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転生龍は人と暮らす  作者: くらいさおら
第三章 王都ガルジア
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97.靴は脱ぎたい

 拘りがある。

 他人様の家ならともかく、自分で家を構えるなら譲るわけにはいかない。


 他人様からみれば、たいしたことではないのかもしれない。

 この世界この時代、そしてこの地域においては、とんでもない非常識なのかもしれない。


 もちろん、自分の常識が他人の非常識となる可能性があることも理解している。

 合わせるべき部分は合わせておかなければいけないことも、また理解していた。



「旦那、これはちょいとばかり無理な相談でさぁ。たたみってぇもんへの拘りってこたぁわかりやすが、さすがに旦那ですら造りのわかんねぇもんを作んのは、いくらあっしでもむりでござんすよ」


 フレケリー家王都屋敷の設計打ち合わせの席で、レイナードが申し訳なさそうな顔で言った。

 さすがに見たこともなく、作り方の想像もできないものを作れといわれても困る。


 藁束を何層か重ねて厚さ五センチくらいの板状に整形し、い草で編んだ蓙を表に張れば畳になる。

 しかし、残念なことに蓙の編み方が判らないし、畳の縫い方も判らない。


 麦わらの筵は存在していたが、残念ながらい草が近隣に存在しなかった。

 そして荒く編んだ麦わらの筵では、龍平の足の裏が満足できるはずもない。



 さらに、ただでさえ湿気のこもりやすいこの地域の建築様式では、畳などダニやシラミ、カビの温床になることは確実だ。

 障子や襖を開けるだけで容易に換気ができる開放的な日本家屋ですら、害虫やカビの問題は昔からついて回っている。


 現代日本の病的ともいえる清潔な環境に慣れきった龍平が、ダニやシラミ、カビの温床に耐えられるはずがない。

 もっとも、この辺りの知識がなかった龍平は、単に畳が作り方が判らないことだけで嘆いているのは、かえって幸いなのかもしれなかった。


「そう、ですか……しゃぁない、畳は諦めます。でも、俺の寝室だけでいいんで、入口に靴を脱ぐスペースをお願いします。あとは一段上げて板張りで。絨毯は要りません。藁を編んで敷物にして。あと、ベッドも要りません」


 この世界この時代、この地域の常識すべてをぶん投げても、畳の上に敷いた布団で寝たい。

 ほぼ諦めきっていた願望が、ここへきて甦っていた。


 本来なら玄関以降はすべて靴を脱ぎたかった。

 生活空間で足を締め付けられっぱなしは、もう勘弁してほしい。


 ベッド以外で靴を履いたままの生活は、超潔癖民族としては我慢のならないことだった。

 だがこれまでは居候の分際でもあり、波風を起こすほどではないと、ここでの風習として受け入れていた。


 しかし、自分で家を構えるとなれば、そうはいかない。

 せめて、自分のプライベート空間くらい、故国のスタイルにしたかった。


 現時点で畳は諦めるにしても、裸足でいられる空間がなんとしてもほしい。

 靴に締め付けられることなく、足の指を動かしたい。


 汗ばんで湿ってしまう足の指を広げ、指の間に風を通したい。

 これだけは譲れなかった。



 地球の文化でも、欧米では室内で靴を脱がない文化もある。

 ひと括りにするわけではないが、ヨーロッパの一部やアメリカでは、靴を脱ぐのは睡眠と入浴くらいだ。


 龍平自身に海外旅行の経験はなかったが、日本でも旅館や民宿ではなくホテルで靴を脱ぐ場所がないことにずいぶん驚かされたものだった。

 でも、そこはさすが日本。室内用スリッパが、しっかりと入ってすぐに用意されていたが。


 日本ほど頻繁に入浴をしないヨーロッパの一部や、シャワーは出掛ける前の身嗜みとして朝に浴びることがほとんどのアメリカなどでは、入浴後もすぐに靴を履いてしまう。

 出張でアメリカに行った父から、モーテルやホテルの部屋にスリッパがないことを聞いていた龍平は、とてつもない違和感を抱いていた。


 カリフォルニア州某所のモーテルで、夜にシャワーを浴びようとしたら途中で湯がいきなり水に変わったと父から聞かされたときは、大笑いしながらも靴や入浴の文化の違いに驚かされたものだ。

 オフィスに出勤すると自分以外の全員が石鹸の香りに包まれていて、なんとも居たたまれなかったと父が笑っていたことを龍平は思い出していた。


 テレビや映画でも、靴を履いたままベッドに転がるシーンを観たときは、龍平自身は潔癖性ではないにも拘わらず、ちょっとした嫌悪感を抱いたものだった。

 もちろん、そのように文化が発達したことには理由があるのだから、面と向かって否定までする気はなかった。



 素足を見せることは性的にはしたないとされていたり、単にだらしないと見られる風潮があった。

 最近はアメリカでも家では靴を脱ぐひとびとが増えているらしいが、それでも靴を脱がない文化圏は確かにある。


 そしてこの世界この時代は、農村以外では屋内でも靴を脱がない文化だった。

 農村の、特に農奴や小作人などでは、泥まみれの農地に入っていける靴など経済的に調達できないからだ。


 裸足で作業し、家に入るときに足を洗って、あとはそのままだ。

 農作業以外でも、裸足で過ごすことも多かった。


 都市部に住むひとびとから見て、社会の低層で喘ぐひとびとが裸足でいることは偏見の対象だったのかもしれない。

 そこには、見下しもあったのかもしれなかった。


 貧困から靴を買えないスラムでも最底辺の住人が裸足で出歩いていたことも、はしたなくだらしないと見る要因だったのだろう。

 だが、龍平にそんなことは関係ない。



「靴を脱いで編んだ藁を敷物にって、旦那。こういっちゃぁなんだが、そりゃ農奴やスラムの連中なんかと同じですぜ? それに、ベッドもいらないってなぁ、床に寝る気ですかい?」


 正気かというようなレイナードの視線を真っ向から受け止め、龍平は当たり前のように頷いた。

 そこには呆れられていることなどまるで気にも留めない、いや、気づいてもいない能天気な顔があった。


──裸足だなんて、はしたないことしないでほしいかしら。もうあなたは貴族なの。そのことを自覚しなさい──


 あきれ果てたと言うような念話が、小さな赤い龍から突き刺さる。

 やはり、貴族として教育された過去が、裸足に対する嫌悪感を抱かせていた。


 この世界において領主貴族が就寝時以外靴を履いているのも、ベッドサイドに靴を置いているのも、いつ敵襲があってもいいようにとの心構えでもあった。

 また、押し込み強盗や搾取している農奴の反乱がいつ起きてもいいように、それに備えてのこともあったのだろう。


 襲撃に際して、即窓から飛び出さなければならないこともあるだろう。

 おそらくは制圧されているであろう玄関まで行って、靴を履く余裕があるとは思えない。


 そうでなくとも、靴を履くのは意外と手間取る。

 就寝や入浴時以外靴を履いたままというのは、理にかなった行動でもあった。



 それに対して日本は草履や下駄が主な履き物だった。

 いちいち足を袋状の靴に突っ込み、紐などで締め上げる必要のない突っ掛けだ。


 靴下に相当する履き物も親指とそれ以外の指とに別れた足袋であり、草履や下駄の鼻緒と合わせて進化してきている。

 どちらにしても、内と外との行き来はスムーズだ。


 基本的な文化が違う以上どちらにも利点はあり、優劣など存在しない。

 その両方を見てきた龍平は、せめてプライベート空間くらいは日本式にしたかった。


「ええ。ちょっとこっちとは違う文化なんです。俺の出身は。どこの国に属してるかも知らないような山奥ですから。もちろん、来客の目につくところは、こっちの文化に合わせますよ。でも、寝るところくらいは、出身地の文化にしたいんですよ。トカゲも裸足だろうが。黙ってろ」


 龍平が頭を掻きながら答える。

 納得してくれなくてもいい。そう思いながら。


 トカゲ姫も基本は四足歩行なんだから、余計なこと言わない方がいいと思うの。

 前四にも靴履いたら邪魔でしょ。



 寝具として布団とベッドを比べた場合、寝心地は慣れの問題で優劣は付けがたい。

 この時代では柔らかくふかふかのベッドが好まれ、布団に慣れていた龍平には少々寝心地はよくなかったが。


 もちろん、固めのマットレスに代えればいいだけのことだが、柔らかいことが贅沢であるためか、龍平好みの固さを持つマットレスは存在しなかった。

 仮にあったとしても、フォルシティ家に買わせるほどの度胸もなかったが。



 寝心地については今語った通りだが、ベッドの方が圧倒的にすぐれている点がひとつある。

 それは、起床のしやすさだ。


 布団はその場で立ち上がらなければならない。

 それに対し、ベッドはその上でわざわざ立ち上がって床との段差を降りる必要などなく、上体を起こしたあと身体をずらせば足が床に着く。


 若いうちは気づかないかもしれないが、加齢と共に腰のダメージが蓄積されてくると、ベッドの方が楽になってくる。

 もっとも、まだ若い龍平がそこまで気を回すはずもなく、ただ純粋に布団が恋しいだけの話だったが。


「まぁ、旦那がそう仰るならそうしやすがねぇ……いずれ、奥方を貰ったときゃぁ、お気をつけなせぇ。床の上が褥だなんて、誰だってお断りってもんでさぁ」


 レイナードはレフィの手前、直接的な表現は避けた。

 もちろん、龍平が異世界人であることなど、知ろう由もない。


「い、いや、と、棟梁、お、く、がたって、お、お、俺、け、結婚なんて……」


 さすがに何を言われたかくらい、龍平にだって理解できる。

 ただ、現状で結婚など考えられないことであり、それに伴う男女の行為をレフィの前で話せるほど図太くはないだけだ。


 顔真っ赤にしてんじゃねえ。

 可愛くないからやめろ、へたれ。



 次の瞬間、いつもとは明らかに違う勢いで、レフィのしっぽが振り抜かれた。

 普段のじゃれ合いでははない、力を込めた一撃だ。


 もちろん、レフィは本気で龍平の顎を撃ち抜いたわけではない。

 もし赤龍の本気でしっぽが撃ち込まれていたら、龍平がどれほど身体強化をしていたとしても首から上が消滅する。


 一撃で昏倒しない程度に顎を打ち抜かれた龍平が、ひざを笑わせてふらついている。

 そこへ追い討ちのしっぽが往復ビンタのように決まり、飛びかけた意識を龍平は掴み留めようとしていた。


 数歩まっすぐ歩いた後いきなり前のめりに倒れ込んだ龍平を、振り戻されたしっぽが受け止める。

 そして放り出すように、龍平を地面に寝かせた。


 だって、一発で終わっちゃったら、それじゃやり足りないじゃない。

 結婚とか褥なんて言われてニヤニヤするなんて。



「なにしやがる、このすっとこどっこいが。棟梁もあんまりからかわんでください」


 劇的なノックアウトから半刻後、息を吹き替えした龍平が小さな赤い龍のこめかみを拳でこじりあげている。

 足裏マッサージに代わる拷問技に、小さな赤い龍から苦悶の悲鳴が漏れていた。


「あだだだだだだだだだだっ! や、やめっ! ごめんな、さいっ! あだだだだだっ!」


 足裏マッサージならティランと入れ替わればそれで済む。

 そうなると、それはご褒美でしかない。


 異世界の健康法であれば、ティランの旺盛な知識欲まで満たしてくれる。

 だが、いわゆるウメボシはティランも嫌がるお仕置き技だった。



「ったく、畳と布団だけじゃねぇんだよ。俺がほしいのは。この世界の建築様式っていうか、生活様式だと炬燵なんて無理もいいとこじゃん? やっぱり、プライベート空間は畳が最低でも板張りの床じゃねぇとな」


 確かに最近の日本でこそ、テーブルの炬燵も開発されている。

 当然温気が抜けないように、椅子も脚の間に板を張るなど工夫がなされていた。


 だが、それではダメだ。

 そんなもの、炬燵とは認めない。


 究極のダメ人間製造機でなければ、龍平は炬燵とは認めない。

 寝っ転がれない炬燵など、炬燵ではない。


 そして、靴を履いたまま炬燵に当たるなど、それはもう炬燵への冒涜だ。

 靴を脱いで過ごせる空間は、何があっても譲るわけにはいかなかった。


──なによ、そのこたつって? それは、あなたにとってどれほど大切なものなのかしら?──


 少々どころかかなり呆れ気味引き気味の念話が、小さな赤い龍から漏れている。

 これまで異世界の知識が期待外れだったことはほとんどないが、龍平がここまで拘るなど、そうあることではなかった。


「旦那、そりゃあっしらが知らない家具かなんかでやすかい?」


 レイナードの目が光った。

 職人魂がこの情報は逃すべきではないと告げている。


「ええ。脚の短いテーブルの下に……この場合なら小さい火鉢でいいか……それ入れて布団を掛けて足を突っ込むんですけど、これがまたあったかいんですよ。そのまま寝っ転がって、首まで潜り込んだら、もう二度と出たくなくなりますから。ちょっと季節外れになってきましたけど、実験してみます?」


 春まだ浅いこの季節、厳冬季のような寒風が吹き荒ぶことはないが、それでもまだ暖かいとは言いがたい。

 地球の日本換算でも炬燵を引っ込めるには、少々早い時期だった。


 もちろん、そこそこ密閉性が高いこの世界の建築様式で、炭火は一酸化炭素中毒の危険がある。

 炬燵を実現させるためには、熱源の精査が必要だった。


──ねえねえ、面白そうだもん。やってみようよ、棟梁。リューちゃんの言う通りのもの、作ってもらっていい?──


 エメラルドの瞳が、ルビーの輝きに入れ替わる。

 小さな朱の龍が、異世界の未知なる知識への好奇心に即墜ちした。


「よしよし、そうかそうか。ドラゴンの嬢ちゃんがそこまで言うなら、この爺ちゃんが一肌脱ごうってもんだ」


 最近になってティランを認識してきたレイナードが、こちらもまた即墜ちした。

 ったく、この国の爺共は……



 そうと決まれば話は早い。

 今回は実験ということなので、テーブルの拵えや強度などは無視でいい。


 適当な天板に四五センチほどの脚を打ち付け、ぐらつかない程度の補強を施した。

 台所から適当な鉄鍋を持ってきて、火鉢から灰と赤熱した炭を移してテーブルの下に置く。


 さすがに炬燵用の布団などはないので毛布を二枚重ね、その上に適当な天板を乗せてこの世界初の炬燵が出来上がった。

 早速とばかりに、龍平が靴を脱ぎ捨てて潜り込む。



 そして半刻後、靴下さえも脱ぎ捨てた龍平は、もちろん俯せで首まで炬燵に潜り込んでいた。

 その態勢を真似した小さな朱の龍は、龍平の横で目を細めて喉を鳴らしている。


「おまいさんっ! 仕事ほっぽっといて、いつまでそうしてるつもりだいっ!?」


 そして、同じような格好で仕事を放棄していたレイナードの脳天に、おかみさんが木のお盆を振り下ろした。

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