34 新たな異変
やって来たヴォルフの姿を見て、俺はちょっとどきっとした。
やっぱり本人のいない所で秘密を話してしまったはよくない気がする。ちょっと後ろめたいな。
「皇子と何か話してたんですか?」
「えっ!? いやあの……オリヴィアさん大丈夫かな、とか……!」
慌てて取り繕うとヴォルフは少しだけ不審そうな顔をしたが、それ以上は追及してこなかった。
よかったよかった、今のうちに話題を変えてしまおう。
「おまえこそ、オリヴィアさんと何話してたんだよ」
「そんな大した話はしてませんよ。ただ、もうこの屋敷を去っても問題ないかどうか確認しただけです」
「そっか……」
シュヴァルツシルト家と仲が悪いらしいヴァイセンベルク家のヴォルフはもちろん、俺たちだっていつまでもここにいたらきっと邪魔だろう。早いうちにここを辞してしまったほうがいいのかもしれない。
「まあ、シュヴァルツシルト家も一気に息子二人がいなくなって大変でしょうけど……変わりはいくらでもいます。何とかなりますよ」
……なんか優しいのか冷たいのかよくわからないな。
確かにシュヴァルツシルト家自体はなんとかなるかもしれないけど、アルフォンスさんはもう戻ってこないんだ。
……アルフォンスさんの事を考えると、やっぱりどうにかして助けられなかったのかな、と考えてしまう。
彼は最後に自分を殺してくれと願った。その願いどおり、オリヴィアさんはアルフォンスさんにとどめを刺した。
それは、正しい事だったんだろうか。
……もし俺なら、一体どうしただろうか。
「……なぁ、もし俺がアルフォンスさんみたいに変な化け物になったらどうする?」
一人で考えていても答えは出ない。俺はちょうどそこにいるヴォルフに聞いてみることにした。
ヴォルフは俺の問いかけに明らかに怪訝そうに眉をしかめた。
……いきなりこんなこと聞けばそうなるよな。
「何ですかいきなり…………まあ、何とか助けられる方法を探すと思いますけど」
「もし、もしもの話で……どうしても助けられなくて、俺が殺してくれって頼んだらどうする?」
あんなことがあった直後で、こんな話をするなんてどう考えても無神経だ。
でも、俺は今聞いておきたかった。この心のもやもやを何とかしたかったんだ。
ヴォルフは俺の問いかけにちょっと驚いたように目を見開くと、急に後ろを振り返ってあたりを確認し始めた。
まるで、誰もいないのを確かめているように。
「そうですね、どうしても助からないのなら……」
ヴォルフは一歩近づくと、俺の方へと手を伸ばしてきた。
そして、「何?」と聞く暇もなく、強い力で首を絞められる。
「ちょっ……、苦しっ……!」
「どうしても助けられないのなら……僕がこの手で殺します」
冷たい声でそう告げると、ヴォルフはすぐに俺の首を絞めていた手を離した。
どくどくと心臓が早鐘を打っている。はぁはぁと息が荒くなり、生理的な反応で体が震えた。
でも、不思議と心は落ち着いていた。
「そっか、そういうことか……」
もし俺がアルフォンスさんのように自分で自分を制御できない化け物になってしまったとして、元に戻れないことはすごく怖い。
でも、一番怖いのはリルカやテオ……大事な人を自分の手で傷つけて、取り返しのつかなくなってしまう事だ。
もしそうなる前に誰かが殺してでも止めてくれると言うのなら、それはある意味幸せな事なのかもしれない。
だから、俺はヴォルフが自分の手で殺すと言った時に、不思議と安心した。首を絞められてるような状況でも、確かに安心したんだ。
……そうか、アルフォンスさんもこんな気持ちだったのかもしれない。
「ありがと、ちょっとすっきりした」
「……いきなり自分の特殊性癖を暴露しないでもらえますか」
「だからっ! そういうことじゃなくて!!」
何か変な勘違いをされているようなので俺は慌てて否定した。
首を絞められて喜ぶ変態だなんて、周りに言いふらされたら大変だ!
「……おまえ、ちょっとあの叔父さんに似てきたな」
「はぁ!? やめてくださいよ!!」
そういえば、ヴォルフの叔父であるグントラムにもいきなり首を絞められて殺されかけたことがあった。
あまり考えたくはないが、ヴァイセンベルク家自体にちょっとそういう気質があるのかもしれないな……と、俺は内心そんな失礼極まりない事を考えていた。
すると、窓の外の庭園のあたりがにわかに騒がしくなってきた。
見れば、人が集まり何やら真剣な顔で話し合っていた。中には慌ただしく走り回っている人もいる。
「……何かあったのか?」
「とりあえず行ってみましょう」
途中でリルカとも合流できたので、俺たちは急いで人の集まる中庭を目指した。
◇◇◇
中庭に着くと既にテオはそこにいて、オリヴィアさんとヴィルヘルム皇子と何やら神妙な顔で話し合っていた。
「テオ! 何があったんだ?」
慌てて駆け寄ると、テオは珍しく神妙な顔をしながら俺たちを振り返った。
「……リルカもいるな。おまえ達……落ち着いて聞いてくれ。フリジアのアムラント島で、大規模な暴動が起こっているらしい」
「えっ!?」
その知らせを聞いて俺たちは驚いた。中でもリルカは小さく悲鳴を上げて息を飲んだ。
ちょっと待て、アムラント島って言ったら俺がこの国に飛ばされるまでいた場所じゃないか!
あそこにはいろいろお世話になったフィオナさんにレーテの妹のイリス、リルカの生みの親ともいえる錬金術師のルカとその弟子もいるはずだ。俺たちがいた時も変な魔道士に襲われてパニック状態に陥っていたが、少なくとも俺が飛ばされる直前には騒動は収まっていたはずだ。
それなのに、暴動って何があったんだよ!?
「おい、どういうことなんだよ!!」
「詳しい事はわからん。ただ、信用できる情報筋ではあるらしい」
「……申し訳ありません。詳細な情報は入っていないのですが、暴動が起こったのは確実かと」
オリヴィアさんも堅い表情で同意した。
やっとシュヴァルツシルト家で起こった異変が収まったと思ったらまた事件か!
一体なんだっていうんだよ!!
「あのっ、みんなは……無事で……?」
リルカは必死な表情でそう口に出したが、テオは黙って首を横に振った。
「個人の安否まではわからんな。……とにかく、一刻も早くフリジアへ向かおう」
テオは真剣な顔でそう告げると、オリヴィアさんとヴィルヘルム皇子の方へと向き直った。
「……こんな状況の中済まないが、オレ達はフリジアへ向かわせてもらう。オリヴィア、お前の婚約者を救えなくて済まなかった」
テオが深く頭を下げると、オリヴィアさんは慌てたようにテオの肩へと触れた。
「顔をあげてください。あなたは約束通りわたくしの事を守ってくださったではありませんか」
顔を上げたテオに、オリヴィアさんは優しく微笑みかけた。
「……オリヴィア・グリューネヴァルト、このご恩は一生忘れませんわ」
オリヴィアさんは優雅に一礼すると、しっかりとテオの手を握りしめた。
「今は何もできなくて口惜しいですが、是非とも次にこの国にいらした時にはグリューネヴァルト家にお立ち寄りください。必ずや恩返しをさせていただきます」
「そうだな、王宮にも来てくれ。待ってるよ!」
……オリヴィアさんはともかく、便乗したヴィルヘルム皇子のは冗談なのか本気なのか分かり辛いな。
一般人からすれば王宮に立ち寄るとかハードルが高すぎるんだよ!
「よし、では早速出発するか!」
「は、はいっ!」
テオの呼びかけにリルカは必死な顔で何度も頷いた。
俺だってフリジアのみんなの事は心配だが、リルカにとっては今の体を作り上げた錬金術師のルカと、精霊の家族と、師匠同然のフィオナさんがいるんだ。きっと心配でたまらないんだろう。
幸い今俺たちのいるラーベシュタットの街からアムラント島は国境をまたぐとはいえさほど離れてはいない。急げばそんなに時間はかからないだろう。
俺たちが最後にオリヴィアさんとヴィルヘルム皇子に別れの挨拶をしていると、遠くから息を切らせた声が聞こえてきた。
「で、伝令です!」
「何事だ! フリジアの続報か!?」
シュヴァルツシルト家の当主が飛び出してきて、息を切らせた伝令へと駆け寄った。
俺たちも思わず押し黙って次の言葉を待つ。きっとその場に居る誰もがフリジアの暴動に関するものだと思っていただろう。
だが、伝令の口から出てきたのは想像もつかない言葉だった。
「い、いえ……ミルターナからの報です!」
「ミルターナだと……? 一体何があった」
聞こえてきた言葉に俺は思わず自分の手を握りしめた。
ミルターナと言えば俺の生まれ故郷だ。ドラゴンに襲撃されたり魔物に襲撃されたり平和とは言い難いけど、こんな遠く離れた地の貴族にまで報告が届くような事態でも起こったんだろうか。
嫌な予感に胸がざわめく。
伝令は大きく息を吸うと、緊張しきった顔で一気にまくしたてた。
「ミルターナのティエラ教会内部でクーデターが起こり、聖王エドモンド4世聖下が弑逆されたと……」
伝令は震えた声でそう告げた。
瞬間、その場に居た皆が息を飲み、まるで時間が止まったかのような静寂が訪れた。
俺も一瞬、告げられた言葉の意味を理解できなかった。
弑逆っていうのは殺されることのはずだ。そうすると、エドモンド4世聖下……ミルターナで一番偉い人、ティエラ教会のトップが殺された。
教会内部のクーデターによって。
「…………ぇ?」
知らずに足が震える。だって、聖王っていうのはティエラ教会で一番偉い人で、俺も小さい頃から常に日々聖王様に感謝しなさいと言われて育ってきたんだ。
そんな人が教会内部の反乱で殺された? そんなこと、とてもじゃないけど信じられない。
もしそれが事実だとしたら、ミルターナという国自体の存続が危うい事態のはずだ。
だって、明日から俺たちは何を信じて生きていけばいい?
父さん、母さん、教会学校の先生、旅の途中で出会った人たち……みんな、大丈夫なんだろうか……?
「我が息子の不祥事に加えてフリジアの暴動にミルターナのクーデターだと!? いったいこの世界に何が起こっているのだ!?」
シュヴァルツシルト家の当主が混乱したように叫んだ。
きっと、それはその場にいた皆同じことを思ったんだろう。




