4 罪と赦し
また、アンジェリカの夢を見た。でも、今日の夢は魔物もドラゴンも出てこない平和な夢だった。
いつも通り二人の仲間……アウグストとクリストフと一緒に買い物をして、食事をして、適当に町に異常がないか見回ってから寝る……、そんな穏やかな一日の夢だった。
アンジェリカにも、こんな平穏な日常があったんだ。
正直、俺がアンジェリカの生まれ変わりなんていうのはこんな夢を見るようになった今でも信じられない。
自分の前世の夢……アンジェリカは、俺に何かを伝えたいんだろうか。
◇◇◇
目を開けると、窓から夕陽が差し込んでいた。
ここは俺に与えられている部屋だ。天井のシミも、揺れるカーテンも見覚えがある。
「…………夢?」
平和なアンジェリカの一日は俺の見た夢だ。
それはわかる。でも、その前は?
いきなり島にルディスの使徒だとか言う奴がやって来て、ヴォルフが現れて、俺は矢に射られて死んだ。
…………ないな、やっぱり夢だったんだ。
そのまま体を起こそうとして、肩のあたりに走った痛みに思わず呻きながらベッドへと倒れ込む。
痛い、肩のあたりがずきりと痛む。そっと触れると、そこには包帯が巻いてあるようだった。痛みの中心は、夢の中で矢で射られた箇所と同じだった。
「夢、じゃない…………!?」
そう言葉にして気が付いた。声が出せる。
混乱していると、そっと部屋の扉が開く音がした。
てっきりマルタさんかパトリックさんが様子を見に来てくれたのかと思ってそちらに顔を向けた俺は、そこにいた人物を見て心臓が飛び出るかと思う程に驚いた。
扉の前では、ヴォルフが目を見開いて立ち尽くしていたのだ。
ヴォルフにとっても俺が起きていたのは予想外だったのか、戸惑ったような表情で俺の事を凝視している。俺も何も言えずに、ただヴォルフを見つめ返すことしかできなかった。
そのまま数秒が過ぎて、先に口を開いたのはヴォルフの方だった。
「あの……クリスさん、ですよね…………?」
何故か自信がなさそうに、ヴォルフはそっと問いかけてきた。
もしかしたら、マルタさんとパトリックさんに俺が記憶喪失だとでも聞いたのかもしれない。
……このまま黙っていれば誤魔化せるかもしれない。
一瞬でもそう思ってしまって、俺は愕然とした。
会いたくなかったわけじゃない、ずっと気になっていた。会いたいと思っていた。
でも……会うのが怖かったんだ。
ここで誤魔化せばこの島での平穏な生活が続くのかもしれない。……いや、あんな奴らが来た時点でもうこの島の平穏なんてものは壊されてしまった。
もう、元には戻れない。
「……うん、久しぶり」
少しだけ目を逸らしながらそう答えると、ヴォルフの肩がびくりと震えた。そのまま、ゆっくりと俺の方へと近づいてくる。
そして、ベッドに腰掛けた俺のすぐ目の前でヴォルフは立ち止まり、ぼそりと呟いた。
「…………生きてたんですね」
――テオは死んだのに、どうしてお前は生きているんだ――
まるでそう責められているように聞こえて、俺の体は勝手にがくがくと震えだした。
わかっていたはずだ。俺はどれだけ責められても仕方がない事をした。
目の前でテオが殺されるのを、ただ見ていることしかできなかった!!
「ぁ……ごめ……俺、なにも……!」
どれだけ謝っても許されることじゃない。それでも俺は謝りたかった。
でも、その謝罪の言葉すらもうまともに出てこない。
射られた方とは逆の肩に手を置かれて、びくりと体がすくむ。
テオを助けられなかったことをなじられるのか、罰として殴られたりするんだろうか。そんな勝手な想像で体がこわばった。
だが、次の瞬間背中に腕を回され、そっと体を引き寄せられる。
そのまま強く抱きしめられて、俺は混乱した。
「あ、あの……」
震える体を慰めるかのように、そっと背を撫でられる。
そして、耳元で絞り出すような声が聞こえた。
「…………あなただけでも、生きていてくれて良かった」
そう言ったヴォルフの声は震えていた。
その言葉を聞いた瞬間、俺は思わずヴォルフの体を引きはがそうとしていた。
「ち、違う! 違うんだ!!」
たぶんヴォルフは勘違いをしている。
俺には、そんな優しい言葉を掛けられるような資格なんてない!
きっと本当の事を知れば、こいつだってそんな事を言うはずがない!!
「俺はテオが殺されるのを見てただけだった! すぐ近くにいたのに!! それに……テオが捕まったのも、元はと言えば俺のせいなんだよ!!」
そう、俺たちがミルターナへ戻って教会に掴まったあの日、きっとテオは俺が人質に取られなければ逃げ出すことができただろう。
俺がもっと警戒していれば、テオについて行かなければ、俺さえいなければ……!!
「だから……責めろよ、俺の事! なんでお前一人だけ生きてるんだって!!」
頭の中がごちゃごちゃになって、俺は頭を抱えてめちゃくちゃにそう叫んだ。
自分一人だけ生き残ったことが許せない。でも、また自分で死を選ぶ勇気もない。
だから、ひたすら誰かに断罪してほしかった。
必死にそう叫ぶと、また体を引き寄せられて抱きしめられる。
そして、たった一言告げられる。
「…………あなたのせいじゃない」
その短い言葉は、的確に俺の胸を突き刺した。
俺のせいじゃない? そんなことあるはずがない。
だって、俺さえいなければ……
「だって、だってっ……!」
「もう、いいから。そんなに自分を責めないでください」
もうわけがわからなくなって、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。背中に回された腕の、暖かな体温がじんわりと心にしみる。
そうなると、もう駄目だった。
誰かに責めて欲しい、断罪してほしい。これは俺が望んでいたことでもある。
でも、気づかされてしまった。
俺は…………ずっと誰かに、こうやって許されたかったんだ。
テオが死んだのは俺のせいじゃないって、誰かにそう言って欲しかったんだ……!
そう気が付いてしまったら、もう耐えられなかった。
「うぅっ……うわああぁぁぁ…………!!」
テオがいなくなった悲しみ、何もできなかった無力感、いろいろな感情が後から後から湧いて出てきて、一年間声が出なかった分を放出するように、俺は子供のように大声を上げて泣いた。
その間、ヴォルフはずっと俺の背を撫で続けてくれた。
まるで涙腺が壊れてしまったかのように涙が止まらなくて、俺はヴォルフの腕の中でみっともなく泣き続けた。
◇◇◇
気が付くと部屋は暗くなっていて、俺はベッドに横になっていた。
目の周りがひりひりと痛んだので泣いたのは確かなようだ。でも、もうヴォルフはどこかに行ってしまったのか部屋の中にはいなかった。
どうやら俺は泣き疲れて寝ていたようだ。
起き上がって頭の中を整理していると、何だか猛烈に恥ずかしくなってきた。
泣き疲れて寝るって赤ちゃんかよ。俺もう十八歳なのに。
やばい、めちゃくちゃ恥ずかしい……。
そのまま一人で唸っていると、小さく音を立てて部屋の扉が開かれた。
おそるおそる顔を上げると、そこにいたのはマルタさんだった。
「マルタさん……」
そう声を掛けると、マルタさんは驚いたように目を見開いた。そこで、俺は気が付いた。
そうだ、俺はこの人の前でこうやって声を出すのは初めてなんだ。
「……少しだけ、ヴォルフ君にあなたの事情を聞いたの」
マルタさんがそう固い声で告げて、反射的に俺の体はこわばった。
ヴォルフがどの程度まで俺の事を話したのかはわからない。でも、きっとマルタさんはわかってしまったんだろう。
俺が記憶喪失なんかじゃなかったって。
「あ、あの……その……」
何とか言葉を絞り出そうとしたが、なんて言ったらいいのかわからなくなってしまった。
呆れられただろうか、一年間もずっと記憶喪失の振りをして、いろいろと迷惑をかけて、なんて失礼な奴なんだと。
何も言えずに俯いた俺のすぐそばに、マルタさんは屈みこんだ。
そして、優しく抱きしめられた。
「……よしよし、ずっと辛かったのね。気づいてあげられなくてごめんね」
その温もりに、否応なく故郷の母さんが思い出される。
俺はずっとマルタさんを騙していたのに、どうしようもなく彼女は優しかった。
その暖かい温もりに包まれて、俺はまた長い時間泣き続けた。




