4 血縁
「大口を叩いておいてこれか。他愛もない」
男はヴォルフのすぐそばまで近づくと、その体を勢いよく蹴り飛ばした。
ヴォルフは抵抗する暇もなく地面に叩きつけられ、ごぽりと血を吐いた。
更に男は地面に倒れた体を踏みつけようとしたので、俺は無我夢中でその足にしがみついた。
「や、やめて……!!」
男が冷たい目で俺を見下ろす。体がみっともなく震える。
自分が殺されるかもしれないという恐怖と、目の前の誰かを失ってしまう恐怖が混ざりあった。
「これ以上やったら……死んじゃう……っ!!」
地面に倒れたヴォルフはぴくりとも動かない。その体からはおびただしい量の血が流れ出ている。
誰が見ても命が危ない状況だと分かるだろう。
すがりつく俺を、男はまるでゴミでも見るような目で見ている。それでも俺は必死に懇願した。
すると、男は俺を見下ろしたままにやりと笑った。
「ならば、貴様が代わりに死ぬか?」
男は剣先をぴたりと俺の首筋に当てた。少しでも動かせば俺の命はそこで終わってしまうだろう。
きっと、俺がそうしてくださいと言えばすぐにでも殺される。でも、そう言わなければヴォルフが死ぬ。
迷ったのは一瞬だった。
「代わりに……殺して、ください」
俺は震えながらも何とかそう絞り出した。
元々、こんなことになってしまったのは俺がこんな所に飛ばされたからだ。
ヴォルフは単に俺を探しに来てくれただけで、本来ならこんな目に遭うはずじゃなかった。ここで無残に殺されていいはずがない。
……だったら、ここで死ぬのは俺の方だろう。
「殊勝な心がけだな。……いいだろう、今すぐ首を跳ねてやる」
男が剣を振り上げたのが見えて、俺はぎゅっと目を瞑った。
……一瞬の間に、いろいろな事が頭をよぎった。
父さん、母さん、テオ、リルカ、レーテ……それに、今までに出会ったたくさんの人たち。
でも、数秒たっても覚悟していた衝撃は訪れなかった。
そっと目を開ければ、血まみれのヴォルフが素手で男の剣を掴んでいるのが見えた。
その手からも、おびただしい量の血が流れている。
「……糞野郎がっ!」
「ほぉ、まだ動けたのか。ならば仕方ない」
男はヴォルフを振り払うと、空に向かって左手を掲げた。
「来たれニーズヘッグ! その怒りを解き放ち、罪人を切り裂いてみせよ!!」
男がそう唱えた途端、雪交じりの風が強く吹き付けた。風は男のすぐ横に渦を巻くようにしてとどまり、次の瞬間には、黒く巨大なヘビがその場に佇んでいた。
つややかな鱗を持つそのヘビは、見たこともないほど美しかった。
そして、そのヘビに睨まれた俺はどうしようもない絶望感に捕らわれた。
目の前のヘビはどう見ても普通のヘビじゃない。どれだけあがいても、人間の俺たちが太刀打ちできる存在じゃない。
一瞬でそうわかってしまった。
「やれ」
男が短く呟くと、息を突く間もなくヘビがヴォルフに襲い掛かった。ヘビの鋭い牙がヴォルフの体に触れた瞬間、ヴォルフの体はまるで糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちた。
ヘビの視線が俺に向く。
もう、逃げる気すら起こらなかった。
そんな時、場違いに落ち着いた声がこの場に降ってきた。
「ご主人様、その辺りになさってはいかがでしょうか」
ぼんやりとした光にあたりが照らし出される。
灯りを持ち、ゆっくりとこちらに歩を進めて来たのは、いつか俺にこの城の事を教えてくれた若い男――フリッツだった。
「フリッツか。何の用だ」
「城内が騒がしくなってきています。この辺りで収拾をつけた方がよろしいかと」
「……ふん」
先ほどまで俺たちを殺そうとしていた男は、フリッツの言葉を聞くと何も言わずに踵を返した。いつの間にか、黒いヘビも消えていた。
俺は呆然とフリッツを見上げた。
なんだろう、さっきのご主人様に代わって、こいつが俺を殺すんだろうか。
「さあ、行きますよ」
だが、予想に反してフリッツは俺に声を掛けると、血まみれのヴォルフの体を持ち上げた。
「え…………?」
「何をしているのです。早く城内に戻りますよ」
「あの、ヴォルフは……」
「ヴァイセンベルク家の方はこのくらいでは死にません。今から処置すれば十分間に合います」
それだけ言うと、フリッツはヴォルフを肩に担いで城の方へと歩き出した。
俺はぐすぐすと泣きながらその後をついて行った。
もう何が何だかわけがわからない。
でも、俺もヴォルフも生きてる。それだけで涙が止まらなかった。
◇◇◇
「……生命の息吹よ、どうか彼の者に力を与えん。“癒しの風”」
気合を入れて治癒魔法をかけてみたが、ヴォルフの容体は変わったようには見えない。かすかな呼吸が感じられるのみだ。
あの後、フリッツはヴォルフを城内のちょっと豪華な部屋に運び込むと、すぐに医者を呼んで手当をさせた。
とりあえず処置が済み医者もいなくなった後、ダメもとで治癒魔法をかけたいとフリッツに申し出ると普通に許可され、押収されていた杖も返してもらえた。
……さっきまでは殺されかけていたのに、この待遇は何なんだろう。
そっとヴォルフの額に触れると、まるで氷でも触っているかのように冷たかった。
呼吸しているのがわからなかったら、死んでいるんじゃないかと思うくらいだ。
「何で……体温が戻らない……!」
部屋は暖炉に火を焚いて暖かくしてるし、分厚い毛布だって掛けているのに、いつまでたってもヴォルフの体は冷たいままだった。
「おそらく、ここに来る途中で力を使いすぎたのでしょう。まったく、ヴォルフリート様も無茶をされる……」
部屋に残っていたフリッツがヴォルフの様子を確認しながらそう呟いた。
「その、ヴォルフリート様ってなんなんだよ……こいつのこと知ってるのか……?」
たぶんヴォルフのことを言ってるんだという事はわかる。
あの俺たちを殺そうとした男とも面識があるような雰囲気だったし、一体この場所とヴォルフの間には何があるんだろう。
「おや、ご存じないのですか?」
そんな疑問をぶつけると、フリッツは意外だとでも言いたげな顔をしてじっと俺の顔を見つめた。
俺が頷くと、彼はちらりとヴォルフの方へ視線をやった。
「……あなたには知られたくなかったのかもしれませんね」
「だから、何がっ!」
奥歯に物が挟まったような言い方をされて、思わずいらっと来てしまった。
俺だってここに来て散々ひどい目に遭ったのに、何もかも隠されるなんてひどすぎる!
そう詰め寄ると、フリッツはふぅ、と小さくため息をついた。
「まあいいでしょう。この方は……」
「いい、フリッツ」
固唾をのんでフリッツの次の言葉を待っていると、俺の背後からはっきりとした声が聞こえた。
「ヴォルフ!?」
慌てて振り返ると、さっきまで寝ていたはずのヴォルフが腹を抑えながら起き上がろうとしていた。
お前、腹に穴空いてるのに何考えてるんだよ!!
「自分で話すから」
「馬鹿、寝てろって!!」
そのまま体を起こしたヴォルフをまた寝せようとしたが、逆にその手を掴まれてしまった。
「クリスさん、大事な話がありますので真剣に聞いてください」
「…………うん」
剣呑な雰囲気に思わず頷いてしまったがなんだろう。俺はいつだって真面目なつもりだけど、そんなにふざけた奴だと思われているんだろうか。
「フリッツ、席を外してくれないか」
「申し訳ありませんが、私はご主人様よりあなた方の監視を仰せつかっておりますので」
「………………」
「………………」
ヴォルフは無言でフリッツを睨み付けたが、フリッツも一歩も引く様子はない。
そのまましばらく二人は睨みあい、結局折れたのはヴォルフの方だった。
「……まあいいか。それで、クリスさん」
「な、何だよ」
ヴォルフが真剣な顔をして俺に向き直ったので、思わず構えてしまう。
そんな俺の事など気にしていないようにヴォルフは続けた。
「……この城と、ヴァイセンベルク家の話は聞いていますか」
「ヴァイセンベルクっていう家があって、ここがその家が管理してる城って事くらいは」
それだけ答えると、ヴォルフは小さくため息をついた。
「ユグランスには、現王家も含めて『六貴族』という特に強い力を持つ家が六つあって、ヴァイセンベルク家もその中の一つなんです」
「……そうなんだ」
他国事情に疎い俺でも、ユグランス帝国は数多の貴族がしのぎを削り合う、弱肉強食な世界だと聞いたことがある。
その中でも特に強い力を持つ六つに入るのなら、相当すごい家なんだろう。
本当に、俺はとんでもない所に来てしまったみたいだ。
「あの、僕たちの前に立ちはだかった男を覚えていますか」
「…………うん」
忘れるわけがない。今でも首に手が食い込む感触や、首筋に刃が当たる感覚をはっきりと思い出せる。
あの男の事を思い出すと、それだけで体が震えそうになる。
「あの人の名前は、グントラム・ヴァイセンベルク。ヴァイセンベルク家現当主の弟で…………僕の、叔父です」
「………………え?」
告げられた言葉を、しばらくの間理解できなかった。
え、叔父? お前に叔父っていたの? しかも当主の弟ってなんだよ。
……というより、当主の弟が叔父ってことは、
「お前、まさか…………」
俺が言おうとしていることをヴォルフも察したのだろう。ゆっくりと重い口を開いた。
「…………僕の、本当の名前は、ヴォルフリート・ヴァイセンベルク。ヴァイセンベルク家現当主の、三男にあたります」
ヴォルフは俺から目をそらしつつも、はっきりとした声でそう告げた。




