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転生龍は人と暮らす  作者: くらいさおら
第三章 王都ガルジア
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96.高所恐怖症

 フォルシティ・ラ・ミッケルは、高所恐怖症だ。

 完璧超人といわれる彼の、数少ない弱点のひとつだった。


 幼い頃、庭の木に登ったはいいが、いざ降りる段になって下を向いたとき足がすくんで動けなくなってしまった。

 恐怖と情けなさに泣いてしまったのが、さらに追い討ちをかけている。


 長じて身長も伸び、相対的な高さを克服していたことで、そんな過去を忘れていた。

 だいたいの建物がせいぜい三階建しかない環境で、恐怖を覚えるほどの高さに会うこともなかった。


 だが、あるとき王城の尖塔のてっぺんまで誰が一番早く駆け上がれるか、競争することになった。

 若さゆえの過ちだろうか。


 トップで駆け上がり、後続はどこかと螺旋階段を見下ろしたとき、膝の力が抜け落ちた。

 その場はなんとか凌いだが、それ以来高所恐怖症が再発してしまった。



 コンテナの飛行は快適で、馬車のような身体を痛める揺れもない。

 対空兵器も、龍に対抗できる空を飛ぶ魔獣や幻獣もいない以上、レフィが落とされることも、コンテナを落とすこともあり得ないと理解している。


 だがダメだ。

 高いところにいるという現実を認識してしまえば、もう恐怖しかない。


 必死に取り繕い、幻霧の森まで来てみたが、気息奄々になっている自分に気づいた。

 帰りは馬車を手配しようかと、弱気になった自分に気づいて、ミッケルは人知れず涙をこぼしていた。



──嫌よぉっ! あたし絶対

乗らないからぁ! 山より高いのよぉっ! あんな高いとこぉっ! 落ちたらどうするのかしらぁっ! 落ちたら痛いのよぉっ! やめてぇっ! 離してぇっ! いやああああああああっ!──


 草原にベヒーモスの悲鳴が響いている。

 大地にへばりつき、地面に爪を立てて引きずられまいと、全身に力を込めていた。


 後ろからそれをティランが引っ張っている。

 牛や犬猫のような細くしなやかなしっぽではなく、いうなれば、ワニやカワウソのような太く力強いしっぽをティランが必死に引っ張っている。


 もちろん赤龍が全力を出せば、ベヒーモスなど片手で首根っこを摘まんで持ち上げられる。

 だが今はティラン恐怖症克服のため、身の丈二メートルの状態だった。


──だいじょーぶ、おねーさん、だいじょーぶだってっ! 怖くないからっ! ボク、おっことさないからぁっ! だから乗ってみてぇっ!──


 とりあえず王都行きを承諾したベヒーモスが、道中人間に会いたくないと言い出した。

 もちろんそれは当然のことと、龍平たちも認識している。


 だからコンテナで来ている。

 効率化もあるが、これなら森から王都屋敷まで誰にも会わずに済む。


 まずは試乗会ということで、全員で遊覧飛行をしようとなった。

 そして説明を聞かされたベヒーモスが、パニックを起こしていた。


 レニアがなんとか宥めようとしていたが、ベヒーモスがいきなり踵を返す。

 咄嗟にしっぽを掴んだティランがどうしていいか解らないまま、ベヒーモスのパニックは続いていた。


 大地に爪痕が無数に刻まれ、土が抉り返される。

 それを見ながら、セリスは薄笑いを浮かべていた。

 よっぽど根に持つようなことがあったんでしょ?


 そしてついに、ティランが決心する。

 互いに卑屈になっていても埒が明かないと、思いきってショック療法に出た。


──ん~、がおおおおおっ!──


 全長三〇メートルに達する、殺戮の化身のオーラが全開になる。

 ベヒーモスは心臓を鷲掴みにされたと錯覚した。

 

──っ!?──


 思いっきり、逆効果。

 あえなく失神したベヒーモスのしっぽを掴んだまま、ティランが泣き出した。


──ティラン、少しお休みなさい。あとは、私たちで何とかするかしら──


 涙に濡れたルビーの瞳が、エメラルドに入れ替わる。

 完全に伸びたベヒーモスを抱えるため、レフィは身の丈一〇メートルの身体に変化した。


「乗せちゃえ乗せちゃえ。一回飛びゃあなんとかなんだろ。高いとこ行って怖くなったわけじゃねぇんだ。勝手に決めつけてるだけだろ。飛んでくれ、レフィ」


 開き直るしかないと、龍平も考えている。

 短期的に見ればガルーダとリッチが来てくれるだけでもありがたいが、長期的に見ればベヒーモスが来てくれるメリットは計り知れない。


 ガルーダもリッチも、基本的にはひと型だ。

 そして、それぞれに戦いや家庭教師として、それなりにコミュニケーションを取ってきた過去もある。


 だが、ベヒーモスは違っていた。

 孤高の獣王として闘争の対象であったり、栄誉のための標的という過去がある。


 人間とベヒーモスがコミュニケーションを取っていたという、はっきりとした記録は残っていない。

 おそらく、幻霧の森でワーズパイトとセリスに出会うまで、ベヒーモスにとって人間は敵だったはずだ。


 もっとも、人間側の認識として、ベヒーモスは害獣ではない。

 全力で挑むべき難敵だ。


 これはベヒーモスにとって、迷惑以外の何物でもない。

 勝手に挑まれ、それを討ち払ってきただけに過ぎない。


 そんな過去を水に流し、ベヒーモスから人間に歩み寄ってみせる。

 これ以上のメリットはない。


 ベヒーモスにしてみればとてつもなく勝手な言いぐさだが、あとは人間側が飲み込まなければならない問題だ。

 害のない魔獣や幻獣を不要不急な素材とせず、くだらない栄誉のための標的としなければ、それでいい。


 なにもすべての魔獣や幻獣を、無差別に保護しろなどと言うつもりはない。

 仮にベヒーモスが無差別に人間を襲うなら、それは間違いなく討伐すべき存在だ。


 理性があって知性があり、人間とコミュニケーションがとれるなら、それのどこが人間と違うのか。

 姿形で差別するなら、それは人間の思い上がりでしかない。


 たとえば、殺人を犯す人間がいるからといって、人間すべてが殺人を犯すわけではない。

 行いで区別すればいいだけだ。


 そのためにもベヒーモスの協力は欠かせない。

 龍平は祈るような気持ちで、ベヒーモスをコンテナに乗せるレフィを見ていた。



 夢を見ていた。

 生まれ落ちてすぐのことだ。


 親の姿を見た記憶はない。

 気がついたとき、ベヒーモスは存在していた。


 今の姿よりはるかに小さく、弱々しく角もなく、他の強大な野性動物に怯え暮らしていた。

 充分に餌も捕れず、いつもひもじかった記憶がある。


 いつの頃だろう、人間に拾われたことがあった。

 自身と同じように幼い子だ。


 まだ何が危険かも知らない、朱の髪がよく似合う純朴な子供だったと思う。

 拾われて以来、片時もその子の側を離れることはなかった。


 食事も一緒。

 寝るときも一緒。


 その子の親は自分のことを警戒しながらも、餌をくれたし可愛がってくれたとも思う。


 だが、別れはすぐに来た。

 あっという間に成長したベヒーモスは、たった一年で集落の大人より大きくなっていた。


 どう考えても飼いきれない。

 これ以上置いておけば、集落の食料がなくなってしまう。


 かといって近くの森で放し飼いなど、問題外だ。

 集落にとっての獲物を食い尽くされるか、獲物が恐れていなくなるかふたつにひとつ。


 飼えない、放せないとなれば、集落の人間にできることはひとつしかない。

 殺す。責任を持って殺すしかない。


 そのころには朧気ながらもコミュニケーションが可能になっていたベヒーモスは、集落の空気が変わったことに気づいていた。

 拾ってくれた子供の目が死んだようになり、一緒に寝ていてもうなされることが多くなってきた。


 ベヒーモスは意識して食べる量を減らしながら、集落を出る機会を窺い始める。

 さすがに殺されるのは嫌だった。


 そして、これまで可愛がってくれた集落のひとびとを、殺すのも嫌だ。

 隙を見てふらりと消え、後は人間と関わるまい。


 そう決めて、ベヒーモスは隙を窺い続けた。

 毎日、集落のひとびとに怯える、拾ってくれた子供の隙を窺っていた。


 ある夜、一緒に寝ていた子供を、その両親が抱き上げた。

 拾われた頃は抱え込まれていたが、いまでは子供がすがり付くような格好で寝ている。


 そんな子供を両親が抱き上げてくれた。

 そして、粗末な作りの扉が開かれる。



 人間と関わるまいと過ごした年月がどれ程か、数えようとも思わなかった。

 野を駆け山を越え、定住しないことだけを心がけた。


 襲われたら撃退するが、逃げるなら追いはしない。

 そう繰り返しているうち、狩り以外の戦いに嫌気が差してきた。


 あの朱色の髪の子供と別れて、もうどれくらい過ぎたろう。

 ベヒーモスは人間の寿命を知らないし、一年という単位の概念までは理解していなかった。


 もう大人になったのだろうか。

 それとも、もう地に還ったのか。


 ときおり存在を思い出すが、もう顔は思い出せなかった。

 そのことに愕然としながらさ迷い続けたベヒーモスは、いつしか幻霧の森にたどり着いていた。


 それは、レフィとティランが眠りについた直後のこと。

 いまから二〇〇年前のことだった。



 白の地獄を踏破したベヒーモスは、穏やかな陽光の下に広がる草原に出た。

 そして気持ちのいい風にアメジストの鬣をなびかせ歩いているとき、一軒の瀟洒な洋館を発見する。


 人間が住んでいる。

 もう、あんな悲しい思いはしたくない。


 そう思った瞬間、ベヒーモスは肉弾と化した。

 全身に力を漲らせ、全力で洋館に突進する。


 かつて、幾多の勇者を退けた、ベヒーモス最大最強の攻撃だった。

 途中、何もないはずの空間で何度か衝撃を受けたが、そんなことは気にならない。


 盛大な破壊音と共にアメジストの巨体が洋館に突入し、扉を弾き飛ばしてエントランスホールに雪崩れ込む。

 扉や周囲の壁だけでベヒーモスの勢いは殺すことはできず、玄関正面の階段に角が突き刺さるまで止まらなかった。


 住人を殺す気などない。

 だが、人間とはもう関わり合いたくない。


 住処を破壊すれば出ていってくれるはず。

 だから、この洋館が廃墟と化すまで。


 そう考えて角を引き抜いたベヒーモスの土手っ腹に、これまで食らったことのない衝撃が叩き込まれた。

 次の瞬間には角に高温の火球が飛来し、避ける間もなく炸裂する。


 振り向いてみれば、年老いた男が節くれだった木の杖を掲げ、朱色の髪を振り乱す少女が拳を固めている。

 ベヒーモスが角にできた焦げ痕を見上げたとき、問答無用の乱戦が始まった。



──そうねぇ、あのときは悪いことをしたわぁ……謝らなくちゃね、いい加減セリスにも──


 二対一の乱戦を神の視線で眺めながら、夢だと自覚しているベヒーモスは呟いた。

 あのあとワーズパイトとは和解したが、拾ってくれた子供の髪を彷彿とさせたセリスにはなぜか意固地になってしまった。


──空に、行ってみようかしらぁ。何が新しい世界が見えるかもしれないわぁ──


 過去は振り切ろうと、自らの意思で目を覚ます。

 目の前に扉があった。


 足元が揺れている気がするのは、きっと失神から覚めた直後だからだろう。

 そうだ、あとでティランにも謝らなきゃ。


 そう思いながら、角で扉を押し開ける。

 閂でも掛かっていたのか、開いた瞬間に抵抗が消え失せ、ベヒーモスは思わずたたらを踏んだ。


 扉から顔が突き出され、否応なしに周囲の光景が目に飛び込んでくる。

 足元のはるか下を幻霧の森が過ぎていった。


──ぃ、ぃ、ぃぃいやあああああああああああああああああっ!? ……ぁふぅ……──


 飛んでいた。

 ありとあらゆる情報が脳に流れ込み、高度がそのまま恐怖に変わる。


 心の崩壊を防ぐため、ベヒーモスの本能はさっさと意識をぶん投げた。

 悲鳴のような咆哮に気づいて貨物室と扉を開けた龍平は、身体半分を扉の外にせり出したまま痙攣するアメジストの巨体を見つけてしまう。


「降りろっ! レフィっ! 降りろおおおおおおおおおっ!」


 ベヒーモスの身体がずり落ちそうになり、肉体強化した龍平がしっぽを掴み締める。

 異変に気づいたレフィが降下を始め、その間ケイリーとバッレ、ミッケルがベヒーモスの巨体にすがり付いた。


 その日の夜。

 ミッケルとベヒーモスがやたらと意気投合していたのは、気のせいではないだろう。

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