62.謁見はアンパンとともに
衛兵と侍女に連れられ、龍平とレフィは王城の一室へと案内された。
ドアが開けられ、中に入った龍平は、その豪奢な造りに瞠目する。
ただ豪奢なだけではなく、見る者に嫌味を感じさせない品の良さと、財力を誇示するような力強さが備わっていた。
その中心に、ひとりの男が待っている。
この王国の頂点に立つ、カルミア・ド・ノンマルト・ガルジオンだ。
龍平はその佇まいに、圧倒されていた。
宴席で顔を合わせたティルベリー王太子も、一般人とは明らかに違うオーラをまとっていたが、カルミアはその格が違う。
キルアンとサミウルも国政を背負って立つ覇気を全身から発散していたが、カルミアはその迫力が段違いだ。
これが国をたった独りで背負い立ち、その全てに責任を負う男かと、龍平は打ちのめされたような気分になっている。
その横ではレフィが平然と羽ばたいているが、これは生まれと育ちの違いだろう。
生まれながらにして王位継承権を持ち、王家や他の王族とも親戚付き合いをしてきたレフィにとって、当時の王は叔父でもあり、今の王は直接血のつながった子孫だ。
龍平ほどに気後れするような、相手ではなかった。
「よく参った。そんなところで突っ立ってないで、こちらへ座りなさい」
臣下の礼を取る前に、カルミアが声をかけてきた。
本来であればあり得ないことだが、龍平が異世界人であり、そこが貴族などいない世界であることを知ってのことだった。
もちろん、現代日本においても立場や役職など、身分の貴賤はなくとも上下は存在する。
龍平の態度は、仮にそれが高校生だったとしても、充分に叱責モノだ。
「あ、大変失礼をいたしました。初めて御意を得ます、リュウヘイ・デ・クマノ・フレケリーにございます。本日はご尊顔を拝し奉り、無上の光栄に存じます」
レフィから教え込まれた挨拶を、なんとかつっかえずに龍平は口にした。
最初に、あ、などと口走った時点で、目上の者に対する挨拶としては失格だが。
――陛下、人語を話す口にございませぬゆえ、念話でのご挨拶で失礼いたします。アレフィキュールと申します。縁あって異世界よりこの世界に舞い込みましてございます。彼の世界におきましては、赤龍と呼ばれる種族にございます――
さすがに場慣れしているだけあって、レフィの挨拶は流麗だった。
そして当然のことだが、生前のこともフルネームも伏せている。
アレフィキュールという名前は、レフィ生前の貴族社会では平凡ではないが、それなりに聞く名前だった。
一時期は希代の大悪女として廃れていたが、今の時代でもそこそこ使われている。
それゆえにフルネームはともかく、愛称ではなく本名を名乗ったところで、悲劇の魔法姫に直結することはない。
そう判断しての名乗りだった。
「フレケリー卿、そう固くなるな。謁見とはいっても、茶飲み話だ。いや、そなたに謝罪をするにあたって、茶飲み話はないな。失礼した。そちらのドラゴン殿、レフィ殿とお呼びしてよろしいか? なかなか堂に入った挨拶、傷み入る。今日はこのあとに晴れ舞台が待っているが、意気込みはいかがかな?」
まとうオーラと発散する覇気とは裏腹に、柔和な両眼が二人に優しげな視線を投げかけている。
一国の王が軽々しく謝罪を口にするなど、国際社会では足元を見られそうな振る舞いだが、カルミアには一分の隙も見えなかった。
「謝罪だなんて、私ごときにもったいなく存じます。こちらの世界に迷い込んで以来、セルニアン辺境伯閣下、フォルシティ卿を始めとして、このレフィや彼の森の家付き妖精たちに助けられてばかりです。陛下におかれましては、どうかご心配なさらぬよう」
ここで、どうしてくれるくらい言えればたいしたものだが、基本ヘタレの龍平には望むべくもない。
立場が上の者から先に謝られてしまうと、つい全面的に譲歩してしまう日本人の悪しき性質がもろに出ていた。
――幸い、これまでは友人に恵まれ受け入れていただいて参りましたが、初対面の方にはずいぶんと恐れられてしまったこともございます。このたび、陛下のご尽力をいただきましたことで、無用の混乱を避けうることとなり、この身にとりましては無上の喜びとなりましてございます――
ディヴやハミルに恐れられたときのことを考えると、確かにこの措置はありがたかった。
一国の王が安全を宣言したうえでの巨大化なら、驚かれることはあっても、怖がられることは少なくなるだろう。
町を出歩くだけで、下手をすれば衛兵がすっ飛んでくるかもしれなかったが、これで自由に歩き回ることも可能になる。
ここは素直に、礼を言いたいレフィだった。
「フレケリー卿。今回の誤召喚は、決してそなたを異世界に攫うために行ったことではない。それは理解していただきたい。だが、悪意がなかったからといって、許されることではないと余は考えている。そなたを元の世界に送り返す手だてがない現状では、そなたの御尊父、御母堂を始めとしたご家族や友人にしてみれば、そなたを殺されたも同然。たとえ、そなたに許されようと、我々の罪は許されてはならん」
深い苦悩をにじませつつ、カルミアは龍平に諭すように言った。
もちろん、賠償は既に決しているとしても、さらに踏み込まれないように言葉は選ばれていた。
「レフィ殿はフレケリー卿の後ろ盾となっておられると、聞き及んでいる。バーラムやミッケルのように正式な後見人に任じることはできぬが、この王都に布告を出すことで立場を公にできるのであれば、幸甚と言うもの。余もそなたの勇姿を楽しみにさせていただこう」
レフィに対しても龍ごときといった態度は、決して見せていない。
だが、ここで不自由があれば何なりととは言わないあたり、さすが一国を背負う者だ。
権力を有する者が便宜を図れば、たしかに話は早く済むかもしれない。
だが、拡大解釈されるようなひと言は、国政への口出しや、財政の私物化といった弊害しかない。
今回のレフィへの便宜は、でかいトカゲが空を飛ぶけどびっくりするな、と言っただけにすぎない。
のちのちのことを考えれば、レフィには限りない利益がある。
それを利用して金銭的な利益を上げるなり、立場を上げて様々な発言権を得るかどうかは、今後のレフィの振る舞い次第だ。
だが、現時点でも、未来においても、国政に口を挟ませることも、国庫から銅貨一枚出す必要もなかった。
「陛下にそのようにお心遣いいただき、この身に余る光栄に存じます。いかなる形であれ、彼の地に封じられた以上は、この国のお役に立てるよう努力する所存。どうか、ご指導ご鞭撻のほど、伏してお願い申しあげ奉ります」
両親や友人の話が出たことに、龍平の胸がちくりと痛んだ。
だが、そのことを言い募っても仕方ないと、龍平は痛みに耐えていた。
「フレケリー卿。彼の地にそなたを封じたこと、我らの苦肉の策と理解されたい。本来であれば誤召喚の賠償の一環として、我らと神殿の保護の下、ガルジアで不自由なく暮らしてもらうが道理。しかし、そなたが異世界人であり、すぐれた知識を有することを永劫隠し通すなど無理であり、そなたも隠して生きるなど窮屈に過ぎるであろう? そなたの知恵や知識をほしがる者は多く、その独占を企む者が出ることは必定とあれば、この措置にも納得がいくと思う。我々は適度な距離を以てもちつもたれずやっていくしかないと理解されたい」
ガルジアに来るまで、さんざんに言われてきたことを、一国の総責任者からも龍平は言われた。
つまり、一国の最高権力者を以てしても、誘拐等のテロから龍平を守りきることはできないと、言われたようなものだった。
――陛下のご高配に、限りない感謝を。私は王城における栄達を望むわけでも、財をなすことを望むわけでもございません。ただ、大切なひとびとと心やすくありたいのみ。この世界にドラゴンはおりませんゆえ、人と暮らすことこそ、私の望みにございます。この姿が恐怖を振りまくものであることは、重々承知しておりますが、陛下のご高配によりそれも払拭できましょう。重ね重ね、御礼申し上げます――
レフィは龍に身をやつしているが、心まで龍になったわけではない。
この転生龍は、人と暮らすことを何よりも望んでいた。
「さあ、固い話はもうよかろう? フレケリー卿、さっそくすばらしい成果を上げてくれたようだな。余も、もう一度あれを味わいたいと、常日頃考えておってな。あれを再現してくれるとは、心より礼を言わせてもらう。これからも神殿に協力してやってくれ」
カルミアの言葉が途切れると、それまで影のように壁際に控えていた侍女たちが、手早く茶菓の支度を整える。
カルミアには煎茶とアンパンが、龍平たちには紅茶と王城の厨房謹製の焼き菓子がサーブされた。
「既にキルアン自らにより毒味は済んだと言われていたが、毒味役がなぜか強固に実施を主張よってな。皆、余があれほどまでにこだわるものだから、どうしても食してみたかったとみえる。……あぁ、間違いなく、あのときの味だ。改めて礼を言うぞ、フレケリー卿」
キルアンが自分を信じられないのかと、毒味役に食ってかかっていたと、カルミアは笑いながら話した。
「過分なお褒めをいただき、もったいなく存じます。正確な製法までは存じ上げませんが、うろ覚えの記憶をフォルシティ家の料理人の皆様のご尽力で、なんとか満足のいく形に仕上げることができました。まだまだ舌触りなど改良できることもございましょう。私としては製法を公開し、職人の皆様方によるさらなる発展に期待したいと存じます」
製法を独占してひと財産を、など龍平は考えていない。
そうでなくとも、神殿が近々公表するはずだ。
なによりも、貴族が独占していた天然酵母を庶民に開放し、砂糖増産のために北域で甜菜の栽培を奨励したカルミアの意志に沿わない。
カルミアは、満足そうに聞いていた。
――このたびは三種類のアンパンを献上させていただいております。ぜひ味の違いをお楽しみください。芥子の実の色で区別されております――
小豆餡ともどき餡は、どちらがすぐれているというものではない。
小豆餡は日本の味だが、もどき餡は間違いなくこの世界でしか作れない味だった。
そして、龍平が調子に乗って作らせたうぐいす餡も、今回の献上品に加えている。
小豆餡のブラッシュアップだけではなく、様々な餡が生まれてほしいと願ってのことだった。
「そうなのか? キルアンからはあのパンが献上されたとしか聞いておらぬが……」
これは龍平とレフィの、完全なうっかりだった。
カルミアにひと言断り、戸惑う侍女の下にレフィが飛んでいく。
侍女が紫に染め上げられた絹の包みを解き、香り立つ桐の箱の中に並ぶアンパンから、もどき餡とうぐいす餡をレフィが指し示す。
侍女が二種類のアンパンを用意する間に、レフィは優雅に舞い戻っていた。
「ほう、これが……どれ、いただいてみるか」
カルミアが三種類のアンパンを食べ比べている間、龍平はそれぞれについて解説している。
特にもどき餡は地球には存在せず、この世界でしか生まれ得なかったことを強調していた。
「見事なり。フレケリー卿、よくぞやってくれた。小豆餡も見事であり、うぐいす餡もそれに勝るとも劣らぬ味だ。そしてなにより、もどき餡はこの世界だけのもの。いや、そなたの世界と我々の世界があって、初めて生まれたものに相違ない。そなたがふたつの世界をつないだと、余は考えている。これからもよろしくたのむぞ、リューヘー」
感激の面もちでカルミアは、龍平にファーストネームで呼びかけた。
非公式の謁見とはいえ、仮にも第三者の目がある中で王自らファーストネームで呼びかけるなど、異例中の異例だ。
既知の物が発展した召喚物と違い、未知の召喚物が解明された例は、過去にもほとんど知られていない。
龍平たちの成果は、それほど価値のあるのことだった。
「私ひとりの手柄ではございません。私がガルジアに来る前に、既に豆を使っていることを看破した方がおられます。私は製法を覚えていたに過ぎません。形にしたのは料理人の皆様です。どうか、この栄誉はその皆々様に」
ファーストネームで呼ばれることの意味を、レフィから念話で耳打ちされた龍平は、恐縮しながら答えた。
どうしても晴れやかな立場には、照れが入ってしまうのだった。
「フレケリー卿、そなたにとっては覚えていただけのことに過ぎずとも、我らにとっては新たな一歩となる。そなたの功績はそなたの物として受け入れなければ、神殿や市井の職人たち、そしてこれを形にした料理人たちは栄誉を受け取れなくなってしまう。ここは胸を張って、称賛を受けとってもらいたいものだな」
柔和な瞳が、龍平に微笑んでいる。
まだ照れくささが勝っているが、龍平はその瞳に安心感を与えられていた。
「はい。身に余る光栄ですございます、陛下」
龍平は、その場で深く頭を下げる。
大人の包容力を見せられたような気がした。
「ん。それでよい。ところで、この製法は公開する前に、当然余に教えてくれるのだろうな? それから、別の餡ができたら、真っ先に知らせるように。これは命令ではなく、お願いだ。聞いてもらえるかな、フレケリー卿」
一転して、茶目っ気のある表情でカルミアが言った。
威厳や威圧だけでなく、こういった面がなければ人はついてこない。
王という者は豪腕も必要だが、人たらしでなければ勤まらない。
カルミアはそれらをバランスよく備えた、生まれながらの王だった。
「さあ、レフィ殿。次はそなたの番だ。思う存分、この空を飛ぶが良い。余は、その晴れ姿、とくと拝ませてもらうとしよう」
晴れやかな笑顔が、レフィに振り向けられた。
聞くところによれば、この龍も異世界からの来訪者だ。
もちろん、ふたりに向かって口にすることはあり得ないが、この程度の優遇でふたつの世界の進んだ知識を取り込めるなら安いものだ。
そして、王都には国交のある国から大使や駐在武官が派遣されていることを考えれば、レフィのお披露目飛行は最高の国力示威になる。
為政者が、その程度のことを考えないはずがない。
貴族として育ったレフィが、その程度のことを理解できないはずがなかった。
――はい、陛下。御前にて、私本来の姿をご覧に入れましょう。ただし、地上におきましては、広場を損壊する恐れもございますので、空中にて変化いたします――
その姿がどれほどの意味を持つか、レフィはカナルロクとの戦闘や、ティランがベヒーモスを脅してしまったやらかしで知っている。
この国と一蓮托生になるのであれば、諸外国がこちらに手を出したら痛い目に遭うと脅しつけておくのもいいと考えていた。
「さようか。それはまた楽しみなことだ。レフィ殿は身体の大きさを自由に変えられるのだな? ひとつ、この場で見せてはくれまいか」
定刻まで、まだしばらくの時間がある。
カルミアは待ちきれないと言った表情で、レフィに頼み込んでいた。
――では、ご希望にお答えいたします。ただいまよりご覧いただく姿は、こちらのリューヘーを乗せて空を征くときの姿となります――
ふわりとソファから浮き上がったレフィは、空いたスペースへと移動する。
そこで周囲に破損させかねないものがないことを確認し、龍騎サイズへとその身を変えた。
身の丈にメートルの赤い龍が、辺りを睥睨する。
前もって覚悟を決めていたのだろうか、それともこの程度で取り乱しては王の身の回りなど任せられないと選ばれたのか、侍女は顔を引きつらせながらも、その場に立っていた。
「ほう。凛々しい、いや、もはや神々しいと言うべきか。うらやましいのう。そなたはこの龍とともに空を征くのか。余も王などという立場でなければ、一度は乗せてもらいたいものだ」
驚嘆と感動、そして羨望が入り混ざった視線を、カルミアはレフィと龍平に送っている。
空を飛ぶことは、人類永遠の夢だった。
それは、たとえ成熟した世代の王であろうと、変わることはない。
しかし、龍平もレフィも、さすがに万一のことがあってはと思うと、カルミアを乗せるわけにはいかなかった。
もちろん、キルアンやサミウルといった国の重鎮たちのように、余人を以て替えることのできない人物も同じだ。
こればかりは自重と周囲の説得に期待するしかないと、龍平とレフィは考えていた。
それからしばらくは、この世界での暮らし向きといった、たわいない話題をカルミアは選んだ。
やがて定刻となり、近衛の兵士がレフィを呼びにやってきた。
ついに赤い巨龍が、王都の空を舞う。




