89.御料森の守護者
調査二日目の昼下がり、打ち倒した四匹目の魔蜘蛛の死骸を貪る魔熊親子を、龍平たちは遠巻きに眺めていた。
耳障りな音と共にキチン質の外骨格が噛み砕かれ、魔熊の腹に納められていく。
外骨格の下にある柔らかなはらわたを、子熊たちが舐めとるように貪っていた。
栄養をたっぷりと含んだ命そのものが、他の命を繋ぐために消えていった。
「なあ、これ、まずくねぇか?」
人目を気にせず食事に没入する魔熊親子を見ながら、龍平はレフィに危惧を伝えた。
既にこの状況が異常すぎた。
レフィと共に目覚めた魔獣親子は、そのまま調査隊に同行してきた。
それだけでも充分あり得ないことだが、それ以前に人間がいるなかで眠りこける魔獣など聞いたこともない。
小さな赤い龍は幻獣だからセーフ。
まだ警戒心が薄い子熊が、なついた人間と行動を共にするのはまだ解る。
しかし、警戒心の塊であるはずの母獣が、人間が仔獣に触れることを許容していた。
母獣はまだいい。
彼女を打ち倒すには、レフィか最低でも軍の小隊レベルの戦力が必要だ。
また、仮に人間の生活圏で共存するにしても、意思の疎通に不自由しない程度の知性もあった。
それは魔蜘蛛との戦闘に仔獣を介入させまいとした人間の指示を、完全に理解したことで証明されている。
だが、仔獣はどうだ。
この先子別れがあり、そのあとはこの森を出なければならない。
そしてどこか落ち着く先を見つけるまでには、人間の生活圏を通る必要がある。
そのときに安易に人間に近づいてしまえば、ただ駆除されるだけだ。
いくら人間になついていようと、それを知らないひとにとって熊は獲物か害獣だ。
龍平たちと同じ存在だと信じて人間に近寄った瞬間が、子熊たちの最期になる。
「なあ、やっぱりこれまずくね?」
警戒心の欠片もない子熊たちを見て、龍平は暗澹たる思いにとらわれていた。
これ、まずいなんてもんじゃねぇよ。
──あら、心配なくてよ? あなたから見ればそうかもしれないけど、母熊も子熊もしっかり距離測っているわ。きっとだけど、今警戒心が薄く見えるのは、幻獣の私がいるからよ──
いささか楽観に過ぎないかと思わせる念話が、小さな赤い龍から返ってくる。
だがその目はしっかりと、魔獣親子が人間に対して測る距離を見極めていた。
その頃ガルジアの王城では、大人たちの会議が二日目を迎えていた。
ここまでは、ほぼシナリオ通りに進んでいる。
初日の昨日は、バーラムからの報告がメインだ。
バーラムに対し、特に軍事に関する責任者であるスティルバイとエリン伯リパロスが質問を繰り返す。
そうやってケイリー襲撃と、ティランの暴威を明らかにしていく。
まるで、そこにいない誰かに説明するかのように。
宮廷雀たちがなんとか探りを入れようとするが、衛兵だけでなくお付きのメイドたちの口も尋常ではないほど固い。
もちろん、聞かれるままにぺらぺらと囀ずるような者が、衛兵やお付きメイドに選ばれるはずもなかった。
それでも聞く方も必死だ。
聞かれる側の警戒を言葉巧みに緩ませ、重要ではなさそうな辺りから少しずつ引き出していた。
「王よ、解っちゃいるが、もうちょっとなんとかならねぇかい? こっちは領界を荒らされただけじゃねえんだ。婿を殺されかけてんだぜ?」
二日目になった今日の開幕で、王を王とも思わないような、地響きを伴う詰問をバーラムが投げつけた。
両尚書が顔をしかめるが、スティルバイとリパロスは取り合う素振りも見せず、カルミアもバーラムも取り繕うこともない。
この前夜からバーラムは宿暮らしを切り上げ、やっと準備が整った上屋敷に居を移していた。
娘の結婚式とカナルロクによる国境侵犯の後始末が済めば、すぐにでも領地に帰るつもりでいたため、色々と準備に手間の掛かる上屋敷を使う気がなかったからだった。
それがカナルロクの後始末にてこずり、王都滞在が伸びるとなってはそうもいかない。
宿暮らしは不便なうえ、上屋敷のスタッフにも誇りがあり、主を迎える準備を突貫で終わらせていた。
「解っておる、バーラム。だが、今ことを荒立てるわけにはいかんことくらい、お前さんも理解しているはずだ。ただでさえあのドラゴンのことで他国の大使がぴりぴりしとる。下手に強気に出てみろ。帝国が大騒ぎを始めるぞ、ガルジオンに大陸覇権の意志ありとな」
カルミアとバーラムの間割り入ったサミウルは、龍平やレフィに対したときのような物腰の柔らかさなどすっかり消し去り、眼光鋭くバーラムを睨み返している。
今までにもさんざんやりあってきた、もともと遠慮など必要としない俺お前の仲ならではだ。
封建制度下の王権など、絶対王政に比べればたいした権威などない。
他より領地や兵力が優れているから王として推戴しているだけであり、いつでもひっくり返してやろうという気概なしに大領の領主など勤まらない。
日本の封建制度の恩と奉公とは言葉は同じでも中身は少々異なり、領土の承認を委ねているだけでしかない。
一応の忠誠は誓っていても、徴税権や絶対的な命令権まで委ねたわけではなかった。
「そんなこと言われなくても解っとる。お前さんの次男の取り巻きが、ろくでもないことを考えてるくらいも、な。それを潰す良い機会だろうが。そんなんだから、あの愚か者共に足元見られるんだ、お前さんは」
サミウルに言い返した返す刀で、バーラムはカルミアにまた絡んでいった。
出せる膿は出しきってしまえ。
ガルジオン第二王子ハドリーの派閥がカナルロクとの連合王国を画策していることなど、両国家の上層部では公然の秘密だった。
もちろん当のハドリーにそのような気などはまったくなく、王太子派閥入りの争いに破れた者たちが騒いでいるに過ぎない。
王太子派はレイリー王女をブランナツ魔王国に輿入れさせ、政争から遠ざけたいと考えている。
その王女派は東の大帝国ドライアスの第二以下の皇子を王配として狙い、帝国を内側から味方につけてカナルロクへの抑えにしたいと画策していた。
そんな思惑に対し、第二王子派は王女をカナルロクに出したい。
その上でクーデターを起こし、王太子を廃してカナルロクと共同して連合王国を作り、ドライアス帝国に対抗したいと絵を描いている。
カナルロク内にも賛同者はいるが、ドライアスへの盾にされると看破する者がほとんどだ。
そして、繰り返すがハドリーにそのような気は、まったくない。
そのうえで、いつ臣籍降家を宣言するかの時流を読んでいる。
つまり、最も効果的なタイミングでカナルロクに嫌がらせをしてやろうと密かに企み、派閥を操っていた。
第三王子のチャドウエルは、王位を継げないことを理解している。
ならば気楽に生きたいと、早々に臣籍降家を宣言しようとしていた。
できるなら公爵家などに婿入りするのではなく、最近話題のネイピア近くの直轄領をひとつ巻き上げたい。
そして、どの派閥とも縁が薄く適当に釣り合う家柄の次女以下を嫁にもらい、そこに引き込もってしまえばしがらみもなくなるだろうと考えていた。
どうせ、取り巻きにろくな有力者はないし、引きこもりについてくる者がいるほどに忠誠を得てもいない。
だが、チャドウエルの態度を不満として、チンピラ化する取り巻きもいた。
ある意味、主従共に一番厄介な存在でもある。
それがさっさと引きこもりたいチャドウエルにとっては、実に具合のいい追い風となっていた。
カナルロクでも同じことで、長い国境争いの歴史を持つ二国が連合王国を形成できるなどと考える者は、ほとんどいない。
だが、莫迦はどこにでもいる。
どちらの国においても、このままでは出世の糸口が掴めない下級貴族たちだ。
新しい連合王国成立の立役者ともなれば、当然それに見合った爵位が転がり込んでくる。
それだけを夢見て毎日を過ごし、ハドリーを必死に焚き付けている。
それがどんな未来をもたらすか、当人たちにはまるで見えていないが。
ハドリー自身と親衛隊の中枢は、集魚灯であることなど充分すぎるほど理解している。
危険分子を誘い込み、他の兄弟姉妹の派閥を掃除しておくことが、己の本分と理解していた。
それでも王城内に出入りできる者や、わずかとはいえ兵力を有する者もいる。
それが厄介だ。
いっそ周到な計画でも練ってくれたなら、国家は普段の恩讐など軽く越えて手を結ぶ。
危険分子を同時に叩き潰し、仮初めの平穏を手にするだけだ。
だが、自棄を起こされると、どう出てくるか読めなくなる。
それぞれがてんでんばらばらに対処することになり、余計な蜂起まで呼び起こしかねない。
今、カナルロクに対して強気に出れば、その不穏分子が危機感から中途半端に暴れだしかねない。
引き返せないところまで誘い込み、一気に叩き潰すにはまだ時期尚早だ。
かといって何もなしでは舐められるだけだと、バーラムは言っている。
もちろん、それは正しい。
両者が発火点寸前までいっているならば、だが。
まだ、時期尚早だ。
「だから今回はなにもなかったことにしてやるといっておる。遺体や遺品の返還もなしだ。なにもなかったのだからな。もっとも、あのドラゴンが燃やし尽くしてしまったから、どうやっても無理だがな。国境侵犯などなかった。だから賠償金の交渉も発生しない。その代わり、そちらはそちらでことを収めろと言ってやったわ。それでな、バーラム。お前さんへの賠償、いや見舞金は俺が支払おう。それで収めろ。そのうえでだ。まだちょっかいをかけてくるなら、そのときは先鋒を任せる」
どうやら、両国国王同士で話はついているらしい。
いくらいがみ合っているとはいえ、そう簡単に戦争を起こすような人物では王など務まらない。
これに異議を唱えるのであれば、セルニアはガルジオン王国からの離脱しか手がなかった。
その場合カナルロクに編入できるはずもなく、大国に挟まれた小国となり下がるだけだ。
「……仕方ない。お前さんの歳費、残り半分で手を打とう。それ以上は賎貨一枚負からないし、なにかあれば俺は止まらないからな」
忌々しそうに顔を歪め、バーラムは矛を収める。
国レベルで話が決まっている以上、もう騒いだところでどうしようもない。そんなシナリオだ。
これでしばらくの間、アイントベィニー領からの侵攻がないなら安いものだ。
領主としての計算が、そう納得させていた。
「それでな、彼の侯爵から手紙が来とる」
キルアンがようやく口を開く機会を得たとばかりに、話に割り込んだ。
王が値切る前に、話を進めてしまおうという魂胆だった。
取り出した手紙の宛名はキルアンであり蝋封は切られているが、内容はバーラムに関わることだ。
読ませることを折り込み済みの、長い手紙だった。
「読んでいいのか?」
不機嫌そうに問い、キルアンの首肯を認めてからバーラムは手紙を読み始める。
次第に顔が紅潮し始め、今にも手紙を引き裂きそうな怒りが見てとれた。
「あ、んの……クソ野郎っ! てめぇんとこの陪臣くらい、手綱引いとけやあっ!」
龍平ならば飛び上がり、ナルチアであれば乙女の尊厳に関わりそうな罵声を、バーラムはなんの遠慮もなく放った。
もちろん、この場でそれでどうにかなるような人物などいはしない。
手紙には陪臣のひとりが出奔したこと、それが今回還らなかった者の中の親であることが記されている。
陪臣の独走を詫び、寄り親としての不手際を詫びる、バーラムに対してでは決して書けない配慮の行き届いた手紙だった。
バーラムは、アイントベィニー会ったこともあれば、その人となりも知っている。
互いにいがみ合う不倶戴天の敵であっても、全面戦争を望むような莫迦ではないと、ある意味信頼していた。
それが慌てたような手紙を送ってくるのであれば、その信憑性は非常に高い。
暗殺、もしくは襲撃の予告だった。
「それで。どうする? 王城で匿うこともできるが?」
当然内容を把握しているスティルバイが口を挟んだ。
もちろん、帰ってくる答えなど判りきっていたが。
アイントベィニーは、そこまで姑息な策を弄するような卑劣漢ではない。
それくらいのことは、ここにいる全員の認識だ。
長年の恨み辛みからの嫌がらせはお互い様であり、姑息な手段の応酬もある。
だが、首級を狙うのであれば、正々堂々と行く男だ。
そうでなくては、国境など守れない。
そうでなくては、侯爵や辺境伯といった爵位などあり得なかった。
「迎え撃ってやる。皆殺しだ。王城の手など借りぬ。我らだけで充分だ」
辺境伯が王城に逃げ込むなど、末代までの恥だ。
完膚なきまでに叩きのめし、鏖殺してやる。
もちろん、今から大騒ぎなどする必要はない。
寝首を掻き切れると信じ切って来る者を、絶望の淵に叩き込んでやる。
いまこのときからセルニア辺境伯王都上屋敷は、セルニア城となる。
現代日本に生きていた龍平には想像もできないほど、殺意に満ちたバーラムのほの暗い目が宙を見据えていた。
調査二日目の夜、龍平はこの日に見たことを思い返していた。
それは、魔獣という存在を根本的なところから見直さなければならないほど、彼にとって重要なことだった。
「なあ、魔獣とおまえやベヒーモスさんみたいな幻獣って、どこがどう違うんだ? 失礼な質問だったならごめん」
龍平がポツリと疑問を口にした。
もしも、プライドを傷つけるようなことがあれば申し訳ないと、先に謝っておく。
──そうね、魔獣は在来の野性動物がほとんどその姿を変えず、体内に魔素を溜め込んだものと考えていいかしら。それから、私は少し特別だから、謝罪には及ばないかしら──
レフィから返答の念話が来た。
もしもこの場に魔獣や幻獣を研究している高科学院の者がいたら、飛び付かんばかりの内容だった。
そして、レフィは自身が幻獣であると自覚しているが、それがどうしたとしか考えていない。
ティランに至っては、気にも止めていない。
幻獣ってなに? それおいしいの? ボク龍だし。
──おそらく、だけど、その魔素を魔法に転化することはできていないわ──
レフィの回答に、新たな疑問が沸き上がる。
これに対しての明確な回答は、かなり難しいだろう。
なにせ、魔獣は言葉を話せない。
聞き取り調査ができないからだ。
──そうね……魔獣にとっての魔素は、異常なまでの肉体強化とか身体の巨大化とか、長寿命化じゃないかしら。今まで見てきたこたからの推測でしかないけれど……──
一旦レフィは念話を切る。
そして、少し考えてからまた念話を続けようとするが、上手くまとまらないようだ。
「……そっか、野性動物が過剰な魔素で変化、ね。そうすっと、おまえら幻獣は在来の野性動物がベースになっていても、近縁種が綱か目レベルまで薄まっている気がするわ」
レフィのような龍であれば爬虫綱、ベヒーモスであれば食肉目といったところだ。
もちろんそれをそのまま口にするほど、龍平は莫迦ではなかった。
しっぽ教育の成果だな。
──何よ、その綱とか目って? あなたの世界の学問かしら? あとでゆっくり聞かせてほしいところね。話は戻るけど、魔獣と私たち幻獣の決定的な相違点は、魔素の活用法かしら。なにせ、私たち幻獣は魔法が使えるのよ──
レフィは言うに及ばずだが、肉弾戦専門と思われているベヒーモスも、龍平と同じように瞬間的な肉体強化を駆使している。
魔獣の肉体強化は恒常的なものであり、比較対象は元となった種だ。
今回の調査で、新たに注目すべきことが出てきた。
それは、魔獣や幻獣の食性だ。
これまでは、ひとに害をなすことから肉食性と考えられてきた。
そして、ひとを食らうことを好むと、決めつけられてもいた。
「話は飛ぶけど、いや、魔獣と幻獣の違いには変わりねぇけどさ。レフィは、食べ物なら何でも食うだろ? それはレフィが人間だってことに関係なく、ティランの身体でってことでさ。ってことは、ティラン、っていうよりは、龍とかドラゴンって生物種は人間同様雑食ってことだよな?」
初めてディヴと出会ったとき、彼はレフィが龍平を食おうとしていたと思っていた節がある。
そのあとレフィを遠ざけようとさていたのも、食われないようにするためだったのだろう。
だが、どう見てもレフィは雑食そのものだ。
そして魔熊も、草食寄りの雑食ということか判明していた。
元々熊は食肉目とはいえ、猫科と違ってどちらかといえば草食に近い動物だ。
鮭や鹿を食らい、人間も襲うことから熊は肉食のイメージが強いが、基本的には草食だ。
冬眠明けには若芽を好み、昨秋に落ちて残ったドングリも食べている。
春から夏にかけては柔らかく消化しやすい植物、特に果実の他、不足するタンパク質の補強として昆虫類なども食べる。
消化しやすい植物が減る夏には動物性餌料の割合が増えるが、ほとんどは蜂や蟻といった昆虫類だ。
もちろんそれ以外の動物を、全く食べないというわけではない。
いうまでもなく、この頃から冬眠の準備が始まっている。
それが本格化する秋には積極的に鮭などの動物性餌料を漁るが、それでも主たる餌料は果実などの植物性だ。
──そうよ。そりゃあ、多少の好き嫌いや、この口の形だし、食べられないものもあるかしら。でも、基本的には何でも食べられるはずよ。もちろん、ベヒーモスさんみたいに肉しか食べない個体もいるかしら──
猫科に近い食肉目をベースとしたベヒーモスや、猫科そのものの虎や獅子が変化した魔獣など完全肉食のものもいる。
そして極論してしまえば、人間だって人間を食うことは可能だ。
だが、積極的に人間を食うために襲う人間は、極めて特殊といっていい。
だからというわけではないが、積極的に人間だけを襲って食う魔獣種や幻獣種はいないと、龍平は確信していた。
「そうだな。好んでひとを食う魔獣は、その種がそうなんじゃない。ひとを好んで食らう幻獣と同じで、その個体が異常なんだ」
人間にサイコパスがいるように、魔獣や幻獣にもいる。
龍平はそう結論付けた。
すべての魔獣や幻獣が人間を襲うのは、索餌行動の結果だと結論してもいいだろう。
空腹で目の前な人間がいて、それを狩りやすいと判断すれば襲うに決まっている。
中には遊びの延長で襲うものもいるかもしれない。
だが、これを凶暴凶悪というのなら、人間が行う趣味やスポーツとしての狩猟はなんと評すればいいのか。
魔獣や幻獣の研究であれば、さらにここから考察を重ねなければならない。
しかし今は、ちょっとした疑問から始まった雑談のレベルでしかない。
陽もとっぷりと暮れ、火の番の兵たちが少しだけ迷惑そうにこっちを見ている。
野外での活動に慣れたアリストは既に就寝し、疲労の局地にあるティルベリーも意識不明に近いほど深く眠っていた。
いくら兵と共に鍛練を積んできたとはいえ、それは平地での訓練でしかなかった。
そして、御料森に慣れてるとはいえ、足場を整えていない森の中を走り回れば疲労の度合いも桁違いだ。
ティルベリーは、今ごろ筋肉痛で苦しんでいるはずだ。
そんなティルベリーを見た龍平は、幻霧の森での最初の夜を思い出していた。
翌朝、案の定筋肉痛に悲鳴をあげるティルベリーを引きずって、調査の最終日が始まった。
昼間で調査を続け、これ以上の変異がなければそこで打ちきりだ。
魔熊親子を帯同した調査隊は昼まで調査を続けたが、もう魔蜘蛛に出会うことはなかった。
そして木々の間から見える太陽が頭上に達したとき、アリストが調査の終了を告げた。
あとは平坦な街道を、王都まで帰るだけだ。
非常食を残し、余った食料を魔熊親子にすべて振る舞う。
野性動物への餌付けは決してやっていいことではないが、調査隊の面々は魔熊親子の知性を信じることにした。
もったいないのと荷物を軽くしたいという欲求が原動力だったことは、誰もが思っても口にはしなかった。
森に消えていく魔熊親子を見送り、調査隊は街道を戻り始める。
彼らは御料森の守護神と心を交わせたことに、それぞれが信仰する神に対し深い感謝を捧げていた。




