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転生龍は人と暮らす  作者: くらいさおら
第三章 王都ガルジア
53/98

53.叙爵

 その朝、王宮は緊張に包まれていた。

 いつもと変わらぬいつもの朝に、いつも通りの叙爵式が執り行われるはずなのに、誰もが浮き足立っているように見える。


 それに引き替え、王都の朝はいつも通りだ。

 市井のひとびとに、王宮の緊張など何の関係もない。


 たとえ戦火が迫ろうと、それは変わらない。

 もちろん、王都が明日陥落するとでもいうなら話は別だ。


 しかし、平時であろうと戦時下であろうと、ひとびとは食い、働き、眠らなければ生きていけなかった。

 たとえ王都の空を、赤い小さな龍が我が物顔で飛んでいたとしてもだ。



 龍平は王宮の一室で、緊張を持て余していた。

 中学校の卒業式でも、高校の入学式でも、これほどまでに緊張したことはない。


 人前で何か喋るなど、苦手この上ない。

 ましてや、相手はこの国の最高権力者だ。


 龍平が育った現代日本と違い、平気で刃物を振り回し、人の首が飛ぶ世界だ。

 ヘマをしたらと思うと、気が気ではなかった。



 式に臨む王族や社会的地位の高い者たちも、緊張から逃れられずにいた。

 叙爵式の次第自体はいつも通りだが、内容が異例尽くしだった。


 代替わりでもなく、武功でもなく、国政にめざましい発展をもたらしたわけでもない。

 誤召喚でふるさとを奪ってしまった相手に、賠償代わりに騎士爵と領地を与えるなど、前代未聞の椿事だった。


 いつの世も、何事にも前例を恐れる文官はともかく、武官たちはいくつかの懸念が捨てられない。

 見も知らぬ幻霧の森などに召喚して、それを恨みに思っていないのか。


 あの龍に危険はないのか。

 そして、先代筆頭巫女からすべての魔力を奪い去った龍平は、本当に危険ではないのか。


 数え上げれば、きりがない。

 ミッケルからの保証はあるが、誰も確証は得られなかった。


 だが、叙爵式の刻限は、刻一刻と近づいてくる。

 もう、逃げることもできなかった。




「リューヘー・クマノ殿、入室!」


 王城の謁見の間に、式典の進行を司る武官の声が高らかに響く。

 長大で重厚な扉が、厳かに押し開かれた。


 居並ぶ貴族たちがざわつく中を、かわいそうなくらい緊張しきった龍平が、龍を引き連れ先導者に導かれながら入ってきた。

 無理矢理作った笑顔が無惨にひきつり、今にも躓きそうなほど全身に力が入りすぎている。


 そこここから起きる失笑に、龍平の顔が赤く染まっていく。

 それでも龍は平然とした態度で、龍平に付き従っていた。



 龍平の態度を間近にして、多くの貴族たちは見下すか、呆れるか、同情の念を抱いている。

 それは当たり前といえば、あまりにも当たり前だった。


 少なくとも、この場に出てくるものであれば、貴族の礼法に通じているものだ。

 代替わりの子女にせよ、武官にせよ、文官にせよだ。


 そこには底辺層がめざましい功績を挙げるかもしれない可能性は、一切考えられていない。

 知識も教養も独占したい神殿と、庶民を膝下に起いておきたい貴族が続けてきた愚民化政策の成果であり、その結果に慣らされた貴族たちの驕りでもあった。


 貴族の礼法に通じていないということは、それ相応の教育も受けていないことをいみしている。

 ほとんどの者は、龍平を脅威だとは捉えなかった。



 貴族にとって、友人や交流関係は財産であり、ステータスでもある。

 危機に瀕して誰が救いの手を差し伸べてくれるか、日頃の付き合いだけでなく、人柄やその縁故がモノをいう。


 最低限の礼法も、教育も受けていないような者と付き合いがあると分かれば、それによって見限る者が出ないともかぎらない。

 己が分をわきまえ、教えを請い、その見返りを差し出せるなら、まだ付き合いの余地はあると考える者がせいぜいだった。


 聞けば龍平に封ぜられる領地は、悪名高い幻霧の森だという話だ。

 龍平が生きていたのだから人外魔境ではないとしても、生産性など欠片も期待できない。


 そのような場所に、税を産み出す領民を差し出す者が、いるはずもない。

 せいぜいが生産性皆無の流民か、将来犯罪者に転落しかねない農家の三男以下を含む食い詰め者の厄介払いがいいところだ。


 そのような土地が繁栄するなど、間違っても考えられない。

 せいぜいが領地内で生産過剰になり、値崩れを起こしかねない産物を、あくまで適正価格で売り払う先でしかない。



 この時点で、ワーズパイトに関する情報は秘匿され、ごく一部の上層部しか知らされていない。

 このような爆弾をいきなり炸裂させようものなら、利権の奪い合いで大混乱は必至だからだ。


 現時点の龍平は、ふるさとからいきなり引き剥がされ、人外魔境に放り込まれた挙げ句、口止め料としてその人外魔境を押しつけられ、口封じとしてその人外魔境に封じ込められる哀れな少年だった。

 重要なことだから、三回繰り返す。


 領地が遠いある者は付き合いを持つ必要なしと切り捨て、近場のある者は交易で搾り取ってやろうと考えた。

 そしてある者は、そのふたつがもたらす暗い未来を龍平に重ね合わせ、密かに同情していた。




 ガルジオン王国国王カルミア・ド・ノンマルト・ガルジオンの前まで、なんとかたどり着いた龍平が、ぎこちなく片膝を付く。

 そして、腰に佩いた儀礼用の剣を鞘から抜き、見ている者を不安にさせる動作でカルミアに柄を差し向けた。


 カルミアは特に不満げな表情を浮かべることもなく、龍平から剣を受け取る。

 そのまま厳かに、龍平の右肩に剣の腹を乗せた。


「我、汝を騎士に任命す。併せて幻霧の森をフレケリーと改称し、リューヘー・デ・クマノをこの地に封ず。リューヘー・デ・クマノ・フレケリー、ひとりひとりは弱きは必定。なれど力を合わさば、難敵をも撃ち破らん。民を守る盾となり、我らが敵を討つ剣となり、正しく強き力として、我らの誇りを守らんことを」


 カルミアは朗々と歌い上げるように、叙爵を宣言した。

 そして、龍平を先導してきた者と、レフィに目配せする。


「我ら領主は……、ひとりひとりは弱きは必定。なれど力を合わさば、難敵をも撃ち破らん。その力に……、溺れることなく、裏切ることなく、……欺くことなく。常に弱者に優しく、強者に勇ましく。……民を守る盾となり、主の敵を討つ剣となり、正しく強き力として、我らの誇りを守らん」


 ところどころつっかえはしたが、誰の手を借りることなく龍平は宣誓した。

 そして、そのままカルミアの次の動作を待つ。


 小さく、微かではあるが、感嘆の溜め息がいくつも漏れた。

 カルミアが満足げに微笑み、龍平の肩を剣の腹で三度叩く。


 それを受けた龍平はそっと顔を傾げ、剣の腹に唇を軽くつけた。

 やったね、ファーストキスは鉄の味だ。




「レフィ~、怖かったよぉ~」


 控えの間に戻った龍平は、普段着に着替えるなりレフィを抱え込んだ。

 そのままソファに倒れ込み、人目をはばからずレフィを撫で回す。


――ちょっと! やめなさい! 人が来たらどうすんのっ!――


 龍平が甘ったれていることは分かっている。

 だが、仮にも王城の一室でやっていい振る舞いでは、決してなかった。


「そんなこと言うなよ~、それに見られたところで困るようなもんじゃなし~。ほら~、ミッケル様も笑ってるだけだって~」


 極度の緊張からの解放感からか、いつになくだらしない龍平を、ミッケルは楽しそうに眺めている。

 どうせ今夜は叙爵祝いが待っている。少しくらいは、大目に見てやるつもりのようだった。


――卿も笑ってないで止めなさい! リューヘー! いい歳した男が情けないとは思わないの?――


 ワーズパイトの館で晒した醜態は、絶対に阻止しなければならない。

 ましてや、どんな来客があるか分からないこの状況で、逆鱗だけは触らせまいとレフィは抵抗していた。


「いい歳って、俺まだ一七だし~。……あれ、今年選挙権……。まぁ、大人か。悪ぃ、ちょっと冷静んなった」


 ミッケルが止める前に手を引くつもり立った龍平は、ちょうどいいタイミングとばかりにレフィを解放する。

 とりあえず、魂の平静は取り戻せたようだった。


――はぁ……。いいかげんになさいな。で、センキョケンて何よ? 今年あなたに何があるの?――


 ようやく解放されたレフィがひと息つき、龍平に問いかける。

 初めて聞く言葉に、ミッケルも興味があるようだった。


「私も聞いていいかね? 君の世界の儀式には興味をそそられるな」


 やはり多数決はあっても、世襲制が当たり前の世界に選挙の概念はなかった。

 過去に陶片追放に類する投票はあったようだが、代表者を選挙で選んだ事実はまだなかった。


「ええと……。儀式ではないんですけど、俺の世界……国は議員内閣制っていいまして、一八歳以上の国民が投票で国会議員っていう代表者を選んで、国の政策を決めてます。で、この国だと……う~ん、難しいなあ……」


 封建制下の王と、立憲君主制下の内閣総理大臣と天皇をどう分けて説明するか、龍平は頭を悩ませた。

 同じく王を推戴するイギリスとも、当然違っている。


――代表を選ぶ? そんなの賄賂と脅迫だらけになるじゃないの! 大丈夫なの、あなたの国? でも、まあ……――


 当然すぎる問いを、レフィが叫ぶ。

 だが、龍平の人となりを見て、それが正常に作動した結果だと悟っていた。


 それでも、納得できないことはできない。

 どうしても自身の常識からは離れられないものだった。


「それが、教育の成果、ということか……。いや、まだ我々はとても真似できんな」


 ミッケルが嘆息混じりにこぼす。

 どう考えても賄賂が飛び交い、有権者への脅迫が罷り通り、後先考えない人気投票しか思い浮かばなかった。


 もちろん、現代日本でも同様だが、起き得る規模が違っていた。

 権力分立がなされていない世界では、取り締まりすら恣意的な何かに影響されるだろう。


「えー、政治や国家の成り立ちが根本的に違うということで。まず、この国における王に当たる人は、俺たちの国ではふたりに分けられています。ひとりが国家元首で、政治的な権限は一切持たない天皇陛下。もうひとりが行政における最高権力者になる内閣総理大臣です」


 レフィが理解を放棄し始めた。

 国家元首が権力を持たないなど、想像の埒外だ。


 この世界でそのようなことをしてしまったら、存在意義も価値もない。

 それゆえに王はひとりだった。


「もう、君の世界に王という存在はないのかね?」


 ミッケルは、当然の疑問を口にした。

 未来がどうなるか、やはり気になるのだろう。


 ミッケルは早い時期から、世界は違えど龍平を未来人と捉えていた。

 貴族社会がどう変わっていくか、ひいては自身がどう動いていくべきかの参考になるのではないかと考えている。


 もちろん、龍平の言うことすべてを、鵜呑みにしようなどとは考えていない。

 世界も時代も違う考え方が、即使えるとも思っていなかった。


 良いものは現状に則した形に変えて取り入れ、先進的すぎる考えやこの世界の人々にとって過激な思想は伏せるべきだ。

 そうでなくてはミッケルのみならず、誤召喚の被害者たる龍平が、世界から石を投げられてしまう。


 世間ずれしていない龍平に、微妙な匙加減は期待できない。

 ミッケルは後見人としての責任を、改めて噛みしめていた。


「王政を敷いている国もありますが、基本的には議会の決定がなければ王は動けない建前ですね。もちろん、強権発動もありますけど、国の存亡に関わるとか、よほどの緊急事態の時くらいしか認められてないですね」


 それから龍平は議会と内閣の関係や、三権分立、それぞれへの監視機構を説明する。

 やはり、教育の重要性を再確認したふたりだった。




――おもしろい話だったわ。でも、そうなると、この国でコッカイギインになるひとは、全部地方領主になってしまうわね。卿のような立場、カンリョウって言うんでしょ?――


 レフィの疑問も、もっともなことだ。

 現時点で各領地を代表し得る人物は、その地の領主しかいなかった。


「たとえば、バーラム様。俺たちの国だと、セルニアン県の県知事になるな。違うか……アメリカの州知事だな。知事は国会議員にはなれないんだ。なりたかったら、知事を辞めなきゃいけないんだ。なぜか。そうしないと、それぞれの領地が最優先になっちまって、国レベルでものを考えないだろ?」


 国会は、あくまでも国の指針を決める場所だ。

 領地の都合ばかりが先に立っては、国家百年の大計を誤る。


 そのような場に出て議論する人物は、私心を捨て、国家に殉ずる覚悟が必要だった。

 現代日本でも、それほどの人物がどれほどいるか、高校生だった龍平でも心配になるほどだったが。


「それも、教育、か。そうだな、我々は君から進んだ政治体系を教わり、それを実現するための教育を行うのではない。そうではなく、知識を君から得たら、それを元に我々が考え、作り出していかなければならない。そういうだろう?」


 国政に関わる立場にあるミッケルは、単に進んだ考え方だからと、飛びつくような軽挙妄動に陥ることはない。

 急激か変革が危険なことも、歴史を学んだことから熟知していた。


「はい。俺は偉そうなこと言えるほど物事を知りませんし、俺の聞きかじりの知識をそのまま受け入れてほしいとも思いません。さっき言った議員内閣制なんかも、きっと最良じゃないと思うんですよ。現状それ以上の制度が思いつかないだけで」


 一見中世風の世界にいる自分が、思い上がることのないようにとの自戒を込めて、龍平はミッケルに答える。

 基礎すら学びきっていない自分は、この世界にとって劇薬になりかねないことを龍平は理解していた。


――私たちが作っていく、か。そうよね、当たり前じゃない。リューヘーはリューヘーの世界の人間で、私たちは私たちの世界の人間だもの。何から何まで教わったことを真似していたら、私たちの世界ではなくなってしまうわ。その上で良いものは認めて、取り入れていけばいいのよ――


 進んだ世界への憧れはあるが、知識だけでは実現しないこともレフィは理解している。

 技術とは、物作りの技だけでなく、政治を動かすことも、また技術だった。


「そうそう。知ってることの出し惜しみはしないつもりだけど、全部理解してるかってぇと自信ないしな。幻霧の森を良くしていくために、力貸してくれよな、……レフィ」


 悲劇の魔法姫と希代の大悪女のどっちにしようかほんの少し考えて、龍平は素直に名を呼んだ。

 さすがに王城で暴れるわけにはいかないことくらい、理解している。


――何よ、その間は? まあ、何言おうとしたかくらい解るけど、今は叙爵祝いで不問にしてあげるわ。今後もその殊勝な態度でいられるなら、力を貸すことはやぶさかでなくてよ――


 疑わしそうな目で龍平をにらみつけたあと、レフィは胸を張って答えた。

 どことなく嬉しそうですね、悲劇の魔法姫。



「さあ、そろそろ迎えが来る頃だ。帰り支度は良いかな? ここからが本番だぞ、フレケリー卿。今夜は我が屋敷で卿の叙爵祝いの宴席だ。そうそうたるお歴々の来席があるが、決して怯まないでくれたまえよ」


 今頃は屋敷でタエニアたちが、準備に余念がないはずだ。

 フォルシティ家の威信をかけた宴席を前に、獅子奮迅の活躍をみせていると思われた。

 

 さすがに王までは無理だが、名代と叙爵式にも出席していた内務尚書と財務尚書の出席が予定されている。

 そればかりではなく、神殿関係でも神官長を始めとして、それなりに高位の者を呼んでいた。


 普通、内務財務両尚書が一介の男爵ごときの主催する宴席に、出向くことなどあり得ない。

 だが、いくつかの懸案をこれを機に解決してしまおうという、ミッケルの発案で強引に話をつけていた。


 かつてない叙爵祝いだが理由が理由だけに、内務財務の両尚書と神殿関係者が出向いてもおかしくはない。

 有象無象がたかる前に幻霧の森を聖域化するには、格の違いを理由に下位の者を排除する理由が必要だった。


 内務財務両尚書は、侯爵の爵位を持っている。

 龍平と縁を結ばせる気がない騎士爵を排除するには、充分な理由になっていた。


 もっとも、龍平にはまだ知らされていないだけで、カルミア王都の個人面談は予定されている。

 今それを知らせないのは、ミッケルの優しさだったのかもしれない。



「どうしても、やるんですか? レフィ、連れて逃げて……」


 どこのヒロインかというような発言だが、偽らざる龍平の本心でもある。

 親戚一同が集まる法事の席で、進学先のレベルや将来を根掘り葉掘り聞かれた嫌な記憶が甦っていた。


――諦めなさい。どうしたってついて回るものよ。春まで、毎日とは言わないけれど、顔つなぎの宴席はいくらでもあるわ。早く慣れなさい――


 レフィがあっさりと、龍平の泣き言を切って捨てる。

 騎士爵になった以上、ついて回る宿命のようなものだった。


「ま、最初の三〇日くらいのものだ。そのあとは、それほど頻繁ではあるまい。だが、早めに慣れて、主催者をこなせるようになりたまえ。私も手伝うがな」


 かつて、フォルシティ家相続の頃を思い出し、ミッケルは懐かしげに笑みを浮かべている。

 どれほど大変であろうと、命の危険さえなければあとで笑えるものだった。




 やがて、迎えの馬車が到着したと、王城の侍女から報せが来る。

 どうしても気が乗らない龍平を叱り飛ばすわけにもいかず、ミッケルとレフィは手をこまねいていた。


――もう、仕方ないわ。馬車をいつまでも待たせておくわけにもいかないの。覚悟なさい、リューヘー――


 業を煮やしたレフィが宙に舞い、龍平の首に尻尾を巻き付ける。

 そして、そのまま手加減なしで、羽ばたいた。


 龍平の首が絞まりながら、身体が上に引き上げられる。

 このままでは息ができなくなる龍平は、やむなく立ち上がった。


「くっ、苦し! レフィ……やめ! やめ……」


 ミッケルばかりでなく、廊下ですれ違う王城の者すべてが呆気に取られる中、つま先立ちの龍平がヨタヨタと歩いていく。

 それを見た者は、どちらが主人かを瞬時に理解していた。

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