5 クリスの決意
泣きながら俺はなんとかマルタさんに事情を説明しようとしたが、そんなのはいいから今日は休めとベッドに戻されてしまった。
泣くっていう行為は結構体力を消耗する。俺はマルタさんに見守られたまま眠りに付き、次に起きた時は朝だった。
陽の光を感じてそっと目を開けると、何故かヴォルフが真上から俺の顔を覗き込んでいた。
…………!!!??
「うわああぁぁぁ!!?」
「……おはようございます」
「え? おはよう……?」
ヴォルフは俺の上げた素っ頓狂な声など気にしていないように、普通に挨拶をしてきた。
あれ、もっとうるさいとかなんとか言うかと思ったのに、意外とリアクションが薄いな。
そんな事を考えていると、俺の声を聞いたのかマルタさんも様子を見に来た。
「おはよう、朝食はもうできてるわよ。さっさと着替えて食べちゃいましょう!」
「…………はい」
昨日までと何も変わらない、優しいマルタさんがそこにはいた。
……それでも、やっぱり彼女たちの優しさにいつまでも甘えているわけにはいかない。
今日こそは、しっかりと今までの俺の事をマルタさんとパトリックさんに説明しよう、そう決意して俺はベッドから立ち上がった。
「後で……話があるので」
「うん…………」
ヴォルフにもそう言われて、俺は固く頷いた。
俺の中で止まっていた時が動き出す、何となくそんな予感がした。
◇◇◇
着替えて部屋を出ると、何故かヴォルフが普通に食卓についてパトリックさんと何か話していた。
一瞬戸惑ったが、マルタさんに席に着くように言われて俺も取りあえずは席に着いた。
「寝癖ついてますよ」
「……後で直す」
ヴォルフは苦笑しながら俺の髪を弾いてきた。
……いやいやお前はなんでそんなに普通にしてるんだよ! なんかこう、もっと何かあるだろ!?
何となくそんな感じの事を言ってやりたかったが、なんと言っていいかわからなかった。
そうしているうちに、マルタさんが朝食を運んできてくれて、ティエラ様へ祈りを捧げて普通に朝食の時間が始まる。
しゃくしゃくとレタスを咀嚼しながら、俺はマルタさんとパトリックさんがヴォルフにいろいろと質問する様子を眺めていた。
一年間優しい夫妻と過ごした場所に、今はヴォルフがいる。
なんだか、不思議な感じがした。
朝食が終わると、いよいよ俺は落ち着かなくなった。
どうしよう、どうやって話を切り出そう……そう迷っていると、そんな俺の様子を察したのかマルタさんがぽん、と手を叩いた。
「それじゃあシレーナ……いいえ、クリス。あなたの事を教えてもらえるかしら」
そう呼ばれて、びくりと体がすくんだ。
そんな俺を落ち着かせるように、ヴォルフが軽く肩を叩いてきた。
「大丈夫ですよ」
「……うん」
もう逃げるのはやめる、それは昨日決めた事だった。
その為に、俺はまずお世話になった二人に自分の事を話し始める。
さすがに元々は男でした! なんてことは言えなかったが、テオと出会った事。ヴォルフやリルカと出会った事。いろいろな場所へ行ってたくさんの人に出会った事。……罠にはまる様な形でテオが、殺された事。
長い時間かけて、俺はマルタさんとパトリックさんの二人に自分の事を話すことができた。
二人はじっと俺の話を聞いていて、話し終わるとパトリックさんがゆっくりと口を開いた。
「シレーナ……いやクリス。……本当に、大変だったね」
「……いいえ、いつも助けられてばかりだったので…………」
あらためて思い返すと、俺はいつも誰かに助けられてばかりだった。自分でも情けなくなるくらいに。
だから、俺は決めた。
奇跡的に助かった命だ。せめて……今度は俺が誰かを助ける為に使おうと。
「マルタさん、パトリックさん……」
一年間お世話になった二人の顔を見据えて、俺は深く頭を下げた。
「今まで、本当にありがとうございました……散々世話になっておいて自分でも勝手だとは思うんですけど……やっぱり、アトラ大陸に戻ろうと思うんです」
そう告げた俺に、マルタさんとパトリックさんは驚かなかった。
だが、何故かヴォルフだけは間抜けな声を上げた。
「……えぇ?」
……ちょっと待て、何でお前が驚くんだよ。
普通そういう流れになるってわかるだろ!
「何だよ、俺が戻っちゃいけないのかよ!!」
「別にいけなくはないですけど……僕は賛成しません」
「何でだよっ!!」
思わず立ち上がった俺に、ヴォルフは冷静に告げた。
「……この一年で、世界は大きく変わりました。ここにも来たように、ルディス教団がどんどん勢力を広めて、逆らうものはどんどん殺されています。……あなたには危険すぎる。一度失敗した以上、奴らはこの島に人員を送り込むのには慎重になるはずです。ここにいれば、しばらくの間は安全にすごせるんですよ」
殺されている、という言葉を聞いて、無数の槍がテオの体に突き刺さった光景を思い出した。
さすがにあんなに派手な処刑は中々ないだろうけど、きっと今もどこかで無実の誰かが危険に晒されているんだろう。
俺には危険……そんなのはわかっている。でも、俺はもう逃げないと決めた。
この島にいればしばらくの間は安全に暮らせるだろう。でも、俺一人だけ安全な場所で過ごすのはもう嫌だった。
俺はヴォルフを睨み付けると、はっきりと告げる。
「……俺は戻る。もう決めたんだ」
「やめた方がいい。……もう、テオさんはいないんですから」
テオがいない。俺たちをいつも助けて、守ってくれた奴はいない。
その事実に胸が痛んだが、だからこそ……俺は戻らなきゃいけないんだ。
「……わかってるよ、テオはもういない。でも……だから、俺は戻りたい。戻って、テオのやろうとしてた事……少しでも叶うように何かしたいんだ!」
テオはドラゴンの癖に、わざわざ勇者になってまで世界を救おうとしていた。
それが過去の贖罪のためだったとしても、俺たちはその志に動かされた。
テオが死んだからテオのやろうとしていた事は無駄になった……そんなのは、絶対に嫌だった。
「お前が反対するなら俺は一人でも戻る。戻って、絶対に世界を救って見せる!」
最初は有名になってちやほやされたいとか、勇者になりたかったのはそんな馬鹿げた動機だった。でも、今の俺は心からそう思っている。
世界のため、自分のため、志半ばで死んでいったテオのため……俺は世界を救いたい。
きっと馬鹿にされるだろう。俺みたいにたいした力もない奴に何ができるんだって。
でも、ヴォルフは笑わなかった。
「…………本気ですか」
「俺はいつだって本気だよ」
そのまま数秒睨みあって、結局折れたのはヴォルフの方だった。
ヴォルフは大きくため息をつくと、かなり疲れたような顔をして俺を睨んだ。
「……大陸に戻るっていうのはわかりました。僕も一緒に戻りますので、間違っても一人で行こうとはしないでくださいよ」
「……うん、ありがと」
ヴォルフは説得できた。後は、マルタさんとパトリックさんだけだ。
「あの……」
あらためて二人に向き直ると、二人も真剣な顔で俺を見つめ返してきた。だが、二人はすぐに困ったように笑った。
「あなたの気持ちはわかったわ。……でも、一つだけ約束してくれる?」
マルタさんはそっと俺の頭を撫でると、小さな声で告げた。
「絶対、生き延びてね。どんな状況になっても、絶対に生きることを諦めちゃだめよ」
マルタさんとパトリックさんは微笑みながら俺を見つめている。その優しさが身に染みた。
一年前、どこの誰かもわからない俺を拾って家族のように親身に世話をしてくれた二人だ。そして、今またアトラ大陸に戻りたいと言う勝手な希望を、反対せずに送り出してくれる人たちだ。
二人には、どれだけ感謝してもし足りない。
「はい……約束します!」
顔を上げてはっきりとそう口にする。
いつか二人には恩返しをしたい。その為にも、俺は生き延びなくちゃダメなんだ。
こうして、一年にもわたる俺の隠遁生活は終わりを告げた。
ルディス教団とか、枢機卿とか、アンジェリカの事とか不安は数えきれないほどある。でも、もう逃げるのはやめる。
変わっていく世界にも、前世を含めた自分自身の事にも、しっかりと向き合っていこう。
この日、俺は確かにそう決意した。




