31.魔獣襲来
馬車の斜め後方を龍が飛ぶ。
首には若者が跨がっていた。
甘いふたりの世界を脱した龍平とレフィは、気持ちのいい風を裂いて宙を舞っている。
せっかくヴァリー商会の皆さんが作ってくれた鞍を、試しもせず帰る気にはなれない。
そのため、帰路は飛びながら護衛に就くと、ケイリーに伝えていた。
アミアは寂しそうにしていたが、これでいい。
あんな甘い空間、煮詰めた紅茶を無糖でがぶ飲みしても、口から砂糖が溢れそうだった。
「レフィ、どうだい、着け心地は? 動きにくくねぇか? 重さとかはどうだ?」
ポメルをしっかりと握りしめた龍平が、大声でレフィに聞いた。
せっかく特注であつらえるのだから、改善できる点の洗い出しをしておきたかった。
――私は大丈夫よ。ちょっと首が動かしにくいところがあるけど、それはしょうがないわ。リューヘーは乗りにくいとか、大丈夫かしら? あと、大声張り上げなくても、思念を向けてくれたら何言いたいか解るわよ――
忘れてた。
たしかに、思念で意志の疎通は充分だ。
伝声管を作ろうか、材質は何がいいかと龍平は悩んでいた。
だが、空に上がって以来、最も気にしていた心配事が一気に解消されてしまった。
「おう。そうだった」
――位置はこれでいい。やっぱり背中だと、翼で視界が遮られてたろうな。しっかし、風属性の魔法様々だな――
今は速度を抑えているが、飛び立った直後には試運転よろしくかなり荒い飛び方をした。
鞍の取り付け具合や、龍平がどの程度の機動まで耐えられるかは、きちんと把握しておかなければならなかった。
いざというとき、龍平が振り落とされてはかなわない。
龍平ごと鞍が吹き飛んでも、洒落にならない事態になる。
幸い、鞍を留めるベルトの強度は、充分なようだった。
龍平も肉体強化魔法を使い慣れてきたおかげで、急機動にも問題なくついてきていた。
だが、仮に無風だったとしても、レフィが進めば正面の空気は向かい風となって立ちはだかってくる。
龍平が振り落とされることはなかったが、口と鼻を空気の固まりに塞がれ、呼吸ができなくなっていた。
そこで、レフィが風属性の魔法で、龍平の周囲にだけ追い風を作り出した。
これで強い向かい風を相殺し、龍平の呼吸を確保していた。
――他にもいろいろ考えてるのよ。寒い日なんか、火属性の魔法でどうにかできないかとか、雨の日には水属性でなんとかしてみようとか、ね――
いくら四属性魔法が、地水火風の力を操るからといっても、何もかも自由自在とはいかない。
そして人間とは比べものにならない魔力を有する龍の身といえど、天候を操る魔法は乱発できるものではなかった。
そこで、まず風属性の魔法で龍平の周囲を、空気のドームで囲ってしまいう。
その上に火属性や水属性を重ねがけして、保温や傘代わりにできないかと考えていた。
――すまないねぇ。俺が魔法を使えないばっかりに。ごほっごほっ……げほっ!――
「げほっ……うぇっ! えふっ! げへっ! げほっ!」
時代劇でよく見たお約束の台詞を言ってみるが、力一杯むせてしまった。
――なによ、わざとらしい。って莫迦じゃないの、そんなにむせて――
望んだ台詞は返ってこなかった。
――そこは、そんなこと、言いっこなしだよ、おとっつぁん、って返すのが決まりなんだけどなぁ……ん?――
文化風土も違っていれば、テンプレも違うのは当たり前だった。
莫迦みたいな応酬を続けていたが、彼方から地上を走ってくる影が見えた気がした。
――何、わけの分かんない三文芝居みたいなこと、言わなきゃいけないのよ……リューヘーっ!――
レフィも、それに気づく。
人間の視力をはるかに凌駕する龍の目は、魔獣から必死に逃げる人の姿を捉えていた。
――おう! 任せた!――
おそらく、セルニアの冒険者たちだ。
魔獣討伐に来て、返り討ちに遭いかけているのだろう。
いくら自己責任とはいえ、助けられるものは助けたい。
龍平とレフィは、瞬時に決断していた。
まず、レフィの念話で、状況をケイリーに報せる。
そして、龍平を乗せたまま先行し、冒険者を追っている魔獣を足止めする。
もし、龍平をおいていったら、龍の姿に冒険者がパニックを起こしかねない。
それに、龍平を降ろしているより、このまま飛んだ方が早い。
魔獣の足止めさえできていれば、冒険者の保護はケイリーたちに任せればいい。
魔獣をどうするかより、冒険者の安全確保が先だ。
――ケイリー様! 前方から魔獣に追われた冒険者が逃げてきます! 魔獣は足止めしますので、彼らの保護を!――
馬車上空をフライパスしながら、レフィが念話を飛ばす。
馬車の窓からケイリーの腕が突き出され、前方に向かって大きく振られた。
「よっしゃぁっ! レフィっ! 行けぇぇぇっ!」
龍平が雄叫びをあげる。
初めての実践を前に、萎縮などしていられない。
自信を鼓舞できるなら、何でもやった方がいいに決まってる。
龍の飛翔による疾走感に、龍平の心は高揚していた。
――ちゃんと掴まってなさい。飛ばすわよっ!――
レフィが咆哮を放ち、強く羽ばたいた。
急加速に首が後ろに振られ、周囲の景色が後方にふっ飛んでいく。
人影が見る見る近づいてくるが、龍の姿に怯えたか、逃げ足が止まりかけている。
龍平が大きく身を乗り出し、自身の存在を見せながら大声で叫んだ。
「後ろに馬車と騎士がいる! 魔獣は俺たちが足止めする! 停まるな! あっちに逃げろ!」
冒険者たちの上空まで来ると、魔獣の姿もはっきりと見えた。
龍平の声に気づいたか、レフィの姿に恐怖の追加を食らったかは解らないが、一目散に馬車のいる方へ走っていく。
――何、あれ。見たことない……。なんて、不気味な……――
魔獣の異形を認めたレフィから、不快感を露わにした呟きがこぼれた。
龍平も同様だが、初めて目の当たりにする異形に、言葉も出なかった。
ヒキガエルを巨大化させ、前肢を一対追加したような造形は、この世のものとは思えない醜怪さに溢れている。
口から吹き出された粘性のある液体の着弾地点からは、不気味な白い煙が上がっていた。
外見からは鈍重そうな印象が強いが、跳躍する距離が長く、冒険者たちを追いつめている。
後肢で立ち上がった身の丈は今のレフィと大差ない二メートルほどだが、横に太い分さらに巨大に見えている。
その魔獣が、ざっと見て一〇体。
獲物を取り逃がすまいと、冒険者たちに追いすがっていた。
逃げていく冒険者たちは四人
恐慌状態に陥っていても、ケイリーたちで何とか抑えきれる人数だった。
――リューヘー! しっかり掴まってなさい!――
天空へと駆け上がったレフィが、一転急降下に移る。
龍平は態勢を低く伏せ、ポメルを両手で握りしめた。
y=1/x^2+2のような、下向きの放物線を描きながら、エックス軸がゼロになる地点で魔獣の頭上をフライパスする。
その瞬間、スイカを叩き割るような音が響き、レフィの足に踏み蹴られた魔獣の頭部が血飛沫とともに爆ぜた。
レフィが急上昇に転じ、天空から魔獣の動向を見下ろした。
魔獣は龍に恐れることなく、食欲と殺戮の意志を一点に向け、冒険者たちを追い続けていた。
レフィが二度、三度と魔獣の頭を蹴り潰すが、それでも群の行き足は止まらない。
業を煮やしたレフィが群をブレスで焼き払おうとするが、絶妙に距離を取り合う魔獣を一網打尽にはできそうもなかった。
冒険者を救うため、疾走してくる馬車と騎馬兵が視界に入ってくる。
レフィは、その間に割って入った。
「こっちだっ! 早く来いっ!」
デイヴの声が草原に響く。
遠くで龍の咆哮が轟き、魔獣の悲鳴が食いちぎられていた。
気息奄々の冒険者たちが、最後の望みをたくしてよろぼうように走ってくる。
龍と魔獣の戦闘範囲をかろうじて外れた位置で、ケイリーたちは冒険者たちの確保に成功した。
「デイヴ、確保が済んだら即退避だ。あれとやり合う戦力はない。全力で街道まで戻れ」
状況を観察していたケイリーが、一見龍平たちを捨て石にするかのような命令を下す。
「承知! おい、おめぇさんたち、あとひと息だ。死ぬ気で走れ!」
デイヴも状況は把握している。
既に顔面を蒼白に染め上げ、肩で息をしている冒険者たちを蹴り飛ばす。
無理に加勢してレフィの行動を阻害するくらいなら、さっさと空間を空けた方がいい。
ケイリーも従者たちも、瞬時に判断していた。
デイヴが冒険者たちを叱咤する怒鳴り声は、龍の聴力がしっかり拾っていた。
向後の憂いがなくなったレフィは、龍平を乗せて四足歩行の姿勢で魔獣と対峙している。
レフィの口腔内に熱が収束し、両顎の隙間から漏れてくる光が赤から黄、次いで白から蒼へと色を変えていく。
そして、魔獣がレフィに向かって跳躍した瞬間、大きく首を振りかぶったレフィの口から、蒼い光弾が撃ち放たれた。
燃え広がるような炎ではなく、きらめくような光弾が宙空で魔獣の上半身をなぎ払う。
灼熱した鉄球に少量の水をかけたような音とともに、魔獣の上半身が消失した。
宙に残された魔獣の下半身が落下し、鈍い衝撃音が響く。
灼けただれた身体の断面から、血液が沸騰する音が漏れていた。
――すげぇ……。おし、レフィ、ぶっ放せっ!――
チビ龍とは桁違いの威力に、龍平は一瞬呆気にとられてしまった。
だが、すぐに気を取り直して、レフィに叫ぶ。
――無茶言わないでよ! 炎ならともかく、あれの連発なんて無理!――
レフィが即答し、牽制の赤い炎を残った魔獣に放つ。
それでも魔獣たちは、冒険者に追いすがろうと、邪魔なレフィに躍り掛かってきた。
――何だよ、使えねぇな。じゃあ、肉弾戦行ってみるか!――
龍平が手綱に持ち替え、腰から短剣を抜き放つ。
時代劇で見たことがある、騎馬戦を思い浮かべていた。
――嫌よ、そんなの! あれ食らったら、あなた溶けてなくなるわよ! 私は平気だけどね!――
魔獣の口から粘性の高い液体が連続して吐き出され、レフィの周辺に着弾する。
着弾地点では草木が溶解し、不気味な白い煙を上げている。
龍平を狙った溶解液を、翼で受け止めてレフィは叫んだ。
――ひょっとして、四つ足のままって、俺邪魔?――
思わず両腕で溶解液から顔をかばった龍平が、ポメルを握りなおしながら聞く。
レフィの機動に振り落とされないように、短剣は腰に戻していた。
――邪魔だからって、こんなとこで放り出せないでしょっ! 莫迦なこと言ってないで、掴まってなさい!――
龍平を叱りつけたレフィは、足下を狙ってきた溶解液を避けて宙に舞う。
そして、六体に討ち減らされた魔獣の頭上で、旋回を開始した。
魔獣がレフィを狙って溶解液を噴き上げるが、それははるか下方で放物線を描いて落ちていく。
三次元の機動には、ついてこられないようだった。
――うりゃ! 燃えて、なくなれぇぇぇぇぇっ!――
またレフィの口腔内に熱が収束し、炎の色が赤から黄へと変わっていく。
超高温の蒼白い光弾ではなく、連射の利く炎のブレスにレフィは切り替えた。
地上を跳ねる魔獣を炎の帯が捉え、体表を焦がし、体内を沸騰させた。
内と外から灼かれる身体を灼かれ、想像を絶する苦痛に魔獣がのたうち回る。
レフィが放つ高温のブレスに捉えられた魔獣は、焚き火に放り込まれた藁のように灼かれていく。
黄白色の閃光が瞬く度に、また一体、また一体と、黒こげの死体が転がっていった。
――リューヘー、見て見て! おかわりまで来たぁぁぁっ! まだ殺すぅ! あははははははっ!――
新たな魔獣の群れを視認したレフィが、嬉しそうに宙を舞う。
眼下に生き残った魔獣など、もう玩具にもならないと、殺戮の凄惨さを引き上げていく。
高速の緩降下で肉薄するレフィから、魔獣めがけて蒼い炎の帯が降り注いだ。
黄白色の炎で時間をかけて焼き殺すなど手ぬるいとばかりに、動物の身体を蒸発させるほどの高温が襲いかかる。
レーザーメスにも似た蒼白い光の帯が、魔獣の身体を袈裟懸けになぎ払う。
身体を無惨に両断された魔獣は一瞬で絶命するが、災厄はそれでは終わらなかった。
地に落ちた身体がレーザーの余熱で沸騰し、爆発四散する。
脳天から唐竹割りに分断された身体が、両側に倒れながら発火した。
レフィのブレスが終息したあと、そこは高温の炎による殺戮の見本市といった様相を呈している。
地上に動くものを探すなど、ナンセンスとしかいえない状態だった。
ヒキガエルのバケモノをすべて討ち倒したレフィは、新たに迫り来る魔獣の群れをにらみ据え、身の毛もよだつような哄笑を放った。
どう見てもトリガーハッピーじゃん。どうしよう、これ。
その魔獣の群れは、餌のにおいで狂乱の渦に陥っていた。
いつも狩るより濃厚なにおいが、一点から漂ってくる。
野生の獣肉より、はるかに旨そうな濃厚なにおい。
警戒心など、とうの昔に吹き飛んでいた。
「なんだ? あのバケモノ」
思わず龍平は声に出して叫ぶ。
姿形も異様だが、それ以上に数が多く広範囲に散らばっている。
いくらレフィでも、一撃で殲滅は無理そうだ。
龍平は不安げな視線を、ケイリーたちがいる方向に向けた。
人間を無理矢理全方向に引き延ばし、そして無様に太らせたような不格好な身体のフォルム。
鼻を上向きに潰し、口を引き裂き、牙を植え込んだような顔面に、醜い奥目が暗く鈍い光をたたえている。
家畜として飼われている豚を醜悪に作り替え、直立歩行をさせているかのようだった。
――あははははははっ! オークが、オークごときが、私を抜く? 冗談じゃないわ! 全部踏み潰してやる! 地獄で後悔なさい!――
レフィが哄笑とともに、オークの群れに襲いかかる。
それは、もう戦いではなく、一方的な蹂躙だった。
レフィの蹴りがオークの首を刎ね飛ばし、赤い炎が豚の丸焼きを量産する。
翼がオークの身体を両断し、尻尾の一振りが数体まとめて押し潰した。
――死にたくなければ逃げなさぁぁいっ! あはははははっ! ひはははっ! 逃がすわけ、ないでしょ! きゃははははははっ!――
龍平を乗せたまま哄笑を放ち、地表すれすれまでレフィが舞い降りた。
真一文字にオークの群れに突っ込み、当たるを幸いなぎ倒す。
逃げ散るオークを尻目に滞空したレフィが、眼下に転がる惨状に高温のブレスを叩きつけた。
既に息絶えた死体も、まだ息のあったオークも、ひとしなみに火炎が包み込み、地獄絵図がとめどなく広がっていく。
動くものなど、ただのひとつも見逃さないと、レフィが縦横無尽に宙を舞う。
軽快な急降下から身を翻す度、オークの群れから聞くに耐えない絶叫が沸き上がった。
辺り一面に肉片と臓物が飛び散り、蛋白質を焼き落とされた骨が転がっている。
死期線の痙攣以外で動くものがいなくなった中心に、聞く者の心を凍り付かせるような咆哮を放つ龍がいた。
――あははははははははっ! 見た、リューヘー? きゃははははははっ! オークがゴミみたいよ! ひゃははははっ!――
陶酔したような表情で、レフィが灼け焦げたオークの死体を踏みにじる。
龍平はレフィの首にしがみついたたまま、その凶行を止めることすら忘れて、不安と恐怖におののいていた。
吐き気すら忘れさせるような、酸鼻極めた光景が、赤い龍によく似合う。
これじゃ、まるで地獄の使者だ。
これがレフィの本性なのか。
これが、あのお茶目で、お淑やかで、やさしくて、そしてどこか抜けているレフィなのか。
それとも、龍の本性なのか。
龍平は、分からなくなっていた。
そのとき、龍の聴力が、悲鳴と怒号を捉えた。
ケイリーがいる方向から、龍でなければ聞きとれない闘争が伝わってきた。




