29.オーダーメイドとマッサージ
「本当にごめんなさいっ! 驚かす気とか、そういうのは一切なかったんですっ!」
テーブルに頭をしたたかに打ち付けながら、龍平が必死に謝っている。
横では小さくなったレフィが、椅子の上でしょげ返っていた。
「いえ、あたしも酷いところ見せてしまって……。こちらこそ、お客様に対して、あんなことになって申し訳ございません。あの、レフィちゃん、気を取り直してください」
ようやく失神から覚めたハミルが、ふたりに頭を下げた。
しばらく休憩してこいと大番頭に言われ、三人は近くの食堂に移動していた。
――……。――
レフィはハミルが謝っても、小さく頷くだけで返事をしない。
恐れられたことに、腹を立てて無視しているのではない。
人間との共生が困難だと、理解もしていた。
その覚悟も当然あった。
だが、現実は厳しかった。
受け入れてもらったと思っていたが、それは幻想であり、あっさりと打ち砕かれていた。
小さいからこそ、危険ではないと見られていた。
それが人間に危害を加えることが可能な大きさになった途端、問答無用で恐怖されてしまった。
やはり、すこぶる付きに凶悪とされる幻獣と、人間の共生など夢物語なのだと、レフィは打ちのめされていた。
レフィの目から、涙がこぼれ落ちた。
――いいえ、ハミルさん。あなたが謝ることなんてないの。リューヘー、私、幻霧の森に帰るわ。そこでセリスと一緒に、あなたを待ってる――
無理矢理笑顔を作ったような声で、レフィは一気に言い切った。
もし、途中で言葉を区切ろうものなら、決意が揺らぐとでも言うかのように。
ゆっくりと翼を広げて宙に浮き、一気に飛び去ろうと身を翻した瞬間。
尻尾をリューヘーが掴み止めた。
レフィは、上方二五度の方向に飛ぼうとした。
龍平はレフィのベクトルと同一線上の、下方四五度に引き戻そうとした。
レフィの身体に、二方向のベクトルが作用する。
ふたりの力が同等として、二方向のベクトルの和は、それぞれの力を辺とする平行四辺形の対角線だ。
したがって、レフィには飛ぼうとした方向の、下方五五度に向かうベクトルが作用する。
その方向には、空席のテーブルがあった。
勢い余ったレフィは、顔面から隣のテーブルに突っ込んだ。
そのまま固まる三人。
先生っ! シリアスが息してないのっ!
「なあ、レフィ――」
「だめですっ! レフィちゃんっ! 逃げちゃだめですっ! リューヘーさんと一緒にいなきゃ、だめですっ!」
龍平が何かを言おうとしたとき、ハミルがレフィに叱咤を送った。
もう、そこには龍を恐れて失神した、無様な少女の面影はない。
レフィの胸の内を察し、それを応援しようとする友の顔だった。
自分の失態で、友を大切に思う人と離れさせるなど、自分を許せない。
レフィのつらさを、全部受け止められるわけではない。
自身のエゴだと認識した上で、それでもハミルはレフィを引き留めた。
残ることで襲い来る後悔より、逃げたことに押し潰される後悔の方が、絶対に深くなる。
襲い来る後悔なら、大切に思う人とふたりで立ち向かえる。
もし、ふたりで足りないなら、あたしがいる。
その決意を視線に乗せ、ハミルはレフィの背中を見つめていた。
マズルをさすりながら、レフィがゆっくりと身体を起こした。
涙ににじんだ虹彩が広がり、つぶらな瞳になっている。
――いいの? 私、いても、いいの?――
普段は強気なレフィの目から、涙が止めどなく溢れていた。
龍平は、それを黙って見ている。
龍平とハミルは、数瞬の間のあと、笑顔で頷く。
レフィが、龍平の胸に飛び込んできた。
ハミルはレフィの正体を知らない。
ハミルにとって、レフィは人語を解し、人の心の機微を解する幻獣だった。
レフィにしてみれば、公爵家令嬢としてではなく、初めて同世代の女の子として接してくれたのがハミルだった。
友として認識したならば、多少の意識のズレなどあとで埋めればいい。
「うんうん、レフィちゃんかわいいもの。大丈夫だよ、気にしないで。きっと、リューへーさん乗せたら、レフィちゃん格好いいよ」
レフィを撫でながら慰めるハミルを見ながら、龍平は胸を撫で下ろしていた。
レフィのプライドを傷つけずに、どうやって説得するか龍平は悩んでいた。
だが、そこは女の子同士なのだろうか、あっさりとハミルはレフィを立ち直らせていた。
学校でドロドロとした女の子同士の争いを見ていた過去は、とりあえず封印しておこう。龍平はそう決めた。
――リューヘー、ごめんなさい。忘れていただければ、嬉しいかしら――
ハミルから焼き菓子をもらいながら、レフィは龍平に謝った。
大丈夫。気にしてないさ。つらいときはお互い様だよ。龍平は言葉に出さず、頷いた。
「ハミルさん、ありがとう。改めてお礼がしたいから、今度食事を俺たちからごちそうさせてくれないか?」
下心と勘違いされないように、龍平は言葉を選んだ。
年齢ほぼイコール彼女なし歴な龍平に、スマートな誘い文句など期待できない。できるはずがない。
半ばひきつったような龍平の笑顔に、ハミルは照れくさそうに頷いた。
もちろん、レフィを見ながら。
「しかし、俺を乗せたらレフィ格好いいか。いいだろうなぁ。なんたって、ドラゴンライダーだもんな。俺も少しは格好つくかなぁ」
わざとらしい賛意の強要は、ひきつったハミルの笑みで返された。
まあ、あれだよ。察しろよ。
ここはヨーロッパ風味だろ。
君の顔、凹凸に欠けるんだ。こちらの平均から見ると。
君だってそうだろ?
ぺたんこより凹凸があった方が好きだろ?
まあ、そういうことだ。
「それでは、改めまして。いらっしゃいませ。ヴァリー商会へようこそ。本日はどのような御用向きでしょうか」
食堂から戻り、ハミルは仕事に復帰した。
赤毛のショートボブを揺らし、龍平たちに来店の挨拶をした。
レフィは食堂から出たあと、身の丈二メートルの騎乗サイズになっている。
店に戻る途中ですれ違ったひとびとは一瞬驚いていたが、龍平たちを見て胸を撫で下ろしていた。
人と一緒なら大丈夫との思いを込めて、ハミルは思いながらレフィを見る。
ハミルの朱い瞳は、深紅に染め上げられたレフィの身体を改めて観察し、それに合う鞍を探していた。
「う~ん。リューヘーさんをお乗せて飛ぶんですよね?」
先ほどまでとは違い、接客モードでレフィに尋ねる。
馬用の鞍を転用しようにも、フィットする位置は羽ばたきの妨げになりそうだ。
「ちょっと、乗っていただけませんか? その前に、詳しい者を呼んで参りますので、少々お待ちくださいませ」
どのような乗り方を想定しているか、そういえばまだ聞いてなかった。
普通の馬と同様には考えることはできないため、ハミルはベテランの店員を呼ぶことにした。
「また、難しい注文だな。こちらのお客様か、ハミル? お待たせいたしました。主任のカタストと申します。お客様のご希望をお伺いいたします」
いかにもベテランといった雰囲気をまとい、自身に満ち溢れた男がハミルに連れられてきた。
丁寧な挨拶のあと、龍平の注文をひと通り聞き、ハミル同様騎乗するように言う。
龍平はレフィに四足歩行になってもらい、首の付け根に跨がってみせる。
馬のような轡に手綱をつけることは、どう見ても無理そうだった。
「お客様、こちらのレフィ様に合う鞍は、特注でなければ対応はできません。お急ぎでしたら、既存の製品に詰め物をして対処いたしますが、いかがでございましょうか」
やはり、予想通りだ。
レフィの首は馬より太いとはいえ、その胴回りほどではない。
子馬の調教用でも、少しぐらついてしまうだろう。
だが、急機動を控えるのであれば、詰め物で急場をしのいでおくのも手だった。
「では、鞍は特注するとして、当面はそれでお願いします。あぶみもお願いします。それから、手綱ですが……」
レフィがまっすぐ前しか向かないなら、馬の轡でも構わない。
だが、それでは首の自由度を妨げるだけだ。
馬に比べてレフィの首は長く、そしてしなやかだ。
自由に首を動かすと、手綱が弛みすぎて踏ん張れない。
レフィと龍平が意志の疎通に手綱を必要としないのであれば、いっそ首の途中に手綱をつければいい。
さもなくば、鞍に持ち手をつければよさそうだった。
あとはデザインと、使い勝手の問題だ。
そして、騎乗時以外、レフィが小さいままでいるなら、収納や運搬の利便性が求められる。
特注品のデザインは後回しにするとして、急場しのぎの鞍の制作に取りかかる。
龍騎乗用の鞍など初めての試みであり、特注品の試作も兼ねているため、さまざまな意見が飛び交った。
カタストが龍平とレフィの希望を聞き取り、羊皮紙に鞍のアウトラインを手際よくまとめていく。 そして、午後いっぱいかけて、レフィ専用の鞍の仕様が決まっていく。
「お客様のご要望を入れますと、まず木製ではなく、革製がよろしいかと存じます」
カタストが荒いデッサンを元に説明を始めた。
龍平もレフィも技術的なことは解らないので、素直に聞くだけだ。
「座る部分と股ずれを防ぐ腿当ては、ベルトでつなぎ、金属製のリベットで固定します。あぶみも同様に革製で、ベルトをリベットでつなぎますが、足を乗せる部分は木の中敷きを入れましょう」
これで踏ん張りが段違いに効くらしい。
金属製の中敷きもあるが、錆に弱く、加工に時間がかかるそうだ。
「緊急時、とっさに離脱できるように、あぶみにかかとを保持するパーツはつけません。それから、レフィ様が背面飛行をなさった場合に備え、鞍に身体を保持するためのベルトをつけます」
シートベルトは不可欠だ。
レフィの首にしがみつくだけでは、間違いなく振り落とされる。
「ベルトの着脱はボタンを押すだけで、とのご希望ですが、初めての試みになりますので、試作が成功するまでは従来の爪式バックルとさせていただきます」
地球では当たり前の、ワンタッチ式着脱だ。
だが、この世界この時代にはまだなく、龍平も細かい仕組みは解らない。
「身体を保持するための掴み部分はアーチ状とし、鋲ではなく革で板を挟み、ネジ留めとします。これで両手で掴むことも、手綱を持ち替える必要もございません」
イメージとしてはロデオの鞍にある握りではなく、体操競技の鞍馬にあるポメルだ。
そして、補助の手綱は革製の首輪を用い、鞍の前に取り付けることになった。
その他、収納や運搬を考慮して背もたれはつけないなど、さまざまな仕様が決められていく。
その間、ずっと四足歩行になっていたレフィは、もう身体がガチガチだ。
よし、決めたわ。
今夜はセリスがとろけていたマッサージを、リューヘーやらせるの。
「リューヘー様、だいたいこれでよろしいでしょうか。よろしければ、材料をそろえ次第製作に取りかかります。九日後にお使いの鞍は明日調整したいと存じますが、お時間を頂くことは可能でしょうか」
カタストが、テーブルに広げられた羊皮紙をそろえながら、龍平に尋ねる。
元々予定などないふたりは、ふたつ返事で了承した。
「それでは準備もございますので、明日も午後一番からで、いかがでございましょう。レフィ様にぴったりのデザインを、ご用意してお待ちいたしております」
そういってカタストは席を立つ。
龍平も立ち上がり、求められるままに握手した。
「初めての試みに、久々に心沸き立つ思いでございます。このような機会をお与えくださったリューヘー様、レフィ様に心よりの感謝を。それでは明日、お待ち申し上げております」
カタストは、若造相手でも決して手を抜くことなく、最後の挨拶も完璧な作法でこなして見せた。
龍平は、生まれて初めて手本とすべき大人を、見せつけられたような気に囚われていた。
「リューヘー様、レフィ様、今日はお疲れさまでした。明日もお待ちしてますね」
同世代の気安さなのか、完璧な作法への照れなのか、ハミルが少しだけ砕けた挨拶をした。
それでも最後に見せた見事な姿勢のお辞儀は、さすが客商売を生業とする者といったところだった。
――リューヘー、早く帰りましょう。で、その後お願いがあるの――
鞍の話がスムースに決まったせいで気が抜けたのか、龍平はあっさりとレフィに頷いた。
このあとに何が待っているかも知らずに。
夜、秋の気配が、濃厚に降りていた。 宿の一室は、くぐもったような幻獣のうめきで満たされている。
ベッドに長々と伸びた龍の身の丈は、約二メートル。
そしてその倍はあろうかという長大な尻尾が、床の上でときおり跳ねていた。
――ひゃん! あっ……ああ……。痛っ……んんっ! ……だめ……リューヘー……もっと……やさ、しく……して――
その龍に跨がった龍平が、汗だくでマッサージを続けている。
首から始めた施術は、ようやく肩から腕を終え、これから翼、背中、腰へと続いていく。
――……ん……いい……そこ……ああっ! ……気持ち……いい……――
もう一時間が過ぎようとしているが、まだ中盤にもさしかかっていない。
安易に引き受けたことを、龍平は後悔し始めていた。
――……すご……それ……すごいよぉっ! ……あふ……ひぅ……あんっ! ……ふぁ――
君たち、もう異種○タグ付けましょうかねぇ。
さらに一時間が経過した。
もうレフィはとろけきったのか、かすかな鳴き声すらあがらなくなり、喉をぐるぐる鳴らすだけになっている。
龍平が投げ出された足を掴み、合ってるかどうか分からないまま、当てずっぽうで足ツボに指をねじ当てた。
普段から裸足で歩く、分厚く硬い皮膚を持つ龍の足の裏に、土踏まずを探り当てた瞬間。
――あだだだだだだだだだだっ! それぇぇっ、やめぇぇぇっ! やめてぇぇぇぇぇぇっ! 痛いぃぃぃぃぃぃっ! それ痛いのぉぉぉっ!――
唐突に龍が空気を引き裂くような咆哮をあげ、痛みに耐えかねたかのたうち回る。
龍平は逃すまいと脚を抱え込み、さらにツボを探って握り込んだ人差し指の第二関接をねじ込んでいく。
「どうだ、ドラゴンの身体でも、これは耐えられまい。そうだ、もっといい声で鳴け、レフィ。もうだめか? 限界か? 許してほしいか? 許してくださいと、言えぇぇぇっ!」
あんた、よく、じゅうはちきんな台詞がすらすら出てくるな。
容赦なく続く足の裏への蹂躙に、龍が涙を流してのたうち回る。
龍平がとどめとばかりに足指の付け根をこじりあげると、龍の身体が小さく痙攣を始めた。
――ゆる……ゆるひて……ゆるひて、くらひゃあああぁぁぁっ! リューヘ……酷い……よぉ……もう……らめ……れひゅ……ゆるひて……くらひゃい……――
龍がぴくりとも動かなくなり、龍平は足を解放した。
勝った。完全KO。完封勝利。
龍平は、満足げにレフィを見下ろした。
ベッドに長々と伸びた龍に、そっと毛布をかけてやる。
もうレフィに動く気力はない。
今夜は、ベッドを諦めなければならないだろう。
龍平はソファに横になると、毛布をかぶった。
普通の人間の倍に達する面積のマッサージをやりきった後は、さすがに疲労困憊だ。
今夜はよく眠れるだろうと、龍平は目を閉じた。
そこへ、レフィからかすかな念話が届く。
――リューヘー、とってもよかった。また、してくれる?――
飛び起きた龍平が、レフィの足を捕まえた。
おまえも変なノリにつきあうなよ、トカゲ姫。
「今してやるっ! ここだけしてやるっ! やだっつってもしてやるっ!」
脳天まで突き抜ける鋭い痛みに、レフィが悲鳴を上げた。
――あだだだだだだだだぁっ!――
せっかく寝ようとしたのに。
もう容赦しねぇ。
「許してくださいと言えぇぇぇぇぇぇっ!」
――言うっ! 言うからっ! ちょーしのりまひたぁっ! ゆるひてくらひゃいぃぃぃぃぃっ!――
龍平の叫びに、レフィの悲鳴が重なった。
君たち、他の部屋からの苦情、覚悟しときなさい。




