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転生龍は人と暮らす  作者: くらいさおら
第一章 幻霧の森
20/98

20.ワーズパイトの価値、龍平の価値

 龍平とレフィの取っ組み合いは、セリスの介入によって強制的に終了させられた。

 龍平の背後に回ったセリスが、レフィの尻尾を強引にほどき、そのままチョークスリーパーで龍平を絞め落としていた。



「……ん。……これで……静かに……話が……できる。……フォルシティ卿……無礼を……お許し……ください」


 セリスはレフィの手を借りて、龍平をマッサージ用ベッドに寝かせ、ミッケルに深々と頭を下げた。


――私としたことが、少しおふざけがすぎたようで。フォルシティ卿、ご容赦くださいませ――


 レフィもふざけすぎた自覚があるからか、公爵家令嬢を彷彿とさせる所作で一礼する。


「おふたりは、ずいぶんと仲がよろしいようで。実に微笑ましく拝見いたしました。では、リューヘー殿を王都にお連れする件につきましては、よろしいでしょうか?」


 ミッケルが小さく笑いながら、話を進める。

 先ほどの光景を目にして、この龍が悪意を以て人を害することはないと、確信していた。


「……はい」


――卿のよろしいように――


 ふたりから了承の返答が返される。

 レフィは何か言いたそうだったが、それ以上は何も言わなかった。


「リューヘー殿のご意向は、確認しなくてもよろしいのですか?」


 次の話題へ進んでいいか、という問いだった。

 だが、王都行きそのものの、了解が返ってきてしまった。

 ミッケルは少しだけ戸惑い、慌てて問い返す。


「……ん。……リューヘーの……答えは……聞く……必要……ない。……私は……ふたりを……送り……出す。……これは……決定……事項」


 一旦言葉を聞ったセリスは、龍平に視線を走らせてからミッケルに向き直る。


――念話で失礼いたします。ふたりは王都に行くべきかと。ここで私とだけ暮らしていては、ふたりは幸せにはなれません。人の間に住み、溶け込まなければ、必ず不幸になるでしょう。フォルシティ卿、お願いいたします――


 セリスは、龍平とレフィと出会って以来、ずっと考えていたことを、ミッケルに伝えた。


 寂しくはあるが、迷いはない。

 それに、ふたりが二度と戻らないとは、セリスは露ほども思っていない。

 折に触れては帰ってくることを、セリスは信じていた。


「承知いたしました、セリス殿。このミッケル、全力を尽くす所存。殿下、よろしゅうございますな?」


 改めて力強くミッケルは宣言した。

 そして、レフィの首肯を見て、今度こそ話題を変える。



「実は、こちらへ訪れた理由が、もうひとつございます。セリス殿、ワーズパイト様の著書ですが、人をよこしての写本をご許可いただけないでしょうか」


 この館は、知の宝庫だ。

 世界にどれほどの恩恵をもたらすか、計り知れないものがある。


 このまま、ここに埋もれさせては、世界にとっての損失だ。

 だからといって無闇に持ち出して、失うことも世界の損失だ。

 いや、埋もれさせることも、失うことも、世界に対する背信だ。


――そうね、私もここに来た理由のひとつが、ワーズパイト様の原本に触れられるからだったし。でも、セリスの目を盗んで、持ち出そうとする輩がいないとは限らないわ。目がくらんでも仕方ないもの。ここの蔵書は――


 この時代、この世界において、書物は現代日本とは、比べものにならないほどの価値を持っている。

 写本ですら庶民には手のでない価格で、売買されている。


 ましてやそれが著名人の原本ともなれば、その価値は計り知れない。

 したがって、原本をここから移すことは、あまりにも危険が大きすぎる。


 しかし、見て知ってしまった以上、このままというわけにも行かない。

 そのための妥協点が、写本だった。



「……ん。……いくつか……問題を……解決……すれば……私は……歓迎……する」


 当然、セリスに嫌はない。

 本とは読まれてこそだと、セリスは信じている。


 信用のおける人物であれば、いつでも歓迎する。

 だが、それに紛れて邪な者が、幻霧の森への侵入を企てるであろうことも分かりきったことだ。


 あとは、それをどう防ぐか。

 ワーズパイトの館から原本を持ち出すことは、セリスが許さない。見逃すはずがない。


 それを、力ずくで阻止するだけの実力もある。

 しかし、セリスとて万能ではない。


 例えば、レフィの全力には抗えない。

 死にはしないが、その場は押し切られてしまうだろう。


 セリスより力を持った者が送り込まれたら。

 数に頼んで押し寄せてしまったら。


 今のところ、審査を厳しくし、人数を絞り、信頼できる護衛の下で幻霧の森まで送り届け、あとはセリスに任せるしかなかった。

 そして、セリスはそれでいいと考えている。

 ワーズパイトの智を知らしめるには、多少のリスクは覚悟の上だった。



「人物の審査と保証は我が家の名誉にかけて。それとも王家にさせますか? 私としては、どちらでも構いませんが」


 ミッケルは、これを利権にしようとは考えていない。

 他の貴族に任せてもいいが、利権がらみにしない人物でなければならない。

 ならば、王家に任せるのもひとつの手だ。


――何から何まで、卿に仕切らせるわけには、いかないでしょうしね。フォルシティ男爵家だけで回せなくなるし、力を持ちすぎるのもどうかと思うわ――


 あれもこれもでは、ミッケルの負担が大きすぎる。

 こちらとしても、妬みや嫉みの対象には、なってもらいたくない。


「はい。何も、今すぐとは申しません。おふたりが王都においでになり、落ち着いてからでもよろしいかと」


 性急にことを運んでも、いいことはない。

 この世界にも、『兵は拙速を尊ぶ』や、『急いてはことを仕損じる』に類する言い回しはあった。


 ここは、後者を採るべきだ。

 ミッケルは、充実した思いに満たされていた。




「そうするんだったら、図書館を整備した方がよくないか?」


 マッサージ用ベッドから、身を起こした龍平がセリスに言った。

 以前、セリスからワーズパイトの蔵書すべてを譲ると、レフィが聞いたら卒倒しそうなことを言われた龍平だが、さすがに辞退している。

 そのときは単純に喜んでいたが、セリスやレフィの話を聞くうちに、その価値に気づいてのことだった。


 それに、ワーズパイトの思い出が詰まったこの館を、他人が土足で踏み荒らすのはどうかと思っての提案だった。

 自分のことは、棚に上げて。


「……ん。……リューヘーの……気遣い……嬉しく……思う。……けど……不要。………写本は……ここで……一度に……ふたり。……書斎は……使わせ……ない」


 図書館は、確かに面白い構想だ。

 だが、セリスの目が届かなくなる。


 セリスは、写本自体は構わなかったが、制限は付けるつもりだ。

 写本のために訪れた者に、食事の準備を任せるわけにはいかない。


 台所は、ワーズパイトから任された、セリスにとって神聖な場所だ。

 龍平やレフィならともかく、他の人間を入れる気はさらさらなかった。


 食材の調達も、外から訪れた者には任せられない。

 幻霧の森には、セリスとそこに住む幻獣や魔獣との間で、作られたルールがある。 万が一にもそれを無視されては、森の安寧が一瞬で壊されてしまう。


 そして、館の掃除も来客の洗濯も、セリスは譲る気はない。

 本の管理を優先すればと思うが、セリスにとってのアイデンティティを奪うわけにはいかない。

 セリスはそのために生まれてきた、家憑き妖精なのだから。


――セリスの手間を考えると、やっぱり無理なようね――


 閲覧自由な図書館を作っても、管理がセリスひとりでは目が届かない。

 そして、そのための人材を常駐させる気はない。


 ワーズパイトの著書を管理していいのは、セリスをおいて他にはいない。

 ならば、人数と行動に制限を付けるしかなかった。



 ワーズパイトの蔵書は、書斎と書庫に納められている。

 セリスが許可したのは、写本のみだ。


 この館での研究を、許可するつもりはない。

 そして、写本に書斎は使わせない。


 あの部屋は、ワーズパイト以外に使っていい人物はいない。

 龍平やレフィですら、書斎での閲覧は遠慮していた。


 書斎もしくは書庫からの持ち出しは、ひとり一冊のみ。

 持ち出しと返却は、必ずセリス立ち会いの下で行う。


 写本は食堂に専用の机を用意し、そこ以外では行わない。

 諸々のルールを、決めておく必要があった。


「セリス殿の言うとおり、ここでは写本のみがいいだろう。もし、研究まで認めてしまうと、本の持ち出しが際限なくなる。罰則も必要だな」


 ルールに反した者は、即刻退去。

 言葉尻を捕らえ、ルールの穴を突こうとした者も、セリスの判断で即刻退去。

 幻霧の森での安全も、当然保障しない。


 厳しすぎるような気もするが、ワーズパイトの原本を守るためには、最低限必要なことだとセリスは思っている。

 この条件以外で、写本を許可する気はなかった。


――それでよろしいかしら、卿? リューヘーもそれでいいでしょう?――


 セリスの話を聞いてレフィは納得し、ミッケルと龍平に同意を求めた。


「私は構いません。許可をいただく側ですし。もっと厳しくしても構わない気もしますが、私まで不便になりそうですから、これでよろしいかと」


 特別扱いを求めるわけではないので、ミッケルは充分満足できる内容に諸手を挙げて賛成した。


「俺も。これ以上は思いつかないや。いいんじゃない、悲劇の魔法姫?」


――きぃぃぃぃぃぃっ! ぜぇぇぇったいっ、許さないっ! 生きたまま地獄に叩き込むぅぅぅっ! 卿! セリスも! 手伝ってぇぇぇっ!――


 本当に仲良しさんですね。




 ミッケルがワーズパイトの館に滞在し、三日が過ぎた。

 幻霧の森の外に待機する麾下の部隊には、十日前後の離脱を告げてあった。


 この間、残された部隊はケイリー率いるネイピア兵と合流している。

 ケイリーたちはミッケル隊から分離後、セルナ河の川岸をカナルロク軍による構築物がないか調査していた。


 漁民が作ったと思われる桟橋を発見したのみで、不審な構築物は発見されることはなかった。

 一年前に作られた拠点の桟橋は、漁船には不向きなのか、資材を剥ぎ取られて使える状態にないことも確認している。


 一連の調査を終え、ケイリーは原隊復帰していた。

 現在は、ミッケルの帰還を待ちながら、拠点周辺の警戒任務に就いている。


 その中には、レフィの予想を覆して、ジェンの姿も見られた。

 もちろん、罪を許されたわけではなく、今後合流するであろう龍平とレフィに配慮した結果だ。


 ジェンはすっかり許された気になり、龍平への恨み節を周囲にばらまいている。

 カウントダウンが止まっていないことを、彼だけが知らなかった。




「リューヘー殿、少しよろしいか?」


 朝の鍛錬を終え、井戸で汗を流した龍平が濡れた髪を拭きながら食堂に入ると、ミッケルが声をかけてきた。


「はい、大丈夫です。初めてお会いしたときのように、お話しいただけませんか? どうも、俺よりはるかに上の方から丁寧に喋られるのは慣れないんで」


 龍平は答え、ミッケルの正面に腰を下ろす。

 龍平を探していた理由が明かされた夜以来、ミッケルの言葉遣いがこそばゆかった。


「そうですか。それでは……今すぐ決めなくても構わないが、王都に着いてから請求する賠償額のことで、軽く打ち合わせをと思ってな」


「はいぃっ?」


 考えてもいなかったミッケルの言葉に、龍平は目を白黒差せてしまった。


「賠償、金、ですか?」


 現代日本で普通に暮らす高校生が、賠償金の当事者になるなどそうそうない。

 龍平には、その発想すらなかった。


「いったい、何を驚いているんだ? まさか、王都まで呼びつけて、ごめんなさいで終わるとでも? 仮にリューヘー君を送り返す算段がついたとしても、それ相応の賠償金、言い方を変えるなら見舞金は当然のことだ」


 いつの世も、まずは金らしい。

 世知辛いとは思うが、相手に損害を与えた以上、形に残る償いは必要だった。


「俺なんて、ただの高校生ですよ。賠償されるような、そんなたいした者じゃないです。なんか、大変なことになりそうな、嫌な予感が……」


 いきなり尻込みし始める龍平。

 相変わらずのへたれめ。


「実は、ことが大きくなりすぎている。召喚の儀で、人間を召喚してしまった事実は、公表されている。当初はこの世界の人間と考えていたからな。まさか異世界の人間を召喚してしまうなど、思いもよらなかったのだよ」


 今更隠すようなことではない。

 隠し立てできることでもない。


 非を認め、被害者に賠償することで、今回のことは手打ちにしたいという、王国の意図は明々白々だ。

 そして、秘境中の秘境から召喚されたという事実をでっち上げ、送還することもできないことにして王都で保護する。


 そして、誤召喚の原因究明にも協力を要請し、召喚の儀を再開させ、王家の威光を取り戻す。

 当然、異世界の知識を独占したいという、王家の意向もあることは否定しない。

 もちろん、秘密裏に送還の研究を行うことも、決定されていた。


 大人の世界での判断がいまひとつ理解できないのか、ミッケルが説明している間、龍平は口を挟めなかった。

 何を聞いていいか、何が解らないのか、それすらも解らなくなっていた。



「それと、リューヘー君。聞けば、この世界の高科学院に相当する学舎に通っていたそうじゃないか。それは、たいしたものだと私は思うぞ」


 ミッケルも、学院の卒業生だった。

 入学選抜も厳しかった。


 進級の審査も厳しかった。

 卒業の判定は、もっと厳しかった。

 その厳しさに打ち勝ったことが、今の自分を作っていると、ミッケルは学院卒を誇りに思っている。


 龍平が学院卒に匹敵する知識を有することは、セリスやレフィから聞かされていた。

 自身の努力に勝るとも劣らぬ研鑽を積んできた少年に、それも当時の自分より若い少年に、ミッケルは畏敬の念を抱いている。

 そのとき、ミッケルの話に自らを省みた龍平は、何とも言えないきまりの悪そうな表情を浮かべていた。



「まぁ、それで、だ。ここからが相談の核心だ。いくら請求する?」


 きまり悪そうな龍平に何かを悟ったのか、ミッケルは強引に話題を変えた。


「え? いや、いくらって仰られましても……相場も分かりませんし……」


 自分の値段を出せと言われて、即答できる高校生がいるだろうか。

 仲間内とのおふざけで一〇〇兆円とかの戯れ言ならともかく、公の場での話ともなれば、それは無理な話だ。


――言い値でいいんじゃないかしら。今までに例のないことなんでしょう? 過去の賠償金なんて、参考にする必要もないわ。リューヘーの世界の相場でいいわ。卿もそれでよろしくて?――


 突然レフィが話に割り込んできた。

 目を白黒させている龍平に、助け船を出しに来たようだった。


「はい。それでかまわないかと、殿下」


 誤召喚の賠償金など、聞いたこともない。

 殺人であれば、犯人は死罪で血縁者なりが賠償の責を負う。


 だが、賠償の金額は、この世界では権力者の胸下三寸だ。

 賄賂や利益供与などで、どうとでもなる。

 さらに身贔屓まで加わってしまえば、相場などあってないようなものだった。



「そうですねぇ……。俺みたいな未成年の場合、生涯賃金がひとつの目安だったような記憶が……」


 ネットや雑学本で仕入れた知識を、龍平は総動員していた。


「一般的な勤め人の場合、生涯賃金は二億円と言われています。とりあえず、貨幣価値はともかく、数字だけ覚えておいてください。それで、王国でも使われている金貨に換算してみましょう」


 とりあえず、経済規模や貨幣価値を無視して、金に重量を基準に換算することにしてみる。


「金一キロが五〇〇万円くらいでしたので、二億円だと金が四〇キロになります。重さの単位は俺の世界のものですので、参考までに聞いてください」


 そして、龍平は自室に戻り、財布を持ってくる。

 同時に、天秤計りをレフィに持ってくるように頼んだ。



「さて、これが俺の世界の貨幣ですが、当然重さが決まっています。これを基準に、こちらの金貨の重さを計ると……」


 食堂に戻った龍平は、財布からコインを取り出しテーブルに並べる。

 ミッケルの視線が、鋭く変化しコインに注がれた。


 龍平はそれに気づくことなく金貨を右に乗せ、一円玉を左に一枚ずつ乗せる。

 右に傾いていた天秤が、一円玉四枚目で左に傾いた。


 龍平は一円玉を取り去り、一〇円玉を乗せる。

 天秤は左に傾いた。


 そこで、右に一円玉を一枚乗せたところ、左右がほぼ釣り合った。

 ミッケルとレフィは、感心したように見ている。


「はい。釣り合いました。この一円玉は一グラム。十円玉は四,五グラムです。ですので、この金貨の重さは、三,五グラムとなります。一キロが一〇〇〇グラムですので、金四〇キロは……端数を切り捨てて金貨一一四二八枚ということになります」


 さすがに暗算では計算しきれなかった。

 セリスに紙にペンを持ってきてもらい、アラビア数字を書いて筆算する。


 ミッケルとレフィは、驚愕の表情のまま完全に固まっていた。

 セリスは、なぜか得意そうに胸をそらしていた。



「あれ? どうされました? レフィまで? 非常識かな?」


 算出した額が非常識なのかと、龍平は三人に尋ねた。


「いやいやいやいや、あり得ん。いったいなんだね、その計算は!」


――何の魔法よっ!――


「……ん」


 どうやら、見たこともない文字と記号で、あっという間に計算したことが非常識に見えたようだ。

 普段から二桁程度の加減乗除なら暗算で住ませていたが、さすがにこの桁数だと途中で分からなくなる。


 そのために筆算でやったのだが、これが信じられないほど速かったらしい。

 そして、筆算といえど、暗算を繰り返し、紙に落としていく作業の積み重ねだ。

 セリスには周知の事実だったが、さくさくと指を折ることなく数字を書き込んでいくことも、ふたりには信じ難いことだった。


「いや、これ、俺のいた日本なら、一〇歳くらいで誰でもできるようにな」


――嘘よ、そんなの! 私、何が何だか、ぜんぜん解んないっ!――


 龍平の説明に、レフィの悲鳴が重なった。


「その額だと、王都で四人家族が贅沢をしなければ、年に金貨二枚として……」


「五七一四年分ですね。とんでもねぇ金額だな。やっぱり非常識ですね」


「……ごふっ」


――あなたの頭の造りが非常識よっ!――


 さくっと暗算で答える龍平に、ミッケルの血を吐くような音と、レフィの悲鳴がまた重なった。



「あれ、待てよ。金貨二枚で一年ってことは、金七グラムだから、一グラム五〇〇〇円として、年三万五〇〇〇円? 日本の三十代後半の平均年収の一〇〇分の一? 手取りだとそれ以下だろ……となると、金貨一一〇枚くらいで釣り合うのか?」


 既に無言になった三人を余所に、龍平はぶつぶつと呟き続ける。


「ミッケル様、いろいろ計算してみましたが、金貨一〇〇枚でいかがでしょうか?」


 龍平の問いに、考えることを放棄したかのようなミッケルが、力なく頷く。


 だが、次の瞬間、龍平は何かを思い出し、また紙に向かって計算を始めた。


「あ、全盛期のスペインが確か国家予算が、ヴェネツィア通貨に直すと五〇〇万デュカートって、聞いた覚えがある。だから……金貨一一四二八枚だと……端数切り上げで四三八分の一。日本の国家予算が九六兆七〇〇〇億だったから、ざっくりと二二一二億。その一〇〇分の一だと二二億……。あれ、増えた? 一〇倍? ミッケル様、一〇〇枚でも多すぎます。どうしましょう?」


 龍平が困ったような顔を、ミッケルに向ける。



 ミッケルは、無言で首を横に振った。

 レフィは、聞くことも、思考することも放棄していた。

 セリスが得意げな顔で、ふたりを見ていた。

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