8 クリストフ・ビアンキ
翌日、俺はさっそく家の裏の納屋を調べることにした。
「うーん、懐かしいなぁ……」
もちろんこの納屋の存在は知っていたが、なんとなく気味が悪いのでほとんど近づいたことが無かった。
古い木造の納屋は、少なくとも俺が生まれた時にはもうここに建っていた。
母さんの話だと特に鍵などはかけていないということだったので、そっとぼろぼろの木戸に手を掛ける。
重い戸を引くと、ぎいぃと耳障りな音がして中からぶわりと埃が舞いだしてくる。
「うわっ!」
なんとか限界まで戸を開け放して、おそるおそる中を覗く。
何やらごちゃごちゃと積み重なっているのは見えるが。暗くてよくはわからなかった。
「クリスさんの魔法で明るくしたらどうですか?」
「あ、そっか」
ヴォルフにそう言われて初めて俺はその方法に気が付いた。
杖を失くしてからほとんど神聖魔法を使っていないので忘れていたが、小さな光を出す魔法くらいなら杖が無くても問題ないはずだ。
「照らせ、“小さな光!”」
呪文を唱えると、手のひらにぽわりと小さな光の球が現れた。
よし、これで暗い場所でも大丈夫なはずだ!
俺たちはゆっくりと納屋の中へと足を踏み入れた。
「うわー、がらくたばっか……」
納屋の中に見えたのは、とにかく古い家具、農具、骨董品らしきもの……というがらくたの山だった。
「……この中から探すんですよね」
「うん……」
俺は早くも心がくじけそうになっていた。
こんながらくたの中から、本当にクリストフの手掛かりが見つかるんだろうか。
「まあ、とりあえずやれるだけやってみましょう。時間もある事だし」
「そうだな……」
幸いこの納屋はそんなに広くない。長くても数日で一通り調べることはできるだろう。
そうして、俺たちは薄汚い納屋を調べ始めた。
◇◇◇
「なんか、ほんとに何にもない気がしてきた……」
がらくたの山を調べ始めて数時間、今の所がらくたの山はやっぱりがらくたの山だった。
納屋を走り回るネズミや油断すると顔にべっちゃりと付着する蜘蛛の巣と格闘していたせいで、思うように作業も進んでいない。
レーテは俺に物の記憶を読む力がある、みたいなことを言ってたけど、少なくともこのがらくたの山からは何も感じ取れなかった。
まったく、役に立たない能力だな!
「十年や二十年ならともかく、百年前……となるとなかなか難しいですね」
ヴォルフがぼろぼろになった羊皮紙を俺の方へと投げてよこした。
目を凝らしてみたけれど、本当にぼろぼろで何が書いてあるのかも読み取れなかった。
これじゃあ、クリストフの手掛かりが混じっていたとしても気が付かない可能性だってある。
「あーもう! こんなんどうやって探せば……うわっ!」
ちょっと投げやりになりつつ奥の方へと歩を進めた時、急にばきりという嫌な音と共に俺の体が下へと沈み込んだ。
慌てて床の縁を掴んで這い上がろうとする。
「大丈夫ですか!?」
慌てたように近づいてきたヴォルフによって、俺の体はすぐさま上へと引き上げられた。
「だ、大丈夫……」
大丈夫は大丈夫なのだが、めちゃくちゃ驚いた。今も心臓がバクバクいっている。
どうやら俺は、床のもろくなった部分を踏み抜いてしまったらしい。
まぁ、こんなぼろぼろの納屋ならいつ崩れてもおかしくはないんだけど、何かがおかしい。
「この納屋って、普通に地面の上に建ってたよな」
だったら、床を踏み抜いてもすぐ地面に足がつくはずだ。それなのに、さっき俺の体は腰のあたりまで床下に沈み込んだ。
……どうしてそんな空間があったんだ?
俺はそっとさっき自分が落ちた場所を覗き込んだ。
……暗くてよくわからないが、たしかに床下に空間があるように見える。
「地下室……?」
地下室なんて立派なものじゃないかもしれないが、床下が空洞になっているのは確実だ。
確かめに下へ降りようとしたが、ヴォルフに肩を強く掴まれて制止された。
「……何があるかわからないので、僕が先に行きます」
そう言うと、ヴォルフはさっさと俺が落ちたあたりの床板を剥がし、下へと飛び降りた。
俺も慌てて光の球を下へと送る。
「ど、どう……?」
「……ここ、隠された部屋みたいですね」
ヴォルフに安全だと言われたので俺もおそるおそる床下の空間へと降りてみた。
そこには、確かに四方に板が張られた小さな空間が存在した。地下室、という奴だ。
その怪しい地下室は上に比べると随分と整然としていた。
いくつか物が置いてあるのだが、きちんと秩序だって置かれているように見える。
そして、俺の視線は奥にぽつんと置かれてる細長い箱に釘付けになった。
漆黒の木で作られた上等そうな箱だ。
あそこに、大事なものが仕舞われている。
何故だかすぐにそうわかった。
「いったいここは何のために……クリスさん?」
用心深く部屋の中を見まわしていたヴォルフが咎めるように声を掛けてきたが、俺はもうふらふらとその箱に向かって歩き出していた。
そしてヴォルフが制止するのも聞かずに、俺は一気にその箱を開いた。
「クリスさん、危ないですよ! 何があるのかわからないのに!」
ヴォルフが慌てた様子で近づいてきたが、俺の意識はその箱の中のものに釘付けになった。
そこには先端に大輪の花を模した美しい杖が納められていた。まるで、本当に今でも花が咲き誇っているかのように見える。
その杖を手に取った瞬間、俺の頭の中をいくつかの記憶と奇妙な懐かしさが駆け抜けた。
――修道院、旅立ち、魔物、アウグスト、クリストフ……
「これ……アンジェリカの杖だ」
呆然とそう呟くと、ヴォルフが信じられないと言った表情で俺の顔を覗き込んできた。
でも、俺にそれを気にする余裕はなかった。
そうだ。この杖は、アンジェリカが修道院から旅立つ時に教会から贈られた物じゃないか!
アンジェリカは優れた神聖魔法の使い手だった。杖が無くても多くの呪文を使いこなしていた。
でも、彼女はこの杖を気にいっていた。
だから、滅多に使わずにこうして箱にしまっておいたんだ。
「アンジェリカの杖がここにあるってことは……」
ヴォルフの問いかけに、俺はそっと頷いて見せる。
少なくとも、過去のビアンキ家の人間に非業の死を遂げたアンジェリカの遺品を手に入れた人がいた。
そんなの、一人しか思いつかない。
アンジェリカの仲間のクリストフ。彼は……俺のご先祖様だったんだ!!
杖を握りしめると、まるでずっと前から使っていたかのように手になじんだ。
「クリストフ、百年もしまっておいてくれたんだ……」
この納屋に地下があるなんてことは知らなかった。父さんも母さんもそんなことは言っていなかったし、きっと知らないんだろう。
クリストフは、そんな誰にも気づかれないような場所にアンジェリカの杖を隠していた。
きっと、誰かに取られたり荒らされたりしないように。
「……大丈夫ですか」
「うん、ごめん……」
何故だか、涙が後から後からあふれ出て止まらなかった。
嬉しいのか、悲しいのか、胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
俺はぎゅっと杖を握りしめると立ち上がった。
「……持っていくんですか」
「うん。元々は自分のだし、たぶんここに置いておいても誰にも気づかれずに朽ちるだけだし……」
ちょうど新しい杖を新調しなければ、と考えていた所だったし、ありがたく使わせてもらおう。
これはアンジェリカの物だけど、俺がアンジェリカの生まれ変わりなら……俺の物でもあるんだろう。
うん、そういう事にしておこう!
「……この場所は、クリストフがアンジェリカに関係があるものを隠すために作ったんでしょうか」
「……そうかもしれない」
俺はもう一つ近くにあった小さな箱を開いた。
そして、そこにあった物に思わず息を飲んだ。
「これ……」
それは、薔薇の花のような形の細かい細工が施された髪飾りだった。
俺は、この髪飾りを見たことがある。
以前、アンジェリカが夢の中でこの髪飾りを嬉しそうにつけていた事があった。
だが、元々修道院育ちのアンジェリカは、過度の贅沢は禁物という環境で育った。だから、旅に出てからもそんな意識が染みついて離れず、どうしても誰かの前でこの美しい髪飾りをつけることができなかった。せいぜい一人の時に鏡の前でつけて楽しむだけだ。
だからこっそり荷物の中に紛れ込ませておいたのに、クリストフはこんなものまで持ち出してきたらしい。
「懐かしいな……」
アンジェリカの痕跡を見つけるたびに、俺の中で少しずつアンジェリカの記憶……というか意識が蘇りつつあった。
もう、自分でもはっきりとわかる。
俺は、アンジェリカの生まれ変わりだと。
「クリスさん、見てください!!」
ぼんやりと髪飾りを眺めていると、何かを見つけたらしいヴォルフが俺を呼んだ。
慌てて近づくと、ヴォルフは俺に向かって一冊の本を差し出してきた。
長い時間が経ったのかぼろぼろになっていたが、まだかろうじて本の形を保っている。
「なんだよこれ」
「この裏の名前、見てください……」
ヴォルフは少し震えた声でそう言うと、本をひっくり返した。
「えぇっと……クリストフ・ビアンキ!?」
本の裏にはサインのようなモノが書かれていた。
そこに書いてある文字を見て、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
クリストフ・ビアンキ。そこに書かれていた名前は、俺の先祖でアンジェリカの仲間の、あのクリストフのものだったのだ。
「回顧録というか……日記のような物でしょうか」
崩さないように丁寧にページをめくったヴォルフがそう呟いた。
ちらりと視線を走らせると、日付と簡単に出来事が記されているのが見て取れた。
「クリストフの日記……ってことは!」
俺はあることに気が付いてヴォルフに視線を合わせた。ヴォルフもそっと頷く。
「英雄アウグストたちが、世界を救った方法がわかるかもしれません」
俺の中に封印されたアンジェリカの記憶、実際に百年前にあった出来事……今、その扉が開かれようとしているんだ。




