27 悲運な乙女の詩
「うわー、どうすんだよこれ……」
ベッドの上一杯に広がった服の山を見て、俺は途方にくれた。
あの後、俺は自分の記憶よりも十日ほど日付が進んでいるのを見て驚いた。
その間ずっと寝ていたのかと思いきや、なんとアンジェリカが俺の体を動かしていたというのだからさらに驚いた。
俺は魔物に池に引きずり込まれて、死にかけて、アンジェリカがそこを助けてくれたんだろう。
その辺りの記憶はおぼろげだが、目覚める直前、アンジェリカに言った事はちゃんと覚えている。
俺はアンジェリカの全てを受け入れる。アンジェリカが持っていた黒い感情も受け入れて、アンジェリカのやりたかった夢をかなえる。
そのつもりだったんだけど……こう目の前の服の山を見ると、どうすればいいのかわからなくなってしまった。
「これ、全部アンジェリカが買ったのか?」
間違いであってくれ、という思いを込めた俺の言葉は、あっさりとリルカに否定されてしまった。
「そうだよ。これでもまだ一部なの」
「うわぁ……」
こんなに買ってどうするつもりだったんだよ。しかも、俺では絶対履けないような短いスカートまである。
どうしよう、これ……
「くーちゃんにも……似合うと、思うよ……!」
「ありがとう……」
リルカは必死に俺を慰めようとしてくれている。俺は力なくリルカの頭を撫でた。
俺はアンジェリカの願いをかなえると決めた。だから……たまになら、こういうのも着てもいいかな。
◇◇◇
「……んっ…………ふぁ……」
たっぷりと血を吸った後ゆっくりと牙を抜かれて、そのままぐったりと力を抜いてベッドへと沈み込む。
ヴォルフは体を起こすとベッドに腰掛けて、そんな俺を見下ろしながら戯れのようにシーツに散らばった髪を梳いていた。
どうやらこいつはアンジェリカが表に出ていた間は、一度も吸血しなかったらしい。
そのせいか今日はいつもよりいっぱい血を吸われた気もする。
それに……なんかぺろぺろと舐めるのも執拗だった気がするし、髪に顔をうずめて匂いとか嗅がれてちょっと恥ずかしくて泣きそうになったのは秘密だ。
でも俺がアンジェリカだったときは我慢してたみたいだし、今日くらいは奇行も大目に見てやろう。
スコルとハティにも似たようなことをされたし、たぶんそういう気分だったんだろう。
「……アンジェリカって、どうだった?」
なんとなくそう問いかけると、俺の髪を梳いていた手が止まった。
「…………どうって、何が」
「いや……あの、それが……」
言おうか黙っていようか迷ったが、どうせだから言ってみることにした。
実はさっき服の山や自分の荷物を調べて、俺は今まで愛用していた下着がほとんど入れ替わっていたのに気づいて強い衝撃を受けた。
あのレーテが持っていたひらひらとしたブラ。俺の荷物の中にあった下着が、ほとんどあんな感じの物に入れ替わっていたのだ。
アンジェリカはあんなものを履いていたのか。戦闘中にパンツの紐が解けたりしたらどうするんだ。
俺にノーパンで戦えというのか!!
「何なんだよ、あいつは……」
俺は早くもアンジェリカのことがわからなくなってきた。
本当に俺は彼女の生まれかわりなのかな……。なんか自信がなくなってきた。
「性別も生まれも育ちも違うんだから、好みが違うのも当然じゃないですか?」
「そうだけどさぁ……」
ヴォルフはぐちぐち言う俺をかわいそうなものを見るような目で見ている。
他人事みたいに言いやがって。お前だって、自分の下着一式が入れ替わってたら焦るだろ。
「まぁあんな手触りの薄い下着、すぐに破れそうで大変ですね」
「だよなぁ。アンジェリカももう少し防御面で考えて……」
そこまで口にして気が付いた。
今、ヴォルフは手触りとかなんとか言っていた。
…………触ったのか!?
「おまっ、いつあの下着触ってっ……!」
「えっ!?」
慌ててベッドから飛び起きて問い詰めると、ヴォルフは明らかに「しまった!」とでも言いたげな顔をした。
ここで冷静に「見ればわかる」とか「触りましたけどなにか?」みたいな事を言われたら、俺も他意はないって納得できたのに。
「な、何で俺の下着なんて触って……!」
「ちがっ、触ったんじゃなくて触らせられたというか、」
「はあぁ!!?」
何を言ってるんだこいつは。触らせられたってなんだよ!!
リルカがそんな事をするはずはない。レーテもそういう悪ふざけをするタイプには思えない。
……ということは、
「アンジェリカ……?」
その名前を口に出すと、途端にヴォルフの顔が赤くなった。
……何だよその反応は。
「お前っ、アンジェリカに何したんだよぉぉ!!」
俺の渾身の叫びが、昼下がりの宿屋に響き渡った。
◇◇◇
穏やかな、良い夜だった。
ラファリスは一人、月夜の下で静かに楽器を弾きならしていた。
「……何の曲だ?」
不意に背後から声がした。
どうやら寝ているものとばかり思い込んでいた同行者が起きていたらしい。
おそるおそる振り返ったが、どうやら彼は眠りを邪魔されたことに怒っているようではないようだ。
ただ単に、何の曲か気になっただけなのだろう。
「……正式名称は不明。一般には、『悲運な乙女の曲』と言われていますね」
ラファリスはこの曲が好きだった。
どこか物悲しい旋律が、かつて起こってしまった悲劇と、今も色あせない深い愛情を感じさせる。
「元々は剣士だった男性が、不運な出来事によって亡くなったある女性を思って作った曲なんです。難しい技法は使われていないんですが、だからこそ親しみやすい曲でもあるんですよね」
この曲を奏でるのに技術はいらない。ただ、内にある愛情を、怒りを、悲しみを曲に込めるだけでいい。
今ではこの曲を作ったのは誰だったのか、『悲運な乙女』とは誰のことなのか、知る者はほとんどいない。
それでも、この曲は今日もどこかで紡がれ続ける。
――悲哀の剣士が、悲運な乙女を思って作られた曲が。
「場所を超えて、時を超えて、人の想いは紡がれ続ける……。そういうの、ちょっとロマンチックだとは思いませんか……?」
期待を込めて問いかけたが、同行者は非常にどうでもよさそうな顔をして口を開いた。
「そうか、俺にはよくわからん」
これだから情緒のわからない奴は……と口をついて出そうになるのを必死にラファリスは抑え込んだ。
まあ良い。わかる人にだけ、届けばいい思いもあるのだから。
「……それより、決めたのか」
背後の男は、確かな重みを込めてラファリスにそう問いかけた。
……きっと彼が本当に聞きたかったのはこのことなのだろう。
思わず楽器を持つ手に力が込もる。
二人がいるのは家も屋根もない荒野の真ん中だ。
見上げれば空にはいくつもの星が輝いている。
珍しく近くに魔物もいない。見渡す限り、雄大な大地が広がっている。
「……はい」
小さく呟くと、ラファリスは意を決して再び背後を振り返った。
夜の闇に溶けてしまいそうなほどの黒い髪に黒い衣装を纏った男は、じっとラファリスを見つめていた。
「行きましょう、大地の中心へ」
――美しい世界、美しい大地。
この美しい風景を、ラファリスは守り抜かねばならない。
……たとえ、どんな手を使ったとしても。
もはや多くの方に忘れ去られてそうなキャラが再登場したところで6章終了です!
1~4章の章末に各章ごとの簡単なあらすじと登場人物紹介を設置したので、「こいつ誰だっけ……」みたいなのが出てきたら確認していただけると嬉しいです。
7章は大地の中心に向かう所から始まります。ストーリー面でも恋愛面でも大きく動く(はずの)章なので、これからもお付き合いいただけると有難いです!!




