7 一人と二匹
肩の傷がおおむね癒えた頃、俺は島の人たちに別れを告げてアトラ大陸へと戻る旅路についた。
きっとまたここに戻ってこよう、そう心に決めて一年間お世話になったマルタさんとパトリックさん夫妻へと別れの挨拶をする。
この綺麗な島の優しい人たちのためにも、絶対に世界に起こっている異変を止めなくてはいけない!
そのためにも、まずはリルカに会いに行こう!!
随分と久しぶりに俺の胸は高揚していた
船旅は、特にアクシデントが起こるわけでもなく平穏に進んだ。そういえば前に船に乗って旅したときはテオが酔って大変だったなぁ……とちょっと寂しくなったのは俺だけの秘密だ。
甲板は俺とヴォルフ以外には誰もいなかったので、フェンリルも気分転換にか姿を現していた。
眼下の青い海に精霊フェンリル。その二つは、俺にどうしても一年前の悲惨な記憶を思い起こさせた。
……ヴォルフもフェンリルも何も言わないが、きっともうスコルとハティがいないことには気が付いているだろう。
フェンリルが俺に託したあの二匹の精霊は、一年前俺をかばって消えてしまった。
島にいる時は何度も心の中で二匹に呼びかけてみたが、一度も応答が返ってくることはなかった。認めたくはない、認めたくはないが……一年前のあの日、スコルとハティは死んでしまったんだろう。
……俺を逃がすために。
「あのっ、ヴォルフもフェンリルも……聞いて欲しいんだ」
後に伸ばせば話を切りだし辛くなるだけだ。
スコルとハティを死なせてしまった事についてはどれだけ責められても、例えフェンリルに八つ裂きにされたとしても文句は言えないだろう。
それでも、俺は二人(というか一人と一匹)にどうしても謝らなければならなかった。
「何ですか、急に」
ヴォルフとフェンリルはくるりと俺の方を振り返る。
俺はぎゅっと拳を握りしめると、必死に言葉を絞り出した。
「スコルと、ハティの事……なんだけど」
「あぁ、姿が見えませんね」
ヴォルフは何でもない事のようにそう言った。
……もしかして、ヴォルフは本当にスコルとハティが消えてしまった事に気が付いていないんだろうか。
そう思うと、どうしようもなく申し訳なくなった。
「スコルとハティは……! 俺を、かばって……消えたんだ!!」
なんとかそれだけ伝えると、ヴォルフとフェンリルはぽかん、とした顔をして俺を見ていた。
何言ってんだこいつ……とでも言いたげな顔だ。
信じたくないのはわかる。でも、これは事実なんだ!
「だから……その」
「え……いますよ?」
俺の事は煮るなり焼くなり好きにしてくれ、と言おうとした俺の声は、困惑したようなヴォルフの声に遮られた。
「いるって、何が……」
「だから、スコルとハティですよ」
「はぁ?」
思いもよらない言葉に、思わず間抜けな声を出してしまった。
スコルとハティがいる?
……いやいや、いないから今こうして困ってるんだろ!!
「それがいないんだよ!! 何回呼びかけても出てこないし返事もない!!」
「あぁ……あなたがいたあの島、かなり暑かったじゃないですか。あの子たちはまだ子供だから、ああいう暑い場所では実体化できないんですよ」
「……えぇ?」
ヴォルフは当たり前の事を話すような口調だし、フェンリルも涼しげな顔をしている。
……これはもしかして、俺の勘違いだったのか……?
「じゃあ、スコルとハティは……生きて……」
震えながらそう問いかけると、ヴォルフはそっと傍らのフェンリルの背を撫でた。すると、フェンリルが何かに呼びかけるように遠吠えをした。その途端、今まで初夏の熱気を纏っていた船上は、急に冬が来たかのように冷えはじめる。
そして俺が肌寒さに身を震わせたその時、聞き覚えのある声が俺の頭の中に響いてきた。
『クリスー、ひさしぶりー』
『僕たちはずっと見てたけどねー』
恐る恐る視線を下げると、俺の足元に黒と灰色の毛並みを持つ二匹の子犬がちょこんと座っていた。
「…………うわあぁぁぁぁん!!!」
思わず二匹を押しつぶす勢いで抱きしめる。雪山の精霊らしくひやりとした、それでもふわふわの感触が伝わってくる。
良かった、ちゃんと生きてる!
「俺っ……ずっと、二匹が死んだと思って……!」
ぐすぐす鼻をすすりながらそう声に出すと、ヴォルフが呆れたように笑った。
「僕もそんなに詳しいわけじゃないんですけど、精霊の生死っていうのは肉体の損壊とはあまり関係がないらしいんです。リルカちゃんも一回体がばらばらになったけど生きてたじゃないですか」
「そっか、そうだったな」
そう言えばリルカも精霊だった。あの時も俺はリルカが死んだと思い込んで周りに当たり散らしてたっけ。
我ながら成長が見られないな……。
でも、二匹が生きてたのはめちゃくちゃ嬉しい。言う事を聞かずに勝手に実体化してた時はちょっと鬱陶しいと思っていたけど、いなくなって初めて分かった。
二匹とも、もう家族同然の大切な存在だ。
いくら精霊が死ににくいといっても、もう二度とあんな真似はさせない。
もふもふとした感触を味わいながら、俺はそう強く心に誓った。
◇◇◇
《ミルターナ聖王国南部・港町カンデラ》
船から降りて、しっかりと大地を踏みしめる。
一年ぶりに帰ってきた大地は、聞いていたよりは以前と変わりないように見えた。
「なんかさ、普通じゃない?」
「この町はまだルディス教団の支配下には入ってませんからね」
なるほど、と俺はあたりを見回す。
町を行きかう人には、綺麗な服を着て明るい顔をして歩いている人もいれば、ほとんど着の身着のままのような状態で通りに座り込んでいる人もいた。
「……あの島みたいに襲われた場所から、命からがら逃げてくる人もいるんですよ」
俺は何も言えずに黙り込んだ。
ヴォルフの話によると、そのルディス教団と言う奴らはグラーノ島にやって来た時のように魔物を従え、次々に村や町を襲撃しているらしい。
うまく逃げ出せた人はこうして何も持たない状態で放り出され、逃げ出せなかった人は教団に従うか殺されるかの二択しかない。ひどい話だ。
……こんなひどい状況の中で、一体俺なんかに何かできるんだろうか。
そう気が付けば後ろ向きになりそうになる思考をなんとか振り払う。
そんなの、やってみなきゃわからない。何もできないかもしれない。でも、ここで何もしなければきっと後で後悔するに違いない!
「それで、リルカのアムラント大学にはどうやっていくんだ?」
気分を切り替えるようにそう問いかけると、ヴォルフは大陸全土が乗った地図を俺の方へと手渡した。
「前みたいにアルエスタの西端まで行くと時間がかかるので、まずバルフランカまで行ってから北に向かいフリジア領土へ入ろうと思ってます」
なるほど、船を使わずに陸路を歩いていくということらしい。あらためて地図を確認した俺は、いくつかの町や村に×印がついているのに気が付いた。
「これは?」
「……既に、ルディス教団の支配下に置かれた場所です」
「えぇ!?」
よくよく確認すれば、もう結構な場所が教団の支配下に置かれているようだった。
たった一年、されど一年。
俺のいない間に、ミルターナはかなり危ない方向へ変わっていたようだった。
「もちろん教団の支配地には行けませんから、フリジアへ向かうのにも少し遠回りすることになります」
「……うん」
漠然とした不安を感じながらも、俺は頷いた。
「もう前とは違うんです。あなたも、あまり目立つ行動は避けてください」
「わかってるよ……」
わかっているといいつつも、目立つ行動って何だろうと俺は考えていた。
いきなり街中で大声で叫んだりすることだろうか。俺はそんなことはしたことはない……はずだ。
まあ普通にしてれば大丈夫だよな、と俺は無理やり自分を納得させた。




