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転生龍は人と暮らす  作者: くらいさおら
第三章 王都ガルジア
63/98

63.赤龍、王都に舞う

 ガルジオン王国王城前の広場には、黒山の人だかりができていた。

 誰もがその目に伝説を焼き付けようと、そのときを待ちわびている。


 英雄譚では最強最悪の敵として描かれ、民話や伝承の中ではときとして知恵を授けてくれる、心強い味方としても描かれることもある。

 いずれにしても、その姿を目にした者は皆無であり、声を耳にした者もこの世界にはいなかった。


 そんな空想上の生き物でしかない存在が、今この世界に実在している。

 王家がその生き物と友好的であるならば、その臣民を襲うはずはない。


 王家が保障し、その布告はガルジアの隅々まで行き渡っている。

 充分な時間的余裕も取ったおかげで、文字や文章を読めないものでも、誰かしらが伝えていた。


 やがて、正午を告げる鐘がブーレイの神殿で鳴らされ、広場に面したバルコニーにカルミア王が現れる。

 両脇をキルアン、サミウルの両尚書が固め、その後ろに見慣れぬ黒髪の少年と、全身に染め上げたような深紅の鱗をまとった小さな龍がつき従っていた。


 龍の登場を待ち望んでいたひとびとから、歓声と落胆の溜め息が入り混ざったどよめきが広がる。

 伝説を目にした歓声と、龍の大きさに期待を裏切られた溜め息だった。


「親愛なる我が民よ……。……今日、この日は我がガルジオン王国にとって、永遠に忘れられぬ、記念すべき日となろう」


 広がっていくどよめきを鎮めるように、両手を大きく広げたカルミアが話し始める。

 王の声をひと言たりとも聞き逃すまいと、カルミアを中心に静寂が広がっていった。


「この世界の各地に伝わる昔話や民話。伝説や伝承。英雄譚。さまざまな言い伝え。そのような中にしか生きられぬと信じられていたドラゴンが、今、ここにいる」


 そこまで言って振り向いたカルミアの視線に応えるように、小さな赤い龍がバルコニーの最前部に進み出た。

 落胆の溜め息に気づいていたレフィは、まずは期待に応えるように龍騎サイズに身体を変えた。


 その瞬間、広場に歓声が爆発する。

 身の丈二メートルに及ぶ恐怖の象徴が、バルコニーからひとびとを見下ろしていた。


「このドラゴンは、アレフィキュールという名だ。この通り、余とは友人となった。つまり、この国に住まう我が臣民すべてと、このドラゴンは友人である!」


 広場に歓声と拍手、口笛が響き渡る。

 その中に、レフィがふわりと浮き上がった。

 魔力が龍を中心に練り込まれ、レフィの右の掌から真っ赤な火球が沸き上がった。


 レフィがその火球を沖天高く投げ上げ、次いでブレスを撃つ態勢に入る。

 ひとびとの頭上に舞い上がった火球めがけ、蒼白い炎が龍の口から撃ち出された。


 一瞬の間を置いて蒼白い炎が火球を撃ち抜き、盛大な火花を散らして消えていく。

 現代日本で夏の夜空を彩る打ち上げ花火のように、真っ赤な大輪の花が王都の青空に散っていった。


 大歓声が轟く中、龍の姿が急速に巨大化した。

 身の丈一〇メートル、全長三〇メートルに達する深紅の龍が、丈高い尖塔の上に悠然と羽ばたいていた。



「親愛なる我が臣民よ。今の魔法にブレスは、我らを焼くためではない。我らを守るためにある! 親愛なる諸国の皆よ。彼のドラゴンが貴国を訪問することはあっても、攻め入ることはないと、カルミア・ド・ノンマルト・ガルジオンの名において、固く誓う! 彼のドラゴンの行いすべては、このカルミア・ド・ノンマルト・ガルジオンが全責任を負うことを約束する! 行け、アレフィキュール! 王国に住まう全ての友に、その姿を見せて参れ!」


 カルミアの声に応え、深紅の巨龍が咆哮を上げ、宙を舞う。

 王都ガルジアに住むすべてのひとびとの目に、その姿を焼き付けるように宙を舞った。




 どこまでも広がる蒼穹を、赤い龍が征く。

 なにひとつ遮るものなどない大空を、無限の魔力を秘めた龍が飛んでいる。


 レフィは眼下に広がる王都ガルジアを眺めながら、ゆっくりと、ゆったりと羽ばたいていた。

 見上げるひとびとに優しい視線を送りながら、折に触れて左目の色をルビーに変えながら、たっぷりと時間をかけて舞い続けた。


 ティランとふたりで。

 この世界を破壊しない決意を、胸に秘めて。


 神殿上空に差し掛かり、クレイシアとアクィルの姿を認めた際には、ひときわ高い咆哮を放った。

 もちろん、レフィにしてみれば単なる挨拶のつもりだったが、頭を抱え込んで地に伏せる巫女服を着た一団と、へたり込んだまま茫然と空を見上げている筆頭巫女がいた。




 レフィのお披露目飛行は、たいした混乱も起こさずに終了した。

 全力で飛べば五分もかからず横断できるガルジアの空を、たっぷりと三〇分近くもかけて、ゆっくりとレフィは飛んだ。


 布告が行き届いていたおかげで、巨龍の姿にパニックを起こす者もおらず、多くのひとびとが歓声とともに手を振っていた。

 手を振るひとびとに咆哮で応えながら、レフィはひと雫だけ涙をこぼす。


 ひとびとに受け入れられた喜びと安堵が、殺戮の化身に涙を流させていた。

 かつて世界を破壊したことに慟哭し、同胞を殺してしまったことに絶望したティランに安住の地ができたことが、深紅の巨龍に涙を流させていた。


 王城の上空に戻ったレフィが、見上げるひとびとに向かい優雅に一礼する。

 そしていつものサイズに戻りながらバルコニーに舞い降りた。


 誰が最も大切な人かを見せつけるように、龍平の肩にちょこんと止まる。

 カルミアに促されてバルコニーの最前部に進み出た龍平が、群衆に向かってはにかみながら手を振ると、爆発するような歓声が広場を揺るがした。




 レフィが王都の空を舞った翌朝。

 フォルシティ邸の中庭は、慌ただしい喧噪に包まれていた。


 フロイやソラに規格外と評されたひとりであるエヴェリナの指揮の下、昼からはじまる宴席の準備が着々と進められていた。

 邸内の一室では、龍騎サイズのレフィが鞍を背負い、さまざまな装身具を飾り付けられている。

 その横ではヴァリー商会ガルジア本店から届けられた、フルプレートアーマーと格闘する龍平がいた。


 本来儀礼用のフルプレートアーマーなど、重量が嵩みすぎて一度着たら身動きなど適わない。

 王族が戦場でこれを身にまとうのは、きらびやかな外見による戦意向上と、いざとなっても逃げることすら適わぬ不退転の決意を示すためだ。


 だが、ここしばらくの研鑽による肉体強化魔法に著しい成長を見せる龍平は、この重量物に負けることなく身体を動かしている。

 ミッケルとヴァリーが、それを頼もしそうな目で眺めていた。



「いかがですかな、フレケリー卿。なんとか今日に間に合わせたため、不具合がございましたら、何なりとお申し付けくださいませ」


 セルニア以来の再会に、ヴァリーはこのフルプレートアーマーを持参していた。

 レフィのお披露目を布告で知り、赤い龍に相応しい騎乗鎧をと突貫で作り上げたものだ。


 もちろん、今レフィが身につけている装身具も、ヴァリー商会ガルジア本店渾身の作ばかりだった。

 言うまでもなく、龍平に対する投資であり、フレケリー領における商売の優先権を見込んでのものだ。


 恐縮しきりの龍平は、相応の対価を支払おうとしたが、ミッケルとレフィに説得され、素直に献上品として受け取っている。

 隠すこともなく、正直に説明してくれたヴァリーの人柄に、あえて突き返すことなどできなかっただけだったが。


「はい。大丈夫です。全力で走っても平気そうですね、これなら」


 軽い屈伸を繰り返し、龍平はヴァリーに答えた。

 そのあり得ない動きに、ミッケルは呆れたような視線を送っている。


「それを着て走るとは……。殿下もたいがいだが、フレケリー卿も似た者同士ということか……」


 フォルシティ家も当然フルプレートアーマーを所有しているが、ミッケルが戦場で身にまとう鎧は実用的な革製だ。

 象徴的な総大将と、実戦的な前線指揮官では、必要とする装備の性能は当然のことだが違ってくる。


 動きを阻害し、着ているだけで体力を消耗するフルプレートアーマーなど、前線においては弊害しかない。

 金属を全く使っていないわけではないが、急所を守る部分だけに留められていた。


「四属性が使えませんからね、俺は。身を守るにはこれしかないわけで……。よっと。……レフィ、重くないか?」


 龍平から送られたものと、そっくり同じに仕上げられたフェロニエールを額に飾ったレフィが、そばに来て身を屈め、龍平を見上げている。

 騎乗を促されたと判断した龍平は、鞍に腰を下ろすとレフィに聞いた。


――もう……なんてことはないわ。……あなたは、本当に気が利かないわね――


 龍平を肩に乗せたレフィから、不満げな念話が返された。

 すいませんね、トカゲ姫。この朴念仁にデリカシーを求めてること自体、無理ですから。


「これはこれは、レフィ様、よくお似合いでございますなぁ。やはりフレケリー卿がお造りなった額飾りは、手を加える余地なとございません」


 ヴァリーがお世辞とも取れそうな口調で、レフィのフェロニエールを誉めそやす。

 言うまでもなく、龍平に気づかせるための、わざとらしい口調だった。


「リューヘー様、女は身につけたものを殿方に誉めていただくことがなによりも嬉しいものにございます。精進なされませ」


 なかば呆れたようなタエニアの口調にたしなめられた龍平は、レフィの肩に乗ったまま、ばつが悪そうに表情をしかめる。

 そして今さら誉めても、格好がつかないことに気づかされていた。


「はい……タエニアさん。精進します……。すまねぇな、レフィ。俺、そういうこととは無縁だったから……」


 気の利いたひと言も言えない自己嫌悪に、龍平はすまなそうにレフィに告げる。

 装身具を誉め合うなど貴族社会では当たり前の会話だが、庶民育ちの龍平にはこっ恥ずかしくてなかなか口にできる内容ではなかった。


――まあ、いいわ。あなたにそれを求めた私が悪いのよ。でも、覚えておきなさい。宴席なんかだと、相手は莫迦にされたと受け取りかねないわ。着飾ることも、招かれた相手への礼儀よ。それを誉めなかったら……解るわね?――


 しっぽの一撃でも食らわせてやりたいところだったが、このいでたちで乱闘騒ぎを起こすわけにもいかず、レフィはぐっとこらえていた。

 龍平の事情も解るが、やはり治まらない腹の虫が、つい口調を嫌味っぽく変えていた。


 常に美しくありたいという女心や虚栄心、権勢や財力の誇示といった理由もあるにせよ、招かれた宴席にみすぼらしい格好で出席するわけにもいかない。

 宴席を華やかにする協力に対し、気の利いた礼のひとつも言えないようでは、貴族社会でやっていけなくなる。


 面倒きわまりない風習だが、これは郷に入っては郷に従えというものだ。

 龍平はそう納得しながら、レフィに感謝していた。




――フォルシティ卿、今日はどのような方々をお招きしているのかしら?――


 一旦元のチビ龍に戻ったレフィが、お茶のカップを両手で抱えながら聞いた。

 近隣の屋敷に住まう貴族たちと聞いてはいるが、主だったひとびとの人物像がまるで分からず、その辺りを確認しておきたかった。


 近隣の住人たちとは、今後の付き合いを考えればそれなりに親しくなる必要がある。

 いつまでも恐怖されていたり、暴威を恐れて卑屈になられているのは嫌だった。


 場合によっては何人か背に乗せて飛ぶくらいのサービスを、レフィは考えている。

 龍平の太っ腹さというか器量の広さも、ついでにアピールしておくつもりだった。


 だが、こちらを利用しようと企む者や、幻霧の森の利権に食い込もうとする者は、排除まではいかなくとも遠ざけてはおきたい。

 しかし、フォルシティ家の近所付き合いとの兼ね合いもあり、どの程度までやっていいか、現状でレフィには判断はできなかった。


 当然ミッケルも考えているだろうが、近隣の住人たちの扱いをそう簡単に変えるわけにはいかない。

 王城で敵対していようと、近所付き合いは別物であり、家族同士の付き合いもまた別物だ。


 下手な諍いを起こして、それがのちのちフォルシティ家の家族に危険を招くような結果になることを、レフィは望んでいない。

 龍平にその機微を求めることは無理である以上、レフィが気をつけなければならないことだった。


「殿下がご心配になるような人物は招いておりませんので、どうぞお心安らかに。我々下級貴族は公爵家ほど器量も広くございません。幸いにして当家は恵まれておりますが、中には両隣や向かいの家と挨拶ひとつしない者もおります。今さら弾いたところで、何が起きるなどということはございません」


 ミッケルは、こともなげに言い放った。

 この武闘派貴族は、その程度のことなど、気にもしていないようだ。


 レフィの心配は、まったくもって杞憂に終わった。

 しかし、ほっとすると同時に、信じがたい思いも抱いている。


 立場が上がれば、それだけ多くの敵ができる。

 だが、同時に感情的な好悪だけで、付き合う相手を選ぶこともできなくなる。


 候公家ともなれば特定の役職には就かなくとも、参議員としての重要な職務がある。

 これらの者がつまらない諍いなど起こしていては、国の運営が立ちいかない。


 主義主張で対立し、時には敵対しようとも、表面上は和やかでなければならなかった。

 部下や派閥のもの同士が諍いを起こしたとして、トップ同士までがいがみ合っていては全面抗争に発展しかねない。


 国政がガタガタになってしまえば、いつどのような形で他国に付け入られてしまうか分からない。

 立場が上がれば上がるほど、清濁併せ呑み、感情的な好悪も飲み込む器量が求められていた。


――そう。であれば、遊覧飛行くらいしてもいいかしら。もちろん、卿が筆頭で。デルファ嬢にも乗っていただこうかしら――


 レフィの言葉に、ミッケルの顔色が一変した。

 もちろん、愛娘の安全を憂いてのことではない。


 まさかレフィがデルファを振り落とすなど、ミッケルは考えてもいない。

 同時にデルファの安全を盾に、何かを求めてくるとも考えてはいなかった。


 ミッケルは冷や汗をこめかみに伝わせながら、レフィから視線を外さない。

 今までの威厳を保ちつつ、どうやって高所恐怖症を隠すか、それとも告白するか、優秀な武闘派貴族は頭をフル回転させていた。


「まあっ! レフィ様、私を乗せてくださるのは本当ですかっ! こうしてはいられませんっ! 私、着替えて参りますっ!」


 デルファが大輪の花を咲かせたようにその顔を輝かせ、侍女を伴って自室へ向かう。

 愛娘が騎龍に適した装いに着替えるため、喜々として部屋を出ていっても、ミッケルは固まったままだ。


「殿下、お心遣いには感謝いたしますが、ミッケルには主催の重責がございますわ。軽々しく席を離れるのは、いくら気安く接していただいているご近所の方々とはいえ、失礼に当たりますわ。ご厚意は、またいずれの期に」


 まるで再起動の気配を見せない夫に代わり、妻のディフィがやんわりと断る。

 その様子に状況を察したレフィは、それ以上の追撃はしなかった。


 そんなやりとりを、龍平は頭の上にクエスチョンマークをいくつも浮かべて眺めている。

 察しが悪くてよかったね、ミッケルさん。




 正午を告げる鐘が鳴り終わり、フォルシティ邸の中庭は、朝方とは異なる喧噪に包まれていた。

 和やかな雰囲気の中には、三つの人の輪ができあがっている。


 ひとつめの輪の中心は、この世界では見られない黒髪と黒い瞳を併せ持つ少年が、ディフィに付き添われて立っている。

 ディフィは貴族社会の常識に疎い龍平が話題に困らないよう、デルファへの教育を中心に龍平の知識を引き出していた。


 未知の知識に感心したひとびとが発するさまざまな質問を、ディフィは巧みな話術で捌いている。

 周囲を大人たちに囲まれ、気圧され気味の龍平は、ディフィのおかげでなんとかボロを出さずに済んでいた。



 ふたつめの人の輪は、ミッケルを従えた赤い小さな龍を中心にしている。

 ティランと共有した異世界の知識を、生まれ育った過程で身につけた話術で紡いでいた。


 元はといえば、約二〇〇年前にはこの世界の貴族だったレフィが、現在の貴族たちとの会話に困るようなことはない。

 ミッケルの役割は、二〇〇年の間に変化した常識のすり合わせを、この世界と異世界の差違と見せかけて行うことだった。



 三つ目の人の輪は、騎乗服に身を固めたデルファが中心にいる。

 周囲には大人たちではなく、同世代の子供たちが集まっていた。


 子供たちは例外なく、デルファの装いを話題にしている。

 これから何が起きるのか、誰もが目を輝かせて、そのときを待っていた。



「それでは、皆様。少々お時間をいただき、フレケリー卿とレフィ殿の支度を整えて参ります。また、レフィ殿のお申し出により、ご希望の方をお乗せして王都の空中散歩にお連れいたします。なに分急なお申し出でしたので、事前にお報せすることが適いませんでした。騎乗服はこちらでご用意させていただきましたので、ご希望の方はお着替えをお手伝いいたします」


 頃合いよしと見たディフィが、中庭に集うひとびとに声をかけた。

 主役が退出したふたつの輪と、このときを待ちこがれていたもうひとつの輪から、期せずして同時に歓声が沸き上がる。


 もちろん、デルファを中心とした子供たちが、最も盛り上がりを見せていた。

 既に誰が二番目に乗るか、かわいい諍いまで始まっていた。


 やがて、フルプレートアーマーに身を固めた龍平が、フェロニエールを飾ったレフィからひらりと舞い降り一礼する。

 凛々しくもかわいげのある龍に拍手が沸き、力強くも素早く、あり得ない身のこなしを見せる龍平に驚嘆の声が上がった。


 この日、王都ガルジアの空には、子供ばかりではなく、大人たちの歓声も日暮れ近くまで響いていた。

 王城の窓からその光景をうらやましそうに眺めていたカルミアとティルベリーに、キルアンとサミウルが困らされるのは、また別のお話。

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