六話 前へと踏み込む
「アタラシイショウコをミツケマシタ!」
アオイは証拠品を掲げ、声を上げた。
その後ろには、彼と共に現場検証していたと思われる兵士達の姿があった。
「本当か?」
「はい」
兄貴が問いかけると、兵士の一人が返事をする。
「では、その証拠を見せてもらおう」
「ハイ」
アオイは掲げていた証拠品から、布を取り去った。
そうして露わとなったのは……
「まさかそれは……!」
その証拠品とは、金属製の植木鉢だった。
確かにそれは証拠品である。
しかも、凶器として使われた物と同じ物……。
しかしそれは、過去の事件においてだ。
「ゲンバのチカクにオチテイマシタ」
「現場に? そういえば植木鉢が二つ、水場の付近に落ちていたな。あのままでは危ないと思ったから、私が重ねて水場の近くに寄せて置いたのだが……」
兄貴が呟く。
聞いていないぞ? そんな話は。
「ちなみに植木鉢が落ちていたのは、お前がジェイルとぶつかった時だ。そのまま忘れていた。どちらにしろ、事件に関係があるとは思えない」
しかし、アオイは兄貴の言葉を否定するように、首を左右に振った。
「ソレジャアリマセン。フタツのウエキバチはイマもミズバにアリマシタ。ボクがミツケタのは、マドのソトにアッタモノデス」
それは現場と言えるのだろうか?
そう思っていると、アオイは言葉を続ける。
「ミズバのウエには、マドがアリマシタ。デモ、ソノマドはコワレテイマシタ」
壊れていた……?
「ふむ。正確には、『壊れていた』ではなく『割れていた』という表現が正しい。確かにそれはこちらも確認している」
「何故、黙っていた?」
俺は兄貴に訊ねた。
「事件に関係がないと思った。少なくとも、二人の証言にも触れられていない物だったのでな」
ツヅケテモ?
と、アオイが訊ねる。
ああ、と俺は先を促した。
「ソノマドのチカクにオチテイマシタ。ソシテ、コノウエキバチには、チがツイテイマス」
「何だと? 本当か?」
俺は身を乗り出してアオイに訊ねた。
アオイは強く頷くと、こちらに近づいてきた。
「シロいカミ、モッテイマセンカ?」
アオイが問うと、レニスがさっとメモ用紙を渡した。
アオイはそれを台に置くと、植木鉢の一部を爪で擦った。
すると、擦った部分からパラパラと何か粉状の物が落ちた。
植木鉢に付着していた物をこそぎ落としたのだ。
金属の黒い植木鉢ではわからなかったが、それは白い紙の上に落ちて初めてその色を明らかにした。
その粉は、赤黒かった。
確かに、血液の固まった物のように見える。
「なるほどな。確かに、事件性が感じられる証拠品だ」
いつの間にかこちらに来ていた兄貴が呟く。
「しかし、ウエノイン。残念ながら、それは決定的な証拠とは言えない」
「ナゼ、デスカ?」
「これが、今回の事件によって付着したものではない可能性があるからだ」
「エッ?」
そうだ。
兄貴の言う事は正しい。
驚くアオイに、兄貴は説明する。
「この植木鉢は、別の事件でも凶器として使用された経緯がある。血痕もその時に付着したものかもしれない」
「ソンナ……ボクのショウコは、ムダ、ダッタ?」
アオイはショックを受けた様子で呟く。
そしてうな垂れる。
痛ましい姿だ。
「だが兄貴。これがあの時の植木鉢とは限らない」
反論する。
屋上には、これ以外にも同じ植木鉢があった。
これが前の事件で使用された物とは限らないはずだ。
だが、兄貴は首を横に振った。
「しかし、絶対にありえないとは言えないはずだ」
レニスが服の裾を引き、メモ用紙を俺に渡した。
「トレーネ嬢が言うには、あの事件の植木鉢は廃棄したそうだ」
まぁ、事件に使われた物をそのまま使うのも気分が悪いだろう。
「だとすれば、その血痕は前の事件の物ではないという事になるが」
俺はそう言葉を続けた。
「しかし、今回の事件とどう関係するかは定かでない。少なくとも、被害者は突き落とされたのだ。その凶器が使用されたわけではない」
兄貴はそう言って否定した。
「それは……」
確かに、その通りだが……。
「それが新たに付着した血痕であるならば、それで傷つけられた被害者以外の人間がいるという事でもある。それは不可解だと思うがな」
別の事件が起きたかもしれない、という事か。
だが、実際にそんな人物が名乗り出ているわけでもない。
くっ……。
せっかくアオイが見つけてきてくれたというのに、意味のない証拠品だったというのか……。
これが最後の証拠だというのに……。
このままではアリシャに待ち受けているのは、破滅の未来だ。
彼女を失ってしまう……。
そんなのは嫌だ!
証拠品がない?
なら諦めるか?
ふっ、ありえない。
まだだ。
抗い方が、まだ足りないんだ!
アリシャはいつも誰かのために、これ以上の逆境に屈する事もなく、どんな絶望的な状況でも諦める事無く進み続けてきたじゃないか。
そんな彼女のために、進めないでどうする!
俺だって、彼女に助けられた人間の一人だ。
彼女の行いに報いる人間がいなくてどうする!
報いられる人間になれなくてどうする!
きっとどこかに、彼女の無実を証明する方法があるはずだ。
もっと考えろ!
もっと考えろ、俺!
そう、例えば……。
例えば……。
アオイの持ってきた証拠品。
金属の植木鉢。
本当に、これは別の事件を示す証拠なのだろうか?
何らかの形で、今回の事件に関わっているのではないだろうか?
そうだ。
これは手元にある唯一の物証であり、そして深い謎に包まれている。
被害者不明の血痕が付着し、割れた窓の外に落ちていた。
被害者も、窓が割れていた理由も不明だ。
わからない事だらけ。
だからこそ、その謎を解き明かす事でこの事件を打開する鍵になるんじゃないだろうか?
そう思えてならない。
それとも、そうであってほしいという俺の願望がそう思わせているだけなのかもしれない。
別の顛末を求めているからこそ、そう思うのかもしれない。
でなければ、アリシャを助けるための真実を見つける事ができないのだから……。
……弱気になるな!
その考えに至らなければ真実が見つけられないと思うのならば、その真実へ繋がる別の顛末を模索するしかない!
なら、その顛末はどのような物が望ましいのか?
この植木鉢が事件に関与するとして、それでアリシャの無実が証明できるかわからない。
しかし、今の八方塞の現状を打破できるなら、願望であろうともその可能性を模索するべきだ。
まず、この植木鉢が凶器であった場合、どのように使用されたのかという事を考えよう。
シンプルに考えれば、殴るために使用されたと見るのが妥当だ。
犯人は植木鉢を振り上げ、後頭部を一撃した。
では、被害者はどこで殴られたのか?
踊り場だ。
後頭部を殴られたジェイルは、その場で倒れ……。
……いや、違うな。
スケッチを見る限り……。
その場で倒れたなら、ジェイルは壁際付近に立っていた事になる。
そんな彼女を背後から気付かれぬように襲う事は可能だろうか?
不可能だ。
壁をすり抜けられる人間でもいなければできない。
なら、何故スケッチのような倒れ方になっている?
やはり、実際は階段から落ちたのが事実だからだろうか……。
そこまで考えて、頭を振る。
違う。
それでは今までと同じだ。
ジェイルは植木鉢で殴られた。
それを前提として、考えなくては……。
その上で、現状を否定する新たな可能性を見つけ出すんだ。
でなければ、アリシャを助けられない。
しかし、だとすればあの場所で殴られたという事は考えにくい。
可能性があるとすれば……。
別の場所で殴られた後、踊り場へ運ばれたんじゃないか?
そうだ。
兄貴の話では、ジェイルの足には擦過傷があった。
露出した、足の部分だけに細やかな傷があったと。
彼女は引きずられ、あの場所まで運ばれた。
そして、階段から落ちたように偽装された。
そこまで考えた時だった。
「そろそろ、決着をつけねばならぬかもしれないな」
兄貴が言う。
「待ってくれ。俺には、新たな可能性を提示する用意が……ある!」
少しは、反証するための考えがまとまった。
けれど、推理が完璧でない以上。
まだ、可能性を提示できる段階ではない。
だから、言い切る事に躊躇いがあった。
しかし、今ここでしのげなければアリシャは犯人とされてしまう。
だからこそ言い切った。
本当にこれは正しい答えなのか……。
不安はある。
だが、これくらいの博打を打てなければアリシャを救う事はできないだろう。
「ほう。言ってみろ」
兄貴は興味深そうに、そう促す。
しかし俺は兄貴に答えるより先、アオイへ向いた。
「アオイ」
声をかける。
すると、アオイは顔を上げてこちらを見た。
「お前が持ってきた証拠は無駄なんかじゃない。それを証明してやる。そして、お前の持って来た証拠は、アリシャを助ける事になる!」
アオイは目を見開いた。
「ハイ! オネガイシマス!」
力強くそう願う。
それに頷き、俺は改めて兄貴へ向き直った。
「その植木鉢は、今回の事件で使用されたものだ」
「根拠は?」
焦る心を押し殺し、俺は考えついた可能性を整理しながら反論する。
ある程度の説得力がなければ、一笑に付されるだけだ。
「植木鉢の血痕。そして、ジェイルの傷だ」
「ジェイルの、傷?」
俺は首肯する。
「ジェイルの外傷は、後頭部、そして足に集中している無数の傷だったな。それ以外に、目立った外傷はないと思っていいのだろう?」
「医者の見立てによればそうだ。あとは、お前がぶつかった時にできた額の小さなたんこぶくらいだ」
「………………」
ならば、やはりおかしい。
兄貴の証言は、まだ仮説だけで弱かった俺の推理を補強してくれる。
そして、その証言の不可思議さを証明するため俺は口を開いた。
「それはおかしな事だと思わないか?」
「何が言いたい?」
「階段から落ちたのなら、その程度の怪我で済むはずがないではない」
「!」
「打撲痕は後頭部だけで済まず、全身にできるだろう。擦過傷だってそうだ」
階段を転がり落ちるという事は、ただ転ぶのとわけが違う。
多数の突き出した段に、連続で、しかも体の広範囲がぶつけられるという事だ。
階段から転がり落ちた人間の体が負った傷にしては、ジェイルの怪我は少なすぎる。
「派手に転がったのではなく、滑るように落ちたという可能性は? それならば、擦過傷ができている事にも説明がつく」
「フェアラート嬢の証言によれば、どたどたと派手に音がしたようだ。これは明らかにそんな綺麗な落ち方をした音ではないだろう」
「無意識にダメージを防いでいた。とは考えられないか?」
「ジェイルにそんな格闘家みたいな事ができるのか? なら何故、頭部に対するガードがいつも甘いんだ?」
「……頭蓋骨は、人体の中で二番目に硬い部位らしいぞ」
「だから?」
だからノーガードなの?
兄貴は黙り込んだ。
「確かに、お前の言う通りかもしれないな」
兄貴はあっさりと俺の仮説を受け入れた。
あくまでも、真実を追究するために否定意見を述べただけのようだ。
アリシャを確実に犯人として仕立て上げたいわけではないのだろう。
「それで、お前は何が言いたい?」
「足の擦過傷。あれは、引きずられた跡ではないか? と俺は思っている」
「……現場から移動させられたというのか?」
俺が説明するまでもなく、兄貴は俺の言いたかった事へ考えが至ったようだ。
俺は首肯し、口を開く。
「ジェイルは踊り場以外の場所で、植木鉢によって後頭部を殴られた。そして、その後に踊り場へと引きずられる形で運ばれた」
ふと、そこで思いつく。
「……そして、引きずらなければ移動させられなかったという事は、あまり力の強くない人物による行動であると考えられる」
人によっては、抱き上げて運ぶ事もできるだろう。
だが少なくともその人物は、引きずらなければジェイルを踊り場まで運べなかったのだ。
そう考えれば、犯人は絞られるはずだ。
「たとえば、女性か?」
兄貴は問うてくる。
「意識を失った人間は、想像以上に重い。運べる人間は男女の別なく稀であろう。だが、女性でそれができる人間もまた稀だ。可能性は高かろう」
そして、当時学園にいた人間は多くない。
割り出す事は難しくない。
「兄貴。事件当時、学園に残っていた人間の記録は?」
この学園では、防犯のために人の出入りを入り口で記録する事になっている。
その記録が残っているはずだ。
兄貴は資料を取り出し、目を通す。
すでにその記録は用意してあったのだろう。
「その時間帯に残っていた被害者以外の人間は、お前と容疑者。生徒会の人間。カブッティール嬢とフェアラート嬢だけのようだ。ちなみに、生徒会の人間のアリバイについては私が保証する」
つまり、当時の学園に残っていたアリバイのない人間は、アリシャ、ルイジ、マルテュスの三人だけという事になる。
そして、アリシャを容疑から外せば、犯人は残った二人という事になる。
一度深呼吸し、考えを巡らせる。
頭の中の混沌とした情報をまとめ、整理していく。
そして、一つの決断に至った。
……これから俺の口にする事は、確証のない妄想のようなものだ。
しかし、アリシャの無実を証明するためには、その妄想から現実を導き出すしかない。
俺は両手で台を叩いた。
皆の視線がこちらに向く。
「容疑者の後頭部の傷……。これは植木鉢による打撲痕である可能性がある。そして事件現場もまた、階段の踊り場でなかった可能性がある」
「それで?」
「であるならば、そもそもの前提が覆る」
つまりそれは――
「目撃者のどちらか……。もしくは、両方が嘘を吐いている可能性がある!」
という事だ。
証拠もない段階。
憶測だけの発言。
躊躇いはある。
しかし、アリシャの無実を信じれば、それは避けて通れない道なのだ。
そしてそれを口にした以上、もはや立ち止まる事はできない。
ただただ、進み続ける事しかできないのだ。
今回のレセーシュ王子はガバですね。




