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転生龍は人と暮らす  作者: くらいさおら
第三章 王都ガルジア
55/98

55.祝いの夜

 王都に夜の帳が降りている。

 貴族街では道を行く人の姿はほとんどなく、それぞれの屋敷の窓には明かりが灯っていた。


 庶民たちが使うランプのような炎とは違い、まるで蛍光灯やLEDのような白い光の魔装具だった。

 使用人たちが寝泊まりする、質素でもおかしくない部屋からも漏れている。


 使用人に贅沢をさせるためでも、厚遇を世間にアピールするためでもない。

 使用人にまで魔装具を使わせることが可能な財力のアピールと、金を貯め込まずに回すためだった。



 その華やかなライトと壁ひとつ隔てた別室で、龍平はガチガチに緊張していた。

 端から見れば朝の叙爵式より、はるかに動きがぎこちない。


 龍平の叙爵と領地拝領を祝うため、多くのひとびとが広間を埋めている。

 言うまでもなく、来賓に龍平の知己はひとりもいないが、ミッケルと内務財務両卿の人脈で掻き集め、また集まってきていた。


 ざわめきのほとんどは龍平の人となりや、出自についての噂話であり、軽い妬みや嫉み、深い憐れみなどが入り混ざっている。

 誰もが龍平の正体を探ろうとしている中、龍平がいる別室ではミッケルと内務財務両尚書が対面していた。




「どれ、そろそろかな」


 内務尚書キルアン・ラ・フォルマシーが席を立つ。

 一国の内政を一手に取り仕切る威厳が、その立ち居振る舞いから溢れていた。


「いい若者がそんなに怯えるでない。もちっと、しゃんとせんか」


 苦笑混じりに財務尚書サミウル・ラ・フロンゴーサが、龍平に叱咤を飛ばす。

 こちらも一国の財務を預かる責任感が、近寄りがたい威厳を醸し出していた。


 両尚書とも五〇代にさしかかり、覇気だけではない円熟味もにじんでいる。

 そんなふたりと対等に渡り合うミッケルが規格外なのか、そう見せて結果的に手玉に取っているふたりが化け物なのか、龍平やレフィ程度では伺い知ることは無理だった。


「主役を差し置いて、注目を集めるのは感心しませんな、閣下。我々はこっそり出て行きましょう。フレケリー卿、打ち合わせ通り、あとは上手くやりたまえ。レフィ殿、よろしくお頼み申す」


 飄々とした態度で、ミッケルは両尚書を別のドアへと誘う。

 一旦廊下に出て、普通に広間に入るためのドアだ。


 まだ、レフィの正体は秘匿されている。

 どこから漏れているか分からないが、こちらから教えることはない。


 今のところレフィは、幻霧の森で龍平と出会い、保護してきた存在とされている。

 両尚書も、平然としてなのか本当に秘匿しきれているのか分からないが、ミッケルの発言の言葉尻を捕らえるような真似はしなかった。




「内務尚書キルアン・ラ・フォルマシー閣下! 財務尚書サミウル・ラ・フロンゴーサ閣下! ご入室!」


 フォルシティ家家令の声が、高らかに響きわたる。

 それに合わせてドアが開かれ、キルアン、サミウルの両尚書が広間に入ってきた。


 一瞬の静寂が広間を支配し、潮騒のようにどよめきが広がっていく。

 両尚書が来臨するらしいと聞いてはいたが、まさかそれが本当だったとは、半数に近い貴族たちは半信半疑だった。


 ミッケルの人脈が多岐に渡ることは知っているが、一介の騎士ごときの叙爵祝いに姿を見せていいふたりではない。

 王族がいなければ王の名代と捉えられても、おかしくない立場のふたりだった。


 そして、噂はそれだけではなかった。

 ブーレイガルジオン分殿の神官長と、間違いなく王の名代として王太子ティルベリー・ド・ノンマルト・ガルジオンが来るという噂も広がっていた。



 名代が来ることまでは、おかしなことではない。

 叙爵祝いの席ではあるが、返礼の席でもある。


 だが、たいがいは両尚書に選ばれた、男爵あたりがその任に当たる。

 そう考えると、両尚書が出席してしまった以上、王の名代がそれ以下の格では収まりがつかない。


 王族の誰か公爵家が出張るしかないのだが、それでも王位継承権下位の者が普通だ。

 両尚書と王太子が一堂に会するなど、有力伯爵家以上の主催でなければあり得ないことだった。


 ことここに至り、この宴席に呼ばれた者すべては、龍平がただならぬ存在であることを思い知らされた。

 叙爵式で侮った態度はミッケルに見られていたことに気づき、どう立場を挽回するか、頭を悩ませる者が続出している。




「王太子ティルベリー・ド・ノンマルト・ガルジオン殿下、ご来臨!」


 キルアン内務尚書とサミウル財務尚書が着席するタイミングに合わせ、再び家令の声が高らかに響く。

 無遠慮なざわめきの中でドアが開かれ、格の違いを見せつけるようなオーラをまとった若者が入室してきた。


 王太子ティルベリー・ド・ノンマルト・ガルジオン。

 龍平より三つ上の弱冠二〇歳。


 絵に描いたような金髪を短く整え、理知的な眉の下では切れ長の双眸に収められたサファイアの瞳が鋭い光を放っている。

 高い鼻梁に続く意志の強そうな唇は強く引き結ばれ、一見取っつきにくそうな印象を与えていた。


 筋肉質の身体を絢爛たる衣装に包み込んでいるが、平均より少々低めの身長が、この若者に親しみやすさを持たせている。

 だが、一部の隙もない立ち居振る舞いが、育ちの良さと王族としての威厳を醸し出していた。



 席を立ち、一斉に頭を垂れる貴族たちに愛想良く手を振りながら、ティルベリーは指定された席へと向かう。

 ミッケルがティルベリーを迎え、深く腰を折って敬意を示したのちに席を勧めた。


 ゆったりとした動作で腰を下ろしたティルベリーは、改めて同じテーブルの面々に会釈を返す。

 そのテーブルにはキルアンとサミウルの他に、神官長トロンと神官第三位アーノルがついていた。


 隣のテーブルにはミッケルとケイリーが座り、婚約者としてではなく、バーラムの名代としてアミアもついている。

 そして、まだ空いている主役用の席の横には、クッションを設えた小さめの空席が用意されていた。



「殿下、よろしいですな? 陛下からお目付役を仰せつかっておりますゆえ、何かあればすべてご報告いたしますぞ」


 キルアンが冷ややかな目で、ティルベリーを見ながら言う。

 言葉こそ丁寧だが、悪ふざけは許さないとの意志が込められていた。


 いくら王太子とはいえ、まだまだ若造だ。

 威厳を保つことが精一杯で、キルアンとサミウルには貫禄負けしている。


「まあ、そう堅いことを言いなさるな、キルアン。歳近い者との友誼は終生の宝となりうる。度が過ぎなければ、わざわざ邪魔立てすることもあるまいて。度が過ぎなければ、な」


 一見助け船を出しているようだが、サミウルの目つきも、また冷ややかだ。

 どちらもこの場に派閥争いなど持ち込ませまいと、先に釘を差していた。


 当然だが、ティルベリーが立太子している以上、時期王位に最も近い位置にいる。

 だが、第二第三王子や、第一王女に継承の芽がなくなったわけではない。


 裏では当人たちの意思を無視した、熾烈な派閥争いが繰り広げられている。

 そこで鍵となる人物が、地方領主たちだ。


 王宮に勤める法衣貴族たちは、私的な武力をたいして持っていない。

 王家としても、王都に常駐する貴族に部隊を展開できるような私兵を、持たせるはずもなかった。


 しかし地方領主たちは、自領を守るための兵力を持っている。

 どの派閥も、どれだけ地方領主を引き込めるかに、血道を上げていた。


 もしここで、ティルベリー自らが龍平をスカウトするような真似をすれば、由々しき事態を引き起こしかねない。

 龍平にはミッケルとバーラムが、後見人として名乗りを上げている。


 法衣貴族の中でも武闘派として名高いミッケルに、地方領主の雄として名を轟かしているバーラムは、これまで中立の立場を貫いていた。

 それが王太子派に組みすれば、今までのバランスが一気に崩れる。


 ミッケルとバーラムが組みすれば、当然山岳猟兵の精鋭を揃えたケイリーも同調する。

 その上、魔獣の群れとカナルロクの刺客を、一瞬で葬り去ったレフィがいる。


 捨て鉢になった他の派閥がどう動くか、まったく読めなくなってしまう。

 勧誘引き抜き合戦が激化するくらいなら構わないが、一気にことを決しようと兵を挙げるような事態を引き起こしかねなかった。


「解ってる。あえて呼んでやる、爺。俺たちは、おまえらが思ってるようにはならんからな。安心しとけ。そう思うだろ、トロン爺?」


 呆れたような表情で、ティルベリーは答える。

 王位争いの挙げ句に内乱など、起こす気も起こさせる気もない。


 だいたい、派閥争いに血道を上げている連中は、次の内務尚書と財務尚書の座がほしいだけだ。

 弟や妹にすり寄ってくる輩を見ていれば、それくらいは看破できる程度の目は養っていた。


 過去に先祖がやった苛烈な行いを、身内に向ける気などさらさらない。

 甘いと言われようが、そんなことで国を危機に陥れるわけにはいかなかった。


「ブーレイ神を始め数多の神々は、争いをお望みにはなりませぬ。殿下の仰ることが真実であることが、なによりでございます」


 突然話を降られたトロンは、当たり障りなく答えた。

 横ではアーノルが、げっそりとした表情を浮かべている。


 誰も近寄りたくない人外魔境が、広間の中心に形成されつつあった。

 この日、最大の被害者は、アーノルをおいて他にはいないだろう。




「フレケリー卿リューヘー・デ・クマノ殿がご入室になります。皆様、拍手を以てお迎えください」


 家令が先ほどよりは抑えた声で、龍平の入室を告げた。

 拍手が鳴り響く中、主役を迎え入れるドアが開かれる。


 叙爵式の時に負けず劣らず、ガチガチに緊張した龍平が入ってきた。

 右手と右足、左手と左足を同時に出してしまうのではないかと、見ている者すべてを心配させるほど、ぎこちない動作だった。


 後ろに付き従う小さな赤い龍がハラハラする中、万雷の拍手を浴びながら龍平は歩いていく。

 愛想笑いなど浮かべる余裕もなく、泳げない者が必死に岸壁を求めるような視線をミッケルに向けていた。


 いつ躓くか、皆が心配そうに見守る中、龍平はなんとかミッケルの元にたどり着く。

 その表情は、泣きそうなほどに歪んでいた。


 その龍平の左にミッケルが、右にアミアがついて、皆に深々と一礼する。

 そして姿勢を正し、アミアが周りを見渡した。


「皆様、本日はこちらに控えますリューヘー・デ・クマノ・フレケリーの叙爵祝いにお越しくださいまして、まことにありがとうございます。わたくしは、後見人を勤めますセルニアン辺境伯バーラム・デ・ワーデビットの名代、アミア・デ・ワーデビットでございます」


 さすが、地方領主の二の姫なのだろう、挨拶に立つ態度も堂々としている。

 ミッケルが主催者だが、後見人で格上はバーラムであり、その名代のアミアに挨拶を譲っていた。


「皆様もご存じの通り、フレケリー卿は召喚の儀によって幻霧の森へといざなわれることとなりました。この奇跡に我がガルジオン王国は彼の地をフレケリーと命名し、ここに封じることを決しました。フレケリー卿の現状を鑑み、我が父バーラムとフォルシティ卿が後見人となっております」


 物は言い様だ。

 こうしておけば、ブーレイ神殿の面子も立つ。


「彼の地に召還され一年を過ごし、今やっと王都にまかりこしてございます。未だ、この世界に慣れておりませぬゆえ、皆様のご指導ご鞭撻をお願いして、後見人よりのご挨拶とさせていただきます」


 さすがだった。

 言い難いところはぼかし、さらりと真実を混ぜ込んでいた。


 誰がこの「世界」を、異世界と捉えるだろうか。

 貴族の「世界」と、捉えるのが普通だった。




「アミア様、ありがとうございます。それでは、本日の主賓でございます王太子ティルベリー・ド・ノンマルト・ガルジオン殿下より、ひと言頂戴したいと存じます。殿下、お願いいたします」


 龍平は立ったままで、家令の言葉を聞いていた。

 いつか、親戚の結婚披露宴がそうだったと思いながら。



「諸卿、諸候の皆、本日はめでたい席へのご衆参、ありがたく思う。心より礼を言う。……さて。このような席で長々と所信を述べるなど、無粋の極み。本日の趣旨に基づき、わたしはひと言で済ませたいと思う。フレケリー卿、いろいろあるがあとで、な。ほら、爺、早く乾杯してくれ」


 その場のほとんどが唖然とする中、ティルベリーは座ってしまった。

 もちろん、不快に思ってと感じさせないよう、建前上第一王女派筆頭を演じるキルアンの肩を叩きながらの行いだった。


 一瞬おいて、広間には拍手が鳴り響く。

 やはり、古来より短い挨拶は好評なようだった。


 ティルベリーの両側では、キルアンとサミウルの両尚書がしかめっ面を作っている。

 当のティルベリーは、どこ吹く風と泰然としていた。




「ティルベリー殿下、ありがとうございました。では続きまして、乾杯の音頭を内務尚書キルアン・ラ・フォルマシー閣下にお願いしたく存じます。閣下、よろしくお願いいたします」


 家令の声を受け、キルアンが杯を持って立ち上がる。

 おふざけが過ぎる王太子とは違うとの意を込め、辺りを睥睨してからことさら厳めしく表情を作っていた。


「フレケリー卿、心より歓迎し、祝いを申し上げる。そして、この場に集う皆に感謝と繁栄を。さて、この世界に突然現れたフレケリー卿を諸候、諸卿はよく存じていないと思う。今宵は皆に良き友誼がもたらされんことを。では、唱和をお願いいたす。……乾杯!」


 全員から返される唱和に合わせながら、龍平も薄められたミードの杯を掲げた。

 なぜ、日本の宴席ではノンアルコールの選択肢が、オレンジジュースとウーロン茶しかないのかと考えながら。



 干した杯がテーブルに置かれる音が鳴り、それを追うように拍手が響く。

 侍女たちが忙しく立ち回り、皆の杯を満たしていった。


「閣下、ありがとうございました。それでは皆様、しばしのご歓談を」


 家令が存在を消すかのように身を引き、広間にはざわめきが戻ってくる。

 僅かの間、龍平にも平穏が訪れていた。


――とりあえず、何かお腹に入れておきなさい。しばらくは挨拶周りよ。何か食べるような暇はないと思いなさい――


 龍平だけに念話を飛ばしながら、レフィは取り分けられたサンドイッチをひと飲みにしている。

 レフィに合わせて小さく切られ、大皿からサーブされた料理が、みるみるうちに消えていった。


「お、おう……。……分かった」


 かつて出席した親戚の結婚披露宴を思い出し、龍平も手早く料理を片づけていく。

 たしか、高砂席に座った新郎新婦は、常時酒ばかり注がれて何か食べている様子などなかったはずだ。


 無心に肉を平らげていく龍平とレフィを、ミッケルは目を細めて眺めている。

 その横でケイリーは、既にアミアと甘い世界へと逃避していた。


「今夜の挨拶周りはそれほど難しくもないからな。タエニアが全員の顔を把握している。彼女をつけるから、気楽にやってきたまえ」


 ミッケルはミッケルで、挨拶周りがあるらしい。

 両尚書とは控えの間で顔を合わせていることもあり、王太子さえひねくれさせなければ、適当でもいいらしかった。


――そろそろ行くわよ。タエニア、よろしくお願いするわ――


 小さな赤い龍が、ふわりと宙に浮き上がる。

 近いテーブルから、微かなざわめきが広がった。


 龍平はそそくさと箸を置き、レフィの後について行く。

 タエニアが控えめな態度で、小声でも龍平の耳に届く距離に付き従っていた。


「リューヘー様、最初に殿下からでございます」


 入室も最後で、ついさっき挨拶に立ったばかりの人物をそう簡単には忘れないと思いながら、龍平は頷いた。

 そして、タエニアからワインが入った陶製のピッチャーを受け取る。




「ティルベリー・ド・ノンマルト・ガルジオン王太子殿下、この度叙爵いただきましたリュウヘイ・デ・クマノ・フレケリーにございます。今宵はご多忙のところ、ご光臨の栄を賜りまして、まことにありがとうございます」


 少々棒読みになっていたが、それでも龍平は噛まずに言い切った。

 そして、ティルベリーが目の前で干した杯に、ワインを注ぐ。


「なんだ、同世代と聞いていたが、もっと砕けてくれて構わんぞ。どいつもこいつも堅くてかなわん。王城じゃないんだから、普段話すようにしてほしいものだな」


 注がれたワインを四分の一ほど飲み下し、ティルベリーは龍平が持っているピッチャーに手を伸ばす。

 どうやら返杯ということらしかった。


――殿下、お戯れは困ります。仮にも次代の最高権力者ともあろうお方に、友人に対するような言葉遣いなど。あとでどのようなことになるやら、恐ろしくてできませんわ――


 直接血のつながりを持つ子孫を、エメラルドの瞳が見つめている。

 言われてみれば、父や兄の面影が薄く残っているような気がした。


「これは、これは。ドラゴン殿もご機嫌麗しく。すばらしく高い見識をお持ちと伺っている。フレケリー卿の知識と、あなたの見識と、いずれゆっくりと話をしてみたいと思っている。フレケリー卿、軽い戯れだ。許せ。今日はめでたい日だ。心から祝っている。ほら、あとがお待ちかねだ。話はまた、後日ゆっくりとな」


 タエニアが差し出した新しい杯を龍平とレフィに持たせ、ティルベリーはワインを並々と注ぐ。

 日本人にはつらいところだが、それでも飲まないわけにはいかなかった。


「殿下、恐縮に存じます。では、これにて」


 レフィが龍平にだけ念話を飛ばし、当たり障りのない挨拶をさせる。

 深く一礼したふたりは、そのまま隣に座るキルアンへと声をかけた。


 龍平の長い夜は、まだ始まったばかりだった。

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