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転生龍は人と暮らす  作者: くらいさおら
第三章 王都ガルジア
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84.じゃがいも

 「もおぉっ! 飽きたぁぁぁあああっ!」

 唐突に、龍平が叫んだ。

 毎日アイスクリームを作り、生クリームをホイップし、メレンゲをレフィに焼いてもらっていた。


 どれもこれも多大なる労苦を払うのは小さな赤い龍だったが、レフィにとっては甘味があるなら苦痛ではない。

 それでも龍平にしてみれば慣れ親しんだ味でしかなく、毎日ともなればさすがに飽きてくるのも仕方ないことだった。泣いたくせにな。


──あなたは、何を言っているのかしら? こんな素晴らしいお菓子、飽きるなんてあり得ないわ──


 相変わらずとろけたような表情の中で、エメラルドとルビーの瞳が目まぐるしく入れ替わっている。

 甘味を同時に堪能するため編み出した、龍の技だった。


「いや、ちょっとな。懐かしさが込み上げて、ジャンクなものが食いたくなっただけだ。せっかくお前が作ってくれてるもの、飽きたなんて言って悪かったな」


 しょっぱいものが食いたくてハッシュドポテトとコロッケ、ポテチを作る決意を固める。

 アイスクリームのせいで故郷の味を、それもジャンクな味を思い出してしまったからだ。


 どれもこれも作ることはたいして難しくはない。

 ただ、この世界この時代において、良質な揚げ油を確保することがとてつもなく困難なだけだ。


 ハッシュドポテトであれば、揚げ焼きでも構わないだろう。 

 だが、コロッケもポテチも大量の揚げ油に泳がせてこそだ。


──また、何かお菓子を思い出したのかしら? キチンと説明なさい。どんなものでもつくってあげるわ──

 味覚に、ことお菓子に関しての味覚には、龍平に全幅の信頼を寄せている。

 それは、これまで作り出してきたアンパンをはじめとしたお菓子すべてが証明していた。


「う~ん、甘いお菓子じゃねぇんだけどなぁ……芋を揚げるんだけど、どっちかって言えば軽食? いや、しょっぱいお菓子? あれはおかずにもなるし、何て言っていいかむずかしいところだな」


 とりあえずハッシュドポテトを念頭に置き、どう説明するか龍平は頭を捻る。

 まずはジャガイモ自体が存在するか、そこから確かめる必要があった。


──え~、甘くないの、リューちゃん? しょっぱいお菓子なんて、ボク聞いたことないよ──


 あからさまにテンションが下がった様子を隠すことなく、小さな朱の龍が口を尖らせたような念話を送ってきた。

 塩気はあくまでも食事であり、お菓子とは結び付かないものだった。


「いや、俺の世界じゃ甘いものより売れてたかもしれんぞ、そのお菓子は。まぁ、それは作るのに大量の油が必要だから、こっちじや難しいと思うんだよ。で、それと同じ材料で近いもの作れねぇかなあ、と」


 日本におけるスナック菓子市場は巨大だ。

 平成三〇年の生産量は二四〇,七一七トンで、全体の約一二パーセント。ビスケット、チョコレートに続き第三位だ。


 売り上げていえば四,三六一億円に及び、チョコレートに続く二位を占めている。

 ここに甘くない菓子として煎餅やあられ揚げといった米菓まで加えれば、どちらの統計も全体の二〇パーセントを越えていく。


 甘い菓子と甘くない菓子のどちらが多いかはいうまでもない。

 だが、それでも全体の二割近くは甘味のない菓子だった。


 もちろん、この世界でも甘くないおやつに相当するものは、労働者階級を中心に存在する。

 しかし、それを菓子と認識することはなく、当然貴族階級においては甘いものしか菓子として認めていない。


──ふぅん、贅沢なのねあなたたちの世界って。甘くないものまでお菓子として仕立てあげちゃうなんて──


 レフィには甘くないものを菓子とは、どうしても認識できない。

 この世界この時代の常識として、それは強固なものだった。


──ねぇ、リューちゃん、ボク、それ興味ある。食べてみたいなぁ。ミッケル様に相談してみようよ。新しい産業に繋がるかもしれないし──


 さすがに知を求め続けてきた朱の賢龍が、新しい菓子に興味を示した。

 そこには知への好奇心と、龍平への信頼がある。


「そうだな、ティラン。まずは厨房の皆さんに相談してみっか。それから市場で材料探しだ」


 そうと決まれば、あとは動くだけだ。

 その日のアイスを食べ尽くした龍平と小さな龍は、フォルシティ家の厨房へと向かっていった。



「デルファ様、お茶請けにいかがでしょうか? 厨房の皆様に、私の国で人気のお菓子を作っていただきました」


 午後の学習時間も一段落し、デルファの頭から湯気が昇りかけた頃合いで、ワゴンを押すジゼルを伴った龍平と赤い龍がテラスに出てくる。

 白いクロスがかけられたワゴンの上には、輝く銀のクロッシュが伏せられていた。


「ふぇ? なんですの、リューヘー様? サヴェリナが厳しくて、私もう限界ですぅ……」


 さんざん九苦労して九九を暗唱できるようになったと思ったら、今度は終わりのない計算問題の連続に、デルファの脳は飽和状態になっている。

 今これ以上やったとしても、効率が落ちるだけで学習効果はあまりないだろう。


──それでも投げ出さないのはさすがね。感心するわ、デルファ。そのごほうびじやないけれど、素晴らしく美味しいものを用意したわ。あとで厨房におほめの言葉を忘れずにね──


 ノーマに説教され続けた生前の我が身を振り返り、小さな赤い龍が労いの念話を送ってきた。

 好きな呪符の研究であればのめり込んだが、家庭教師が出す課題からどうやって逃れるかばかり考えていた公爵家令嬢としては、驚嘆すべき精神力だった。


「レフィ様、ありがとうございます。でも、リューヘー様のごほうびがなければ、私ここまで頑張れません。今日は、どんなお菓子ですの?」


 それまでうっ臥していた姿勢を正し、男爵家令嬢の気品を取り戻したデルファが訊ねる。

 すぐにお菓子へと意識が向くのは、まだ十二歳ということてご愛敬だ。


「はい。あまり上品なものではありませんが、芋を揚げて塩をまぶしたものになります。甘くはないのですが、たまにはこのようなものも一興かと」


 クロッシュがどけられると、そこには粗熱が取られたポテトチップが姿を現す。

 こんがりと揚がったジャガイモから、食欲をそそる芳ばしい油の香りが立ち上っていた。


「甘く、ないのですか? でも、この香り……」


 ほんの少しだけ落胆の色を浮かべたデルファだが、それもしつけが行き届いているせいかすぐに消し去る。

 そのわずかな落胆の陰りに、龍平たちの表情がしてやったりといった色が浮かんだ。



 厨房に入った龍平は、まず料理長に概略を相談する。

 そして、使う油の量が常軌を逸していることから毎日は無理だが、フォルシティ家の自慢とできるならやる価値があると、料理長から認めてもらえた。


 そうなれば、あとは簡単だ。

 主材料となるジャガイモに似た芋も珍しいものではなく、男爵クラスの貴族の家庭であれば日常的な食材だった。


 いくら貴族とはいえ、毎日がパーティーな訳ではない。

 それなりの贅沢は経済を回すために必要とされているが、抑えるべきところは抑えなければならない。


 芋類は良質な炭水化物であり、保存食だ。

 貴族の食卓にも度々上る食材だった。


 だが、たいがいはゆでるか焼いたたものが供されるばかりで、それ以外の調理法はあまり知られていない。

 焼いているなら揚げることもあるのだろうが、芋ごときに大量の油を使うなど、誰もがもったいないと感じていた。


 極限まで薄くスライスし、油でからりと揚げたジャガイモに塩を振る。

 粗熱を取り、余分な油を切る間に、龍平は皮を剥いたジャガイモを細かく切っていく。


 そして、小麦粉をまぶして繋ぎとして整形し、こちらは多目の油で焼いていく。

 もちろん微妙な加減など龍平に出きるはずもなく、そのあたりは料理人たちに任せていた。


 その横で小さな朱の龍が、ゆでられたジャガイモを潰している。

 同時に炒められた挽き肉を混ぜ込み、丸く整形していく。


──リューちゃん、この次はどうするの? こねこねするの楽しいねぇ──


 料理などとは無縁だった小さな朱の龍は、ひとの行いを心底楽しんでいた。

 だが、残念ながらそれに続く小麦粉をはたき、卵液を絡め、パン粉をまぶす行程は、龍の手には無理なものだった。


「あぁ、この先はティランの手だとちょっと難しいかな。あとは料理人の皆さんに任せよう。でき上がったポテチの味見、頼むわ」


 そのパン粉は、料理人たちが固焼きのパンを木槌で砕き、即席で作り上げていた。

 適当な卸し金がなく戸惑っていた龍平に、ありがたい助け船だった。


 龍平の指示にしたがい、料理人たちは確かな手つきでコロッケを仕上げていった。

 はじめての料理であっても、熟練の技と経験は加減を間違う心配などありはしない。


 ハッシュドポテトとコロッケが、いい音を立ててでき上がっていく。

 そこに龍がポテチを噛み砕く、軽やかな音が重なっていた。


「さて、こんなもんか……油切ってる間に俺も味……見、を……? てめらぁっ! 全部食いやがったなぁっ!? そこへ直れぇっ! その食い意地叩き直してやるぅっ!」


 数年振りのポテチと心を踊らせていた龍平は、空になった皿の前で血涙を滴らせんばかりに身体を震わせた。

 そばにあった麺棒を掴み取ると、満足げに佇む龍に躍りかかる。


──あひぃっ! リューちゃん、ごめんなさいぃっ! あんまり美味しかったからぁっ!──


 ティランからは、贖罪の念話が届いた。

 そして、小さな朱の龍が観念して頭を抱えて蹲る。


──なによっ! 厨房でそんなもの振り回すんじやないわよっ! 少ないのがいけないのよっ! 食べ尽くされたくなかったら、もっと作りなさいよぉっ!──


 だが、小さな赤い龍は麺棒の一撃を掻い潜り、天井へと飛び去った。

 そして、完全に責任転嫁するような罵声を、龍平に浴びせかける。


「そうか、わかった。てめぇはずっとそこにいやがれ。残りの試食は厨房の皆さんね。ティラン反省の色が見えたから、レフィが寝たら食わしてやる。そろそろ油も切れたでしょうし、皆さん試食をお願いします」


 さすがにいつまでも麺棒など振り回していいはずかない。

 料理人たちに試食を勧めた龍平は、覚束ない手つきでジャガイモの皮を剥き、スライスしては油に放り込んでいった。


──レフィ姉、ちゃんとあやまってよぉ、ね。食べさせてもらお? ボク、あっちも食べたいよぉ。せっかくボクたちで作ったんだよ、レフィ姉──


 幼児退行著しいせいか、この辺りティランは素直だ。

 食欲に忠実なだけかもしれないが。


──仕方ないわね。確かに全部食べてしまったのは失態だったわ。龍平、申し訳けなかったわ。私としたことが、つい。美味しかったから。謝罪を受け取っていただけるかしら?──


 いきなり殴りかかられた腹いせでつい言い返してしまったが、失態を演じてしまった自覚は持っている。

 それでも素直に謝るのは、癪に障るのは仕方がない。

 精一杯の虚勢と共に、レフィは頭を下げた。


「そう言われちまったらしゃぁねぇじゃねぇか。ほら、降りてこい。かなりいいできだぜ」


 現代日本でビーフエキスなどもたっぷり使われたハッシュドポテトやフライドポテトにはひと味及ばないが、久々のアブラギッシュなジャンクフードに龍平は充分満足していた。

 揚げたてのポテチも、塩だけとはいえ捨てたものではない。


 なんだかんだ言って、レフィの感想が聞きたくてしょうがない龍平だった。

 このところずっと飲み食いばかりしてるけど、まあしょうがないよね。日本人だし。



 紆余曲折の上、コロッケは晩餐で出すことになった。

 ハッシュドポテトは繋ぎの量に改良の余地があり、明日の午後のお茶請けまでに工夫を凝らすことにした。


 そして、今。

 デルファの前には、ポテトチップが鎮座している。


 この世界においては良質な部類の油が、デルファの鼻腔をくすぐり食欲を掻き立てる。

 クッキーともパンケーキとも違うお菓子が、デルファの視線を捉えて放さない。


 普段であれば、甘くないお菓子など見向きもしないが、龍平のお墨付きだ。

 それが美味しくないなど、あり得ない。


 期待に心を震わせたデルファが、ポテトチップを一枚摘まみとる。

 香りを軽く楽しんで、そっと口に入れた。


 芳ばしい油の香りが口いっぱいに広がり、濃厚でジャンクな味が舌を包み込む。

 充分に脳髄を満足させる味とは裏腹に、あまりにも軽い歯触りと共にポテトチップは砕けていった。


「っ!? っ!」


 目を見開いて龍平を見上げたデルファは、つぎの瞬間には皿にかぶりつくように振り向く。

 あっという間にポテチを平らげ、ひと口お茶をすすると深い溜め息を漏らした。


「リュ、リューヘー様、はしたないところをお見せして、申し訳ございません。あまりに美味しくて、私、つい……あ、あの……お代わりはいただけます? い、いえっ! 私だけではなく、皆様ご一緒にっ!」


 顔を真っ赤に染めて、デルファが申し出た。

 そして、はしたないと思われてしまったかと、慌てて言い繕う。


 もちろん、それをあげつらうつもりなど、龍平にもレフィにもない。にやにやしてるけど。

 今は表に出てはいないが、ティランなら大喜びでお代わりを持ってくるはずだ。


 エヴェリナが少々顔をしかめているが、わざわざミッケルやディフィに報告するほどのこととは思っていない。笑いを噛み殺してるからかな、しかめっ面は。

 ジゼルにしても、この程度よくある毎日のひとこまだ。笑みが漏れてますぜ、ジゼルさん。試食はいかがでしたか?


 それでも十二歳の少女にとっては、顔から火が出るほど恥ずかしい失言だった。

 それぞれの口からどんなからかいの言葉が飛び出るか、デルファは戦々恐々としている。


「そこまでお気に召していただけたなら望外の喜びです、デルファ様。しかしながら、申し上げにくいのですが……このお菓子は食べすぎに陥りやすく、また大変太りやすいお菓子でございまして……本日はもうこれくらいにした方がよろしいかと」


 確かに、ポテチは食べ始めるととまらない、かなり『中毒性』が強い食べ物だ。

 そして、甘味に比べて満腹感が遅れてくるためか、つい食べすぎてしまう。


 炭水化物に油をとりすぎればどうなるか、考えなくてもわかることだ。

 デルファの顔から、血の気が引いた。


「リューヘー様の悪魔あああああああっ!」

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