28.ドラゴンライダー
陽が昇り、町が目覚め、ひとびとが動き出す。
さわやかなはずの朝、龍平はどんよりとした目覚めだった。
いろいろ覚悟はできていたはずだった。
世の中、そう都合のいい話は、転がっていない。
いや、既に都合のいい話はいくらでもあった。
ただ、当たり前のように毎日をすごしていたから、そのありがたみに気づかなかっただけだった。
霧の中で凍死する前に、ワーズパイトの館にたどり着けた。
そもそも、あの霧の中で夜明かしをしなくて済んでいた。
たどり着いた館は、廃屋ではなかった。
食べ物も、温かいベッドもあり、何よりも受け入れてくれたセリスがいた。
何の取り柄もない高校生に、驚くほどの魔力があった。
何の取り柄もない高校生に、剣も弓も格闘技も教えてくれた。
龍がいた。地球では想像上の生物でしかない龍がいた。
気が合わないと思っていたら、やっぱり気が合わなかったけど、何の遠慮もいらない大切な仲間になってくれた。照れくさくて言えないけど。
町に来るまでも、いくつもの都合のいい展開があった。
町に来てからも、いくつもの都合のいい展開があった。
だから、ひとつくらいは、我慢しなくちゃいけない。
それは解ってる。
でも、よりによって、異世界ロマンの結晶でもある冒険者ギルドが、こんなに世知辛いとは。
龍平の憧れ、トリプルエスランクなど存在しないとは。
龍平は納得がいかなかった。
納得できないからといって、どうなることでもないのだが。
「おはようございます、クマノ様。ご領主より、身分保証の文書を預かってめぇりやした。どうぞ、お検めを」
デイヴが懐から一通の書類を取り出し、龍平に渡す。
ケイリーがしたためた、龍平の身分保証だ。
さすがに異世界人と書くわけにはいかず、出身地は不明とされている。
ガルジオンで公表しているとはいえ、誤召喚の件も一応伏せてあった。
そのためケイリーとの縁は、街道警備で盗賊団に囚われていたところを救出したことになっている。
当然レフィも、そのときに保護したことにしてあった。
「おはようございます、デイヴさん。わざわざありがとうございます。お手間ばかり取らせてしまって」
龍平は挨拶を返し、書類を受け取った。
いくら納得いかずにすっきりしなかろうが、人様がわざわざ手間をかけてくれているのにどんよりしているわけにはいかない。
「確かにお渡ししやしたぜ。ご領主にクマノ様がレフィ様に騎乗するとお伝えしやしたが、ずいぶんと楽しみにしているようでやした。あっしも九日後を楽しみにしておりやす。では、あっしはこれで失礼いたしやす」
改めて礼を言いながら、デイヴを見送った龍平は、そそくさと出かける支度を整えて部屋を出る。
さあ、気分を一新して、龍騎士の騎乗具をそろえよう。
――やっと立ち直ったようね、リューヘー。またギルドで落ち込まないでほしいわね――
支度など必要のないレフィが、宿の玄関から飛んできた。
いつもならそのまま飛んでいくのだが、今朝は龍平の肩を止まり木代わりにちょこんと止まる。
それなりに体重があるはずだが、レフィは風の魔法で身体を浮かせていた。
これなら龍平の肩に、体重はかからない。
そもそも、龍の飛翔は空気を利用していない。
翼に込められた体内魔力と、周囲に集まる自然魔力の反発を利用していた。
そうでもなければ、この翼の面積であの体重を宙に浮かせることなどできない。
無尽蔵とも言われる莫大な体内魔力を誇る龍でなければ、到底無理なことだった。
「よし、行くか。先にギルドの登録済ませちまおうぜ」
受付の女将にひと声かけ、龍平とレフィはギルドへと向かった。
さすがに今朝は、途中で喧嘩などする気もない。
もっとも、この町について以来、ふたりの喧嘩の原因は買い食いの取り合いがほとんどだ。
それさえなければ、理由もなく喧嘩するほど莫迦ではない。はず。……だよな。ちょっと心配。
「――うるせぇぇぇっ! この、みっちりトカゲ姫ぇぇぇっ!」
――ぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ! 乙女の体重にふれるなぁぁぁぁぁあああぁぁぁっ! 消し飛べぇぇぇっ! 莫迦ぁぁぁぁぁぁっ!――
前言撤回。
よりにもよって、体重に触れたらしい。
「ここでいいんだよな……」
セルニア西門近くの大きな建物の前で、龍平は看板を確認していた。
間違いなく、セルニア冒険者互助会事務所、書かれた看板が掲げられている。
レフィを肩に乗せたまま、龍平はドアをくぐる。
そして中を見渡し、何となく懐かしい思いに囚われた。
フロアの三分の二ほどが職員の事務スペースで占められ、残り三分の一に待合い用のベンチや、書類を書く台が置かれている。
どう見ても、地方の役所。それも支所の受付そっくりだった。
お決まりの酒場も、見あたらない。
だが、何か料理のにおいは漂っている。
別のフロアにあるか、部屋が仕切られているのかもしれない。
これでは、新入りに絡むうだつの上がらない中堅イベントも、起きることはない。
もちろん、龍平はそんなこと望んでいないが。
ただし、かわいい女の子とのフラグも立たない。
これについては、盛大に文句を言いたかった。
勝てるかどうかも判らないくせに。
せめてもの救いは、幻獣や魔獣の出現情報が書き込まれた掲示板だろうか。
だが、そこに依頼書のような書類は、見あたらない。
ただ、出現情報と、討伐に当たっての注意事項が列記されているだけだった。
書かれている内容は、移動に必要な日数の目安、討伐証明部位、そして基本料金に特に注意すべき事項だ。
そして、その横には指名やパーティ名と、数字が並んでいる。
討伐に向かった者と、期日のようだった。
「どこまで俺の期待を裏切れば気が済むんだ、ど畜生」
龍平は小さく呟き、登録カウンターを探す。
そして、新規、転出、転入、廃業、各申請と書かれた天井から吊されたプレートを発見し、その下へと足を運んだ。完全に役所じゃん、これ。
「ようこそ、セルニア冒険者互助会へ。初めてですね。新規登録でよろしいでしょうか。どうぞ、お掛けください」
カウンターの奥にある机で事務仕事をしていた女性が、龍平を見て出てきてくれた。
そして、一枚の紙を取り出し、龍平に差し出した。
「必要事項をご記入の上、身分保証の書類と併せて、ご提出いただきます。代筆は必要ですか?」
やはり、識字率は全体に低いようだ。
そして、読めても書けない者が、圧倒的に多いらしい。
それはそうだろう。
字が読めなければ、そして簡単な文章が読めなければ、掲示板など役に立たない。
冒険者にとって、情報は命だ。
誰もが必死になって、最低限の読み書きを修得していた。
もっとも、中には自分の名前だけ書けるようにして、あとは仲間に頼りきりという者もいる。
だが、ほとんどの冒険者は、掲示板レベルであれば、何とか読みこなせるくらいに努力は払っていた。
「俺は大丈夫です。こっちのドラゴンの分は、俺が代筆でも構いませんか? 文字も文章も読めるんですが、ペンを持てませんので」
サクサクと自分の書類を書き上げ、受付の女性にレフィの分を聞いてみる。
委任状だの面倒があるなら、有料でもいいから代筆を頼もうと考えたからだ。
「いえ、構いません。こちらで代筆確認のサインを入れますので、それで大丈夫です。しかし、珍しいですね。普通は登録まではしないのですが」
幻獣や魔獣の他に、野生動物を飼い慣らして討伐のパートナーとして連れ歩く冒険者もいる。
だが、そのほとんどはパートナーを冒険者登録するのではなく、自身の登録証の備考欄にパートナーとして記載している。
意志の疎通はできても、会話までできるパートナーはまずいない。
となれば、登録したところで意味がない。
ギルドの職員と会話ができなければ、名指し依頼の打ち合わせも無理だ。
それでは冒険者として、認めるわけにはいかなかった。
「そうなんですか。では、種族はどうなされますか? 初めての方なのであまり意味はないのですが、種族の特性で依頼がくることもあります。ですので種族の記入は必須とさせていただいております」
淡々と女性は説明している。
龍平は知る由もなかったが、特定の冒険者に肩入れをしないための配慮だった。
「はい、では赤龍で。俺は……この普人族ですね?」
何となく、肩すかしを食った気分で、龍平はふたり分の書類を埋めていく。
ほどなくして書き上げ、受付の女性に書類を渡した。
「これで登録は完了です。身分証を発行しますので、その間に規則の説明をしておきますね」
奥の事務員に書類を渡すと、受付の女性が小冊子を取り出した。
それを広げながら、説明を始める。
「あとで、これを熟読しておいてください」
登録料は銀貨一枚。
いかなる理由があろうと、返却はしない。
掲示板に書き出された討伐は、基本的に早い者勝ち。
自分で選び、横に自身が設定した履行期限とサインを記入すれば、それで優先権ができる。
記入に使用するペンは、ギルド職員のみが消すことができる。
現地での横取りは厳禁。
発覚した場合は、その状況に応じた罰則がある。
失敗判定は、記入された履行期限が過ぎるか、自己申告による。
その場合の罰則はなし。
討伐の証明部位の提出で討伐の基本料金が支払われる。
それ以上は、素材の買い取りでまかなう。
そして、自家消費以外で、ギルドを通さず業者に素材を売却することは厳禁。
それが発覚すれば、状況に応じた罰則がある。
職人が自身の店に卸す場合は、これに当たらない。
討伐以外に薬草等の採集があるが、ほとんどは採集者の護衛依頼になり、指名依頼となっている。
したがって、掲示板に張り出された採集依頼は、相当な危険を伴うため選択には慎重な判断が必要となる。
ギルドを通して依頼が来るが、それはすべて指名依頼となっている。
指名実績がない者は、普段の仕事に対する態度を見て、ギルドから指名依頼への推薦がある。
指名依頼を失敗しても基本的にギルドからの罰則はないが、信用が落ちることは覚悟しておくこと。
依頼主から賠償責任を問われた場合は、ギルドと協議の上対応を決める。
ギルドとはそのような事態に対応するための組織であり、依頼人を放置して逃亡するなど悪質な場合を除き、冒険者を全面的にバックアップし、賠償金の立て替え等を行う。
どの仕事も自己責任。
遭難者の捜索は、依頼がなければ行わない。
登録証は身分証明を兼ねるため、常に携帯し、提示を求められた場合拒否はできない。
再発行は身分保証の書類を添え、手数料青銅貨五枚が必要。
長い説明が終わる頃、ふたりの登録証ができてきた。
そのための時間潰しも兼ねていたらしい。
渡された登録証には、登録番号、氏名、登録暦と年齢、身分保証人が記載されている。
年齢覧に二一七と書き込まれたレフィが、恨みがましそうな目で龍平をにらんでいた。
もちろん、書いたのは龍平だ。
そして、当然のことだが、要らぬ混乱を避けるため、レフィの本名は書いていなかった。
「これで、おふたりとも当ギルドの登録冒険者となりました。立場を自覚し、規約を尊守して、町の皆さんの手本となるよう心がけてください。町中で取っ組み合いなんか、もうしないでくださいよ」
知られてた。
当たり前か。
「それと、胴元はギルドが仕切りますので、勝手にやらないでください」
知られてた。
でも、濡れ衣。
「勝手にやってるのは町の人です。俺たちには銅貨一枚も入ってきません。あと、こいつから仕掛けてこない限り、俺はやりませんから」
前半は切実に。
後半はいけしゃあしゃあと龍平が言った。
――何よ、仕掛けてるのはあなたじゃないっ! 言いがかりはやめてよねっ!――
レフィが濡れ衣は許さないとばかりに、即ヒートアップする。
瞬間湯沸かしトカゲめ。
「はいはい、今言ったばかりでしょう。やるなら、表でやってください。あと、ギルドが仕切っても、あなた方には銅貨一枚も入りません。後始末の手数料として、ギルドが全額いただきますからね」
慣れているのか、さっくりとふたりの機先を殺いでいく。
何となく白けたふたりは、すごすごと鉾を収めるしかなかった。
釈然としないまま、ギルドをあとにしたふたりは、宿で聞いてきた道具屋へと向かう。
いよいよ、ドラゴンライダーへの道を踏み出すかと思うと、龍平はさっきまでとは打って変わり、テンションが上がり始めた。
――ねぇ、リューヘー、あなたさっきまでとは、ずいぶんと様子が違うわね。何をそんなに浮かれているのかしら?――
今にも鼻歌でも歌い出しそうな龍平に、レフィは不思議そうに聞いた。
昨日から龍平の機嫌は、浮き沈みが激しすぎる。
「ん~? いや、夢が叶うかと思うとさ。えっと、レフィに乗るとき、どんな感じがいいのかな?」
既に龍平の頭の中は、槍を携えてレフィに騎乗する自身の勇姿に占められている。
――そうねぇ……。首に跨がってもらうのが、一番安定するかしら。肩車する感じ?背中だと羽ばたけなくなるから、肩に乗ってもらうしかないわね――
龍平を乗せて飛ぶ光景を思い浮かべ、レフィは考えながら言う。
確かに、背中の方が跨がりやすいかもしれないが、翼で龍平の視界が遮られる。
「そっか、そっか。うん、イメージ浮かんできた。あぁ、轡はいらないか。手綱も考え方を変えよう。要は急機動の時に、振り落とされないようにすればいいんだからな。そうすると、二点式でもいいから、シートベルトは必須だな」
レフィの肩の辺りを見下ろしながら、イメージを膨らませる龍平。
端から見てると、意外と気持ち悪い顔になっている。
まるで、服の胸元からおっぱいを覗こうとしているかのように、鼻の下が不自然に伸びていた。
レフィは、何ともいえない寒気を、肩から胸元に感じていた。
おっぱい、ないけどな。
――あ、あれじゃないかしら。早く行きましょう。既製品であればいいけど、作ってもらうのでは遠乗りに間に合わなくなるわ――
どう考えても、龍用の鞍などあるはずがない。
間違いなくオーダーメイドになり、遠乗りには間に合わない可能性が高い。
今慌てたところで、納品が日単位で短縮できるわけでもない。
それでもレフィは本能的に危険を感じたか、龍平の不気味な視線から逃れるように先を急いだ。
「ごめんください。騎乗用の道具一式で相談があるんですが」
かなりの規模を持つ店に入り、龍平は手近な店員を捕まえた。
品質や品ぞろえは平均的だが、その分初心者に優しい店だ。
高性能な品質を求めるベテランは、それぞれ贔屓の店を持っているが、どれも癖やあくが強く、初心者向けとは言い難い。
求める性能の方向性が決まっていなければ、見当違いの店に入ってしまい、お互い時間の浪費になってしまう。
その点、初心者向けの店であれば、広く薄くではあるが、たいがいハズレは掴まされないから安心だった。
もっとも、龍平とレフィが求める物が、初心者向けにあればの話だが。
宿の従業員は、レフィに騎乗すると聞いて、普通に四足歩行で背中に乗ると理解した。
レフィが飛べることは解っているが、飛行竜騎兵など存在しない世界では、やはり常識の枠からは出られなかった。
「いらっしゃいませ。ヴァリー商会へようこそ。本日はどのような御用向きでしょうか」
初心者丸出しの龍平を見ても、同世代とおぼしき女性の店員は丁寧に対応してきた。
これから長く利用してくれる可能性を持つ者に、高圧的に接してもいいことなど何もないと、きちんと教育されているようだ。
「はい、こいつに騎乗するんですけど、それに見合う物一式、見繕っていただけますか?」
こんなときは、丸投げに限る。
知ったか振りなどして、話がこんがらがってはろくなことにならない。
だが、店員からは、訝しげな視線だけが返された。
こいつに乗ると指差されたレフィは、どう見ても龍平の三分の一以下の身の丈だ。
「あ、そうですよね。身体大きくするんで、驚かないでくださいね」
こんな小さなドラゴンに乗るなど、虐待じゃなかろうかという店員の視線に龍平は気づいた。
昨日のデイヴが見せた反応を思い出し、店員に注意を促してからレフィに身体を大きくしてもらう。
「食べ、ない……で」
店員が腰を抜かした。
自身の身の丈をはるかに越えた高みから、つり上がった双眸にはめ込まれた、虹彩を縦に絞り込んだ瞳が見下ろしている。
長いマズルの付け根まで裂けた両顎には、鋭い牙が並んでいた。
たくましい両腕に備えられた掌の指には、牙に勝るとも劣らない爪が生えている。
深紅の翼の鉤爪は、人間の首などチーズでも切るかのように切断しそうな輝きを持っていた。
荒事を生業とするデイヴだからこそ驚愕で済んでいたが、普通の町娘に鋼鉄の神経を求めてることは酷だった。
「ああっ! ちょっと、大丈夫ですかっ? 誰かっ!」
――あなた、気を確かに……――
慌てた龍平が助けを呼び、レフィが介抱しようと店員に近寄った。
この世のものとは思えない凶相が、店員の目の前にあった。
「あふぅ……」
並の神経には、少々刺激が強すぎた。
店員は、心を崩壊から守るため、意識を空の彼方へとぶん投げていた。
――あ、ちょっと?――
ぺたんと床に座り込んだまま、仰向けに倒れ込む店員を、レフィが慌てて抱き留めた。
どうしていいか分からず、抱き留めた店員を見下ろすレフィ。
どう見ても食おうとしてるようにしか見えないけどな。
「だぁ~っ! このアホトカゲぇっ! 何で力一杯事態を悪化させてやがんだよっ! 誰か来てくださぁぁぁいっ!」
下手にレフィを引き剥がしても、それはそれで問題が大きくなる。
いきなり女性を失神させた若い男が、その女性を抱きしめていたら誘拐を疑われてもおかしくない。
白昼堂々と、店先から女性を誘拐するような大胆な犯行など、普通であれば考えられない。
だが、横に凶悪な幻獣が控えていれば、いきなり説得力が跳ね上がる。
秋の気配を感じさせる陽光の下、平和なはずの店先は、一気にカオスと化していた。




