48.冒険者
「レフィ……様、あの……」
侍女服に身を包んだミウルが、悄然と佇むレフィに声をかけた。
命を救われたにもかかわらず、感謝の言葉ひとつかけていないことを思い出していた。
レフィがただの龍ではないことは、貴族と対等に話していることから理解している。
それゆえミウルは、敬語になっていた。
――なにかしら? あのときは怖がらせてしまって、ごめんなさいね。もう、大丈夫?――
ミウルの仲間たちが殺されていたことは、レフィの責任ではない。
それでも、これからのミウルのことを思うと、やるせなかった。
「はい。もう、大丈夫です。あのとき、助けていただいたのに、あたし、レフィ様に失礼なことを言ってしまって……申し訳ございませんでした。そして、お救いいただいて、ありがとうございます」
ミウルは一旦言葉を切り、深々と頭を下げた。
「それから、ふたりのこと、ありがとうございます。冷たい洞窟に置き去りにしなくて済んで……あたし……」
そこまで言って、ミウルは両手で顔を覆う。
指の隙間から、嗚咽が漏れてきた。
ミウルを救出した一行は、予定を急変して現地で一夜を明かすことにしていた。
殲滅した盗賊団の後始末もさることながら、ミウルの仲間たちを弔わなければならかった。
せめて遺骨をふるさとに帰してやりたかった。
そして、野辺の送りを済ませたあと、ミウルがレフィに声をかけたのだった。
ミウルたち三人は、王都で出会った冒険者だった。
ミウルとルテッセは、それぞれが三女と次女ということで、自主的な口減らしのため王都に出てきていた。
同い年という偶然もあって意気投合したふたりは、出会ったその日にパーティを組むことにした。
それから一年ほどは、駆け出しが選べる仕事の難易度が低いということもあり、そこそこ順調に経験を積んでいった。
だが、低難度の仕事を後輩たちに譲るにつれ、ふたりだけでできることの限界を感じてしまう。
そんなときに、やはり王都に出てきていたひとつ年下のラバレイと出会っていた。
互いに組む相手を探していたこともあり、試しに数回仕事を受けた上で、正式に三人でパーティを組むことにした。
それ以来、バランスのとれたパーティとして、安定した冒険者暮らしを続けていた。
そして、ラバレイが一九歳になった今年、三人は共通の目標を立てていた。
そこそこの金を貯め、近い将来に冒険者相手の商店を開こうというものだった。
三人は自分たちの力量を、過信しなかった。
三人とも冒険者家業を、いつまでも続けられる仕事だとは思っていなかった。
そして、超一流と呼ばれる存在とは、根本的に才能が違うことも知っていた。
さらに、無謀な挑戦や下調べもせず相手を侮った同業者の最期を聞くにつけ、慎重に仕事を選ぶことを心がけるようになっていた。
今回の仕事も、それほど危険ではないはずだった。
事前に情報を集め、これなら大丈夫と判断して選んだはずだった。
王都にほど近い直轄領にある、洞窟に巣くったコボルドの討伐。
それが今回の仕事だった。
コボルドは身長一メートル程度の、犬を直立させた姿をした夜行性の魔獣だ。
冒険者からはゴブリン同様、脅威度の低い魔獣として認識されている。
単体でみた場合、ゴブリンより力が強く、知能が少々高い。
だが、ゴブリンほど大きな群れを作ることはなく、狡猾さも劣っている。
三人で慎重にかかれば、それほど困難な仕事ではないとミウルは考えていた。
そして、近くの村に宿を取り、下調べにも数日かけていた。
そして、昨日のうちに村を発ち、コボルドが寝静まる真昼に襲撃する手はずだった。
油断など、どこにもないはずだった。
ミウルたちの不運は、今が冬だったことかもしれない。
下調べを済ませたミウルたちが、一旦村に戻った僅かの隙に、食い詰めた盗賊団が洞窟を制圧していた。
どちらも互いの動向に、まったく気づいていなかった。
ほんの僅かの齟齬か、運命のいたずらが、ミウルたちの命運を奪うことになっていた。
洞窟に突入したミウルたちを、盗賊団は余裕を持って仕留めにかかった。
魔獣相手の戦闘経験しか積んでいない冒険者と、対人戦闘に慣れた盗賊団では、戦う前から勝負は見えていた。
ラバレイがあっさりと首を掻き斬られ、女と判ったルテッセが殴り倒された。
ミウルも背後から抱きつかれ、その場に引き倒されていた。
必死に抵抗するルテッセだが、寄ってたかっての暴力の前には為す術もなく無力化され、全裸に剥かれていく。
元々治癒魔法の使い手であり、戦闘力では一枚落ちるルテッセが、荒くれ男たちに抗いきれるはずもなかった。
それでもルテッセが男の股間を蹴り上げ、最後の戦闘行動、逃亡を試みた。
だが、一撃で男を悶絶に追い込めなかった場合、股間への攻撃は最悪の手段にしかならないことをルテッセは知らなかった。
股間を蹴られた男の怒号が響きわたり、正面からルテッセの頭を鷲掴みにした。
そして、男は渾身の力を込めてルテッセの後頭部を、岩盤が剥き出しになっている地面に叩きつけた。
洞窟に、鈍い音が響く。
ルテッセの頭蓋が、呆気なく砕かれた音だった。
一瞬にして命を刈り取られたルテッセの身体が、短く痙攣して動きを止めた。
虚ろに開かれた両目は、救いを求めるように男を見上げていた。
悲鳴を上げたミウルに、男たちが殺到した。
引き倒されたまま蹴られ、悶絶した隙に全裸に剥かれた。
それでも息を吹き返したとき、のしかかっていた男の頭を掴み、力一杯頭突きを食らわせた。
一瞬の隙を衝いて男を振り払い、あとも振り返らずに洞窟を飛び出した。
幼い頃から男の子に混ざり、山野を駆け巡り、取っ組み合いの喧嘩になれていたことが、ミウルの命を紙一重で救っていた。
命懸けで抵抗したルテッセに、男たちの怒りが向いていたことも幸運だった。
だが、その幸運も長くは続かない。
ひとりの男が追いつき、ミウルをまた引き倒した。
その男に噛みつき、手当たり次第に殴り、必死で蹴り飛ばして振り払った。
だがそのときには、もう立ち上がる体力は残されていなかった。
いやいやをするように、あとずさるミウルを見下ろした男が飛びかかろうとした瞬間、赤い龍が飛び込んできた。
ミウルの記憶は、そこで途絶えている。
そんなことを、ミウルはぽつりぽつりと喋り続けた。
つらい記憶をなぞりながら。決して忘れまいと思いを込めて。
――そう。あなた、これからどうするの?――
素っ気なくレフィが聞いた。
心底同情する話だが、ミウルは乗り越えなければならない。
安っぽい同情は、その足を引っ張るだけだ。
下手をすればその同情に寄りかかり、ミウルが依存してしまうかもしれなかった。
冷たいようだが、最後まで面倒を見きれないのであれば、安易に手を出すべきではない。
だからレフィは、あえて素っ気なく聞いていた。
「まだ……考えていません。村へは帰れませんし、もう冒険者を続ける自信も……。娼婦になる勇気もないし……どうしたらいいんでしょうね、あたし」
最後は自棄になったように、ミウルは言った。
決してレフィに頼ろうとして、言ったわけではないようだった。
――そうね、あなたが決めなくてはいけないことで、私には軽々しく答えることはできないわ。しばらくは私たちと一緒にいなさいな。その間にゆっくり考えるのね――
ミッケルやケイリーに、身の振り方を相談する手はあるにはある。
いざとなれば侍女として雇い、ある程度の教育を施してから職を斡旋することも可能ではあった。
だが、それをしてしまえば、仲間を失った冒険者がふたりの下に押し寄せかねない。
そしてミウルには、その先ずっと縁を求めてつきまとう者が、必ず出てくる。
貴族との縁やその口利きは、それほどに得難く、嫉妬の素にしかならない。
行きずりで助けただけの冒険者に、使っていい手段ではなかった。
レフィたちにできることは、せいぜいミウルを王都まで送り届けるくらいしかない。
そのあとどうするかは、ミウル自身で決めなければならないことだった。
「はい。過分なお心遣い、ありがとうございます」
再びミウルは深々と一礼し、割り当てられた天幕に入っていった。
見送ったレフィを、ふたつの月が見下ろしていた。
――レフィ、ちょっといいかい?――
一番目の不寝番を終え、あとは寝るだけになった龍平がレフィを呼び止めた。
他に聞かれたくないのか、音声ではなく思念による呼びかけだった。
――なにかしら? あなたは、もう寝なくてはいけないのではなくて? あなたが寝るべきときに寝ないと、兵たちはいつまでも寝られないわ。もうあなたはそういう立場であることを自覚なさい――
解った上でミウルに手を貸せない無力感に苛まれているレフィは、とげのある言葉を龍平に返した。
――まあ、そんなカリカリすんなって、解ってっから。ちょっと答え合わせくらいさせてくれよ。あれだ、おまえがミウルさんに素っ気なかったのは、えこひいきはだめだってことだろ?――
聞くでもなしに聞いてしまったふたりの会話を、龍平は自分なりに考えていた。
明日になって、安易な同情心から下手なことを言ってミウルをぬか喜びさせないよう、自身に釘を差そうとしている。
――たまには頭いいのね、あなた。そうよ。だからあなたが雇うのも。解るわね?――
レフィは驚いたような表情になりながら、念のため釘を差しておく。
――うっせ。俺はいつでも頭いい。ただ、よく間違うだけだ。で、解ってるさ、俺がヴァリー商会に紹介するのも、だろ?――
とりあえず混ぜっ返しておいてから、龍平は答え合わせを続ける。
そして、周囲から不審に思われないように、外套を被って横になった。
――そうよ。次の日から、あなたに面談の申し込みが山ほど来てもいいなら、話は別ね――
わざと嫌味な言い方で、レフィは理由を答える。
そして龍平のそばに寝そべった。
――冗談じゃない。それ断ったらミウルさんに嫌がらせが行くじゃねぇか。んな判りきったこと、最初からしねぇよ。でもよ、バッレさんが惚れちまってたら、それはとめらんねぇよな――
そう言って、龍平はニヤリと笑った。
――あなた、まさかとは思うけど、焚きつけたり、無理強いなんてしたら……――
レフィも、まさかそこまで龍平が莫迦だとは思いたくない。
だが、それでも聞かずにはいられなかった。
――なんで俺が人の色恋手伝うんだよ。おまえも見てたろ? バッレさん、あれ満更じゃなさそうだぞ――
龍平は以前から他人の恋愛には敏感だった。
その分、気になる女の子の前では自意識過剰に陥ってしまい、自滅ばかりしていたが。
――あれは、同情よ。恋とか愛ではないわ。無理矢理こじつけるのは、感心できないわね。悪趣味よ――
同情と好意は別物だ。
それに、もしバッレがミウルに惚れたとしても、人の好意を利用するようでレフィは後ろめたさを感じていた。
――ああ。まだ違う。でもよ、同情から始まる恋だってあるし、それがいけないなんて決まりはないだろ? ミウルさんも嫌ではなさそうだったしな――
ミウルを直接助けたのはレフィだが、ここまで連れてきたのはバッレだった。
それがきっかけかどうかは判らないが、ミウルが取り乱したときも、真っ先に止めにいったのもバッレだ。
さすがにそのあとはサリサとライカに任せてはいるが、何くれとなく気にかけている様子は伝わってくる。
今は責任感と同情が先に立っているのだろうが、この先それが恋愛に発展する可能性は大だ。
吊り橋効果に感謝の念が重なれば、ミウルがそのような感情を抱いてもおかしくはない。
もちろん、そうなってほしいという願望であることを、龍平は充分承知の上で言っていた。
――私は賛成できないけど、なるようになるしかないわね。繰り返すけど、焚きつけたり、無理強いなんてするんじゃないわよ――
龍平が暴走してふたりが感情に弄ばれることを、レフィは見過ごすことはできなかった。
――解ってるって。んなことしたら、上手くいくもんも上手くいかんわ。それに、俺の願望でしかないんだ、今のところは。今すぐ付き合わなきゃいけないわけでもないしな。どうなるか見極めながら、他の手も考えりゃいいんじゃねぇの。んじゃ、寝るわ――
レフィのは危惧は、百も承知だ。
そこまで無責任になる来はない。
あとは堂々巡りだろう。
龍平は寝ることにした。
――なによ、勝手に話しかけて、ひとりで納得して、さっさと寝ちゃって……。それは……そうなればいいけど……他人様の人生よ。安易に考えるのは、私は感心できない――
確かに、今のミウルにとって、頼れる存在は必要だ。
昨日まで仲間として上手く負担を分け合っていた存在が、唐突に消滅した今は特に必要だろう。
だからといって、頼れる存在に心の安定を依存しきっては、互いに負担しか生まれない。
心が弱り切っているときに巡り会った相手に捨てられまいと、過剰に献身してしまうケースはレフィも見たことがあった。
頼られた方もその献身を拒絶することで、相手の心が壊れるのではないかと疑心暗鬼に陥ってしまう。
結果、相手を受け入れなければとの脅迫観念に、心が耐えきれなければ共倒れだ。
今、ふたりを恋仲に無理矢理仕立てあげれば、そうなる可能性の方が高い。
レフィは、それゆえに龍平の考えを受け入れがたかった。
翌朝、一行は慌ただしく出立の準備に追われていた。
既にこの一件についての早馬を、朝一番で先行させている。
現場確認に残る騎乗兵と従卒以外は、自分の荷物をまとめていた。
そんな中で、バッレがミウルの手伝いを甲斐甲斐しくしているのは、それほど不思議な光景ではなかった。
ミッケルやケイリーも、それを咎め立てするようなこともせず、日常の光景として眺めている。
特に僻地の領地を持つケイリーにとって、それは悲しい日常の光景だった。
現代日本に比べ、圧倒的に死亡原因の多いこの世界で、伴侶や恋人、家族に仲間といった近しい人を失うことはありふれたできごとだ。
別にミウルのケースが、特別なものというわけではなかった。
冒険者が討伐対象に返り討ちに遭うなど、日常茶飯事といってもいいほどだ。
今回は、死体まで食われなかっただけ、まだマシといってもよかった。
自ら危険に飛び込む冒険者でなくても、事故や病など死に遭遇する機会は掃いて捨てるほどある。
バッレもその経験に基づいて、行動を起こしているに過ぎない。
もちろん、下心がないとは言わないが、下手を打った者が刃傷沙汰になっことも見ている。
お姫様育ちのレフィとは、くぐってきた修羅場の数が違っていた。
ケイリーにしてみても、そうなったら村で受け入れるだけのことだ。
人的交流が少ない僻地の村にとって、外部の血は喉から手が出るほどほしい。
もちろん、村の閉鎖性や排他性は、百も承知だ。
余所者が村に溶け込むには、想像を絶する苦労が待っていることだろう。
だからといって、閉じこもった村は血が濃くなり滅びるしかないことを、この時代のひとびとも経験的に知っている。
新しい血を導入し、軋轢を調整するのも、領主に課せられた重大な責務だった。
強引に解釈すれば、領主のお供が王都で嫁を見つけただけともいえる。
そんな例は、そこらじゅうに転がっていた。
たとえ領主や知り合いの貴族が斡旋したとしても、当事者は領地に帰ってしまえばそれでいい。
王都在住の貴族に斡旋を求めても、門前払いで終わりだ。
職の斡旋に比べれば、結婚の口利きははるかに少ない。
結婚を求めるのであれば、それなりに用意しておかなければならないハードルが多いからだった。
無職の者が結婚相手の斡旋を求めたところで、応じる相手がいるはずもない。
ましてや、女性側に高収入を求める男など、この時代においては結婚の資格などありはしなかった。
「ネイピア卿、連れて行くのかね?」
王都まではミッケルの差配で、男性陣と女性陣に馬車を分けている。
出立の用意が完了し、同じ馬車に乗り込んできたケイリーにミッケルが尋ねた。
もちろん、ケイリーの決定にミッケルは口を挟むつもりはない。
そして、王都まで保護はするが、それ以降ミウルに直接関わるつもりもなかった。
「いえ。まだ決めていません。あの娘……私よりは年上ですかね、彼女の人となりが、まだ判りません」
ひと晩でそれを見極めるのは、どう考えても無理だ。
極限状態であればあるほど、その人間の本性が剥き出しになるとはいうが、極限状態であるからこそ、今はそれが隠れているともいえた。
命を助けられておいて、あれをよこせ、これは嫌だの言える人間はそうそういない。
ミウルを見極めるには、もう少し落ち着いてからでなければ無理な話だった。
「そうか。君が決めることだ。ところで、バッレ君を私に預ける気はないかね?」
やはり、態度や口には出さなくとも、ミッケルも考えてはいる。
新たな門番として雇った者は、一生独身でなければならない決まりはない。
ここまでの働きを見たミッケルが希望し、ケイリーが推挙するなら、バッレが王都に移住しても問題は起こらない。
たまたま、その妻がミウルだったからといって、誰かにやっかまれる義理はないのだった。
「勘弁してください。あれは得難い男です。デイヴあとを任せられるのは、彼しかいません」
ケイリーは、即座に峻拒する。
名主を交代することはできないが、兵の統率を任せる人材は、そう簡単に見つからないし育たない。
そのような者が妻を得て、人間が完成されていくのは歓迎すべきことだ。
待つ者、守る者がいれば、無謀な突撃はしなくなる。
「そうか。詮方ないことを言ったな。忘れていただけるとありがたい」
満足げな笑みを浮かべ、ミッケルはタエニアが差し出したお茶を口に運んだ。
やはり、男だけで移動するわけにはいかず、タエニアとはエヴェリナは手元に置いていた。
龍平はそんなふたりの会話を、デイヴとともに嬉しそうな顔で聞いていた。




