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転生龍は人と暮らす  作者: くらいさおら
第三章 王都ガルジア
93/98

93.王都争乱 幕切れ

 最終的に、スラムは更地にはされなかった。

 家屋の破壊を指揮していた工兵の指揮官も、この世が綺麗事だけでは済まないことなど解りきっている。


 あのとき打ち倒した老人は、年齢によって体力が落ち、仕事にありつけなくなっただけだったのかもしれない。

 そして貧困の果てに住むところを失い、スラムへとたどり着いたのかもしれない。


 あのとき叩きのめした子供は、これまでに一度も罪を犯してなかったかもしれない。

 そして、これからも一生罪を犯さないかもしれなかった。



 スラムは、一種のソーシャルセーフティネットなのかもしれなかった。

 国家の庇護から打ち捨てられる代わりに、税を負担させられることはない。


 廃屋に住み着こうと、家賃を取る者もいない。

 空き地に掘っ立て小屋を建てようと、土地の賃料もなかった。


 悪事は働き放題だが、他の悪事から官権が守ってくれることもない。

 誰もが寄り添い、食い物を手に入れられない者がいれば、誰かが命を繋ぐ程度に手を貸している。



 もちろん、美談でもなんでもない。

 そこで死なれたら面倒なだけだ。


 そのうち情が移って献身的なやり取りもあることはある。

 だが、ほとんどはのちのちの見返りを期待する打算でしかない。


 それでも為政者からすれば、常習的な犯罪者やその予備軍が市井に散在するのは、許容できることではない。

 根絶が困難ならば、いっそのことひとまとめにいてくれた方が何かと都合がいい。



 それならば、スラムを完全に排除するのは悪手だろう。

 行き場のない破落戸を吸い寄らせ、軽微な犯罪であれば見逃す代わり、外に出てこなければいい。


 官権もおおっぴらに見廻りなどせず、潜入者に監視させて油断させておけばいい。

 そうすれば重犯罪者や他国からの間者、テロリストたちといった厄介な連中の隠れ家にしておける。


 そのために、一般社会から見捨てられた弱者への、さりげない援助も経費のうちだ。

 大仰な炊き出しもいいが、歩くことすらできなくなった者に手を差し伸べていれば、周囲の口は軽くなっていく。



 大店や貴族屋敷の改築や増築で出る産業廃棄物が、スラムの片隅に捨てられるのもその一環だ。

 使い回しの利かない廃材など燃やすしかないが、わざわざ王都の外まで運ぶくらいならスラムに捨てた方が手間が省ける。


 それを掘っ立て小屋に利用し、行き場のない者が雨風を凌ぎに集まってくるようになる。

 そこに集まる者が犯罪に走れば一網打尽にすればいい。


 もし慎ましく生きるなら、それはそれでいいことだ。

 そうなれば、情報と引き換えに死なない程度に援助すればいい。


 もちろん、情報の引き出し方は世間話でなければならない。

 そして、援助のやり方は美談になるような、一方通行の善意に見せかける。


 これまでも為政者は、そうやってスラムを利用してきた。

 そして、これからもスラムのあり方は、それ以外にはない。



「おい、落ち延びる当ては大丈夫なのか? いや、逃げ切れるのか? 他の連中は無事なのか?」


 王都商業区画にある中規模商会の倉庫で、ふたりの男が顔を突き合わせている。

 片方は真面目一辺倒に見える紹介の手代で、もう一方は垢抜けない格好だが、地方の庄屋といった風情の男だ。


「ああ。まだみんな無事だ。まさか、他にもあいつらを狙ってるやつがいるとはな。先を越されちまったと焦ったが、これであいつらも油断してるだろ。どこのどなたか知らねぇが、ありがてぇこったぜ」


 庄屋風情の男が答える。

 このふたりのどこに、テロリズムという共通の目的があるのか判らない。


 だが、よくよく見てみれば、ふたりの相貌はよく似通っている。

 庄屋風情の男からみた商会の手代は、子供の頃に行商人について家を出ていった兄だった。


「そうか。他にもいたのか。それじゃ、ちょうどいい囮になってくれたってわけだ。うめぇこといったじゃねぇか。最初はなにかと思ったが、大恩あるお屋形さまがそんな目に遭わされたんじゃ一肌脱がずにゃおけねぇや。うめぇこと仇射ってくれ」


 行商人が手堅く商いを広げ、一端の店を構える頃には、彼もまた重要な役割を果たすようになっていた。

 セルニアン辺境伯領内にあったホルソン領の行商を、一手に引き受ける窓口を男は任されていた。


「あとの仲間たちは、家の分家筋から嫁に出した鍛冶家にいる。おめぇさんとことは取引がない。迷惑は掛からねぇよ」


 いうまでもなく、その鍛冶屋からこの商会にたどられるようなへまはしない。

 分家といっても他の領地に出た家だ。


 その領地の行商は、また別の商会が握っている。

 大本をたどればセルニアンの御用商会だが、下部組織のすべてが結束しているわけではない。


 当然、セルニアン内でのシェア拡大のため、それぞれはしのぎを削り合う仲だ。

 敵対するほどではないが協力もしない、その距離感が大事だった。

 

「おう、分かった。とにかく気を付けろよ。ほら、当座の金だ」


 手代が懐から、銀貨と銅貨が詰まった袋を渡す。

 金貨の方が嵩張らないが、両替などから疑われてはたまらない。


 できることであるならば、弟たちの悲願は叶えてほしい。

 だが、手代にも守るべき存在はあるし、いる。

 そうである以上、非情かもしれないが、弟たちの行動は迷惑以外の何物でもない。

 一蓮托生は、お断りだった。


「すまねぇ。ことが済んだら、縁切りだ。もう、ここに来るともねぇだろう。今までありがとうよ、兄貴」


 そう言って、庄屋風情の男は倉庫を出る。

 その背中を闇に溶け込むような、目立たない風体の男が追っていく。


 手代はそれを黙って見送った。

 慚愧の念と惜別の情が、胸中に荒れ狂っている。



 きらびやかな照明の下で、龍平は生まれたての小鹿のように震えている。

 次々と広間に入ってくる面子を見て、絶対ろくなことにはならないと直感が告げていた。


 冬の間には、何度も宴席には出席していた。

 だが、これほど豪勢な宴席は久し振りだ。


 徐爵のときも尋常ではなかったが、今回の宴席もそれに負けず劣らずだ。

 主催が財務尚書で、主賓が王国軍軍団長だ。


 内務尚書と近衛騎士団も招待されているが、普段の予算取りで対立することもある軍団長を立てた形だ。

 おそらくこの四人の中では、宴席の趣旨によって誰が主催なら誰が主賓と決まっているのだろう。


 プライドとメンツを気にする、いかにも法衣貴族らしい配慮だ。

 それに比べれば、バーラムがセルニアで主催する宴席の席次は、爵位とその在位期間という単純明快なものだった。


「おう、やっとるか、リューヘー」


 乾杯もまだだというのに、ワインを呷りながらバーラムが横に座る。

 本来なら、そこはミッケルが座るはずの席だった。


 だが、襲撃を撃退した殊勲者側の面倒ごとの一切合切をミッケルに押し付けて、強引に気楽な席へと代わっていた。

 実際、フォルシティ邸とワーデビット家上屋敷でも、テロリストの粗方を葬り去ったのがレフィであり、理に適った席次でもあるだろう。

 明日の二日酔い決定だね。


「閣下……ご勘弁を……」


 いきなり注がれたワインを前に、龍平が固まる。

 この世界の飲酒基準が緩いことは理解しているが、それでもやはり日本の常識を引きずってしまう。


 ときには飲んだくれてみたこともあった。

 しかし、正装で参加する正餐の席ともなれば、それなりに固く考えてしまうものだ。


 こんなとき頼りにできるレフィは、最大の殊勲者ということでミッケル共々主賓のテーブルに席を用意されていた。

 そしてこの席にはバーラムだけではなく、リパロスが配されている。


 どう考えても、猛獣の檻に放り込まれた小動物だ。

 一杯だけ飲んでお茶を濁すなど、夢のまた夢。


 開き直ったところで、手玉に取られるだけと解っている。

 ならば、それを解って開き直るしかないのだが、小心者には下しきれない決断だった。


「なぁに言ってんだ、ほら空けろ。リパロスも待ってんだぞ、ほら飲め」


 やっとの思いでカップを空けたかと思うや否や、バーラムが二杯目を注いででくる。

 この二杯で、地球換算すればワインボトルの半分以上が空いていた。


「いい飲みっぷりだね、フレケリー卿。俺からも、さ、一杯いこう」


 満面の笑みを湛え、リパロスがピッチャーを構えている。

 こうなっては、もう逃げ道などあるはずもなかった。

By the way, which do "一杯" meen in this case, a cup of wine or a lot of wine?



「助けなくてよいのかね?」


 主催者と主賓に次ぐ席次に収まった小さな赤い龍に、キルアンが訊ねた。

 王城での厳しい表情はすっかりと鳴りを潜め、柔らかくまるで孫に向けるかのような視線がレフィに向けられていた。


──閣下、そろそろ彼もあの程度をあしらえませんと。いよいよともなれば助けもしましょうが、ここで命の危険などはございませんでしょう?──


 長く裂けた口許を歪め、小さな赤い龍は笑って見せる。

 大切に思うひとではあるが、過保護だけではよくないと突き放して見せた。


 命の危険、あるかもよ?

 急性アルコール中毒ってね。


「新しいおもちゃを手に入れた子供だな、ワーデビット閣下もエリン卿も」


 含み笑いに混ぜて、ミッケルがはしゃぐ大人たちを評する。

 的確すぎる表現に、小さな赤い竜が俯いた。


「ドラゴン殿、今はレフィ殿かの? そのうち機会があれば、そなたの内にいるティラン殿とも話をさせてくれんかの?」


 キルアンが訊ねた理由は、龍平とは異なる異世界の知識に触れてみたいからだ。

 もちろん、ティランの文明度や危険度を図るという意味合いも、当然のことながら含まれている。


 今回、それぞれが事前に作戦の打ち合わせをしていたにも関わらず、赤い巨龍は独断専行でテロリストを殲滅していた。

 それがどういった意図なのか、まだ誰も聞いていない。


 以前の報告で、レフィが破壊衝動に囚われたとき、理性ある破壊神としてティランが目覚めたと聞いていた。

 今回もそうであるならば、なんらかの紐をつける必要がある。


 聞くところによるティランの性格は幼く、好ましいものと思える。

 だが、破壊衝動のまま暴れる龍に対抗する術がない以上、トリガーとなる要因を探っておかなければならないとキルアンは考えていた。


 さらには、彼の世界の文明や文化は、この世界とどう違うのか。

 倫理観はどうなのか、それを知らねばならなかった。


 実際のところ、この世界とティランがいた世界の文明度や文化、倫理観にそれほどの差異はない。

 ただ、あらゆる知識を集めていた赤龍は、迷信が迷信あると知っていた。


 この差は大きい。

 龍平の話を先入観なしで即理解できる明晰さと合わせ、赤龍の知性はこの世界においても最高レベルだった。


 龍平君など足元にも及びません。

 幼児退行のせいで気づきにくいけどさ。


──少々お待ちを、閣下──

──いいよ~。ボクにどんな御用?──


 キルアンが思いに沈みかけたとき、レフィからの念話が届く。

 そして、それまでエメラルドの煌めきを宿していた龍の左目が、鱗と同じ深紅のルビーに輝いた。


 その直後、五歳から六歳の女の子を彷彿とさせる念話が、キルアンの脳裏に届けられた。

 それまで優雅と表すべきだった物腰が、小動物チックな可愛らしさに変わっている。


 特別誂えの椅子の上で後肢を投げ出し、早速目の前のワインを満たしたカップを両手で持ち上げた。

 そして舌でワインを掬いながら、小さな朱の龍はキルアンに上目遣いの視線を向ける。


「おお、これは……」


 一撃必殺でしたかな、お爺ちゃん。

 ミッケルさんもデルファの妹分と認識してるしなぁ。


──?──


 後ろに控えたウエイトレスさんの目尻が下がりまくったぞ。

 小首傾げるのやめろ、自分がかわいいの自覚してるだろ。萌え殺す気か。


「んっ。失礼。ティラン殿かのぅ? 今日はようこそ。ごゆるりと楽しんでいかれよ。異世界の知恵は酒の席などではなく、もっと落ち着いたところで聞かせていただく。今宵は難しいことなど置いておけばよろしい」


 初対面となるティランだが、この世界の礼法を強要するなど愚の骨頂だ。

 臣従しているわけでもない人外に、人間の常識が通じるはずもない。


 さすがにひとと暮らす転生龍が、いきなり殺戮の嵐を吹かせるとは思わない。

 今夜は難しい話など抜きにして、会話を楽しもうとキルアンは決めていた。

 久し振りに孫に会うお爺ちゃんですね、閣下。


──うん、いいよ~。難しいお話は、また今度ね。うわぁ、美味しそうなごちそういっぱいだぁ──


 小さな朱の龍が、嬉しそうに翼をはためかす。

 そのはためきが天使の羽ばたきに見えた者は、きっとキルアンと背後についたウエイトレスだけではなかったはずだ。



「突入準備」


 闇の中に小さな声が落ちた。

 黒く染め上げた革鎧を身にまとう集団が、一軒の鍛冶工房を取り囲んでいる。


 この一〇日間、国軍の情報担当はテロリストの潜伏先として、ホルソン家に伝を持つ商家をしらみ潰しに当たっていた。

 その結果浮かび上がったのが、この鍛冶工房だ。


 ホルソン領の庄屋分家から、別領に嫁いだ娘がいた。

 さらにその家を継げなかった者が、また別の領で興した分家があった。


 そのふたつの領を跨いだ分家筋の友人に、修行のため王都に出た鍛冶屋の次男がいた。

 そしてその鍛冶屋が独立し新たに構えた工房を、国軍の小隊が取り囲んでいる。



 聞き込みの過程で、ある商会の手代から情報がもたらされた。

 ホルソン家所縁の者たちの潜伏先に心当りありと。


 数日間の内定を済ませ、手代が今回のテロリズムには反対であることと、それを面と向かって言えない状況であることは判っている。

 鍛冶工房にしても実家を人質にされたも同じことで、下手に追い出せばどのような報復があるか判らない。


 だからといって、同情する点はあるにせよ、テロを起こされた時点で同罪だ。

 そんなことで王城前に首を晒されるなんて、真っ平御免だった。


 表面上はテロリズムを支援する振りをして、捜査の手が及んだ瞬間に手代は決断した。

 先手を打って垂れ込むという手もあるにはあったが、どこで監視されているか判らない。


 報復を恐れ、捜査の手が延びてくるのを待つしかなかった。

 そして、兄弟を売った罪悪感と共に、手代はやっと故郷から解放されたと安堵の溜め息を漏らしていた。



 破局は突然やってくる。

 この日も襲撃の糸口さえ掴めず、無駄に過ぎた一日だった。


 不貞腐れて酒に逃げようにも、類が及ぶことを恐れて兄とは縁を切ったばかりだ。

 押し込み同然に居座った鍛冶工房に、これ以上金銭的な迷惑までかけるわけにもいかない。


 夜の帷が降りたあと、やることもなくテロリストは寝るしかった。

 そして、ひとの眠りが最も深くなるといわれる明け方近く、破局が訪れた。



 裏口近くの窓を外し、影がひとり屋内に滑り込む。

 ほどなくして、音もなく裏口が開けられた。


 数人の男たちが屋内に散開し、鍛冶工房の家族の安全確保に回る。

 もちろんいきなり叩き起こして、騒ぎを起こすわけにはいかない。


 家族の寝所前に警戒の兵を置き、それ以外の男たちがテロリストの寝所に忍び込む。

 潜入工作の訓練を積んだわけでもないただの村人に、破壊工作の専門家たちを防ぐ手だてがあるはずもない。


 目を覚ます前に永遠の眠りについたテロリストにすらなれなかった村人たちが、その瞬間に何を思ったかは知る由もない。

 あとは騒ぎにならないよう死体をスラムで処分し、朝を迎えるだけだ。



 鍛冶工房の家族にせよ、商会の手代にせよ、当分の間監視は続ける必要がある。

 テロリズムに荷担はしなかったとはいえ、関係者であることは間違いない。


 この先、彼らを頼る復讐者がいないとも限らない。

 連座の罪に問わない代償として、誘蛾灯の役割は勤めてもらう。


 静かな殺戮の後始末をしながら、小隊の指揮官は監視に当たる部隊への引き継ぎ内容を検討している。

 王都でふたつの家族を監視する班と、旧ホルソン領に潜伏する班があるはずだ。


 王都の監視班はそれほど忙しくはないだろう。

 定期的な監視で充分だ。


 潜入班の負担が大きければ、自分も旧ホルソン領に行くのだろうか。

 今、その答えはでないし、これを決めるのは上層部だ。


 それより、今は騒ぎを起こさないことが最優先だ。

 指揮官は、この場における最後の命令を下した。


 鍛冶工房の家族が起きる前に、偽装の置き手紙を残して撤収する。

 龍平が酔い潰れている間に、逆恨みのテロリズムは完全に潰えた。

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