37.嫁入り騒動
何がなんだか、さっぱり解らない。
突然乱入してきた少年に、名前を質されたかと思ったら決闘を申し込まれていた。
貴族のしきたりに詳しいレフィですら、その唐突さに目を白黒させている。
その場に居合わせたアーリなどは状況を全く理解できず、ただぽかんと少年を見ているだけだ。
「確かに俺がリュウヘイ・クマノだけど、あなたは誰でしょうか?」
少年の身なりから貴族らしいと判断した龍平は、一応のレベルではあるが丁寧な言葉を使って尋ねた。
はっきりと名前を言われた以上、人違いではないのだろう。
だが、龍平には決闘を申し込まれる理由が、とんと思いつかない。
ましてや相手が貴族ならば、なおさらだ。
バーラムを始めとして、セルニアン領の貴族とは何人か接点はある。
しかし、現在目の前でいきり立っている少年には、まるで見覚えがなかった。
「貴様っ! なんだ、その女はっ! ウィクシー様に結婚を申し込んでおきながら、酒場女に手を出すとは不届き千万! 決闘など必要ない! この場で成敗してくれる!」
少年は龍平のそばで唖然としているアーリを見咎め、身の丈に見合わない長剣を抜こうとした。
しかし、リーチが足りないのか鞘から抜ききれず、苛立ったように鞘を投げ捨てる。
そして、大上段に振りかぶろうとするが、明らかに剣の重さに負けていた。
やっとの思いで肩に担ぐように構えたが、足下が僅かにふらつくいている。
「こ、この酒場のウエイトレスでございますが……」
「はぁっ? 何言ってんのあんた?」
アーリのすっとぼけたような答えに、呆れかえったような龍平の声が重なった。
あまりの莫迦莫迦しさに、丁寧な言葉遣いも吹き飛んでいる。
「貴様らぁっ! 言わせておけばっ! 死ねぇぇぇっ!」
裂帛の雄叫びとともに、少年は全身のバネを使って、背負い投げのように長剣を振り下ろす。が。
切っ先が一部低くなっている天井の梁にぶつかって食い込み、剣が両手からすっぽ抜けた。
剣はそのまま梁からぶら下がり、腕だけが振り下ろされる。
勢い余った少年は、体勢を大きく崩して龍平に突っ込んで行った。
年下に見えるとはいえ、それほど身長差のない身体に突っ込まれてはたまらないと、龍平はとっさに身を躱す。
少年はそのままの勢いでテーブルと椅子に激突し、あえなく意識を手放してしまった。
「なに、これ?」
なぎ倒された椅子とテーブルと、気を失ったままぴくりとも動かない少年を見下ろし、龍平は深い溜め息をついた。
急展開に固まっていたアーリが再起動して少年の介抱に駆け寄り、レフィが巡回士を呼びに行こうとしたとき、ドアが再び開いた。
「アルマートはここかっ! 莫迦な真似をする……前……に?」
ミッケルと同世代に見える、身なりの整った男性が飛び込んできた。
そして、あまりの惨状に言葉を失い、立ち尽くしてしまった。
「リューヘー・クマノ殿にレフィ殿とお見受けいたす。莫迦息子がご迷惑をかけたようで申し訳ない。私はセルニアン辺境伯家陪臣アルトラン・デ・ディミディオと申す。そして、息子が何をやらかしたか、お手数だがご説明を願えないだろうか」
だいたいの状況は察したのだろう、血の気が引いた顔が痛々しい。
貴族ではないとはいえ、領主の賓客扱いの者に狼藉を働いて、無事に済むとは思えない。
下手をすればホルソン家の二の舞だ。
いくら莫迦でも、その程度のことが解らないとは思えない。
よほど頭に血が上ったのだろうが、血気盛んで済まされる問題ではなかった。
アルトランは、どうしていいか解らなくなっていた。
「ワインでよろしかったか? まずは、何よりも謝罪を。迷惑料は後ほど相談させていただくとして、息子を引き取らせていただいてもよろしいだろうか」
陪臣とはいえ騎士が庶民に頭を下げるなど、前代未聞のことだった。
だが、これだけのことをしでかしておいて、騎士の立場を盾に泣き寝入りさせる方が、はるかに体面を傷つける。
仮に力ずくで黙らせようとしても、領主相手に一歩も退かなかった龍がいる。
ケイリー暗殺未遂事件の詳しい顛末は聞かされていなくても、龍の力が事件を未遂に終わらせたであろうことは想像に難くない。
龍相手に立ち回りを演じ、さらに被害を増やしでもしたら、それこそ言い逃れはできなくなる。
宿の人間をたったひとりで皆殺しにできるはずもなく、逃げ出した者からことの次第はすぐ明るみにでるだろう。
その前に、親子ともども龍に殺されかねない。
ここは謙虚に頭を下げるべきだと、アルトランは判断していた。
「俺たちは無事でしたし、どうぞお気遣いなく。で、どうしてこうなったかですが、俺にはさっぱり解りません。いきなりご子息が斬りかかってきて、剣はあの通りです。それで、そのままあちらに。ウィクシー様に俺が求婚したとか言われましたが、そのような事実もありませんし」
困惑の表情のまま、龍平は説明した。
それを聞いたアルトランは、何か思い当たる節でもあったのか、両手で顔を覆ってうつむいてしまった。
――どうしたのかしら? 何か思い当たる節でもあるようね。ご説明いただこうかしら――
ホバリングしたままでレフィが腰に手を当て、椅子に腰掛けているアルトランを見下ろした。
なんとなくだが、いやな予感がしている。
「はい、実はお館様が……」
うつむいたまま、アルトランは話し始める。
ことの顛末はこうだった。
ホルソン家の処刑後、酒の席でケイリー暗殺未遂事件での立ち回りに言及したバーラムが、ぽろりと漏らした言葉がことの始まりだった。
曰く、龍平の度胸はたいしたものだ。ウィクシーを嫁にやっても惜しくない人材だと。
バーラムにしてみれば、単なるほめ言葉であり、ウィクシーの嫁入りを決めたわけではない。
だが、カスリー・デ・ホルソンをしてケイリー暗殺に走らせた原因が、アミアの嫁ぎ先を急に決めたことでもあり、いささか配慮を欠いたひと言でもあった。
それを聞き咎めた陪臣たちがバーラムを諌めたが、それは迂闊なひと言に対してであり、誰もウィクシーの嫁入りが決したとは考えていなかった。
しかし、その場にいなかった者たちにその話が伝わったとき、尾ひれがついて広がってしまったのだった。
アルトランが領都の宿で家令相手に広まった噂についての愚痴をこぼしたとき、既にアルマートはそれを聞いてしまっていた。
父親の愚痴は、ウィクシーがどこの馬の骨ともつかぬ輩に無理矢理嫁がされると、アルマートに思いこませてしまった。
そして、今朝になって急にアルマートが宿から姿を消したことと、自身の愛剣が消えたことでアルトランは何が起きたかを理解した。
アルマートが義憤に駆られて暴走したのか、それともウィクシーに恋慕の情を寄せていたのかは判らない。
判ったところで、今のアルトランにはどうでもいいことだった。
今は一刻も早くアルマートに追いつき、彼の暴走を止めることが先決だった。
慌ててアルマートの後を追い、龍平たちが滞在する宿に駆け込んだときには、既にことは終わっていた。
アルトランはそこまで説明して、盛大に溜め息をついた。
「えぇと……。俺たちは無事だったことですし、この話はこれでお終いということには……」
できれば面倒ごとには巻き込まれたくない。
ウィクシーの婿候補などという話は、知らなかったことにしたい。
――ならないわね――
この一件はなかったことにしたい龍平は、レフィのひと言にがっくりと肩を落とす。
宿には申し訳ないが、ディミディオ家が損害について賠償したあとは、口をつぐんでもらえばいいと考えていた。
「申し訳ないがレフィ殿の言うとおり、これだけの事態を引き起こしておいて、そういうわけにもいかん。お館様にご報告する際、ご同行いただけまいか」
まったく罪もない龍平に斬りかかったアルマートに、その罰は受けさせなければならない。
そして、配慮を欠いた発言で、この事態を引き起こすきっかけを作ったバーラムも、諌めておかなければならなかった。
――そう、なるでしょうね。それについては構わないわ。それにしても、辺境伯閣下はどうしていつもひと言多いのかしら。この際きっちりと諌めておくのね。それもフォルシティ卿が戻る前がいいのではなくて?――
レフィはアルマートにではなく、バーラムに対して腹を立てている。
アーリは、龍の姿の向こうに年頃の娘が頬を膨らませ、ぷんすかしている情景が見えた気がした。
その感情は嫉妬ですね、トカゲ姫。
「……ぅぅ……ぅん……はっ!」
アーリの膝の上で、ようやくアルマートが目を覚ました。
質のよい布地にくるまれたクッションで、大変心地良さそうな目覚めだったようだ。
ちょっと代われ。
「アルマート。そなた、何をしでかしたか、理解しておろうな?」
アルトランはことさら厳めしい表情で、息子に問いかけた。
だが、親の心子知らずとは、よく言ったものだ。
少年は、その心が命じる正義のままに、父親に食ってかかる。
「どうして父上がこちらに? ……っ! なぜ、そのような者どもとお話などされているのです! ウィクシー様が! このままではっ!」
まっすぐに、正義を。
己が信じる正義を。
恋って、盲目だね、きっと。
「この……莫迦者がっ! いつウィクシー様の婚儀が決まったっ? そのような事実はないっ! 貴様、騎士見習いの分際でひとさまにご迷惑をかけるなどっ! 恥を知れ、恥をっ! リューヘー殿のご温情を、貴様には理解できないのかっ!」
演技の部分もあるかもしれないが、アルトランは正論を叩きつける。
だが、アルマート少年には、その正論は詭弁にしか聞こえなかった。
「陪臣とはいえ、なぜ、騎士が庶民ごときに頭を下げなければならないのですかっ?」
こちらも、正論。
軽々しく頭を下げていては、この世界における秩序が崩壊する。
だが、領主が賓客として遇している以上、立場は陪臣騎士より上になる。
悲しいかな、その辺りの機微をいろいろと目がくらんだ少年は見過ごしていた。
「ええい、もう話しにならんっ! お館様にご報告後、貴様は謹慎だっ!」
ついにアルトランは癇癪を起こした。
悪手であることは解っているが、聞き分けのない息子に心の制御が効かなくなっていた。
「ならばっ! お館様にご判断いただきましょう! このような輩と私、どちらが相応しいかをっ! よいですね、父上!」
言っちゃったよ、こいつ。
龍平にしてみれば迷惑千万な誤解だが、あまりにも莫迦にされているとなれば腹も立ってくる。
――話はお決まりのようね。ただ、明日にしていただけないかしら。何せ私たちは、これから寝るところだし。もうさっさと寝たいのだけど――
ここまで黙っていたレフィが、あくびを噛み殺しながら言った。
ただでさえ徹夜明けの上に、それなりに飲んでしまっている。
さすがにこの状態で、バーラムに謁見するのははばかられた。
「そう言って逃げ出す気かっ! この卑怯者めっ! 父上、今すぐ引きずって参りましょう!」
もう何を言っても悪意にしか取らない。
もし逃げてくれたら恋敵が勝手に勝負から下りてくれるし、それを許して娘を嫁がせるようなバーラムではないことに、アルマートは気づいていない。
――あなたから逃げて、私たちに何か得することがあるとでも思って? 本来なら叩きのめして、あなたを巡回士に突き出しても、私たちは一向に構わないのよ。そんなに気になるなら、宿の出入り口と窓の下に見張りでも立てればいいでしょう――
要は、一晩頭を冷やしてこい。
レフィの言い分は、それしかない。
今日の内にアルトランからある程度の報告をしてもらい、バーラムにも頭を冷やしてもらいたかった。
そうでなければ、面白がって本当に決闘を認めそうだった。
「貴様っ! 幻獣ごときの分際で言わせておけばっ! 宿の者では当てにならん! 父上、家の者を手配していただけませんか!」
レフィの言葉を挑発と受け取った息子の発言に、アルトランがすがるような視線をレフィに送る。
龍平の瞼が重くなっているのに気づいたレフィは、アルトランに頷き返した。
「そなたは黙っておれっ! レフィ殿、リューヘー殿、どうかお気になさらずお休みを。本日中にことのあらましはお館様にご報告いたしましょう。明日お手を煩わせることになりましょうが、なにとぞご容赦を。それでは、朝食後を見計らって迎えをよこしますので、これにて失礼仕ります」
椅子を立ち、龍平たちに一礼したアルトランは、天井の梁から剣を抜き、投げ捨てられていた鞘に収めた。
そして、いきり立つアルマートの首根っこをひっ掴み、アルトランは退出していった。
アルマートは必死に抵抗を試みたが、現役の騎士にかなうはずもなく、あえなく引きずり出されていた。
その姿を見送った龍平たちは、盛大な溜め息をついた。
「アーリさん、エールとワイン、あとチーズか何か、追加していい?」
嵐が去った食堂を、従業員たちが手早く片づける。
宿の損害はディミディオ家が補償するとしても、このまま立ち去るのも気が引けた。
既に昼時も近いが、アルマートの乱入で興を殺がれ、おとなしく寝るのも癪に障る。
このままベッドに入っても、心がささくれ立ったままではすっきりしない。
明日の謁見は、できるなら笑い話にしておきたい。
その余裕を作るためにも、もう一杯飲んで心を落ち着けてから眠りたかった。
「おふたりとも、災難でしたね。それにしても、レフィ様はディミディオ様相手に一歩も退かないなんて、まるで貴族様みたい。憧れちゃいますね。今お持ちしますので、少々お待ちください」
レフィの怒りの半分くらいが嫉妬であることを見抜いていたアーリは、さりげなくその正体まで無意識に言い当てている。
そしてエプロンを翻し、厨房に注文を告げに行った。
――明日は、覚悟しておきなさいよ。絶対にひと悶着あるわ。せいぜい怪我はさせないようにね――
間違いなく、バーラムはおもしろ半分に何かを仕掛けてくる。
娯楽の少ない地方領主にとって、こんなからかい甲斐のある少年がふたりも揃うなど、放っておく手はないに決まっていた。
もちろん、どちらが何らかの勝利を得たとしても、ウィクシーの嫁入りなどあり得ない話だ。
その辺りは冷徹な判断をすると、レフィは信頼している。
「それは向こうに言ってくれよ。たかだか二年くらい自己流で剣を振ってる俺が、いくら見習いとはいっても、物心ついた頃から修行してきた奴に勝てるわけないだろ」
セルニアに来て以来、剣や弓、体術の鍛錬はさぼりがちになっている。
まったくやっていないわけではないが、めまぐるしい日々に押し流されていた。
そうでなくとも、剣捌きには自信がない。
適切な相手がいないセルニアでは、常にひとりで素振りを繰り返すだけで、実戦形式の鍛錬ができなかった。
ケイリーに頼む手もあったが、脳内ピンク色のふたりの邪魔はしたくない。
デイヴも大怪我で、それどころではなくなっている。
バッレや他の家臣も、それぞれ仕事がある。
それを邪魔するわけにはいかなかった。
――あら、剣ならそうかも知れないけれど、あなたの体術は相当なものよ。まず、初めてでは対処できないわ。剣の勝負を上手く譲って、あとは絞め落としちゃえばいいじゃない――
もちろん、レフィもそれは承知の上で、過激なことを言ってくる。
確かに組み討ちの技術はあるが、それは落馬させた騎士の首を取るためのものだ。
真っ向からいきなり関節技を仕掛けてくるなど、この時代の戦闘術にはあり得なかった。
この世界においては、いわゆる初見殺しといえる技術だ。
「そ、そうか? まあ、そっちの方が得意っちゃ得意だし。変に抵抗されなけりゃ怪我もなさそうだしなぁ」
龍平は密着するセリスのおっぱいと太ももの感触を思い出し、ひとり気味悪くにやけた。
もっとも、それに続く記憶は激痛地獄か、ブラックアウトしていく景色だが。
「なあ、ミッケル様が来る前か、王都に行く前に、森に一回帰れないかな」
ふと、幻霧の森が恋しく感じられた。
レフィが全力で飛べば、一昼夜もあれば行けるかもしれない。
王都に行ってしまえば、森へ帰るにもひと苦労かと思うと、今のうちに一度帰るのもありかと龍平は思った。
それを聞いたレフィが、少し呆れたような、少し意地悪げな笑みを浮かべる。
――なぁに、もう里心ついちゃった? そんなのではセリスに笑われるわよ。それとも、セリスのおっぱいが恋しくなったのかしら? セリスに絞め落とされたくなった?――
くすくすと笑うレフィに、龍平が激昂する。
「ちょっと待ちゃあがれ、このトカゲ姫っ! 何だ、その非常に誤解を招き、かねない、発言、は?」
ふと、不穏な気配を察知した龍平は、レフィから視線を上にずらす。
そこには、レフィの背後でトレイを持ち、このド変態、という目で龍平を見下ろすアーリがいた。




