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転生龍は人と暮らす  作者: くらいさおら
第三章 王都ガルジア
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57.賠償金

 龍平の叙爵祝いは、盛況のうちに幕を閉じた。

 締めの挨拶に立ったサミウル財務尚書から激励を送られ、それに対する答辞を涙ながらで終えた龍平に、出席した者すべてから温かい拍手が送られていた。


 客を見送った後、龍平とレフィはこの日のメインイベントへと向かう。

 リングはフォルシティ邸の応接間だ。



 そこには帰ったはずのキルアン、サミウルの両尚書と、トロン神官長、そしてアーノルが待っていた。

 もちろん、龍平たちのサポートには、ミッケルとケイリー、そしてアミアがついている。


 賠償金の交渉にありがちな殺伐とした雰囲気などはかけらもなく、誰もがサーブされたお茶や、甘口のデザートワインを楽しんでいる。

 肩すかしを食った龍平は、タエニアから渡されたミードのカップを片手に、何とも言えない表情を作っていた。




「さて、主役も戻ってきたことだし、始めさせてもらおうかの」


 トロンが龍平に向き直り、深く一礼する。

 アーノルも同様に、龍平に頭を下げていた。


「我らの手違いにより、異世界へとさらってしまった罪、いくら詫びても許されることではないと承知している。水に流してほしいなどとは口が裂けても言えんが、せめて謝罪は受け取っていただきたい」


 あまりにもへりくだった物言いでは、かえって莫迦にしたようにも聞こえかねないとのミッケルからの進言に従い、トロンは努めて普段の口調を維持していた。

 さらには、神官長としての立場と威信もあり、これがギリギリの選択だった。


「召喚の儀が国事である以上、王国にも当然責任がある。我らからも謝罪を。願わくは、受け入れられんことを」


 キルアンからも、同様に謝罪の言葉が述べられる。

 王国と神殿は、等しく同罪という見解だった。


「あ、えーと、俺としては、怒ってるとか恨んでるとかはないので……、はい、受け入れます。これでもう、遺恨だの引け目だのは、なしにしていただけると」


 どう受け止めていいか分からない龍平は、ミッケルやレフィをちらちらと見ながら答えた。

 明らかに親世代以上の者に頭を下げられてしまうと、強く出ることはできない。


「そう言ってもらえると、我らも助かる。早速だが、本題に入らせていただこうか。フォルシティ卿から内々に聞かされているが、賠償額を金貨一万枚とした根拠を、我らにも聞かせていただきたい」


 サミウルが興味深そうに目を輝かせ、龍平に言った。

 もちろん、賠償額を下げさせようというのではなく、積算根拠と話に聞く計算法を見てみたいからだった。


「承知いたしました、閣下。タエニアさん、ペンと紙をお願いします」


 龍平は気軽に引き受け、計算用紙をタエニアが持ってくるまでに、生涯賃金や民事での賠償金の話を始める。

 もちろん総収入の話であり、所得税や住民税、国民健康保険や厚生年金などをさっ引いた額ではない。


「まず、今回の誤召還は偶発的な交通事故のようなものと仮定します。事故を起こした者は、刑法に則り懲役や罰金の刑事罰を与えられるほかに、民事での賠償を求められます。今回提示させていただいた額は、俺の知る限りの事例を元にしました」


 以前ミッケルやレフィ、セリスの前で説明したときより、前提の知識を細かく挙げていく。

 既にこの辺りからレフィの瞳が、エメラルドとルビーのオッドアイに変わっていた。


「刑事と民事の区別がよく解らんが、概念は理解した。今回の件は、その民事とやらの相場なのかね?」


 難しそうな表情で、キルアンは龍平に問う。

 やはり、国政を司るものとしては、法に絡む事例に興味が向くようだ。


「はい。で、現代日本から俺が消えた時点で、あちらにおいて俺は死亡したと仮定します。まだ俺は高校生でしたので働いていませんが、この場合は大学へ進学して卒業後に就職したとして、定年までにどれくらいの給料をもらうかが積算根拠になります」


 二〇一三年頃の平均を見ると、大卒院卒の男子は二,五億円、退職金込みで二,七億円程度だったが、小心者かつ計算が面倒なのでざっくり二億円に直していた。

 実際にはここから前述の税や社会補償費が四〇〇〇万以上さっ引かれるが、それについては後で説明するつもりだった。


「勤め人の俸給など、商家によって大きく変わると思うが、そこはどうするのかね? 我々法衣貴族であれば、それは階位で決まるが、そなたの世界に貴族はいないと聞くが」


 この世界では、現代日本以上に収入格差が激しい。

 また、生まれによって、生涯歩む道がほぼ決まっている。


 もちろん、商家から税を取り立てるために、財務尚書配下の者たちが税務官として働いているが、勤め人ひとりひとりの給与までは把握していない。

 商家も人件費はひとまとめに報告するだけであり、税務官には合計の数字しか見えていなかった。


「ですので、あくまで平均です。当然もっともらう者もいれば、はるかに少ない者もいます。民事に賠償金の上限はありませんので、いくら請求してもかまいません。もっとも、裁判所がそれを認めるかは、分かりませんけどね」


 泥酔していただの、轢き逃げや隠蔽しようとしたなどの悪質な事故であれば、あえて大きな額を請求する場合もある。

 だが、たいがいは裁判所の判断で、妥当な額に落ち着くものだった。


「そうなると、たとえば我らが事故を起こし、被害者が庶民、まさに今回がそれだが、そのような場合は庶民側が不利だな……」


 この世界、この時代において権力分立は未発達であり、権力を持たない者は泣き寝入りすることがほとんどだった。

 もちろん、この発言をしたキルアンには、龍平に泣き寝入りしろと言う意図はない。


「俺たちの世界で裁判所は国、この場合は政府ですね、その介入は許されません。国に責任があると判断されることも多々ありますし、そのときの賠償額は相当大きくなりますね」


 恐ろしいほど大雑把だが、簡単に言えばその通りだ。

 三権分立の概念がない世界には、少々理解しがたい考え方だった。


「そなたの世界で、その裁判官の身分は誰が保障するのかね? 国に不利な判断など下したら、命が危ないのではないか?」


 当然、キルアンはそう考える。

 この世界において、庶民同士や貴族同士であれば、そこそこ公平な判決が下されている。


 だが、貴族対庶民、庶民同氏であっても豪商と貧農であれば、どうしても立場か強い者が有利になっていた。

 もちろん、社会における個人の重要度や社会への影響を考えてのことであり、それ以外にも賄賂というものが介在していないとは言い切れなかった。


「国が保障しています。憲法によって、そう規定されていますので、これを侵したりしたら大騒ぎですね」


 この世界において、裁判権は国王や皇帝、地方領主が持っている。

 当然、その意に添う判決が下されることが多かった。


 わざわざ自分が不利になる判決を下す王も、皇帝も、地方領主もいない。

 別の誰かを裁判官として任命したとしても、その意向に逆らう者などいるはずもなかった。


「そのように法は、権力者ならば変えてしまえばいいではないか。権力とはそういうものであろう?」


 龍平にしてみれば、知っている限りのことを説明しているだけだ。

 だが、それでもキルアンの繰り出す意地の悪い問いを、きれいに切り返していた。


「まず、憲法を変えることは、並大抵の労力では済みません。衆参両院、これは国会といって、各地区から選挙で選ばれた人の会議でふたつありますが、そのどちらにおいても三分の二以上の賛成が必要です。その上で国民投票にかけ、賛成票が投票数の過半数を超えて、初めて変更が認められるんです」


 うろ覚えの部分もあるが、龍平は憲法改正の手続きを説明した。

 やはり、キルアンには納得しがたい部分が多いようだ。


「ずいぶんと面倒だの、そなたの国は。しかし、国民に判断を委ねるなど、危険ではないのかね?」


 この世界、この時代において、国の舵取りは貴族の義務であり、特権だ。

 庶民は日々の暮らしに負われ、不平不満を抱くことはできても、国を良くしていくための知恵はないと考えられていた。


「だから、俺たちは学ぶんです。日本にいて、何となく学校に行っていたときには解らなかったんですけど、そういった判断ができるようになるため、俺たちは学んでいたんです。数学も国語も、社会も理科も英語も何もかも、難しいことを考え、答えを見つけるための思考訓練だったんです」


 学校で習うことなど社会では役に立たないと、よく言われる。

 だが、それは大きな間違いだ。


 直接に即効性のある知識は、たしかに少ないかもしれない。

 だが、積み重ねた知識が教養となり、教養に裏打ちされた複雑な思考訓練の結果が、明日を生き抜くための知恵になる。


 学校での勉強が役に立たないと言える者は、役に立てるだけの知識と教養を得られずにきた者でしかない。

 役立てる場は、それなりのレベルが求められる場であり、そのレベルに達していない者には、学校で習う知識を役立てる知恵は備わっていないだけだった。


「さよう、か。そなたの年齢の者が働かずに勉学に打ち込めるとは、そなたの国は豊かなのだろうな。そのためにも、教育か。その結果、貴族の世は終わりを告げる。いやはや、難しいことじゃて」


 これ以上論争をしかけても、後は水掛け論になりかねないと、キルアンは判断して矛を収めた。

 何もこの場で龍平を言い負かそうなどと、低レベルなことを考えていたわけではなかった。


 キルアンは、龍平に賠償金算出の続きを促す。

 龍平も脱線した話を戻す機会を与えられ、ほっとしながらもボロが出る前でよかったと冷や汗を拭っていた。



「で、生涯賃金ですが、全国の統計から算出します。ものすごく大雑把に言ってしまえば、人件費を労働者の数で割るんです」

 こちらも大雑把過ぎるが、間違ってはいない。

 経営者や管理職は労働者にはカウントされないので、役員報酬や株主への配当などはまた別の枠になる。


「なるほど。それはおもしろい考え方だ。つまり、その平均値というのが増えていけば、庶民の生活が豊かになっていくということだな?」


 やはり財務尚書を勤めるだけあって、キルアンとは違うところに興味が向くようだ。

 もちろん、勤め人の給与が上がっただけでは、個人商店の収入までは数字には表れていないが、購買層が金を持てば商家の収入が上がることは自明の理だった。


「はい。そうお考えいただいて、間違いないかと。売り上げが上がれば、働く者の給与も上がりますので。まあ、実際は不況や売り上げの減少に備えて、内部留保として抱え込んで、勤め人の給与に反映しないこともありますし、がめつい経営者なら独り占めってこともあるでしょうし」


 現代日本においても、内部留保の上昇と給与額の上昇が釣り合っていない問題がある。

 経営者にしてみれば、大盤振る舞いした挙げ句運転資金が不足してしまえば共倒れ、という理論を主張しているが。


「話があちこちに飛ぶといつまでも進みませんので、今はこの話は置いておきます。またいずれかの機会にでも。それで、王国金貨への換算方法ですが、俺たちの世界とこちらの金が、同じ価値を持つものとして計算しています」


 ここで龍平は以前同様、純金の一キログラムインゴットが五〇〇万円として計算を始めた。

 タエニアが持ってきた安物の紙にペンを走らせ、簡単な算数計算を見せながら、次々に式を展開していく。


 レフィやミッケルには見慣れた光景だが、やはりその速度には毎回驚かされる。

 両尚書も、神官長も、算出された数字そのものには驚くことはないが、龍平の計算速度には、目を丸くしていた。



「と、こんな感じで算出してみました」


 龍平は、長い説明を終え、ペンを紙の上に置いた。

 さすがに喉の渇きを覚え、酒以外の飲み物をタエニアに頼む。


「さて、支払いの方法だが、王国と神殿それぞれから年一〇〇枚、合わせて年二〇〇枚ずつの五〇年払いが妥当だと考えるが、皆はいかが思う?」


 あっさりと、サミウルは賠償額金貨一万枚を飲んだ。

 それどころか、ミッケルが想定していた年一〇〇枚の倍を提示している。


 確かに年一〇〇枚では、龍平が死ぬまでに払い終わらない。

 二〇〇枚であれば、龍平が六七歳のときで支払いが終了することになる。


「もちろん、もっと早くに払い終えることも可能だが、それはフレケリー卿の意向に合わせよう。王国はそう簡単に倒れはせんが、こればかりは保証しようもないからの」


 キルアンの口から、国の重鎮とは思えない言葉が飛び出した。

 これにはミッケルもレフィも、苦笑いを浮かべるしかない。


「妥当、といったところじゃの。フレケリー卿が元の世界へ戻るすべを発見したら、その時点で残りは一括で支払おう。国へ帰った後の、暮らしを支えるに必要じゃろうて」


 トロンも特に異を唱えることなく、サミウルの案を了承した。

 さすがに最大の加害者としては、言いなりになるしかないのだろう。


「よろしいでしょう。これで良いかね、フレケリー卿? 受け渡しや期日に関しては、後日改めてでかまいませんな、両閣下、神官長? フレケリー卿が領地から王都に定期的に来る際に、受け渡しとなりましょうが、まだ期日を決めかねておりますゆえ。ま、新年の挨拶周りが妥当かと」


 龍平が余計なことを言い出す前に、ミッケルは話をまとめた。

 ここで変に遠慮されたり、庶民を基準にした算出額に話が飛ぶ前に、交渉を妥結しなければならなかった。


 搾り取れるところから、十二分に搾り取る。

 その気概がなければ、貴族社会に限らず、どこへ行っても食い物にされるだけだ。

 そのあたりの交渉力は、現代日本の高校生でしかない。

 ミッケルがやらなければ、レフィは自分が矢面に立つと、密かに決めていた。


 もちろん、幻獣の立場で貴族の、それもほぼ最高位にいる者と渡り合うのは厳しい。

 ここでレフィの正体を、明かしてしまうわけにはいかないからだ。


 ミッケルが矢面に立ってくれたなら、レフィはひと安心できる。

 今は龍平に寄り添い、余計なことを言い出さないように、見張っていればいい。


 ミッケルが手早く覚え書きを作成し、その場にいる責任を取る立場の者たちが、次々にサインしていく。

 レフィも立会人としてサインを求められたが、しばらく考えて手形を押すことにした。


 小さな赤い竜がインク壷に右の前肢を浸し、龍平のサインの横に手形を押す。

 Ryuhei・de・Kumano・Freckery、熊野・デ・龍平と、地球のアルファベットに漢字とカタカナ混じりで書かれた龍平の氏名の横に、小さく可愛らしい手形が踊っていた。



「さて、夜も更けて参ったの。フレケリー卿にはまだ聞きたいことは山ほどあるが、今夜はこのあたりで仕舞いとしよう。なんであったか、国民健康保険に失業保険、国民年金だの厚生年金だの、日を改めていろいろと聞かせてもらおうかの」


 そう言って、サミウルは席を立つ。

 もちろん、そっくりそのままこの国に導入できるとは、考えていない。


 だが、財務を生業とする者にとって、新たなシステムは気になるものだった。

 当然それ以外にも、税制について聞くつもりでいた。


 龍平が王都に滞在する期間はまだ未定だが、サミウルに呼び出される機会は少なくないだろう。

 当然キルアンも同じことを考えているかと思うと、龍平は今から胃が痛くなっていた。




――リューヘー、私の名前もあなたの世界の文字で書いていただけないかしら?――


 王国の重鎮たちが帰宅し、落ち着いた雰囲気を取り戻した応接間で、レフィは龍平とお茶を飲んでいた。

 タエニアが給仕につき、疲れているであろう龍平を労るかのように、緑茶を入れてくれていた。


 覚え書きに記された龍平のサインを見て、レフィは自分の名前がどう書かれるか、見てみたかった。

 本名を書かれたところで、この世界では龍平以外誰ひとりとして読めるはずもない。


「ああ、いいよ。じゃあ、少し良い紙に書きたいな。タエニアさん、なにか適当なのありませんか」


 さすがにメモ書きレベルの紙は気が引ける。

 リューヘーはタエニアに、適切な短冊を頼んでいた。


 タエニアから渡された短冊を前にして、龍平は少し考えてからペンを走らせ、レフィに手渡す。

 この夜、レフィの枕元には、カタカナでアレフィキュール・ラ・ノンマルトと縦書きされた短冊が、大切そうに飾られていた。

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