91.王都争乱 夜戦からのネズミ狩り
ひとしきり王都の空を飛んだレフィと龍平は、日没前にフォルシティ邸に舞い戻った。
中庭に迎えに出てきたフロイとソラにレフィの騎龍具を任せ、龍平はジゼルを伴って武具の換装へと向かっている。
御料森での活動に金属の甲冑は不向きなため、龍平は革鎧ででかけていた。
今度は防衛戦であり、かつ夜戦でもあるため、防御力を重視することした。
「みなさん、よくぞご無事で。バーラム様が止まっていた宿が焼け落ちてるのを見たときは、さすがに背筋が凍りましたよ。ミッケル様は、お戻りに?」
革鎧を外しながら、ジゼルから情報収集だ。
規格外は龍平の意図を察知し、聞かれるままに答えていく。
「リューヘー様こそ、ご無事にお戻りで何よりです。現在、ディフィ様とデルファ様は、二階のミッケル様の執務室にいらっしゃいます。窓はありますが、背後は隣のお屋敷の庭が近く、こちらからの侵入に備えてネイピアのかたが当家の庭に詰めております。お部屋での警護にはタエニアがお側に」
まずは、戦う力を持たない者の警護状況だ。
警戒しすぎて、し過ぎるなどということはない。
なにせ、放火などという卑劣な手を使ってくる連中だ。
家族を狙ってくることも、充分すぎるほど考えられる。
既婚とはいえ女性の前で肌を晒すなど、この世界の常識に照らし合わせれば非礼この上なく非常識もいいところだ。
だがそれでも龍平はインナーを脱ぎ捨て、新しく乾いたものに着替えていく。
春未だ明けぬ寒空の下、汗で濡れたインナーなど身体を動かせなくするだけだ。
そして龍平は続きを促した。
「はい。ミッケル様は一度お戻りになられ、戦支度をお済ませになるや、現在はお屋敷周辺の現場調査にお向かいになられました」
やはり、ミッケルは戦場に生きる男だ。
守備側の不利になる仕込みがないか、真っ先にそれを確認している。
──レフィ、騎龍具外したら頼みがある。ミッケル様がお屋敷周囲の安全確認に出てるらしい。空から護衛を頼む──
ミッケルに不安はないが、一応レフィを護衛に出す。
そちらは任せて、早く支度を整えなければ。
「ジゼルさん、レフィにミッケル様の護衛を任せました。守備側の戦力を教えてください」
甲冑を着込みながら、龍平はジゼルを促す。
ジゼルも龍平を手伝いながら、情報を伝達していった。
「はい。ネイピア兵が五名、指揮官はバッレ様。配置は遊撃です。ミウル様はタエニアの補佐でお嬢様付です。それから街道警備にご一緒いただいてる、ラ・オーキッド様とラ・ワーゼル様がまもなくお越しになり、正面玄関と裏口をお守りいただきます。勝手口は厨房担当の者たちに、バリケードを築かせてございます」
ほしい情報はこれで揃った。
あとは自分の配置だ。
「ありがとうございます。俺はどこに行けばいいですか? ジゼルさんはどこに?」
甲冑を装着し終えた龍平は、屈伸運動を繰り返している。
肉体強化があるとはいえ、さっきまで来ていた革鎧とは重さがまるで違う。
微妙な違和感を早く消さないと、一瞬の隙を疲れかねない。
龍平は入念に間接をほぐしていった。
「龍平様はレフィ様共々正面の庭を。ミッケル様も合流いたします。わたくしは伝令です。これでも足には自信がございまして。よろしければ、わたくしも着替えて参ります」
そう言ってジゼルは自室へと下がる。
自室とはいっても既婚者であり、屋敷の外から通っているため住み込みのフロイやソラの部屋よりは狭い。
メイド服の着替えやちょっとした事務仕事に使っているらしい。
ひとりになった龍平は、指定された庭で待機することにした。
やがて日も沈み、いつもより明るく部屋の明かりがつけられた。
篝火で警戒されるより、間接光で照度を稼ぐつもりだ。
ミッケルがオーキッドとワーゼルを伴って庭に入ってくる。
龍平とは軽く挨拶を交わし、ふたりはそれぞれの配置に就いた。
「やあ、リューヘー君。帰ってくるなりご苦労だね。ありがとう。ま、敵の狙いはバーラム様で、こっちはおまけさ。それにレフィ殿がいる限り、滅多なことはないさ。手早く片付けて、バーラム様の応援に行こうじゃないか」
相変わらず気負いを感じさせない、天性の指揮官だ。
防御力をあえて捨て、動きやすさを重視した革鎧が、かえってその精悍さを強調しているかのようだ。
──卿、刺客どもの外側を取り巻いているのは、軍? それとも近衛?──
薄暗い庭に深紅の鱗を持つ龍が舞い降りる。
上空からの偵察で、敵の布陣は丸分かりだ。
「お疲れさまです。外側で待機してるのは、ここ担当の軍です。ま、挟み撃ちですね。おそらく、爆発か発行のスクロールを投げ込み、こちらが怯んだ隙に雪崩れ込む。その程度でしょう。スクロールを撃ち落とすか燃やし尽くしていただいても?
そのあとは討って出で、手当たり次第です。リューヘー君は庭で待機。逃げ込んだやつの無力化を頼む」
てきぱきと作戦を指示し、ミッケルはテーブルでお茶を飲み始める。
どうせレフィのブレスが状況開始の合図になるし、それまではリラックスしていればいい。
闇の中に一五人ほどの影が蠢いている。
フォルシティ邸の正門から、数メートル離れた位置だ。
今回の襲撃は、帰還を期していない。
敵国の王都で要人を殺害すれば、それなりの厳戒体制になるはずだ。
おそらく、被害者が発覚した時点で、どこがやったかはすぐにバレる。
ガルジオンも威信に賭けて捕縛に来るだろう。
その追っ手を逃れて国境までたどり着くのはかなりの困難を要するだろう。
それであれば、そこにエネルギーを使うより、目的を達した後はひとりでも多く道ずれを作るだけだ。
その相手はガルジオン王国民であれば、誰でもいい。
隣の邸宅に雪崩れ込んでもいいし、闇に紛れて往生を王城を狙うのもいい。
その時に気分に任せよう。
まずは憎きミッケルを血祭りにあげてからだ。
襲撃メンバーとアイコンタクトを取る。
壁越しに放り投げ、空中で発火するのを彼らは待っていた。
次の瞬間、邸内から蒼白い熱線が天まで届けとばかりに撃ち出される。
スクロールは、その光の中で消滅した。
男は信じられない思いで天を見上げている。
なぜ消滅する。なぜ爆発しない。
男はすぐに正気を取り戻すが、いくつもの事実に気づいてしまった。
まずは、対処が早すぎる。つまり、待ち受けられている。
そして、もうすぐ近くから金属がぶつかり合う不協和音が聞こえてきた。
つまり、居場所も把握され、包囲されている。
絶望的な面持ちで男は剣を抜き、走り出そうとする。
その足元を、熱線が貫いた。
直撃を受けたわけでもないのに、周囲の温度が高くなっている。
熱線が抉った穴に近い脚が、火傷をしたような疼痛に包まれていた。
ふと上を見れば、身の丈一〇メートルを越える赤い巨龍が、こちらを睥睨している。
それが男が見たこの世で最後の光景だった。
──あなたも軍も、危険を侵す必要はないわ。闇の中の戦闘なんて、同士討ちの危険を避けられないかしら。私が一撃で終わらせてあげる。そのままバーラム様の救援に行ってくるわ──
そう言って飛び立ったレフィは、天空で本来の姿を取り戻す。
身の丈一〇メートル、長大なしっぽを含めれば五〇メートルを越える破壊の天使が、テロリストたちを見下ろした。
たっぷりと恐怖を与え、軍の部隊が近づききる前に、巨龍は超超高温のブレスを放った。
地面に精密画を描くように一五人の身体を切断する。
頭から下腹部へと熱線に貫かれ、声も音もなくひとりの人間が蒸発する。
斜めに身体を切断され、上半身と下半身が泣き別れになった死体がいくつも転がった。
その切断面は高温の熱線に焼き固められ、臓物や腸の内容物が辺りを汚さないように配慮が行き届いている。
現場に到着した軍の部隊は、何が起きたのか理解できないままテロリストの死体を回収するはめになっていた。
その様子を眺めていた巨龍が、夜空を引き裂くような咆哮を放つ。
そしてゆっくりと羽ばたいて高度を取り、セルニアン辺境伯上屋敷がある方向へと飛び去っていった。
その翌朝、ガルジオン外壁にへばりつくように広がるスラム街は、異様な雰囲気に包まれていた。
普段であれば寄り付きもしない巡回士が、なんの遠慮もなく入り込んでくる。
スラムの住人と巡回士をはじめとした官権は、暗黙のうちに踏み込む距離感を決めていた。
スラムの住人によるスリやかっぱらい、置き引き程度の犯罪は現行犯でもない限り見逃すが、スラム外での殺人や誘拐などの攻撃的犯罪を犯せば、スラムを討ち壊してでも犯人を捕らえる。
そもそもが行き場をなくしたひとびとが寄り添っていた最下層の古く打ち捨てられた街を、犯罪組織が隠れ蓑にしたのがスラムの始まりだ。
基本的にろくでもない破落戸ばかりが住み着き、まともな人間は近寄りもしない区域だ。
賭博、売春、密造酒に麻薬と、おりとあらゆる犯罪が渦巻いている。
摘発しようにも、普段は合い争う組織が官権相手には一致団結したり、弱者であるはずの住人たちによる徹底した妨害行動がそれを不可能にしている。
官権もスラムばかりにひとも時間も割いてはいられず、ある程度のところで妥協するしかなかった。
それは、一種の治外法権といってもいいだろう。
それが今日、討ち壊される。
スラムの前に整列しているのは見慣れた巡回士ではなく、きらびやかな鎧に身を包み、陽光に煌めく槍や権を携えた軍隊だった。
「なんだてめぇら。おい!なにしに来やがったっ!? この街に官権が入り込んで生きて帰れると思うな、ぎゃあああああっ!」
「なにしやがるっ!? どういうつもりだ、ごるぁあっ! ぶっ殺されて、うぎゃあああっ!」
「やめろっ! やめてくれっ! も、もう助けっ!?」
一糸乱れぬ行進が、スラムのメインストリートを進んでいく。
いつもの調子で食って掛かった破落戸を、ものも言わずに兵士が剣で殴り倒す。
それでもまだ向かってくる破落戸には、ついに白刃が振るわれた。
王都にとっている価値などないはみ出し者に、掛ける情けなどあるはずもない。
これまでに何度も炊き出しや就業の斡旋と手を差し伸べてきたが、食うだけ食って後足て砂を蹴る者ばかりだった。
それがついに正当な処刑を逆恨みし、仇討ちなどと戯言を抜かす者に手を貸した。
それどころか、外患誘致に手を貸した。
宿が焼かれ、多くの無辜の民が犠牲となった。
もう許してはおけない。
もう見逃してはおけない。
生かしておく必要などない。
街を残しておく必要もない。
そこここで見られる蹂躙劇に、はじめは遠巻きにヤジを飛ばしていた住人たちが黙り込んだ。
そして、一件の廃屋の前で行進が止まった。
指揮官の号令一下、兵士が廃屋に雪崩れ込んだ。
怒号と悲鳴が交錯し、肉を断つ鈍い音が何度も木霊する。
やがて喧騒が収まると、後ろ手に縛られ腰縄を打たれた男たちが連行されていく。
その後ろには戸板に載せられて、死体が運ばれていった。
その一隊と入れ替わるように、今度はハンマーやスコップ、鍬につるはしといった、およそ武器とは思えないものを携えた軍隊が突入してきた。
そしていくつものグループに別れると、手近な建物からは破壊し始める。
無人の廃屋であろうと、まだ小さな子供や足腰の立たなくなった老人が住んでいようと、そんなことお構いなしだった。
すがり付く子供や老人を道に放り出し、なんとか抵抗しようとする大人は手にした道具で叩きのめす。
「騎士様、もう見るに耐えません。子供や老人は保護すればいいじゃないですか。そうでなくとも、あそこまですることないじゃありませんか」
若い従者が、涙ながらに訴えかける。
だが、その場の指揮を執る騎士は、眉ひとつ動かさず従者に答えた。
「あの老人たちは、麻薬に溺れた者の成の果てだ。そこに到達するまでに、どれだけのひとを泣かせてきたと思うのかね? ま、すべてとは言わんがね」
打ち倒され、踏みつけられた老人の身体が血塗れで痙攣し、やがて動かなくなる。
「そして、見ろあの子供たちを。あれが子供か? あの歳であの殺意。まともに育つとは思えん」
俯せに倒れ、もう動かなくなった小さな身体の下に、どす黒い水溜まりが広がっていく。
「中にはいるのかもしれないが、その数人を救うためにどれ程の犯罪が起きると思う? スリやかっぱらいではなく、人殺しや誘拐、人身売買といった重犯罪だ」
若い破落戸が奇声をあげて兵士に掴み掛かるが、四方八方から袋叩きにされ、へし折られた四肢があらぬ方向にひん曲げられている。
「犯罪の芽は事前に摘み取るしかない。長い間スラムを見逃してきた結果がこれだ。彼らは自らこの結末を招き入れたんだ」
それからというもの、工兵隊が入れ替わり立ち替わりスラムに派遣され、汚れた街が更地に変えられていく。
この日、住処を失ったひとびとは日頃の行いのせいだろう、ガルジオンを石もて追われていった。
「そして盗賊に身をやつし、カナルロクとの国境へと追いやられ、泣く泣く密入国する、と。我が国はカナルロクへ警告を送り、駐在武官立ち会いのもとにこれを可能な限り討伐する。それでも討ち漏らしは出るでしょうな。汚い。大人は心底汚い。それが私に足りないものなのですね」
休息から戻ったテイルベリーは掌に爪を食い込ませている。
そして、ティルベリーは己の中に、折り合いをつけようとしていた。
人道に悖ると責めるのは容易い。
だが、スラムを見て見ぬ振りしてきた自分に、大人たちを責めるに値する資格があろうか。
「難しいのぅ、統治は」
カルミアはひと言だけ答え、口を閉ざす。
大量の難民が出た理由は、先日の宿放火事件の犯人がスラムの住人であり、その捕縛を妨害した者たちが逃げ出したこととしている。
これでカナルロクは反論できなくなる。
アイントベィニーからの警告の手紙が、何よりの証拠となってしまったからだ。
セルニアン辺境伯領への不当な国境侵犯の結果返り討ちに合い、それを逆恨みした。
その挙げ句に領地を放り出して出奔した陪臣が、食うに困ってスラムに住み着いた。
幾多の犯罪に手を染めながら、セルニアン辺境伯の動向を探り続けていた。
その資金は、犯罪で稼いだものだ。
そして、辺境伯が投宿した宿を見つけるや否や、これに放火した。
無辜の民を巻き添えにしてでも、辺境伯を亡き者にしようとした。
完璧すぎる再度ストーリーに、突き崩す余地などない。
これが伝われば、カナルロク国内でのアイントベィニー侯爵の立場は、悪化する一方だろう。
ことここに至って起死回生、窮余の一策などに走ったとする。
そうなればアイントベィニーを擁護する者と非難する者に二分され、カナルロクは崩壊しかねない。
彼の侯爵がガルジオンに手出しをすることは、もう無理だろう。
元々の原因となった国境侵犯などなかったとガルジオンが言っている以上、彼の侯爵の隠居か領地替えで落とし前をつけるしかない。
今ごろは、彼の城を国軍が取り囲む準備の真っ最中のはずだ。
その後の条件闘争で彼の侯爵は隠居のうえで院政を敷き、バーラムへの復讐を諦めないだろうが、跡取りがそれを許すとも思えない。
できれば穏健派の違う貴族と領地替えでもしてもらい、仮初めの友好関係でも結べれば上々だ。
おそらく、カナルロク国王もそれを望んでいるはずで、それが最終的な落としどころだろう。
一旦は代替わりし、跡取りに領地替えの準備をさせる。
周囲への根回しが済めば領地替えが行われ、向こう一年ですべてのかたがつく。
領地も増えず、賠償金もなく、一体誰が得をするのだろう。
統治も難しいが、外交も難しいということを、今回の騒動で学べるならば、得をしたのはティルベリーだ。
やはり運は彼にあるのだろう。
弟たちや妹を担ごうとしている愚か者たちが、早く目を覚ますことを願うしかない。
スラム街の破壊は一日で終わるはずもなく、まだネズミは隠れているはずだ。
そして、スラムではない一般の居住地にもネズミが潜んでいる。
聞けば、昨夜のフォルシティ邸襲撃は、レフィひとりですべてを片付けたようなものらしい。
軍の見せ場も作らなければ、不満が渦巻いてしまう。
統治も難しければ、外交も難しい。
そして軍という暴力装置のご機嫌取りは、もっと難しい。




