたんだ」
「あらゆるもの……?」
「そう。人はもちろん、動物や精霊、植物ともね。彼女が歌えば花が咲き、彼女が楽器を弾けば途端に動物たちが集まって来た」
なんか、昔話とかにありそうな設定だ。
今までの俺だったらどうせ作り話だと笑い飛ばしただろうが、アンジェリカとレーテという二人。
常人とは一線を画す力を持つ者を俺は知っている。
レーテが俺にしたみたいに人の魂を入れ替えることだってできるんだから、動物や植物と心を通わせることだってできるんじゃないか、という気がしてくる。
「アリアの持つ力の話は、時の権力者の元にまで届いた。当時、この世界は外敵の侵略に晒されていた。……相手は違うけど、今と同じようにね」
相手は違う……ということは、邪神ルディスとは別の存在がこの世界を侵略しようとしていたって事だろうか。
外の世界にはそんな危ない奴がごろごろいるんだろうか。なんか怖いな。
「時の権力者は、アリアにこの世界を守るように命じた。アリアも了承した。……大事な、自分の世界だからね。そしてアリアは大地の力を引き出しこの世界を守って……死んだ」
俺は思わず息を飲んだ。
死んだって……なんで!?
「世界を動かすほどの力だ。その反動は、普通の人間の体では耐えられないよ。アリアは力尽きて死んだ。おかげで世界は守られたけどね」
ラファリスはそっと石碑を撫でた。
まるで、何かを懐かしむかのように。
「偶然その時、この大地では守護女神の代替わりが行われようとしていた。でも、守護の座を降りる女神の後継者がいなかったんだよ」
ラファリスの話はまた変な方へ逸れ始めた。
……なんでいきなり女神様とかがでてくるんだろう。
「一柱でも女神が欠ければ、この大地のバランスが崩れ大変な事になる。困った『調停者』は、死んだばかりのアリアの魂に目を付けた」
どうやらさっきの話の続きだったらしい。その『調停者』というのが何なのかはわからないが、神様たちも中々大変なようだ。
「普通、人が死ねば魂は天に昇り、長い時間をかけて転生を果たし、再び生れ落ちることになる。でもアリアは転生はせず、女神として世界に留まる事になった」
「えっ!?」
人間が女神になる? そんなことってあるのか!?
俺はおそるおそる再び石碑に目をやった。
そこに刻まれた『アリア』という名前は、現在のアトラ大陸の守護女神の一柱――音楽の女神、アリア様と同じだった。
ラファリスの話が本当だとすれば、この石碑に名前を刻まれた人間の少女が、死後女神になったという事だろうか。
……にわかには信じられない。
そこまで考えたところで、俺はあることに気が付いた。
最初にこの石碑の前にやって来た時、ラファリスはこの石碑を指して、これは自分の墓だと告げた。
今の話だと、この石碑に記された『アリア』は、守護女神のアリア様と同じ存在だという事になる。
ということは、ラファリスは……。
俺はゆっくりと振り返った。
ラファリスは相変わらず感情の読めない瞳で、屈みこむ俺を見下ろしていた。




