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俺が聖女で、奴が勇者で!?  作者: 柚子れもん
第五章 変わる世界と変わらない思い
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30 インヴェルノ

 その後数日間、俺たちはキリルさんとヴェロニカさんの家で過ごした。

 キリルさんに何か伝授されたのか、ここ数日ヴォルフはずっと落ち着いていた。前みたいに急に豹変することもないし、あの……ちょっと恥ずかしい吸血方法が効いているのかもしれない。

 俺はヴェロニカさんの仕事を手伝いつつ、たまにぶらぶらと森の中を散歩したりした。

 外の世界で必死で教団や解放軍から逃げていたのが嘘みたいに、ここは平和で穏やかだった。


 ずっとここにいようかな……とも考えたが、きっとそれは二人の迷惑になってしまうだろう。

 それに、やっぱりリルカや父さん母さんのことが気になる。

 もう解放軍と一緒に戦ったりはできないけど、やっぱり自分だけ平和な場所で過ごしているというのはなんだかやるせない気持ちになってくる。


 まだこれからどうすべきなのかはわからない。でも、一度きちんとヴォルフと相談してみるべきだろう。

 そんな事を考えていると、にこにこと笑ったヴェロニカさんがそっと俺にお茶を出してくれた。


「難しいお顔をしていますね。考え事ですか?」

「は、はい……すみません、お手伝いさぼっちゃって……」


 ちょうどヴェロニカさんに教わって草で籠を編んでいる途中だったが、ついつい意識が逸れて手が止まってしまっていたようだ。

 そんな俺に、ヴェロニカさんは優しく笑いかけた。


「根を詰め過ぎるのは良くないですわ。それに、気にすることはありませんよ。寂しい年寄りの二人暮らしに、あなた方が来てくださって良い刺激になっています」


 いや、どう見ても年寄りじゃないだろう……と口に出そうとした言葉を、俺は寸前で飲み込んだ。

 ヴェロニカさんもキリルさんも人間じゃない。ということは、見た目だけで年を判断するべきじゃないだろう。

 二人ともまだ三十そこそこに見えるが、どうみてもそれ以上に老成したような、超然とした雰囲気を纏っていた。

 気軽においつくつですか、なんて聞けそうにはない。

 俺は慌てて話題を変えた。


「お二人は、ずっと二人でここに住んでいるんですか?」


 どうやって作ったのかはよくわからないが、この大樹の地下の家は中々に年季が入っているように見える。少なくとも、ここ数年以内に引っ越してきたという感じではなさそうだ。


「えぇ、何十年か前までは娘もいたのですが……こんな世捨て人のような生活は嫌だと言って出て行きましたわ」

「娘さんが……?」


 何十年か前、という言葉はあえて聞き流した。

 それよりも二人に子供がいたなんて初耳だ。

 目を丸くする俺に、ヴェロニカさんはくすりと笑った。


「もうずっと会っていませんから、生きているのか死んでいるのかすらわかりませんのよ」

「その人の、名前は……?」


 思わずそう聞いてしまった。

 ヴェロニカさんは軽く目を伏せると、ひどく愛しげにその名を呟いた。


「……インヴェルノ。インヴェルノと、言うんです」

「インヴェルノ……」


 残念ながら聞き覚えはなかった。

 でも、今まで会ったが無い人でもこれから出会える可能性はあるんだ。

 もしインヴェルノという人に会ったら、二人が今でも森の大樹の地下の家で暮らしていると伝えよう。



 ◇◇◇



「それでさ、急に何十年前の話とかされると反応に困るんだよなー……」


 夕方になるとヴォルフが帰ってきたので、俺はだらだらとヴェロニカさんに聞いた話を聞かせていた。

 娘さんの話も驚いたが、何よりも俺を驚かせたのは二人が駆け落ち同然に魔族の世界からこの世界にやって来たという事だった。

 魔族でも駆け落ちをする。また一ついらない知識が増えてしまったな。


「そんな簡単に別の世界に来れるものなんですか?」

「さぁ……でも、テオとかも別の世界から来たみたいだし方法はあるんだろ?」


 別の世界か……俺には遠すぎる話だ。

 暖かくて楽しい世界ならいいけど、魔物の世界みたいなのは怖すぎるし、魔族の世界や竜の世界っていうのもなんだか危険そうだ。

 やっぱり、俺はまだ外の世界に出たいなんて気にはなりそうもない。


「あ、そうだ。それで二人には娘さんがいたんだけど、もうずっと前に出て行ったんだって」

「へぇ……まぁいつまでもこんな森の中に暮らしてたら嫌にもなりそうですね」


 ヴォルフはどうでもよさそうにそう言った。

 確かにここは穏やかで平和な場所だけど、それだけでは退屈なのは俺も身を持って知っている。

 俺が勇者に憧れて村から旅立ったように、きっと二人の娘もこの森を出て行ったんだろう。


「インヴェルノさんっていうみたいで、お前はどっかで会ったこと」


 ある? と聞こうとした途端、何かが床に落ちる音がして俺は慌てて振り返った。

 見れば、ヴォルフが持っていた本をばらばらと取り落としていた。


「何やってんだよ。大丈夫か?」


 そのまま屈んで本を拾おうとした手首を強い力で掴まれた。

 顔を上げると、蒼白な顔をしたヴォルフと目があった。


「……今、なんて?」

「え? いやだから大丈夫かって……」

「違う、その前!」


 折れそうなほど強く手首を握られる。

 俺の気のせいじゃなければ、ヴォルフの手はかわいそうなほどに震えていた。

 明らかに様子がおかしい。俺は何かそんなにおかしい事を言っただろうか。

 ヴォルフが本を落とす直前、俺がしていたのは出て行った二人の娘さんの話で……


「……インヴェルノ?」


 まさかと思ってその名前を出すと、ヴォルフの肩はぴくりと震えた。

 顔を覗き込むと、何故か憔悴しきったような表情を浮かべていた。


「お前、まさかその人の事知って……」


 おそるおそるそう聞き返すと、ヴォルフは俺から目を逸らすかのように視線を床に落とした。

 俺はじっと答えを待った。十秒ほど経った頃、ヴォルフはぽつりと言葉をこぼし始める。


「僕の……母の名前も、インヴェルノっていうんです」

「えぇ!?」


 まさかの展開に俺は驚いた。

 まだ同名の別人……という可能性もある。

 でも、ヴォルフの生まれ育った状況から考えて吸血鬼だったのは母親の方だと考えていいだろう。

 キリルさんとヴェロニカさんの娘もきっと吸血鬼のはずだ。

 インヴェルノという名前の吸血鬼の女性……そう何人も存在するとは考えづらかった。

 ヴォルフの母親の両親があの二人かもしれない。……ということは、


「まさか、あの人たちってお前のおじいさんとおばあさん……?」


 口にした言葉の違和感は半端なかったが、ヴォルフは何か言いたげにじっと俺を見つめ返してきた。

 きっと俺と同じことを考えているんだろう。


「そうだとしたら、早く二人に知らせて……」

「待ってください!」


 慌てて立ちあがった俺の手を、制止するようにヴォルフは掴んだ。


「何でだよ! 二人もお前が孫だってわかれば喜んで……」

「僕の母親……僕が幼いころに亡くなったんです」


 ヴォルフはひどく辛そうにそう口に出した。

 その言葉を聞いて、俺はすぐさま後悔した

 ヴォルフの母親が亡くなっている。その話は以前俺も聞いていた。

 どうして今まで忘れていたんだろう。ヴォルフにとってはきっと、傷口をえぐられるような話のはずなのに。

 俺って、本当に無神経な馬鹿だ……。


「ごめん、俺……」

「いいんです。もうずっと昔の事ですから」


 ヴォルフは悲しそうに笑った。だが、すぐにまた目を伏せた。


「きっとあの二人はまだその事を知らない。だから……黙っていてもらえませんか」

「うん…………」


 キリルさんとヴェロニカさんはきっとまだどこかで娘が生きていると思っているだろう。

 前触れもなく親しい人がいなくなる悲しみ。テオを失って、俺は初めてその悲しみを知った。

 一年以上たった今でも、その悲しみは俺の心を支配し続けている。

 傲慢かもしれない、でもキリルさんとヴェロニカさんにその悲しみを味わってほしくない。

 きっと、俺たちが話さなければ二人はずっと娘の生存を信じ続けることができる。

 それが正しいのかどうかはわからない。でも、俺には残酷な真実を告げる勇気はなかった。


「……あと少ししたら、ここを出ませんか」

「うん、そうしよっか……」


 知ってしまった以上は、もう今までと同じように二人に接する自信がなかった。

 たぶんそれはヴォルフも同じだったんだろう。

 自分が身内だと告げる事よりも真実を隠すことを選んだ。だったら、俺もその選択に従おう。

 重い空気の中で、俺たちはここを立ち去ることを決めた。


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