6 精霊契約
「明日、北狼山へ向かう」
勢いよく扉を開け放したヴォルフは、開口一番そんなよくわからない事を言いだした。
「それは、また急な……」
フリッツが呆気にとられたように呟く。
何なんだよ、俺には二人が何の話をしてるのかさっぱりわからない!
「その北狼山ってなんなんだよ! ていうかお前怪我してるのに、どこ行こうとしてるんだよ……!」
さっきから普通に立ち上がったり走ったりしているが、ヴォルフはあのグントラムに脇腹を貫かれていたはずだ。いくらなんでもこんな短時間で回復するとは思えない。
ヴォルフは俺の問いには答えずに、逆にまったく別の話を切り出してきた。
「クリスさん、シーリンさんの成人の儀を覚えていますか?」
「う、うん……なんか食材とか探したやつだろ?」
もうけっこう前の話だ。
あの時は草原に暮らす獣人の女の子、シーリンと一緒にジャングルに行ったり鉱山に行ったり……散々な目にも遭ったけど、今となればいい思い出だ。
でも、シーリンの成人の儀が今何の関係があるんだろう。
「ユグランスにも似たようなしきたりがあって、その儀式を済ませないと一人前とはみなされないんです。まあ、いまどき律儀にそんな事やってるのは六貴族ぐらいなんですけど……」
「じゃあ……」
さっきグントラムが言ってた「正式なヴァイセンベルクの人間と認められていない」っていうのは、まだその儀式を完了していないという事なんだろうか。
俺の考えたことが分かったようで、ヴォルフはしっかりと頷いた。
「そう、僕はまだ儀式を済ませていないので、あの人は僕の話を聞こうとしない……だから、明日儀式を済ませてきます」
「そっか……」
その儀式とやらを終えれば、グントラムもまともにヴォルフの話を聞くようになって、俺の身の潔白も証明されるという事なんだろう。
……正直、儀式を済ませたからといってあの人がまともに俺たちの話を聞くかどうかは疑わしかったが、今はそれに賭けるしかない。
「……でも、その儀式って何するんだ?」
シーリンたち猫族の場合は珍しい木の実を取って来て、一族の戦士と戦って勝ったら成人として認められる……みたいな感じだった気がする。
木の実をとってくるならまだしも、怪我をした状態の今のヴォルフが誰かと戦うなんてことになったら大変だ。
ましてや、もしその相手があのグントラムだったとしたら……。
そう心配になって問いかけたが、ヴォルフは黙っていて何も答えない。
長い沈黙の後、小さくため息をついたフリッツが口を開いた。
「この地に棲まう、高位の精霊と契約を結ぶのですよ」
「精霊と、契約……?」
精霊と契約を結び、自在に操る事の出来る人がいるというのは俺も知っている。
だが、そもそも精霊が何なのかすらよくわからない俺にとっては遥か遠い世界の話だった。
契約って具体的に何をするのかよくわからないが、それって危ない事じゃないんだろうか。
「お前、怪我してるのに大丈夫なのかよ」
「……平気です。すぐに済ませますので、あなたはここで待っていてください」
ヴォルフは迷いなくはっきりとそう言ったが、逆にその態度が何かを隠しているようにも見えて俺の胸が嫌な感じにざわめいた。
「……平気って、嘘だろ。……フリッツ、どのくらい危険なんだ」
「六貴族が契約するほどの高位の精霊となると、死者が出た例も過去には見られます。ヴォルフリート様が向かう北狼山に棲む精霊もかなり危険な存在だと伺っております。事実ヴォルフリート様も、何回もその精霊に殺されかけていますから」
「…………え?」
「フリッツ!」
ヴォルフが焦ったようにフリッツの名を呼んだが、俺はもう聞いてしまった。
死者が出たこともある? 危険な存在? 何回も殺されかけている……!?
「駄目だってそんなの!! 危なすぎる!!」
「……大丈夫です」
「だって何回も死にかけてるんだろ!?」
「もう昔の僕とは違うっ!!」
ヴォルフは激高したように叫んで、止めようと伸ばした俺の手を叩き落とした。
……何だよ、それ。
俺はむかついた。非常にむかついた。
今のヴォルフは完全に頭に血が上っている。とてもじゃないけど冷静な判断ができているとは思えない。
「おらぁ!」
「っ!? 痛ぁっ……!」
隙をついて貫通していたはずの脇腹を軽く小突くと、ヴォルフはひざを折ってその場に崩れ落ちた。
そら見ろ、やっぱり平気なわけないじゃないか!!
「落ち着けよ! お前がその精霊に殺されたら、自動的に俺もお前の叔父さんに処刑されるんだぞ!!……もっとじっくり考えた方がいいって」
今のヴォルフは万全の状態じゃない。
頭に血が上った状態でその精霊の所に行っても、絶対にうまくいくわけがない。
だったら、もっとよく考えるべきだ。俺たちが生き延びる道を。
「そんな危ない精霊じゃなくてさ、他にいるだろ? もっと優しそうな精霊……そうだ! リルカだって精霊なんだよな!?」
数少ない俺の知っている精霊は、みんな人間を救おうと協力をしてくれた。
そういう精霊もいるんだから、わざわざ危険な精霊の所になんて行かなくてもいい気がする。
それに未だに俺にもよくわからないのだが、リルカだって精霊の魂を持っているという事らしい。
リルカに頼んで契約してもらえば、わざわざそんな危ない橋を渡る必要なんてないじゃないか!!
そう思って提案したのだが、ヴォルフは悔しそうに首を振った。
「精霊ならなんでもいいという訳じゃないんです。ある程度高位の精霊じゃないとヴァイセンベルク家は認めてくれない。それに精霊には相性というものがあって、その相性が合わないと契約自体不可能なんです。……僕は、リルカちゃんにそういった物を感じたことはない」
「でも、もっと安全そうな精霊を探した方が」
「今から一週間では無理です」
「そんな……」
八方ふさがりだ。でも、ここにいても一週間後に俺は殺される。
やっぱり、その危険な精霊の元に向かうしかないんだろうか。
そうだとしたら……
「わかった、俺も行く!」
そんな危ない所に一人でなんて行かせられるわけがない。
生意気な事ばっかり言うけど、こいつはまだ十五歳の子供だ。
俺にできることなんてそう多くはないけど、どうしても危なくなった時に無理やり連れて帰るくらいなら、たぶんできるだろう。
そう思って宣言したのだが、肝心のヴォルフには思いっきり反対されてしまった。
「はぁ!? 何言ってるんですか! だいたいあなた侵入者としてここに軟禁されてる状態なんですよ。外になんて出れるわけ……」
「構いませんよ。もちろん、監視は付けさせてもらいますが」
意外にも、そう答えたのはフリッツだった。
彼はどこか興味深そうに俺たちのやり取りを眺めている。
「ほんと!? やった!!」
「おい、フリッツやめろ! 何言ってるんだ!!」
ヴォルフは慌てているがもう遅い。もう俺も行くのは決定事項だ。
「やめてください! 危険すぎる!!」
「ここに残ってても危険なのは同じだろ! お前がいないと、いつあの人の機嫌が変わって殺されるかもわからないのに!?」
グントラムが一週間という期限を守る保証なんてどこにもない。
フリッツは俺の事をヴォルフを動かすための駒だと言った。
だったら、ヴォルフが精霊と契約しに行った時点で用済みとみなされて、すぐに殺される可能性だってないわけじゃないんだ。
「それはそうですけど……」
「お前、まだ怪我してるじゃん。俺だって治癒魔法くらいなら使えるし」
その後も渋るヴォルフを説得し続ける事数時間。
陽が暮れはじめた頃になって、やっとヴォルフは諦めたようだった。
「……わかりました。でも、くれぐれも危険な真似はやめてください」
「大丈夫だって! 余裕余裕!」
不安そうなヴォルフとは対照的に、俺は久々に外に出れる事に浮かれていた。
精霊契約がどのくらい大変な事かは知らないけど、きっと何とかなるだろう!!
フリッツはそんな俺たちの様子を、感情の読めない瞳でずっと観察していた。
◇◇◇
翌朝、さっそく出発しようとした俺たちの所へ、フリッツは四人の屈強な兵士を連れて来た。
皆一様に鈍くきらめく鎧に身をつつんでいる。重くないんだろうか。
「彼らが今回の監視役として同行します。殺害許可は出していますので、逃げようとした時点でそれなりの対処をされることを頭に入れておいてください」
「…………はい」
実はこっそり隙をついて逃げれないかな、とかちょっと考えていたのだが、この様子だと無理そうだ。
こんな慣れない山の中で、屈強な男数人から逃げ切る自信はとてもじゃないけど持ち合わせていない。
こうして俺たちはフリッツに見送られる中、北狼山へ向けて出発した。
北狼山はここより更に北にある山で、急いでも数時間はかかる距離らしい。
こんな雪が積もった山を歩くのには慣れていないが、文句は言ってられない。
城が見えなくなったあたりまで歩いた所で、兵士の一人がぽつりと口を開いた。まだ若い男だ。
「それにしても……」
兵士は俺とヴォルフの方へと顔を向けると、途端に嬉しそうに破顔した。
「ヴォルフリート様大きくなりましたね! 前はあんなに小さかったのに!!」
「そうそう! 俺驚きましたもん!!」
「隣の方は彼女ですか?」
「北狼山に行くの久しぶりですねー。まあヴォルフリート様なら大丈夫ですよ!!」
最初に口を開いた兵士を皮切りに、四人の男達は一斉にヴォルフを質問攻めにし始めた。
「…………は?」
「気にしないでください。みんなグントラムの元で抑圧されているので、たまに解き放たれるとこうなんです」
ヴォルフがそう言って一人一人に応えていくのを、俺は呆気にとられて見ていた。
あの城の人たちは皆冷たい人ばかりなんだと思っていたが、どうやらそうでも無いようだ。
この兵士たちは結構……というかかなり友好的な感じがする。
俺は安心した。監視なんて言われたからもっと息苦しい状況を想像していたけど、意外とそうでもなさそうだ。
「あっ、でも間違っても逃げようなんて考えないでくださいね。殺さなきゃいけなくなるんで」
「万が一逃げられでもしたら、俺たちの首が城門に並ぶことになるんですよー」
男達はそう言うと、はははっと軽く笑った。
「そ、そうなんですか……」
内心冷や汗をかきながら俺はそう返した。
どこからが冗談で、どこからが本気なのかなんてわかったもんじゃない!!




