38 輪廻の果て
――テオが死んだ、俺の目の前で。
その後の事を、正直俺はよく覚えていない。
気が付いたらあの閉じ込められていた部屋に戻されていた。
食事を与えられたような気もするが、食べた記憶はない。
数時間か、数日か。いくらか時間が経った頃、またミランダさんがやって来た。
彼女は俺に服を渡し、その服に着替えるように指示をした。自分で着替えたのか焦れたミランダさんに着替えさせられたのか定かではないが、気が付いたら俺は馬車に乗せられて知らない所を走っていた。
潮の香りが鼻を突く。どうやらいつのまにか海の近くまでやって来たようだ。
そっと馬車の窓から外をのぞくと、海を臨む絶壁に建つ小さな白い城が見えた。
自分の体を見下ろすと、何故か白いドレスを着せられていた。
一体俺はどうなるんだろう。
普段の俺だったらこの後の展開に頭を巡らせただろうけど、なんだかもう全てがどうでもよくなってしまったかのように、頭が働かなかった。
……きっとこれは夢だ。俺が何故かドレスを着ているのも、どこかよくわからない場所へと向かっているのもきっと夢だ。
………………テオが死んだのだって、きっと夢に決まっている。
◇◇◇
馬車は絶壁に立つ城へと向かい、その城のホールへと連れてこられた俺は、何故かそのだだっ広い空間に一人で放置されてしまった。
白を基調とした、シンプルながらも上品な造りの城だ。窓からは蒼く澄んだ海が見える。
……誰もいない、逃げ出すのなら今の内だ。
俺の中の冷静な部分がそう告げていたが、どうにもそこから動く気力が湧いてこなかった。
だってここから逃げて、それからどうすればいい?
ヴォルフとリルカに合流する?
そこで、「俺の目の前でテオは殺されました」とでも報告をするのか!?
そう考えた途端、急に吐き気が襲ってきた。思わず口を手で覆うと、背後から重い扉の開く音がした。
反射的に振り返ると、そこからぞろぞろと何人かの人が入ってくるのが見えた。
それは、とても奇妙な集団だった。
頭の先から足元まで緑色のローブを纏い、顔には真っ白な仮面をつけている。そんな奇妙な人たちを、俺は以前目にしたことがあった。
あれは俺がフリジアからユグランスへと飛ばされる直前、ヴォルフと一緒に錬金術師ルカの家から買い出しに出かけた時に遭遇した奴らが、今目の前にいるまったく同じ格好をしていたはずだ。
言葉も出せずにその集団を見つめていると、彼らの最後尾からこれはまた見覚えがある人物が現れた。
「ジェルミ枢機卿……?」
現れたのはティエラ教会で二番目の権力者……もし、聖王様が殺されたというのが本当なら、実質トップの座に立つ人物……ジェルミ枢機卿だった。
そんな偉い人だけど、俺はその人を直接見たことがあった。
ラヴィーナの街の大聖堂がドラゴンに襲われた際に、枢機卿もたまたまそこに居合わせたのだ。ミランダさんがやたらと枢機卿に気を使っていたのを俺は覚えている。
枢機卿は他の人物とは違い緑のローブも真っ白な仮面も付けていなかった。ティエラ様の紋は見えないが、立派な僧服に身をつつんでいる。
彼は立ち竦む俺の数歩前まで歩み寄ると、唐突にその場に跪いた。
「えっ!?」
「…………あぁ、どれだけこの日を待ちわびた事か! お会いしとうございました。我が愛しの聖乙女よ……!!」
枢機卿はそんなわけのわからない事を呟くと、熱に浮かされたような顔で俺を見上げた。
俺は一気に困惑した。
いったいこの人は、何を言っているんだ……?
「え、あの……」
「私です、ニコラウスです! おわかりになりませんか!?」
枢機卿は期待を込めた眼差しで俺を見つめている。しかし、俺は枢機卿の名前まで意識したことはないし、この人とプライベートで知り合った事はない。
……そこで一つの可能性に思い当たった。
この人が会いたかったのは、俺じゃなくて俺と入れ替わったあの女――レーテじゃないのか?
「あの、人違いじゃ……」
「いいえ、私が貴女を間違えるはずなどありえません!」
「お、俺……実はこの体の本当の持ち主じゃなくて……」
何を言っているんだ、と言われるのを承知で、俺はそう告げた。
もう頭が混乱して、何を言っていいのかわからなかったのだ。
「……ええ、存じております。リグリア村出身のクリス・ビアンキご本人でしょう?」
「……ぇ?」
俺は思わず一歩後ずさった。
おかしい、ティエラ教会内でリグリア村のクリス、として扱われているのは、俺と入れ替わったレーテのはずだ。
俺とレーテが入れ替わったことは、教会内には知られていないはずだ。
それなのに、どうして……。
「いくら姿かたちが変わろうと私が貴女を見まがうはずがありません、唯一の輝きを放つその魂こそが、私の探し求めていた貴女そのものなのですから!!」
そう言うと、機卿は立ち上がり、にやりと笑みを浮かべた。
そして、俺にそう呼びかける。
「えぇ、そうでしょう………………アンジェリカ!」
その瞬間、頭がずきんと痛んだ。
ちょっと待て、こいつは何を言っている……!?
俺の知ってるアンジェリカとこいつの言っているアンジェリカが同一人物なのかどうかはわからない。
でも、俺が知っているアンジェリカはあの夢の中に出てくる赤い髪の女性だけだ。
彼女はテオ曰く百年以上も前の人らしい。
なんでそんな人と俺を間違えたりするんだ……!?
「アンジェリカって…………」
「……やはりまだ混乱されているのですね。無理もありません。……おい、聖櫃をこちらへ!」
困惑する俺を置いて、枢機卿は背後に控える仮面集団に何かを命じた。すると、仮面集団は人ひとり入りそうなほどの美しい棺を運んできた。
枢機卿は俺の目の前までその棺を運ばせると、仮面集団に下がるようにと指示を出す。そして、俺の目の前でゆっくりと棺の蓋を開いた。
「っ…………ひぃっ!!」
その中に入っていたモノを見て、俺は思わず小さく悲鳴を上げてしまった。
つややかに流れる美しい真紅の髪に、白磁の肌。閉じられた瞳の色はうかがえないが、俺の記憶通りならきっと美しい翡翠の色をしているのだろう。
そこには、いつかテオの記憶で視たアンジェリカの体が納められていたのだ。
「な、んで…………!?」
「残念ながら本物ではありませんよ。ホムンクルス、というものでしてね。貴女もよくご存じでしょう? 魂を収めることができれば、人間と寸分たがわず動く人形です」
枢機卿は探るような目で俺を見ていた。
もしかして、こいつはリルカの事を、あの子が精霊の魂を収めたホムンクルスだっていう事も知っているんじゃないか。俺はそんな疑念に取りつかれた。
「どんな器であろうと貴女は貴女。……ですが、きっと元の体に近い器の方が貴女も落ち着かれるのではと思いましてね」
「元の、体……?」
「えぇ、私の記憶の通りに作らせましたので、多少違いはあれど間違いなくアンジェリカ、貴女の器として機能するはずです」
枢機卿はやわらかな笑みを浮かべると、俺に向かって手を差し伸べた。
「さぁ、また貴女と私の二人でやりなおしましょう! アンジェリカ!!」
……まったくわけがわからない。わからないけど……なんとなくこの枢機卿が俺の事をテオの記憶に出てきたアンジェリカと勘違いしているのだという事だけはわかった。
一体何がどうしてそんな思い違いをしてしまったのかはわからないが、俺はアンジェリカじゃない。
「……悪いけど、人違いだ」
「いいえ、貴女は私のアンジェリカです」
「違う! よく考えろよ!! アンジェリカは百年以上も前の人で……」
「どれほど時を得て、どんな存在に生まれ変わろうと、わたしが貴女を間違えるはずがありません」
枢機卿ははっきりとそう告げた。
その言葉を聞いた途端、頭をがつんと殴られたような衝撃が俺を襲う。
……今、こいつは何て言った?
「生まれ、変わり……?」
「ええ、百年もの時を経て、貴女は私の元へと戻ってきてくださったのですよ。不覚にも最初にお会いしたときには気づくことができませんでしたが、やはり貴女はその力を顕現させた! あぁ、アンジェリカ……例え輪廻の輪に引き裂かれようとも、貴女と私はこうして巡り会う運命にあるのですよ!!」
枢機卿は恍惚とした表情を浮かべて、俺を凝視している。
――俺が、アンジェリカの生まれ変わり――
そんなわけない。アンジェリカはテオの記憶の中に残っているずっと昔の女性で、俺はただその記憶を夢として視ていただけで……
そこまで考えて、俺は初めて気づいた。気がついてしまったのだ。
あれがテオの記憶だったという割には、俺が視たアンジェリカの夢にテオが出てくることは一度もなかった。
……そんなの、おかしいじゃないか。
それに、テオの記憶だというのなら、俺は夢でもテオの視点に立ってなきゃおかしくないか……?
だが、俺が視る夢では、常に俺はアンジェリカに憑依したような状態になっていた。
――まるで、アンジェリカ自身の記憶を視ているかのように。
アンジェリカは死んだ人間だ。
そんなアンジェリカの記憶を視ることができるのは…………魂の記憶を引き継いだ、彼女の生まれ変わりである存在だけのはずだ。
そう、気づいてしまった。




