2 真夜中の来客
俺は城の中の一室に放り込まれ、そこに軟禁されることになった。
あまりに自分が哀れに思えて、この後どうなるのか不安で仕方なくて、そのまま三日ぐらい泣いて過ごした。
でも、さすがに三日も泣き続けたら泣くのに飽きてしまった。
だって、ここの人たちは俺が泣こうがわめこうがまったく態度を変えないのだ。
最低限食事は貰えたので飢え死にする心配はない。しかし何もしないでも食事が出てくるとなると、本格的に暇になってくる。
特にやることがないので、俺は一日中だらだらと寝て過ごすことにした。
そうして何日か経った頃、俺に食事を運んでくれているメイドさんが声を掛けてきた。
「そんなに暇なら部屋の掃除でもしてください!」
そんな言葉と共に、バケツ一杯の水と雑巾を渡された。
どうやらずっとごろごろしている俺が気に障ったようだ。
まあ自分が忙しく働いてる横で、ずっとだらだらしてる奴がいたらむかつくのもわかるけどな……。
別にそんなに掃除が好きなわけではなかったが、どうせやることもなかったので気合を入れて部屋中をピカピカにしてやった。
床、窓、壁から家具に至るまで磨きつくして、俺は心地よい達成感に満たされた。
何日も部屋の掃除に費やしてもう掃除できるところはないかな、と思い始めた頃、最初に俺に掃除するようにと言ったメイドさんに、今度は同じ階の別の部屋も掃除するようにと命じられた。
「いいんですか? 部屋から出ても」
あの「ご主人様」とやらは、確か俺を閉じ込めておけと言ってたし、うっかり逃げられるとかは考えないんだろうか。
そんな疑問は、にっこりと笑ったメイドさんに一蹴されてしまった。
「そこまで警備態勢が手薄なわけじゃないし、どうせ外に出ても凍死するだけよ。それに、逃げたりしたら……どうなるかわかるわよね?」
念押しするようにそう言われ、俺は必死に何度も頷いた。
ここの人たちは容赦がない。逃げ出そうとすれば躊躇なく殺されるだろう。
この場所からどうやって逃げ出せばいいかもよくわからなかったので、そんなリスクを犯してまで逃げようという気にはならなかった。
こうして、俺はメイドさんに言われるままこのよくわからない城の掃除に携わることになったのである。
俺のいる階は、長い廊下の左右にいくつもの部屋がある構造になっていた。廊下にはだいたいつも警備の兵がうろうろしている。
まあ、たとえいなかったとしてもあんなに脅された後じゃ逃げる気にはならなかったけどな……。
怪しまれないように気を遣いつつ、俺は時間をかけて一室ずつ綺麗にしていった。
何個目かの部屋では地図を発見した。まわりに誰もいなかったのでこっそり見てみることにしたのだが、最初に聞いた通りこの城はユグランス帝国の北端、しかも思いっきり山の中に建っているようだった。
地図で見る限りは他の町とはかなり離れているみたいだ。
なるほど、たとえ逃げ出しても凍死するだけというのはこういう事だったのか。
窓から見えるのは雪山の景色ばかりだ。
それは綺麗なのだが、町や村などの人の住居があるようには見えない。
ここは外界から隔絶された場所のようだった。
もし外へ出たとしても、最初にここに来た時みたいにすぐに動けなくなって、どこにもたどり着けずに終わるだろう。
そう理解した時点で、俺は潔く逃亡を諦めた。
少なくともまだ殺される様子はない。
大丈夫、きっと大丈夫と自分に言い聞かせて、俺は不安を追い払うかのように掃除に励んだ。
◇◇◇
「これ、誰ですか?」
俺の掃除する部屋の中に、他の部屋よりやや豪華な作りの部屋があった。その部屋には優しそうな女性の肖像画が掛けられている。
少しずつ例のメイドさんとも打ち解けはじめていた俺は、何となくその肖像画について尋ねてみた。
「ああ、それはご主人様の奥方様よ。もうずっと昔に亡くなったらしくて、私もお会いしたことはないんだけどね」
「へぇ、奥さんがいたんですね」
あんなめちゃくちゃ怖そうな人と結婚するなんて、優しそうに見えて意外と肝が据わってる人だったのかもしれない。
俺はぼんやりと肖像画を眺めながらそんな事を考えた。
「お子さんもいなかったみたいだからね、だからあの方を……」
「あの方?」
何の気なしにそう聞き返すと、メイドさんはあきらかにしまった! とでも言いたげな顔をした。
「……忘れてちょうだい。あなたには余計な情報を与えるなと言われてるの」
「ふーん……」
ここに放り込まれてから今日までは特に何もなかった。もう俺の事なんて忘れ去られたかと思っていたが、なんやかんやで俺の処遇に対する命令は出ていたようだ。
俺もそれ以上無理に聞き出すことはやめておいた。
ここの人は恐ろしい人ばっかりなのだ。俺のせいで彼女が処罰を受けるようなことになっては申し訳ないからな。
「それにしても、この城って結構人手不足なんですか?」
「あなたの手も借りたいくらいにはね……ほら、口よりも手を動かす!!」
そうメイドさんに急かされて、俺は次の部屋を掃除しようと雑巾を絞った。
◇◇◇
ブライス城は大陸の北端付近に位置していると言うだけあって、めちゃくちゃ寒かった。
温暖な気候のミルターナ出身の俺には厳しすぎる寒さだ。
俺にも温かな服と毛布が支給されていたが、それでも寝るときはめちゃくちゃ寒い。うっかり足なんかが毛布から出ていると凍りつきそうになるくらいだ。
掃除の手伝いを始めてから疲れから以前よりはよく眠れるようになったが、それでも寒さで夜中に目を覚ますことが何度もあった。
その日も、ふと夜中に目が覚めてしまった。
でも、それは寒さのせいではなかった。
きしり、とかすかに床が軋む音がする。
……部屋の中、それもすぐ近くに誰かがいる。
怖くて目を開けることはできなかった。
……なんで、誰が俺の部屋に入って来てるんだろう。
そのままぎゅっと目を瞑って身を固くしていると、気配は俺のすぐそばまでやってきた。
ぎしりとベッドが軋む音が顔のすぐ傍で聞こえた。どうやらベッドの脇に手をついているようだ。
そして肩に誰かの手が触れた瞬間、俺は思いっきり大声を出そうと口を開いた。
「っんん!?」
ところが、声を出す前に素早く手で口をふさがれてしまった。
やばい、殺される……!
俺は必死に暴れた。振り上げた足が何かに当たった感触がして、俺に覆いかぶさっていた何者かが呻いたのが聞こえた。
「ちょ……落ち着いてください!!」
限界までひそめられた聞き覚えのある声に、俺はぴたりと抵抗をやめた。
そっと体を起こして、侵入者の姿をじっと見つめる。
窓から入るかすか明かりの中で見えたのは、俺の足が当たったのか痛そうに腹を押さえるヴォルフの姿だった。
「…………ヴォルフ?」
「……そうですよ、何いきなり人のこと蹴り飛ばそうとしてるんですか」
ヴォルフは声を潜めたまま、腹を押さえたまま恨めしそうに俺を見てきた。
その俺を馬鹿にするような口調すら懐かしい。
……夢じゃない、本物のヴォルフがここにいる。
「う…………うわあぁぁん!!」
今までの殺されるかもしれないという恐怖とか、不安とか、懐かしい顔を見た安堵感とかが急激に込み上げて、俺は泣きながら思いっきりヴォルフに抱き着いた。
「っ!!? だから静かにしろって!!」
ヴォルフはいきなり抱き着かれたことに一瞬狼狽したようだが、すぐに再び俺の口を手でふさいできた。
「見つかったらどうするんですか!? まったく……」
「ごめん……」
鼻をすすりながら小声で謝ると、ヴォルフは呆れたようにため息をついた。
それにしても、触れた体は随分と冷たかった。ずっと外にいたんだろうか。というよりも、
「何でここに? テオとリルカは?」
見たところここにいるのはヴォルフ一人のようだ。
テオとリルカはいないんだろうか。
「…………二人は時間がかかりそうなので、僕だけ先に来たんです」
「ここに? どうやって?」
周りは山ばっかりで、しかもここには見張りの兵がたくさんいるのに、どうやってこの部屋まできたんだろう。
それに、何でこの場所が分かったんだろう。
そんな俺の疑問に、ヴォルフは黙って首を振った。
「詳しい話は後でします。今は時間がないので急いでください」
「時間って……」
ヴォルフはその疑問には答えずに、俺に着替えるようにとだけ言うと扉の傍で耳をそばだてていた。
言いたいことはいろいろあったが、今はそんな雰囲気じゃなさそうだ。
俺は言われたとおりに手早く着替えると、ヴォルフに声を掛けた。
「着替えたけど、どうすんの? ……まさか」
夜中に着替えて、考え付くのは一つだけだ。
でも、だめだ。そんな事をしたら間違いなく殺されてしまう。
「当然、逃げ出すんですよ。ここから」
ヴォルフの告げた答えは、俺の予想とぴたりと一致していた。




