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転生龍は人と暮らす  作者: くらいさおら
第三章 王都ガルジア
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73.白日に輝く星

 朝。神殿が差し向けた馬車の中で、龍平とレニアが向き合っている。

 普段からレニアのラボでふたりきりになることもあるというのに、馬車の中はなぜが気まずい沈黙に包まれていた。


 だが、その場合はレフィが所用で席を外しているだけであり、ふたりきりでいる時間はそれほど長くない。

 そのうえ、レフィがいつ戻ってくるかも、誰かが突然訪ねてくるかも判らない。


 レニアと龍平も召喚送還の魔法について考察するために会っているわけで、間違っても甘い雰囲気になどなりはしなかった。

 それが今は、神殿までの短い間とはいえ、誰も入ってくる者はいない。

 決してデートなどというようなシチュエーションではないのだが、龍平はどうしていいか判らなくなっていた。


 いつも通り、魔法についての考察でも話し合っていればいいだけのことだ。

 しかし悲しいかな、狭い個室に女の子とふたりきりという状況に、龍平はあまりにも慣れていなさすぎた。


 レニアのラボは馬車よりも圧倒的に広く、相手の息遣いまで感じられるような至近距離で向き合うことを、龍平は無意識に避けていた。

 現代日本において、一対一でカラオケにでも行っていればまた違ったのだろうが、そんな経験など龍平には皆無だった。


 ないったらない。

 要するに、ただのヘタレだ。おまえは。


 レニアにしてみても、年頃の男子とこのような狭い個室でふたりきりになった経験はない。

 もちろん、龍平のようなヘタレな理由ではなく、筆頭巫女として独りで行動することなどあり得なかったからだ。


 どこへ行くにも、お付きが必ずそばに控えている。

 誰と会うにも、相手は立場ある人物ばかりで、両者のお付きが必ずいた。


 筆頭巫女に限らず、神殿の巫女と生臭い政治の話などする必要はなく、人払いをすることもない。

 両者の立場を鑑みれば、それなりの格式を持つ部屋が用意され、相手の息遣いだけを感じるような状況は、まず考えられなかった。


 要するに、レニアは純粋培養されたようなものであり、同年代の男子とどのような話をしていいかが解らない。

 頬を赤らめて黙り込んだまま、視線を泳がせている龍平に、レニアは戸惑うしかなかった。


 かわいくねぇよ。

 何、頬を赤らめてるんだよ、このヘタレは。




 昨夜、ナルチアの教育係だったという女官を見送ったレフィは、ナルチアが目を覚ます前にベッドに滑り込んでいた。

 明け方の最も眠りが深くなっているナルチアの腕の間に潜り込み、レフィは短い眠りに落ちていた。


 朝、お付きの女官に起こされたナルチアは、まだ眠い目を擦りながら沐浴に向かう。

 ブーレイ神への祈りを捧げる前に、身を清めるためだった。


 当然のように連れて行かれたレフィは、沐浴のあとに昨夜同様風と火の魔法のドライヤーでナルチアの髪を乾かしている。

 ただ、昨夜との相違点は、ナルチアの髪を整えるために、お付きの女官が櫛を持っていることだった。



――そろそろ来る頃ね。まあ、今日一日で上手くいくとは思わないことよ。なにしろ、リューヘーは四属性魔法が使えないのだから、肉体強化魔法は完全に彼だけの理論で構築されているわ。だから、既存の召喚魔法をリューヘーの理論に合わせないと、詠唱を教えたからといって、すぐに使えるようになるとは思えないの。何日も、何回も、試行錯誤を繰り返すことを、覚悟なさい――


 沐浴に続くブーレイ神への祈祷を済ませ、朝食を摂って居室に戻ったレフィがナルチアに言った。

 才能がありできる人間には、才能がなくできない者の苦悩が解らない。

 なぜできないのか、できる自分を基準に考えてしまう悪癖がある。


 筆頭巫女の才能を持つナルチアは、いきなり召喚魔法を行使できるようになってしまった。

 だが、一から理論を構築し、試行錯誤を繰り返さなければならない龍平は、まだるっこしく見えて癇癪の対象になるかもしれない。


「はい、レフィ姉様。それは重々理解しているつもりです。フレケリー卿が一日も早く召喚魔法を使えるように、精一杯協力させていただくつもりです。大丈夫ですよ、レニア様もいらっしゃるんですから」


 リューヘーへのわだかまりが完全に払拭したわけではないことを、ナルチアは自覚している。

 努めて平静であろうと、自身に言い聞かせていた。


――最初から飛ばしすぎたら、すぐ息切れしちゃうよ、ナーちゃん。今日は、久し振りにレニアとお喋りして、リューちゃんとも仲良くなるってくらいの気持ちでね――


 ナルチアの気負いが伝わったのか、ルビーの瞳をくるくるとさせながら、ティランが言った。

 先は長い。すぐに解決できるような問題ではないことを、ティランは改めてナルチアに認識させた。


「はい、ティラン。解ってます。一日も早くとは思うですけど、今日一日でどうこうできるものではないとも思ってますよ。楽しみです。レニア様、お元気なんですよね?」


 魔力のすべてを失ったレニアが、落ち込んでいないわけがないとナルチアは思っていた。

 だが、先日フォルシティ邸で会ったさいには、そのような様子はまったく見られなかった。


 ナルチアはそれについて安堵はしていたが、神殿に戻ることでまた思い出したりしないかと心配になっていた。

 しかし、龍平を責めるような言葉遣いだけは避けなければならないことも、ナルチアは固く心に決めている。


――そこは会ってから聞けばいいわ。私たちが言うより、その方があなたも安心できるでしょ? まあ、心配はいらないと思うわ――


 ナルチアの心配も、レフィは理解している。

 だが、これについては百万の言葉を弄しようと、ナルチア自身で確かめなければその不安は払拭できない。


 期待と不安に心を揺らすナルチアにとって、最良の薬はレニアの笑顔以外にはない。

 やがて、女官がナルチアの居室を訪れ、龍平とレニアの到着を告げた。




「ナルチア、久し振りね。元気にしていた?」


 ナルチアの居室に急遽設えられた応接セットに、レニアは優雅に腰を下ろしながら尋ねた。

 公式の場ではないことで、誰も余計な言葉を飾ろうとはしない。


 筆頭巫女の重責から解放されたとはいえ、今は龍平の送還という新たな重責をレニアは抱えている。

 だが、レニアはそれを感じさせることのない、血色のよい肌艶を見せていた。


 レフィの鱗とは趣を異にする燃えるような朱の髪と、同色の瞳もまったく翳りを見せていない。

 華奢に思えていた身体も、大人の女性への過渡期ということもあり、数日前とは違う芯の強さを見せていた。


「どうかご心配なく。レニア様もお元気そうで、何よりです」


 まぶしそうな視線をレニアに向けたナルチアは、弾けるような笑顔で答えた。

 龍平の誤召喚以来、ほとんど見せたことのない年相応の笑顔だ。


「もう……レフィ様にご迷惑をおかけして、しょうがない子ね。レフィ様、申し訳ございません。そして、ありがとうございます。この子の心を救ってくださいましたこと、心より御礼申し上げます」


 普段であれば、もう少し砕けた話し方をするようになっていたレニアだが、さすがにこの件についてはそうもいかない。

 つい、形式張った話し方になっていた。


――気にしないで、レニア。ナルチアもつらかったってことよ。でも、あのときの光景は、あなたにも見せてあげたかったわ。あのナルチアが――


「やぁぁぁあああっ! レフィ姉様、それ以上はっ! 酷いですぅ……」


 堅苦しくなりそうだった雰囲気が、ナルチアの悲鳴で破壊される。

 そんな光景を、龍平は黙って眺めていた。


「フレケリー卿、いろいろとご迷惑をおかけしました。貴卿を害しようとしたことは、どう言い繕うとも許されることではござ――」


「気にすんなって。俺は気にしてないんだからさ。それより、これからいろいろと助けてもらうんだ。もうちょっと、堅苦しくない喋り方にしてくれよ。レフィとティランとは友達になったんだろ? できれば、そこに俺も入れてくれよ。公式の場じゃねぇんだから、フレケリーよりリュウヘイの方がいいなぁ」


 龍平がナルチアの言葉を食いちぎった。

 敵意を向けられているのもつらいが、必要以上に堅苦しいのもつらい。


 フレケリー領に帰ってしまえばそうそう会えなくはなるが、龍平にとって貴重な人材であり、数少ない同世代の友人たり得る少女だ。

 もう少し、砕けた間柄でありたかった。


「ありがとうございます、フレケリー卿。では、お言葉に甘えまして、リューヘーさんとお呼びしても? これから努力しますので、本日はご寛如のほどを……。今日は異世界の知識をお聞かせいただけるのでしょうか」


 いきなり話し方を変えられるほど、ナルチアは大人ではない。

 堅苦しさを漂わせながら、ナルチアは龍平に頭を下げた。


「まあ、しゃあねぇか。今はそれでいいけどさ、ミッケル様のお屋敷に殴り込んできたときみてぇになりゃいいと思ってるよ、俺は。あぁ、黒歴史か? 触れねぇほうが良かったかな?」


 挑発するわけではないが、少しでも気安くと思った龍平がナルチアの黒歴史を掘り返す。

 横に座ったレニアが、思わず口元を抑えてうつむいてしまった。


 ここでベッドに飛び込んでのたうち回る器量がナルチアにあれば、笑い話になるところだ。

 だが、顔を真っ赤に染め上げてうつむいたナルチアは、小さく肩を震わせるだけだった。


――リューヘー、今のは酷いわ。ナルチアに謝りなさい。なによ、黒歴史って。的確すぎて、噴き出しそうになったじゃないの――


 後ろから撃つなよ、トカゲ姫。

 まるでフォローになってねぇぞ。


「ああ、思い出したくない、恥ずかしい考え方をしていた昔のことを、俺たちの言い方で黒歴史っつうんだ。すまん、ナルチア。ま、俺にもいっぱいあるぞ。子供のころ好きだった食べ物とか飲み物を莫迦にしたり、美味いとも思わない大人の飲み物とか食べ物を、友達の前でわざと美味そうに飲み食いするとか。テロリストが制圧した学校を独りで解放するとか想像したり、世界を滅亡させるような悪の組織を、独りで壊滅させると、か……あれ、なんだろう、心が、痛い……」


 龍平は黒歴史を実例とともに説明しながら、自覚しないままに涙を流していた。

 これ以上はない、完全な自爆だった。


「リューヘー様! もうおやめくださいっ! わたくしも心が張り裂けそうですっ!」


 涙を流す龍平の肩を掴み、レニアが止めに入った。

 あんたも黒歴史満載かい。


――なにかしら、私も心が痛いわ……そのあたりにしておいてちょうだい、リューヘー――


 そうだろうとも。

 多少腐り気味だったもんな、生前の魔法姫は。


「……まあ、このへんにしておこう。黒歴史の暴露大会にでもなったひにゃ、再起不能になりかねん」


 レニアから差し出されたハンカチで涙を拭きながら、龍平は何とか再起動した。

 とりあえず、フォルシティ邸に帰ったあと、ベッドで枕に顔を埋めてジタバタすることだけは確実だ。


「……少々心を落ち着ける必要があるかと……。わたくし、お茶を用意してきます……」


 ふらふらと腰を上げたレニアが、多少頼りない足取りで部屋を出て行った。

 場を和ませようとした龍平の配慮は、全員の心に甚大な被害をもたらしていた。




 レニアが出て行ってしばらくすると、部屋の外がなにやら騒がしくなってきた。

 神殿全体がどよめきに包まれているような、なにやら不穏な空気に包まれているような雰囲気だ。


 そこへ、息急ききったレニアが飛び込んでくる。

 普段の聡明さや落ち着いた雰囲気をかなぐり捨て、この世の一大事を報せるような勢いだ。


「リューヘー様っ! こちらにっ! 空に星がっ! 昼なのにっ!」


 慌てふためいたようなレニアは、言葉がきちんと出てこない。

 聞かされ、見た現象を、やっと言葉にしているようだ。


 だがその内容で、龍平はなにが起きたか、即座に理解する。

 地球人類の有史以来、肉眼では五回しか観測されていない一大天文ショーの始まりだった。


「落ち着け、レニア。たいしたことねぇよ、それは。地球でも、五回記録に残ってる。あと、見えないものを含めれば、一年で四〇回くらいはあるらしいぞ。ティラン、おまえの世界では、どうだった?」


――なにを落ち着いてるのっ!? 昼間に星が見えるなんてっ! 凶事の予兆か何かじゃないのっ!?――


 ティランが答えるより早く、レフィが激昂したように口を挟む。

 陽が沈みきっていない夕暮れならともかく、まだ昼前の白日下に星が見えるなんてあり得なかった。


――レフィ姉も落ち着いて。リューちゃんの世界でもあったんだ? ボクのいた世界だと、ボクの知る限り二回あったよ。どっちも半年くらい見えていたかな。別に、何が起きたわけじゃないけど、確かに悪いことが起きるんじゃないかって、みんな不安がってたよ。リューちゃんは、それがどんなことか知ってるんだね?――


 新たな知への期待からルビーの瞳をくるくるとさせながら、落ち着いた態度を崩さずにティランが尋ねた。

 ここで新たな知への期待から慌てふためいては、龍平以外の者がパニックを起こしかねないと思っての配慮だった。


「ああ。学校で習った程度の知識しかないけど、俺は知っている。間違いなく、超新星だ。生きてるうちに見られるとは思わなかったな。早く見に行こうぜ」


 はしゃぎたい気持ちをぐっとこらえ、龍平はゆっくりと腰を上げた。

 一刻も早く見に行きたいが、ここで慌てているような素振りを見せたら、ティランの配慮が台無しになる。


 地球で最も古い記録は、西暦一八五年の超新星が中国の記録にある。

 そのときは、コンパス座およびケンタウルス座の約三三〇〇光年離れたところで起き、マイナス八等級の輝きだと推定されていた。


 次の超新星は、一〇〇六年に発生した。 これは、狼座約七二〇〇光年彼方のでのできごとだ。


 確かな記録に残されている限り、太陽と付きを除けば、マイナス七,五等級と歴史上で最も視等級が明るくなった天体だ。

 一〇〇六年の春に狼座領域に初めて出現したこの超新星は、北半球の多くの地域で観測され、いくつもの民族の記録に残されている。


 次いで一〇五四年にも、超新星は発生した。

 この記録は、藤原定家の日記である明月記や、中国の古典にも書き残されている。


 約七〇〇〇光年の彼方で起きた大爆発はマイナス六等級の輝きを見せ、やはり北半球のあらゆるところで観測され、多くの民族に記録されている

 二〇世紀に入り解析が進むと、メシエ目録の一番目を飾る牡牛座かに星雲がこの爆発の残骸であることが判明した。



 そして、不世出の大天文学者ティコ・ブラーエが新星と初めて呼んだ超新星、スーパーノヴァが一五七二年に発生する。

 カシオペア座に現れた超新星は、最盛期にマイナス四等級の輝きを見せ、一年半ゆっくりと減殺しながらもその光を保っていた。


 その三二年後には、我々の銀河系内において肉眼で観測されたものとしては、今のところ最後である一六〇四年のケプラー超新星が発生している。

 蛇遣い座領域、約二万光年の彼方で起こった大爆発は、最盛期にはマイナス三等級の光を放ち、約一年半にわたって光を保持していた。


 実はこの他にも、いくつかの超新星爆発の残骸が発見されている。

 だが、天文少年ではない龍平に、そこまでの知識はなかった。



「ティランの世界では、なんて呼んでいたんだ?」


 ティコが新星と呼ぶ前、日本や中国では客星と言い習わされていた。

 それまで何もなかった空域に、星が訪れたと見なされていたからだろう。


 そして、こちらも夜空に突然現れる、ほうきのような長い尾を持つ彗星と併せ、どの世界、どの国、どの民族でも、凶事の予兆とされていた。

 不変と思われている空に新たな星が輝けば、それは世界に強制的な変革をもたらす超常現象ととらえても仕方がない。


――ボクの世界では、客星だったよ。もちろん、リューちゃんの世界の言葉とは、発音が違うけどね。リューちゃんの世界は?――


 世界は違えど、同じような進化を遂げれば、感性もまた似てくるのだろう。

 そう言いながら、ティランも悠久に等しい生の中で、二度しか目にしたことのない現象を、早く見たいとそわそわしている。


「昔、俺の国や隣の国も、その言葉を使っていたな。今は、国際的にノヴァ、新星って言ってる。そして、今回みたいに真っ昼間でも見えるほど明るくなる新星は、特にスーパーノヴァ、超新星って言うんだ」


 それまで見えなかった星が急に発見されることから、ティコがそう名付けて以来は新星と呼ばれている。

 だが、新たな星が生まれたわけではない。


「では、新しい星が生まれた、めでたいことなのですか? なら、早くみんなに報せて、不安を取り除いてあげましょう」


 弾けるような笑顔で、レニアが言った。

 空にきらめく星の誕生なら、慶事と言っても過言ではない。


 この世界最高峰の知を持つ機関のひとつである神殿の権威の下に知らしめれば、人心の不安は早急に取り除けるだろう。

 高科学院から異議が出るかもしれないが、それはあとですり合わせればいい。


――ふぅん、人騒がせな星ね。ま、国を挙げて祝ってやればいいかしら。ティランの知る限りでは二回。リューヘーの世界では五回ってことは、相当に珍しいことよね? 私たちは、運が良かったのかしら?――


 当初は落ち着きを失っていたレフィも、凶事の兆候ではなく単なる自然現象と理解し、少々ばつが悪そうだった。

 それでも初めて見聞きする自然現象に、レフィは興味を抱いている。


「違う。星が生まれたんじゃない。あれは星の爆発だ。最期のきらめきだ。あれは、星が死んだんだ」


 龍平の言葉に、誰もが息を飲んだ。

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