一話 下町での出会い
前の事件でなんやかんやあり、私は停学処分になった。
とはいえ、寂しい思いをしているわけでもない。
レニスや葵くんがたまに遊びに来てくれる。
わざわざ会いに来てくれる人間がいる状況に、友人のありがたさを噛み締める思いだ。
何より同じく停学になったアスティがほぼ日参してくれる。
寂しさとは無縁であった。
それに停学であって、謹慎ではないのだ。
別にどこへも行くなと言われているわけではない。
外出自由ならば、長期の休みと変わらない。
そういう事情もあって、私は余暇を外出で過ごす事が多かった。
今日もまた、迎えに来てくれたアスティと一緒におでかけである。
向かったのは町。
この王都には城を中心としてほぼ円形に広がる城下町があり、さらに外周には町がある。
明確な線引き、区分があるわけではないのだけれど。
城下町には貴族の邸宅があるという事もあり、高級な商店なども多くある。
城下から外れた町は商店の売り物も値が次第に落ち、店そのものの数も減っていく。
代わりに住宅が増える。
私も最初は城下町の散策をしていたのだが、見るべき所がなくなって町を散策するようになっていた。
そしてその町にも、見るべき所がなくなりつつあった。
時刻は昼時。
朝は買い物客達の喧騒で満たされる市場も、今は閑散としていて静かとは言えないまでも快適な道程となっていた。
散策の途中、きゅるきゅるとお腹が鳴る。
「お腹が空きましたね」
「そうだな」
「今日は、下町の方に行ってみましょうか」
私が提案すると、アスティは難しい顔になる。
それもそうだろう。
町よりもさらに外周。
そこには、下町と呼ばれる場所がある。
スラムほど治安の悪い場所ではないが、それでも少しばかり犯罪率は増えるらしい。
「いや、下町は治安があまりよくない。やめておこう」
そうは言うが、その下町と呼ばれる場所はもう目と鼻の先である。
ほんの少し先の、それも境目も無い場所が急に危ない場所になるとは思えなかった。
特に目的の無い散策は、日に日にその範囲を広げていく。
王都が広いとはいえ、毎日訪れていれば見る場所もなくなってくる。
食事処も、毎日変えていれば候補が狭まってくる。
そして今日になって、その町と下町の境目に来てしまった。
「多分、大丈夫でしょう」
アスティの忠告に対して、私はそう答えた。
「何故、そう言い切れる」
「一人なら私だって怖くて行けませんけど。王子が一緒ですからね」
そう言うと、アスティは途端に機嫌を良くして「かもしれないな」と答えた。
頼られたのが嬉しかったのかもしれない。
そうして下町へと足を踏み入れ、料理屋を探す。
久しぶりにラーメンが食べたいけれど、あるわけないよね。
そんな事を思いながら歩いていると、道の真ん中に銅貨が落ちている事に気付いた。
私はそちらに近づく。
「落ちた金を拾うのははしたないぞ」
意図を察したのか、アスティは注意する。
「まぁいいじゃないですか」
アスティの言葉を聞き流し、私は銅貨に手を伸ばした。
拾おうとして、銅貨が持ち上がらない事に気付く。
銅貨はぴたりと地面に張り付き、まったく動く様子がなかった。
「あれ?」
この、この、と何度か引っ張っていると……。
「隙だらけだ!」
という、高い声と共にお尻が少し涼しくなった。
かと思えば、手にしていた鞄をひったくられる。
「ああっ!」
悲鳴を上げて前を見ると、鞄を持った少女が走り去る背中が見えた。
後ろで一まとめに括ったぼさぼさの髪の毛が、一歩ごとに揺れ動いている。
少女は足が速く、とても私では追いつけそうになかった。
「アスティ!」
私は助けを求めようとアスティを見た。
すると、彼は口元を覆うようにしていた。
正確には、鼻を覆っているように見えるかな?
その手の合間からは、出血が見られる。
位置的に鼻血が出たようだ。
「え! 大丈夫ですか? 何か攻撃でも受けたんですか?」
「ああ……すごい攻撃を受けた。だが大丈夫だ」
人の顎を素手で砕けるカインと殴りあえるだけの強度を誇るアスティにこんな大ダメージを与えるなんて……。
なんて恐ろしい相手だ。
「追うぞ」
言うと、アスティは私を肩に抱き上げて走り出した。
「え、私を抱えていくんですか?」
「こんな所に一人で置いていけるわけがない」
そう言って、アスティは走り出す。
やはり軍人だけの事はある。
私を抱き上げているのに、それを感じさせない速さで彼は駆けていた。
「アリシャ。もう少し太れ。抱えてもあまり重さを感じないのは不安だ」
「女の子に「太れ」はないと思いますよ」
「ひょいと連れて行かれそうで怖いんだ」
言いながら、アスティは追跡を続ける。
攻撃を受けながらもしっかりと相手の動向から目を離さなかったのだろう。
途中の路地を曲がると、見失っていた少女の背中が見えた。
少女は背後に迫るアスティを見て「げっ」という顔をする。
どうやらアスティの方が足は速いらしく、その距離は徐々に狭まっていった。
少女は路地をちょろちょろと曲がりながら逃げているが、アスティは小回りも効くらしく無駄の無いコーナリングで速度を落とさずに少女へ追いすがる。
そしてついに、アスティは少女を路地の行き止まりへ追い詰めた。
けれど、少女は行き止まりでも速度を緩めずに走り続けた。
そのまま壁の取っ掛かりを蹴り、壁を乗り越えた。
追い詰めたつもりだったけれど、始めからこれを狙ってここに逃げたのかもしれない。
「しっかり掴まっていろ!」
アスティが警告する。
え? と思うのも束の間、アスティの体が大きく揺れた。
何が起こったのか、一瞬の事でわからなかった。
けれど、アスティが少女よりも奥の地面、少女を壁の反対側へ追い詰める形で着地した所を見るに……。
アスティもまた、壁を飛び越えただろう事がわかる。
ハリウッドのアクション俳優みたい。
「そこまでだ」
「嘘だろ……」
少女は驚き、固唾を呑んで呟く。
アスティは私を地面に下ろす。
「鞄を返してもらおうか」
手を差し出し、少女に告げる。
少女はじりっと後退し、今しがた飛び越えた壁に背中をぶつける。
一度振り返ったが、今度は飛び越えて逃げようとしなかった。
それをしても、アスティを相手にすれば意味がないと悟ったのだろう。
しかしながら諦めたわけでもないようだ。
少女は自分の鞄をぎゅっと抱え込み、アスティの動向をじっと見据えた。
逃げようとする意図がそこに見て取れた。
ベルトに佩いていたナイフを抜く。
その体格に見合わない、刃渡りの長い物だ。
アスティへ向けてナイフの切っ先を突きつけた。
「返せ」
アスティはそれでも怯まず、もう一度強い口調で促す。
「返して欲しけりゃ、奪い取ってみな!」
少女が返すと同時に、アスティへ切りつけようと地面を蹴る。
が、アスティはあっさりと持ち手を叩いてナイフを落とし、少女を押さえ込んだ。
「うわ! やめろ! 馬鹿! 変態! 幼女趣味!」
「アスティに幼女趣味はありません。巨乳の方が好きですから」
私は弁明しつつ、少女の手から鞄を取る。
前に、わがままボディのお姉さんから身体検査を受けて嬉しそうだったので間違いない。
私自身もあの時は何か悟りを開きそうになったので、もしかしたら巨乳が好きかもしれないが。
「変なフォローはしないでくれ。そんな嗜好はない」
アスティは否定する。
「え、じゃあ、幼女もいける?」
「そういう話じゃない」
じゃあ、どういう話?
とも思ったが、今はもっと大事な話がある。
「さてと……。それで、どうしてこんな事をしたのかな?」
「はんっ。当然の事を訊くなよ。生きていくために決まってるだろ。こうやって食い扶持稼がなきゃ、今日食うものにも困るんだからな」
手段はともかく、生きていくためというのは理由として強い気がするね。
「両親は?」
「いねぇよ」
「どこに住んでるの?」
「この町の屋根のある場所ならどこだって家さ」
ストリートチルドレンってやつかな。
「仕事は?」
「こんな子供、誰が雇ってくれるんだよ?」
道理である。
下町のコネもない子供。
真っ当な所だと、普通は雇わないよね。
私はすぐに次の言葉が出ず、ただ息を吐いた。
「ま、スラムなら雇ってくれる場所があるかもな。股開いて寝転がってるだけで稼げる店とか。そこの変態みたいな奴相手に」
「こっちを指すな」
指を差されたアスティが強い口調で返す。
しかしまぁ、彼女の言う事は正しいのだろう。
ゲームによれば、私もスラムで娼婦をする運命があったようだし。
何の技能も無い小娘一人が生きていくためには、そういう場所まで落ちなければならないわけだ。
彼女は落ちきってしまわないように、どうにか生きていくための手段を講じているのだろう。
盗みを手段とするのは、良いと言えないが……。
さて……こういう子供を相手に私は何がしてあげられるだろうか?
何をするべきだろう?
「あなた、この辺りで美味しい料理を出すお店とか知ってる? できれば、危険じゃない所で」
思案の末、私はそう問いかけた。
少女は私を見上げる。
その視線には、私の言葉の意図を探る色があった。
「案内してくれるなら、お礼に報酬を支払うけど」
「……どんだけくれるんだよ」
「銀貨二枚」
「アホか! 高すぎる!」
相場がわからないので適当に言ったら、少女は驚いて私を罵倒する。
咄嗟にそんな言葉が出る分、この子は根が悪いわけではないのかもしれない。
悪い人間なら、しめしめとぼったくるだろう。
しかし、銀貨二枚は思わず罵倒してしまうくらいに高価なのか……。
前世では貧乏性だったが、こっちの世界に転生してからはちょっと金銭感覚が麻痺しているかもしれない。
「じゃあ、どれくらいが妥当かな?」
「……銀貨いち……銅貨三枚くらい」
苦渋の表情でそう搾り出す少女。
その姿が、私にはなんだか可愛らしく思えてきた。
自分より身長の低い相手というのもあまりいないし。
私よりちっちゃい子かわいい。
「じゃあ銅貨三枚で。よろしく」
私が手を差し出すと、少女は躊躇いがちにその手を取った。
「……よろしく」
「私はアリシャ。あなたの名前は?」
「メーフェ」
メーフェね。
「行きましょう。アスティ」
「いいのか?」
「何が?」
「いや、何でもない」
何よ?
「姉ちゃん変わってるな」
「自分以外の人間は、みんな変な人に思えるものよ」
そんな事を話しながら、私はメーフェと一緒に下町の石畳を歩き出した。
ジェイルの頭蓋骨>アスティの頭蓋骨>カインパンチ
上から、城下町、町、下町、スラムに分けられるのですが。
『町』の名称がパッとしない気がします。
何か別の呼び名がないでしょうか?




