25 断罪の一撃
真っ黒で巨大な蜂は、ぷるぷると身を震わせている。
まだこちらを攻撃してくる様子はなさそうだ。
「巻き込まれないように気をつけなさいよ……“炎獄嵐!”」
先手必勝、とばかりにフィオナさんはいきなり巨大な蜂に向かって魔法を放った。
彼女の杖先に小さな炎が灯ったかと思うと、それがものすごい勢いで巨大な炎となり渦を巻きながら一気に蜂へと襲い掛かかる。
ロクに動けなかった蜂は真正面から炎が直撃して燃え上がり、聞くに堪えないうめき声をあげた。
……蜂って声を出すのか?
いや、たぶん今はそんな事を気にしている場合じゃない!!
「や、やった……?」
蜂を燃やす炎がだんだん小さくなっていく。
すっかり炎が消えた後には炭のような黒い塊が散らばっているだけで、さっきの蜂の姿はどこにもなかった。
「……これで終わり?」
「意外とあっけなかったな」
「ふん、全然たいしたことないのね。拍子抜けだわ!」
俺はおそるおそるさっきの蜂がいた場所へと近づいてみた。
ばらばらになった蜂の体だろうか、あちこちに黒い塊がごろごろと転がっている。
「取りあえず外の様子を見に行くか」
「そうね。だいぶ瘴気もマシになったし、リルカを探しに行きましょう」
二人はもう教会の外へと出ようとしている。
俺も二人を追いかけようと踵を返しかけた時、視界に端で何か黒いものが動くのが見えた気がした。
「……え?」
慌てて蜂の残骸に視線を戻す。
……何も動いていない、大丈夫だ。
「クリス、どうした?」
いつまでも出てこない俺を不審に思ったのか、テオが声を掛けてきた。
「ううん、何でもない!」
きっと気のせいだ。俺がビビッてるから何かが動いたように見えたんだろう。
そう思って一歩教会の入口へと踏み出した時、今度は確かにざり、と何かがこすれるような音が背後から聞こえた。
俺はすぐに振り返った。そして、自分の目を疑った。
蜂の残骸が散らばっている辺りの地面から、真っ黒い粉塵が舞い上がっている。
黒い粉はまるで意志を持つかのように上へ上へと上がっていき、やがて空中でぐるぐると回り始めた。
「ちょっ、やばいやばい!!」
俺がそう叫んだ声が届いたのか、すぐにテオとフィオナさんも教会の中へと戻ってきた。
そうしている間にも黒い粉はどんどん集まり、どうやら何かの形を成そうとしているようだった。
「これって……」
フィオナさんの声が震えている。その理由は俺にもわかった。
頭、胴体、足、羽のようなもの。
黒い粉はフィオナさんが倒したはずの蜂の姿へと戻ろうとしていた。
「再生能力付きか、やっかいだな……」
テオが苦々しくそう呟く。
なんかもうやっかいとかそう言う段階じゃない気もするが、とにかくやばそうだ!!
「と、とにかくもう一度破壊するわよ!!」
フィオナさんがそう叫んでもう一度呪文を唱えようとした時だった。
先ほどまでは生まれたての赤ん坊のように緩慢な動きをしていた蜂が、急に激しく羽を震わせた。
羽からまるで鱗粉のように黒い粉があふれ出て、俺たちめがけて襲い掛かった。
「うわっ!」
俺は思わず手で顔を覆いながら目を瞑る。すぐ隣から何かが倒れたような音が聞こえた。
辺りを覆っていた黒い粉が薄れ俺がなんとか目を開くと、すぐ隣でフィオナさんが教会の床に倒れ込んでいた。
「フィオナさんっ!?」
呼びかけても返事はない。上半身を抱きかかえると、はぁはぁと苦しげな呼吸の音が聞こえてきた。
どうやら意識を失っているようだ。額に汗が浮かんでいる。これは相当苦しそうだ。
どうしよう、一体どうすれば……
「クリス、フィオナを連れて外へ出ていろ」
テオが堅い声でそう告げた。テオは一人でこの蜂を倒すつもりでいるようだ。
……でも、倒しても倒しても再生するのにどうやって?
俺は思わず宙に浮かぶ蜂を見上げた。もう蜂ははっきりと元の姿に戻っており、細かく羽を震わせている。
蜂の羽から黒い粉がふわりと周囲にまき散らされているのが見えた。
その光景を見て、急に俺の腹の底から強い感情が込み上げてきた。
それは恐怖でも、不安でもなかった。
自分でも不可解なほどに強い「怒り」だった。
「……ふざけんなよ」
フィオナさんを丁寧に床に寝かせて、俺はゆらりと立ち上がった。
蜂は相変わらず何を考えているのかわからない様子で羽を震わせている。
今は、その存在が憎らしくて仕方がない。
「いきなり人の住処荒らしやがって……何様のつもりなんだよ……!」
「クリス……?」
テオが戸惑ったように声を掛けてきたが、俺はただ目の前の蜂だけを睨み付けた。
こいつは侵入者だ。
人の世界を荒らしまわるよそ者、ここにいてはいけない存在だ。
放っておけばフィオナさんのように俺たちの大事な人が傷つけられてしまう。
だから、こいつを排除しなければいけない。
この世界から、跡形も残さずに。
自然とどうすればいいのかわかった。杖先を蜂の方へと向ける。
今からこいつを消す。それだけを強く思った。
すると、不思議と頭の中に呪文が浮かび上がってきた。
「…………罪には罰を、大地を穢すものに報いを」
怒りを、憤りを力に変えて放つ。迷いはなかった。
「消え失せろ、“聖断罪!!”」
俺の杖先に集まった光は太い光の束となって瞬時に蜂の体を貫いた。
そのまま先ほどフィオナさんの攻撃を受けた時と同じように、蜂の体はばらばらになって崩れ落ちた。
でも、再生なんてさせない。
「……喰らい尽くせ」
黒い瘴気がまるで逃げようとしているかのように散り散りになろうとする。でも、そんな事は許さない。
もう一度、杖先に光を集め瘴気に塊に向かって放つ。
俺の放った光はまるで瘴気を食らうかのように塗りつぶしていった。
そうだ、これでいい。
一片の欠片も残さずに侵入者を駆逐する。これがあるべき正しい形であって……
「……おい」
いきなり聞こえた低い声と共に、背後から強い力で肩を掴まれた。
「おまえ、どこでそんな魔法を覚えた? 教会で教わったわけじゃないよな?」
ぎりぎりと肩を掴む手に力を込めながら、まるで尋問でもするかのようにテオは俺を問い詰めた。
目が据わっている。さっきまでの高揚した気分が急速にしぼんでいくのを感じた。
「な、なに怒ってんだよ……」
「質問に答えろ」
やばい、怖い。
今までそんなに深く考えたことはなかったが、こんなゴリラみたいなやつに詰め寄られたら怖いに決まってる。
きっと今までテオは俺たちを怖がらせないように、できるだけ怒りを表に出さないようにしていたんだろう。
だったら、何で今?
俺が何か間違った事をしたのか?
「お、俺にもよくわかんないけど……急に頭の中に呪文が浮かんできて……」
「おい、ふざけるなよ。オレは真面目な話をしてるんだ」
俺だって真面目な話をしてるつもりだよ!!
自分でも何が起こったのかよくわかってないのに、他人に理解してもらうなんてやっぱり無謀だった。
それでも、今は急に頭の中に呪文が浮かんできて、それを唱えたらなんかすごい魔法が使えました。としか言いようがない。
俺にだってそれしかわからないのだ。
「クリス、答えろ」
「い、痛い痛い……!」
テオに掴まれた肩がみしみしと嫌な音を立てている。
やばい、このままじゃ肩の骨が粉砕されてしまう……!
テオが俺に対してこんな直接的な暴力にでるなんてショックだ。情けないけど涙が出そうになる。
「ちょっと……こんな、時に……仲間割れなんてやめてちょうだい……」
緊迫した空気を破ったのは、聞こえてきた弱々しい声だった。
慌てて声の方へ視線を向けると、丁度フィオナさんがよろよろと立ち上がるところだった。
「フィオナさん! 大丈夫なんですか!?」
テオの力が緩んだ瞬間を見計らって、俺はテオの手を振り払ってフィオナさんの元へと駆け寄った。
彼女はまだだるそうだが、なんとか意識を取り戻したようだ。
咄嗟に治癒魔法をかけると、フィオナさんはふぅ、と大きく息を吐いた。
「おい、まだ話は終わってないぞ」
苛立ったように言葉を発するテオに、フィオナさんはぴしゃりと言い放った。
「そんなの後にしなさいよ! 今はまだリルカだって見つかってないのよ!? 瘴気の方はもう大丈夫みたいだけど、魔物はまだ残ってるだろうし……こんな時に内輪揉めなんてやめなさいよ!」
「……そうだな、悪かった」
フィオナさんはいっきにそう吐き出すと、ぜぇぜぇと苦しそうに息を吐いている。
さすがのテオも悪いと思ったのか、フィオナさんに謝罪した。
そのままフィオナさんに促されて、俺たちは教会の外へと出ようとした。
その途中、一人ベルファスにおいて行かれたホムンクルスの姿が目に入る。
思わずそのホムンクルスに近寄ろうとしたが、テオに止められた。
「やめろ。前にみたいに自爆でもされたらやっかいだ」
「でも……」
「完全に足を潰したから起きて悪さはできないだろう。放っておけ」
ちらりと見えたその姿は、確かにもう起き上がれないだろうと思う程にひどいものだった。
俺は最後にもう一度教会を振り返った。元々ぼろぼろの教会ではあったが、さっきのフィオナさんの魔法でもう崩壊しかけている。
早めに出るに越したことはないだろう。
「クリス、何してるの!?」
フィオナさんにせかされるようにして、俺は崩れかけた教会を後にした。
◇◇◇
「……ぃせき……完了……」
誰もいなくなった教会に、ホムンクルスの虚ろな声が響く。
だが、その声を聞く者は誰もいない。
「基準値を超える……を確認……聖……、出……ん……」
ホムンクルスの目が怪しく光る。
何度か点滅を繰り返した後に、やがては光を失った。
「送……完了……」
それだけ言うと、ホムンクルスはぱたりと力を失い数秒の後に大きな音を立てて爆発した。
爆発の衝撃で脆くなっていた教会ががらがらと崩れ出す。
全てが崩れ去った後、その場は奇妙なほどの静寂に支配された。




