74.超新星または星の終焉
神殿の庭へと歩きながら、レニアは黙りこくっていた。
それは、レニアだけではない。ナルチアも、レフィも、ひと言も発しなかった。
悠久不変と信じていた、星が死ぬ。
神の化身、または象徴と思われ、信じていた、星が消滅する。
龍平がすぐれた知識を発展させた世界から来たことは、今更言われるまでもない。
そして、龍平が荒唐無稽な大言壮語を弄し、ひとびとを不安に陥れるような人物ではないことも、よく解っている。
そのことを改めて自身に言い聞かせたとき、レニアは恐ろしいことに気づいてしまった。
星が死ぬなら、太陽はどうなる。
もちろん、この世界において、まだ天体というものの概念は、未発達だ。
だが、空を巡る星々と、空からこの地を照らす太陽が、レニアの中で一致してしまった。
「リューヘー、様……お日様も、いつかは、あのような……」
恐る恐るといったように尋ねたレニアは、声が震えるのを止められなかった。
それに気づいたナルチアとレフィが、同時に龍平へと視線を投げつける。
「お、いいところに気づいたな、レニア。さすがだよ。ま、それについては、あとでじっくりと話ししてやる。とりあえず、心配するようなこっちゃねぇな。少なくとも、ああ、俺の世界とこっちが同じようなものと仮定してだが、あと数十億年は平気だ。あと、あの太陽が爆発することはねぇはず。膨らんで、この星飲み込んだあと、ゆっくり冷えていくはずだ。間違いなく、この世界のひとは新しい住処を見つけているか、その前にあっさり滅んでいるか、だ。レニアが心配するこっちゃねぇよ」
現代地球で予想されている、数十億年後の世界を龍平は説明した。
それでもレニアやナルチア、レフィには衝撃的な話だ。
「……あなた、やっぱり神敵……」
ナルチアの声が、一段低くなる。
神の象徴たる太陽が、死ぬなどあり得ない。
ブーレイ神に限らず、数多の神に祝福されたひとびとが、死に絶えるなどあるはずがない。
気づけばレフィまで、口腔内に蒼い火を溜め込んでいた。
「ちょっと待てぇっ! 俺の世界の話であって、こっちがそうだと言ってねぇだろうがっ! だいたい、こっちは天動説なのか、地動説なのかも解ってねぇだろぉっ! 魔法がある世界と、まったくねぇ俺の世界とじゃ、あり方自体が違うかもしんねぇだろうがぁっ! まずはそのブレスを納めやがれぇっ!」
一番危険そうに見えたレフィのマズルを握り締め、両の鼻の穴に指を突っ込む。
だから何度も言うけど、中身は女の子なんだからさぁ。
――ふぎゅっ! にゃにひゅんにょぉっ! はなにゃふぇぇぇっ! ふごっ!――
うん、トカゲ姫も女の子投げ捨てるのやめようか。
ふごっとか、女の子が発していい音じゃねぇよ。
「……すげぇな。極小の火の球みてぇだ……。やっぱり聞くとみるとじゃ大違いだな。……不安になる気持ちも解るぜ……」
透徹とした地球の冬に夜空で輝く、シリウスの冴え冴えとした光を遙かにしのぐ、オレンジにぎらつく星が天にある。
光ることを宿命づけられた星が、命の最期を飾るかのようだった。
「……ま、とりあえずは。はい、皆さん落ち着いてください。あれはただの自然現象です。俺の世界でも、何度か記録に残ってますが、疫病だの飢饉だの、戦争だのが起きた例はありません。このあと筆頭巫女殿たちに説明するつもりですが、お聞きになりたい方はご自由にどうぞ」
騒然とする神殿の庭で、空を見上げる神官や巫女、女官たちに向かって、龍平は呼びかけた。
学校の理科で習い、雑学本を拾い読みした程度の知識だが、不安を解くためにできる限り話そうと判断している。
もっとも、不吉なことなど起きる余裕もない。
至近距離での超新星爆発が起きたなら、この世界はもう滅びていてもおかしくはない。遅くとも明日には滅亡する。
龍平は完全に理解していたわけではないが、超新星爆発には大きく分けて二つの型がある。
跡形もなく吹き飛ぶⅠ型と、ブラックホールを残すⅡ型だ。
もし、Ⅱ型超新星爆発が発生すれば、強烈なガンマ線が周囲に恐ろしい勢いでぶちまかれる。
いわゆる、ガンマ線バーストだ。
ガンマ線は、光の九九パーセントの速度で走る。
この世界に超新星の光が届いているならば、ガンマ線がオゾン層を破壊しながら地表に到達しているはずだった。
このガンマ線の威力は、絶大すぎる。
Ⅱ型超新星爆発を起こした恒星から半径五光年以内では、惑星表面に住む生命体は絶滅する。
そして、二五光年以内の惑星に住む生命体は半数が死に絶える。
さらに、五〇光年以内の惑星に住む生命体は、壊滅的な打撃を受けると考えられていた。
このガンマ線は地表を容赦なく汚染し、生命体など住むことのできない環境にしてしまう。
そうなってから地表に生命体が住めるようになる環境に戻るまでには、最低でも数年を要すると考えられていた。
地下深くに住んでいるバクテリアなどの下等生物であれば、直接的な影響はほとんどないまま生き残ると考えられている。
だが、五〇光年以内の惑星に住む生命体は、間違いなく壊滅的な打撃を受けるだろう。
約四億四四〇〇万年前のオルドビス紀末に起きた大絶滅は、六〇〇〇光年以内で発生したⅡ型超新星爆発が原因だという説が、アメリカ航空宇宙局NASAと関さす大学から二〇〇五年に提唱されている。
この大絶滅では、当時の地球に存在した生物種の約八五パーセントが絶滅した。
顕生代の五大量絶滅事変のひとつに数えられられ、約二億五一〇〇万年前のペルム紀末に起きた、地球の歴史上最大の大量絶滅に次ぐ規模だ。
ペルム紀末の大量絶滅では、海生生物のうち最大九六パーセント、すべての生物種では九〇から九五パーセントが絶滅した。
古生代の生物として有名な三葉虫は、オルドビスの大絶滅でほとんどの種を失いなっているが、辛くも生き延びている。
だが、細々と生き残っていた三葉虫も、ペルム紀末の大惨禍からは逃れることはできず、このときすべての種が絶滅した。
仮に、地球から八,六光年離れた大犬座アルファ星のシリウスA、または二五,三光年離れたこと座のアルファ星ベガが、II型超新星爆発を起こしたとする。
この場合、地球に住む生命はほぼ確実に絶滅するか、壊滅的な打撃を受けることになる。
だが、この心配は杞憂だと、現在では考えられている。
シリウスAもベガも、その質量は太陽の2倍強から三倍程度でしかなく、この質量では超新星爆発は起こせない。
どちらも赤色巨星となったあと、膨張した外層部から惑星状星雲を形成していく。
そして残った中心核は、白色矮星となる可能性が濃厚だと考えられていた。
このような小質量の恒星が終焉を迎えた残骸は、銀河系内のいたるところにある。
メシエカタログの五七番目に登録されているM57こと座環状星雲や、同じく二七番目のM27こぎつね座亜鈴状星雲が有名だ。
現代地球では、龍平も異世界移転の前に聞き知っていたが、オリオン座アルファ星のベテルギウスが超新星爆発を起こしていてもおかしくない。
今現在、地球上で見ているベテルギウスは、約六四〇年前の姿だ。
一五世紀か十六世紀か、それよりもっとあとか、ベテルギウスが超新星爆発を起こしていれば、そろそろ地球にその光が届くはずだ。
そのあとにオリオンの左肩がどのような姿になるのか、龍平は星座が変遷する歴史の変動に思いを馳せていた。
ベテルギウス以外では、約六〇〇光年に浮かぶ牡牛座のアンタレスも、ガンマ線バースとの被害があるかもしれないII型超新星爆発を起こすと予測されている星だ。
だが、このふたつの星は、幸いにしてぎりぎりで距離が遠い。
おそらくは、このふたつの星が超新星爆発を起こしても、ガンマ線の威力は弱まり、オゾン層が多少傷つく程度であり、地球とそこに住む生命体への影響はほとんどないと考えられている。
そしてガンマ線バーストは、超新星爆発を起こした星の自転軸から二度の範囲に放出されることが判明している。
ベテルギウスの自転軸から、地球は二〇度の位置だ。
つまり、ベテルギウスからのガンマ線は地球に影響を及ぼさないと考えられている。
現代地球は、オリオンの左肩に起きる世紀の天文ショーを、たた待ちわびていればいいだけだった。
「さあ、地球の天文学の授業といこうじゃねぇか。……では、興味のある方もどうぞ。食堂に行こうか。レニア、羊皮紙とペンを用意してくれ。あ、いいですか、皆さん。これはあくまでも、俺の世界での話をこちらに当てはめて考えているだけということを、充分にご承知おきのうえでお聞きくださいね」
周囲に集まった人々の様子をうかがい、龍平は食堂で話すことにした。
ひとつ重要な釘を刺すことも、忘れずにいる。
この世界の常識を確かめながらでなければ、異端扱いされてもおかしくない。
予防線は、張っておくに越したことはない。
まず、この世界は天動説と地動説の、どちらが優勢、もしくは実証されているかを確かめておく必要がある。
レフィと飛んだ際に、この大地が球体であることは確かめている。
だが、魔法などという、物理法則を無視した力がある世界だ。
召還魔法の特殊性を加味すれば、神の存在も無視できない。
龍平が存在した宇宙におけるビッグバンの代わりに、神がここを起点に世界を造った可能性は充分すぎるほど考えられる。
神が存在する地であるならば、この大地を中心にすべてが回っていてもおかしくはなかった。
「……さて、まずは星についてですが、これにはいくつかの種類があります。ひとつは、皆さんが夜に見ている輝く星。これを俺の世界では、恒星と呼んでいます。今日は、この恒星について、俺の知る限りをお話しします。ですが、現在俺の世界でも、次々に新しい理論や発見があり、とてもじゃないけどすべてを知ることなど、俺の歳では無理です。あくまで、基礎の基礎であることをご承知おきください。また、この世界の現象と俺の現象は、必ずしも同じとは限りません。ブーレイ様の教えに反することがあるかもしれませんが、世界が違うということで異端扱いはご勘弁願います」
ここまで言って、龍平はひと息ついた。
改めて、龍平は予防線を張る。
「恒星は、燃える気体の集まりです。どんなものかというと、俺の世界では水素という物質が集まって、それがぶつかり合い融合してヘリウムという物質になっていく際に、信じられないほどの熱を発し、それが光となって俺が住んでいた地球に届いているとされています。レニアが先ほど気づきましたが、この世界を照らしている太陽も、恒星のひとつです」
ベテランの巫女や女官や神官の間に、小さなどよめきが湧く。
それに対して、年若い巫女や女官の頭の上には、疑問符が浮かんでいるようだった。
核融合を説明できるような知識を、龍平はまだ持っていなかった。
せいぜいがところ、雑学本で読んだ恒星は核融合反応のエネルギーで熱を発し、光り輝いているといった程度のものだ。
核融合が膨大なエネルギーを発生させることは知っていても、なぜエネルギーが発生するかまでは、まだ習っていない。
それは大学で物理学を専攻しなければ、理解できない内容だ。
ネットや書物を漁れば、そのシステムの解説はいくらでも手に入る。
だが、高校一年生レベルの知識で、それを理解できる者はそうはいなかった。
「星は太陽と同じ物ですが、あまりにも遠いところにあるため光も弱くなります。ですので、昼間は太陽の光にかき消されて見えません。実際には、夏に見られる星が今の空には出ています。たとえば、太陽とこの大地の間に月が割り込むことで起きる日食の際には、正反対の季節に見える星が出ていることが判るはずです」
もちろん、皆既日食に限らず部分日食や月食も、この世界この時代では凶事の予兆とされている。
長い間人々を怯えさせていた現象を、龍平が持つ知識は一刀両断、快刀乱麻のごとく解決していた。
何人もの頭の上に、疑問符が浮いているような空気の中、数人の神官が何かに弾かれたようにメモを取り始めている。
貴重品である紙は節約の対象だが、それ以上に価値のある知識だと気づいたようだった。
「距離のことや、月のこと、日食月食については、別の機会に譲って、今は恒星の成り立ちについて続けます。恒星はそんな燃える気体の集まりですが、もちろん一個ずつその大きさが違います。俺たちも、生まれついたときに違いがありますよね? それと同じで、恒星も生まれたときに、どれだけ周りに燃える気体があったかで、大きさが違ってきます。その大きさの違いで、その星がどんな一生を送るかが決まります。俺の世界の太陽を、基準にしましょう。それから、ものすごく乱暴な話ですが、この世界の太陽と俺の世界の太陽を、仮にですが同じ大きさとして話を進めます」
まだ誰も質問をしてこない。
そして、龍平を異端だと決めつける者も、またいなかった。
宗教かぶれは恐ろしいが、さすが知の牙城と謳われる神殿の者たちだ。
神学論争ならばともかく、今のところは異世界の新たな知識として受け入れていた。
「よろしいですか? まず、太陽の大きさでは、爆発できません。そこまでの燃える気体がないんです。最低でも、八倍以上の質量が必要だとされています。これ以下の星や太陽は、燃やす材料が少なくなるにしたがい、だんだん冷えていって、このときに膨張していきます。まあ、さっきレニアにも言ったんですが、皆さんは心配することはありません。なんせ、数十億年先の話です。その頃には違う世界に移転するとか、そんな方法を編み出しているはずですしね。で、その頃には膨張した太陽が、この世界を飲み込んでしまうでしょう。そうなれば、もちろんこの世界は炎に包まれて滅亡です。跡形も残りません。そのあと、また太陽はは冷え続けて、十数億年かけて今度は収縮してっちゃいます。まず、これが俺たちの世界で考えられている、太陽の終焉です」
ざわめきが、さざ波のように広がった。
それはそうだ。不変不滅の太陽が、いつかは消えてしまうなどと、誰が信じられようか。
それでもまだ、龍平を異端扱いする者は出なかった。
あくまで、異世界の知識として聞き、ラグナロクのような教義がないブーレイ教としては、文字通り異世界の話でしかなかったからだった。
――リューヘー、あなたは、あのブーレイ様がお造りになった太陽が、この世界を焼き尽くしながら飲み込み、そのあとに消えてしまうというの? じゃ、じゃあ、なんで、ブーレイ様は、そんなものを、お造りになったのよっ!? ふごっ!?――
人の耳にはあぎゃあぎゃと聞こえる鳴き声をあげながら、食ってかかってきたレフィのマズルを捕まえ、鼻の穴に指を突っ込んでから抱き締める。
ねぇ、女の子って、認識はないの?
「話が進まねぇから、とりあえず黙ってろ、トカゲ。さっきも言ったろ? これは、俺の世界の話だって。……まあ、おまえに乗せてもらってさ、高く飛んだとき、多分この世界も俺の世界と変わんねぇって、確信したけどな」
腕の中でジタバタする小さな赤い龍の喉元を撫でながら、龍平は言った。
掌が、逆鱗を撫であげている。
レフィの背中で見た地平線の向こうからは、新しい景色が上がってきた。
この大地も球体であり、星であると龍平は確信している。
――ちょっ!? やめっ! あんっ! なによっ! トカゲって!? あっ! そこ、だめぇっ! 触っちゃ、らめなのぉっ! ……きゅう――
おまえら、他人様の前で何やっとんじゃ。
そういう小説じゃねぇんだよ。
朱の鱗をまとうしっぽがパタパタし始め、龍の動きがおとなしくなっていく。
エメラルドの瞳が、わずかに濡れたような光をたたえていた。
「そこにこだわってると、話が進みません。次に、太陽より大きな星の話です。先ほどもちょっと言いましたが、直径ではなく質量、全体の重さで考えます。なぜなら物体というものは、質量が同じでも体積が大きくなると、密度が減るだけだからです。同じ重さの鉄の塊と、羽毛の固まりの大きさを考えれば、お解りいただけるかと」
相変わらず龍平は、小さな赤い龍の喉元を撫でている。
喉を鳴らす呻きのような鳴き声が、龍の口元からこぼれていた。
――リューちゃん……なんだか、ボク……眠くなってきちゃった……あとで、ゆっくり話を聞かせて? ……あふ……ぅにゃぁぁぁ……――
ルビーの瞳がとろんとした視線を投げかけ、ゆっくりと色を変えていく。
だがそれは、補色同士を混ぜ込んだような汚れた色ではなく、ルビーとエメラルドが混在しているように見えていた。
――やめっ……あふ……も……暴れ、ないから……リューヘー、も……やめ……て?――
眠りに入ったティランに引きずられたのか、龍の瞼が降り始めている。
必死に抵抗するレフィは、逆鱗に触れることをやめるよう、龍平に懇願していた。
逆鱗を撫で回されたレフィは、激昂が収まっている。
逆鱗を触られて身悶える姿を見せてしまう恥ずかしさと、新たな知識を聞き逃したくないという気持ちが混在していた。
「よし、ブーレイ様の教義と違っても、暴れないと誓うなら放してやろう。普段は聡明で頼れるくせに、ときどき暴発すっかんなぁ、おまえは。……あ、すみません。トカゲがおとなしくなったら、続きを話しますね」
喉を鳴らすレフィを解放し、龍平は神殿のひとびとに頭を下げる。
生温かい空気が、あたりを支配していた。




