11 山越え
準備が整うと、俺たちは父さんと母さんに別れを告げて北へと向うことにした。
二人にはもし何かあったら俺の事は気にせずにすぐに逃げて欲しいと伝えてある。
リグリア村が大変なことになっていた時も、二人は俺が帰ってくるかもしれないからとここを動かずにいた。おかげで俺は父さんと母さんに再会できたけど、一歩間違えば二人とも魔物にやられていたかもしれないんだ。
もう、そんな危険は冒してほしくなかった。
「クリスちゃんも気を付けてね。……ヴォルフ君、この子をよろしくお願いします」
「任せてください」
母さん、そいつ俺より三つも年下なんだよ……と言いたかったが、ぐっと我慢した。
なんか、ますます自分が情けなく思えてくるからだ。
「無茶はするなよ……ってお前に言っても無駄そうだな。父さんもお前くらいの頃は無茶ばっかりしてたからな!」
父さんはそう言うと大声で笑った。
最初に旅立った俺を見送った時と同じだ。俺には父さんのその明るさが救いだった。
なんだか父さんのその明るさを見ていると、これからしようとしていることも簡単にできそうな気がしてくるからだ。
「大丈夫。絶対世界を救って帰ってくるから! 勇者の両親としてインタビューの準備でもしといてくれよ!」
明るくそう言うと、父さんと母さんはすぐ調子に乗るんだから……と笑った。
これ以上ここにいると名残惜しくなりそうだったので、俺はくるりと二人に背を向けるとそのまま歩き出した。
いつまでも立ち止まってはいられない。俺にはやらなきゃいけないことがあるし、会いに行かなきゃいけない人だっている。
随分と迷ったけど、やっぱりリグリア村に来て、父さんと母さんに会えて……良かったと思う。
大切な人が暮らす、この大地を守りたい。
前よりもずっと、その思いは強くなっていた。
◇◇◇
《ユグランス帝国南東部・オストリーン高原》
「…………大丈夫? 俺、ちゃんと生きてる?」
「生きてますよ。自分でわからないんですか」
「なんか、信じられなくて……」
リグリア村を発ってそれなりの時間が経った。
俺たちは大陸の南北を隔てる山脈に挑戦し、何度か死にかけながらも無事山脈を越えることができた!……らしい。
最後の方はもう常に意識が朦朧としていて、今いるのが山脈の北側、ユグランスの領土だと言われてもぴんとこなかった。
でも、人間やればできるもんだな。ちょっと感動したぞ。
「取りあえず休める所を探しましょう」
「そうだな……」
もう何日もベッドで寝た記憶がない。
とにかくやわらかいベッドの上で、暖かい毛布にくるまって寝たい。俺の今の願いはそれだけだ。
山越えは、とにかく寒さと疲労との戦いだった。
慣れない雪山で俺は何度ももう死ぬ、と思ったのだが、ヴォルフは何故かずっとぴんぴんしていた。しかも、また呼んでもないのに勝手に出てきたスコルとハティまでも楽しそうに俺の周囲を走り回っていたのだ。
どうやら、スコルとハティは氷の精霊なので、ああいう雪と氷に囲まれた寒い場所だと元気になる、という事だった。……俺とは真逆だな。
そんな感じで、周りが元気な中俺一人だけが瀕死の状態だった。
寒さと疲労で何度か意識を飛ばしかけたが、ヴォルフが大真面目に「気絶したら服を脱がして裸で温めあう」とか言い出したので、何とか意識を保ったままここまで来れた。
一体何を言ってるんだ、このドスケベ吸血鬼は。……と俺はドン引きしたが、ヴォルフ曰くそれが雪山での正しい救助方法らしい。
凍死の危険なんてあまり意識したことがなかった俺からしたら、それが本当なのか嘘なのか区別がつかなかった。
単に俺をからかっただけなんかもしれない。……まぁ、こうして無事ユグランスにたどり着けたんだしよしとしよう!
「もう少し行くと、小さい村があるみたいです。ひとまずはそこを目指しましょう。まだ歩けますか?」
「そんなに遠くないんだろ? たぶん大丈夫」
気を抜いたら倒れそうなくらい疲れていたが、温かなベッドの誘惑には抗えない。
多少無理をしてでも、今夜はちゃんとした宿に泊まりたかった。
◇◇◇
「む、村だ……人間の村がある……!」
「なに当たり前のこと言ってるんですか」
しばらく歩いた所で、俺たちは山あいの小さな村へとたどり着いた。
本当に小さな村だが、何人かの人が出歩いているのが見える。
そんな当たり前の光景が、まるで奇跡のように思えた。
長い間雪と氷ばかりの山にいたので、感覚が麻痺しているようだ。
村に入った俺たちは、さっそく宿へと向かう事にした。
そして、見事やわらかいベッドと温かな毛布を手に入れた俺は、そのまま死んだように眠った。
翌朝……と思ったがもう起きたら昼近くだった。
俺たちは遅い朝食をとりつつ、今後について話し合っていた。
すると、近くのテーブルから気になる話が聞こえてきた。
「……でさ、やっぱりおかしいんだよ、あいつら」
「何か話が通じなくなってきてるよな……」
「そうそう、なんか新しい世界がどうのこうのとかよくわからないことばっかり言ってるし、やたらと魔物が増えてるのにそんなことないって言うんだよな……」
「行方不明になった奴もいるって話だぜ……」
俺とヴォルフは思わず顔を見合わせた。
……なんか、嫌な予感がする。
「少し、話を聞かせてもらえませんか?」
立ち上がってそう声を掛けると、話に興じていた二人の男が振り返った。
二人は一瞬訝しげな顔をしたが、すぐに詳しい話をしてくれた。
たぶん、とにかく誰かに話を聞いて欲しかったんだろう。
二人の話によると、どうやらここの近くにある村で、その異変は起こっているらしい。
村人の様子がおかしい。話がかみ合わず、新世界や新たな王などよくわからない話ばかりをしている。この近辺で魔物が増えているのに、その村だけは困っている様子がない。魔物の増加すら認識していないようだ……などなど、怪しさ満点の話だ。
俺にはその話の内容に心当たりがあった。
新しい世界、新たな王……それは、あのルディス教団の奴らがよく言っている事じゃないか!!
俺たちは二人に礼を言うと、また自分たちの席へと戻った。
そして、声を潜めて話し合う。
「……なぁ、教団ってユグランス帝国にまで進出してたのか?」
俺たちが解放軍にいた頃に聞いた話だと、教団の勢力が及んでいるのはミルターナ国内だけ、ということだった。
知らない間に、こんな所にまで教団の魔の手は迫ってきたのだろうか。
「おそらく、ミルターナで暴れている教団本体とは別物じゃないでしょうか。ディルク・シュヴァルツシルトがルディスの思想に染まっていたことを考えれば、ユグランス国内にもそういった不穏分子が潜伏していることは考えられます。まだこの村の人たちが事態を把握してないことを考えれば、その村だけの局地的なものなんでしょう」
この村の人たちは、ルディス教団の事を良く知らない様子だった。
ということは、ミルターナで暴れている教団本体はまだここには到達していない。
でも、それとは別にルディスの甘言に同調した誰かが、その村の人たちを洗脳してしまった……という事なんだろうか。
「……どうする、放っておくのか?」
「まだ一つの村だけで収まっている状態なら……これ以上広まる前に叩いてしまった方がいいかもしれません。村人を扇動している人物がいるのなら、そいつを叩き潰せば勢いは削がれるはずですから」
随分物騒な言い方だが、たぶんヴォルフの言う通りだろう。
今はまだ村一つの規模だが、放っておけばミルターナのように太刀打ちできない状況になるかもしれない。その前に、中心人物だけでもなんとかした方がいいだろう。
もしミルターナにいる教団本体と合流でもされたら厄介だ。
それこそ、本当にこの大地全体が邪神ルディスに染められてしまう!
今ならまだ間に合う。だったら、やるしかない。
まだ完全に疲労は取れていないが、やわらかいベッドでゆっくり眠ったことでだいぶ回復したようだ。
食事を終えると俺たちはすぐに出発した。目的地は、話に聞いたばかりの怪しい村だ。




